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学説紹介 コリン・グレイの戦略論―攻撃と防御の区別を中心に

安全保障を研究する学者や専門家の間で広く使われている用語に攻撃(offense)と防御(defense)があり、例えば政策論争において攻撃的な戦略や装備は戦争のリスクを高める危険が生じて来る、などのような使われ方がされています。 しかし、そもそも戦争において攻撃と防御は明確に区別できるものなのか、という根本的な論点をめぐって論争があることにも注意しなければなりません。 今回は、コリン・グレイの研究でこの問題に関する議論を紹介したいと思います。 戦略レベルで攻撃・防御の分類は困難 ドイツの西部国境に沿って構築されたジークフリート・ラインには多数の障害が設置されていたが、それは東部国境において大規模な軍事行動を起こすための兵力集中を容易にしたと指摘されている。 グレイは政策や戦略の研究において攻撃と防御を単純に分類することは、特に国家の軍備を攻撃的なものと防御的なものに区別することは分析の視座として妥当とは言えず、混乱を引き起こしやすいして、次のように論じています。 「攻撃と防御は政策レベルにおける主体的な判断に属するものである。それは戦術、作戦、戦略と緊密に関連し合い、支え合うものなので、戦略の歴史を理解するための理論的基礎としての利点は乏しい。例えば、固定的な守備隊の火砲、地雷原、組織化された築城はいかなる定義においても防御的なものと思われる。戦術的に考えれば、コンクリートと鉄鋼で構築された防備はそれ以上でもそれ以下のものでもない。しかし、作戦、戦略、そして政治の観点で考えれば、1939年におけるナチのドイツ軍のジークリート・ラインは防御のための盾であったが、それは東部でポーランドに対して攻勢をとるための行動の自由をドイツに与えるために寄与するものであった」(Gray 1999: 180) 国境地帯に強固な防衛線を構築することは、その国家の政策、戦略、作戦が防御的な傾向を持つ証拠とはなり得ませんし、逆もまた然りです。 1939年にフランスがマジノ・ラインとして知られる防衛線を構築したことは、政策レベル、戦略レベルで防御を意図した結果でした(Ibid.)。 つまるところ、ある国家の軍備についてそれが攻撃的なものか、防御的なものかを判断することは極めて困難だという立場をグレイはとっているのです。 戦術レベルもまた政策・政治に左右...

敵前で休止するときは前哨を忘れずに

前哨(outpost)とは、休止する部隊がその敵方に向けて出す小規模な警戒部隊のことです。その状況の危険度に応じた兵力で主力を敵の監視や襲来から掩護することが前哨の役目です。 今回は、米軍の教範に沿って、最も危険度が大きい状況に用いられる戦闘前哨(combat outpost)の要領について紹介し、どのような戦術的考察がなされているのかを紹介したいと思います。 戦闘前哨の任務とは何か 戦闘前哨の配置例を示した状況図 前哨本隊の警戒方向に対して視界が良好な2カ所の地点に哨所を配置している (FM 3-90-2: 3-24) 戦場といっても毎日間断なく銃弾が飛び交っているわけではありません。 特に動きがない時期もあり、にらみ合いが続くことになります。 しかし、ただにらみ合っているわけでもなく、実際には敵と味方が相手の戦力や配備を探ろうと斥候を密かに送り込むことが一般的です。 前哨はこうした敵の斥候を発見し、また可能であれば射殺、捕獲することによって、主力の安全を確保しているのです。 戦闘前哨はこうした前哨の機能に加えて、ある程度の規模の敵襲を受けても、主力が態勢を整えるまで、持ち堪えて時間をかせぐことが求められます。 それだけに、通常よりも強力な武器や装備を戦闘前哨は保有していなければなりません。 とはいえ、戦闘前哨の任務は自ら進んで敵と戦うことではありません。 あくまでも戦闘前哨は敵襲の可能性が高い地域で主力が敵から監視されることを防ぎ、また安全を確保することにあります。 「戦闘前哨は限定的な戦闘行動を遂行できる強化された前哨である。戦闘前哨を用いることは、その地域を監視することを妨げるほど険しい地形で警戒部隊を運用する技術である。戦闘前哨はより小規模な前哨では警戒区域に敵部隊が進出し、突破する危険に晒される恐れがある場合にも使用される。指揮官は戦闘前哨を用いることで、警戒区域の縦深を拡げることや、敵の主力を監視できるまで前方に我の前哨を保持し、または敵の部隊によって囲まれる可能性がある前哨の安全を確保できる」(FM 3-90-2: 2-24) 上図は戦闘前哨の配備の一例を示したものですが、中央の前哨本隊が敵方の警戒方向に向かって監視所を設けていることが分かります。 この場合、河川の対岸から通報を受けた前...

