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戦争で味方に休養を取らせるための戦術

戦術学において、宿営とは部隊がその戦闘力を回復もしくは充実させ、事後の行動を準備する目的で行進を停止し、長時間にわたって休養させている状態、またはその状態に至る行動をいいます。 宿営の基本的な分類は、既存の建物で行う宿営である「舎営」と野外で行う宿営である「野営」という二分法です。 しかし、後者の野営に関しては作戦天幕や携帯天幕などの装備品を展開し、部隊や装備を一時的に保護する簡易式の施設を構成する「幕営」と、それらを使用しない「露営」に細分化することもできます。 宿営の基本的な要領の多くは、趣味として広く知られているキャンプと本質的に同じですが、敵襲を想定して行う点が決定的に異なります。 今回は、戦術研究の観点から宿営を考える際に、どのような問題があるのかを説明してみたいと思います。 宿営地は本質的に野戦陣地でなければならない ハイチで幕営を行っている米海軍の部隊。 長期にわたる作戦において宿営は重要な問題であり、特に戦時に行う宿営では兵站上の考慮だけでなく、戦術上の考慮も必要となる。 敵地に赴いた部隊をいかに安全に休養させるかという問題は、指揮官にとって切実な問題です。特に部隊の行進がもっぱら徒歩行進に頼っていた時代の戦争では、兵士が長い行進で疲れ果てると落伍してしまう恐れもあるため、戦場で本来の能力を発揮できなくなるためです。 そこで指揮官は行進の途中で宿営を実施し、戦場に到着する前に部隊の戦闘力が失われないように注意しなければなりません。 しかし、敵地を行進する味方の部隊は宿営している最中に敵の襲撃を受ける危険があります。夜襲を受けるようなことになれば、小規模な敵襲でも味方の部隊から大きな損害が出るかもしれません。 宿営地が全体として防御陣地となるように着意して構成することが指揮官に求められます。 政治学者であり、軍事学者でもあったマキアヴェリは、この問題を検討する際に、古代ローマ軍の宿営要領を紹介しています(マキアヴェリ「戦術論」233-43)。 ローマ軍を描いたレリーフ。規則的に並んでいる天幕を取り囲んで防壁が構築されている。 宿営地の防備を適切にするために野戦築城が必要なことは、いつの時代の戦場でも変わらない。 それによれば、ローマ軍は宿営地を基本的に方形に構成し地形に応じて東西南北に走る交通路と...

いかに陸軍の戦闘陣形は拡大してきたか

戦闘陣形(battle formation)は作戦地域において部隊の配置、展開を規定するものであり、戦術的な分類としては縦陣や横陣、斜行陣などの種類があります。 しかし、今回は戦術上の戦闘陣形ではなく、戦略単位となる部隊、つまり師団以上の規模の部隊が採用する陣形について考えてみたいと思います。 古代から現代にわたる戦闘陣形で最も顕著な変化は、時代が下るにつれて兵士の密度が低下する傾向です。 先行研究によれば、古代の陸軍で100,000名の兵士が戦場に展開する場合、その正面はおよそ6.67キロメートル、縦深は0.15キロメートルほどでした(Dupuy 1985: 28)。 このような戦闘陣形が採用されていた理由としては、古代から中世にかけての部隊行動では白兵戦闘能力が重要視されていたことが挙げられます。 白兵戦闘では交戦距離が1メートル以下となりますので、兵士各人の側面や背後を相互に掩護するためには部隊を密集隊形にまとめておく必要がありました。さらに加えると、部隊の指揮官が部下の状態を掌握する上で、兵士たちをまとめておくことのほうが望ましいという理由も挙げられます。 しかし、火器の導入によってこうした戦闘陣形には問題が出てきます。 兵士たちが部隊として密集していると野戦砲やマスケットで射撃を受けた場合に損害を受けやすく、例えば野戦砲が部隊に対して一発の命中弾を送り込むと縦に並ぶ兵士たちが一度に吹き飛ばされるという脆弱性が認められました。 こうした理由から、ナポレオン戦争の時代には100,000名程度の部隊が展開した正面は2.5キロメートル、縦深は8キロメートルにも拡大していきます(Ibid.)。 これだけの空間に部隊が展開すると、25.75平方キロメートルが占有される計算となります。 さらに第一次世界大戦の時代に移ると100,000名の展開する空間の広さはさらに拡大しました 正面は20,83キロメートル、縦深は12キロメートルに達しました。これらの数値から計算すると、部隊が占有する面積は247.5平方キロメートルにも及びます。 この時期に導入された機関銃、戦車、航空機、化学武器などに対処するためには、部隊を戦場に分散させることが必須の条件となっていました。 現代の私たちがイメージする陸上作戦の原型はこの時期に出現していたと考...