論文紹介 核戦闘でのペントミック師団の戦術

戦争の歴史を学べば、武器の改良と戦術の改良は絶えず影響を及ぼし合ってきたことが分かります。 このことは核の時代においても基本的には変わっていません。核兵器が登場したことにより、戦術研究もまたそれに対応できるように発達してきたのです。 今回は、核の時代における戦術学の動向を知るために、ペントミック師団の教義を戦術研究の観点から解説した論文を取り上げ、その内容を紹介します。 論文情報 John H. Cushman. 1958. "Pentomic Infantry Division in Combat,"  Military Review , Vol. XXXVI, No. 10, pp. 19-30. ペントミック師団はどのような部隊か 1952年、米国が史上初の水爆実験を成功させ、冷戦は新たな段階に入った(「 軍事的観点から考える水爆の重要性 」を参照)。 1953年に発足したアイゼンハワー政権は核戦略として大量報復を打ち出し、ヨーロッパ地域でソ連軍が侵攻してくれば、米軍としては核兵器の使用も辞さない意思を示し、ライン川の防衛線を固守する姿勢を明らかにした。この一連の軍事情勢が1957年にペントミック師団が導入される契機となった。 そもそもペントミック師団(pentomic division)は、核戦争での運用を想定し、米陸軍で1957年に編成された歩兵師団、空挺師団の総称であり、正式名称はそれぞれROTAD(Reorganization of the Current Infantry Division)とReorganization of the Airborne Division (ROTAD)でした。 1963年の改革でROAD師団へと改編されるまで、ペントミック師団は維持されましたが、これは核の時代におけるいかに地上戦を遂行すべきかを模索する米陸軍の組織的な挑戦でした。 この論文の著者も米陸軍で核兵器の使用を想定した戦術の研究に取り組み、新たな陸軍の教義を確立することで、ソ連軍に対する米軍の能力が低下しないように努めていたのです。 著者はペントミック師団の戦闘教義を考えるためには、戦争の形態が全面戦争、限定戦争等のようにさまざまな状況に対応できなければならないと考えました。 つまり、ペントミック...

攻撃だけが戦車の仕事ではない

戦車という装備は、その速度を発揮して敵に迅速な攻撃を行う場合にこそ適しており、防御に回るとその能力を十分に発揮できないという考え方は、結局のところは間違っているのですが、普通の人からすれば説得力がないともいえません。 戦車の優位が優れた路外での運動性能にあることは事実ですし、そもそも陣地防御を行う場合に戦車がどのような要領で敵と交戦しているのかをイメージしずらいところがあるからかもしれません。 これまでにも戦術研究の観点から戦車小隊の運用方法に関して何回か取り上げていますが( 戦車小隊の戦術とその隊形 、 敵の戦車を側面から射つためには )、今回は陣地防御における戦車の戦術に関して説明します。戦車が陣地防御においても適切に運用すれば大きな戦果を上げることができるということを知って頂くきっかけとなればと思います。 陣地防御における戦車小隊の基本動作 戦闘陣地に展開した戦車小隊の各車両の射線は敵が接近の際に使用する経路を把握しておくだけでなく、小隊長においては車両ごとにどの目標を射撃するのかを予め指示しておくことで与えられた火力を最大限に敵に対して発揮できる。 (FM17-15: 105) 防御の本質は敵の攻撃を破砕することにあるため、必然的に防御に回る戦車小隊の車両はそれぞれ陣地で敵を待ち受ける態勢となります。 ただし、敵との交戦が始まると各車両は当初の陣地に止まり続けて戦うのではなく、事前に指定しておいた戦闘陣地へと移動を続けながら各要点で敵に射撃を加え続けるのです。 戦車小隊は通常だと4両で編成されていますが、こうした陣地転換の際には2両ずつ交互に敵を制圧しつつ移動を行うことで安全を確保することは、攻撃の交互躍進の要領の応用となります。 戦闘陣地でハル・ダウンとタレット・ダウンを使い分ける しかし、戦車が陣地に配置されているからといって安心するわけにはいきません。戦闘陣地で戦車が射撃している際には、ハル・ダウン(Hull-down)という姿勢で射撃を行っています。 ハル・ダウンは戦車が射撃のために上部の砲塔部分を稜線から乗り出して暴露させているため、敵の射撃を受ける危険があります。もしハル・ダウンの位置に車両を前進させるとしても、その位置を占める時間を最小限にするように各車長、小隊長は留意する必要があります。 戦闘陣地で...

戦争で味方に休養を取らせるための戦術

戦術学において、宿営とは部隊がその戦闘力を回復もしくは充実させ、事後の行動を準備する目的で行進を停止し、長時間にわたって休養させている状態、またはその状態に至る行動をいいます。 宿営の基本的な分類は、既存の建物で行う宿営である「舎営」と野外で行う宿営である「野営」という二分法です。 しかし、後者の野営に関しては作戦天幕や携帯天幕などの装備品を展開し、部隊や装備を一時的に保護する簡易式の施設を構成する「幕営」と、それらを使用しない「露営」に細分化することもできます。 宿営の基本的な要領の多くは、趣味として広く知られているキャンプと本質的に同じですが、敵襲を想定して行う点が決定的に異なります。 今回は、戦術研究の観点から宿営を考える際に、どのような問題があるのかを説明してみたいと思います。 宿営地は本質的に野戦陣地でなければならない ハイチで幕営を行っている米海軍の部隊。 長期にわたる作戦において宿営は重要な問題であり、特に戦時に行う宿営では兵站上の考慮だけでなく、戦術上の考慮も必要となる。 敵地に赴いた部隊をいかに安全に休養させるかという問題は、指揮官にとって切実な問題です。特に部隊の行進がもっぱら徒歩行進に頼っていた時代の戦争では、兵士が長い行進で疲れ果てると落伍してしまう恐れもあるため、戦場で本来の能力を発揮できなくなるためです。 そこで指揮官は行進の途中で宿営を実施し、戦場に到着する前に部隊の戦闘力が失われないように注意しなければなりません。 しかし、敵地を行進する味方の部隊は宿営している最中に敵の襲撃を受ける危険があります。夜襲を受けるようなことになれば、小規模な敵襲でも味方の部隊から大きな損害が出るかもしれません。 宿営地が全体として防御陣地となるように着意して構成することが指揮官に求められます。 政治学者であり、軍事学者でもあったマキアヴェリは、この問題を検討する際に、古代ローマ軍の宿営要領を紹介しています(マキアヴェリ「戦術論」233-43)。 ローマ軍を描いたレリーフ。規則的に並んでいる天幕を取り囲んで防壁が構築されている。 宿営地の防備を適切にするために野戦築城が必要なことは、いつの時代の戦場でも変わらない。 それによれば、ローマ軍は宿営地を基本的に方形に構成し地形に応じて東西南北に走る交通路と...

論文紹介 広正面防御では「縦深」が重要である

長い国境を持つ国家の陸軍では、広正面防御(expanded defense)が重要な戦術上の課題となります。広正面防御とは、正面が我の戦力に比して著しく広いために、部隊間の相互支援が制限される状況で行われる戦術的防御の一種です。言い換えれば、普通の場合よりも広域に部隊を展開することになるため、広正面防御は防者にとって不利な防御の方式なのです。 今回は、師団運用の観点から広正面防御の適切な方法について考察した論文を紹介したいと思います。 文献情報 Betson, William R. 1987. The Problem of Width: Division Tactics in the Defense of an Extended Front , Monograph, Fort Leavenworth: U.S. Army Command and General Staff College. 広正面防御で「戦力の集中」を重視すべきなのか この論文が執筆された1980年代、西ヨーロッパ防衛に当たる北大西洋条約機構の主力である米軍では、ソ連を中心とするワルシャワ条約機構の部隊に対して広正面防御を行う戦術を明らかにすることが求められていました。 当時の米陸軍の編制を見ると、1個の歩兵大隊は1キロメートルから5キロメートル程度の正面にわたり防御陣地を占領する能力がありました。 したがって、5キロメートルよりも広い地域に1個大隊を展開しようとすると、現場では人員不足に陥るため、戦闘力を有効に発揮できません。 そこで当時の米陸軍の教範では広正面防御においては特定の要点を防御し、他の前線に部隊を配置しないことで、戦力の節約と集中を図るように指示されていました(Betson 1987: 4-5)。 確かに、教範が示した考え方であれば、味方の戦力の集中は容易ですが、味方の防御陣地がごく一部の地域に限定されるため、敵がその弱点を突いて味方に攻撃を加えると、対応できない恐れがありました。 著者はこの点を「広正面に対して戦力を節約し、危険を冒すことが必要であるならば、敵による可能行動に作戦計画をある程度は依拠せざるをえない」と指摘しています(Ibid.: 9)。 錦江線の戦い(1950)における広正面防御の問題 ウィリアム・ディーン(1...

事例研究 アルゴンヌの戦い、ホイットルセーの死闘

第一次世界大戦に参戦した米国の欧州派遣軍の兵士たち。 戦争で指揮官が立派に任務を遂行した功績は、時として美談として語られることも少なくありませんが、そのことがかえって軍事上の教訓を分かりにくくすることもあります。 第一次世界大戦で名誉勲章を授与された米陸軍のホイットルセーの功績もこれに含まれると思います。彼はアルゴンヌの戦いでドイツ軍に完全包囲される中、粘り強く戦い抜いたことが高く評価されましたが、師団の立場で見れば重大な戦力運用上の過失が見られました。 今回は、アルゴンヌの戦いを紹介し、この事例からどのような軍事的教訓を読み取ることができるのかを考察してみたいと思います。 ムーズ・アルゴンヌ攻勢の概要 ムース・アルゴンヌ攻勢(1918年9月-11月)。 フランスとベルギーの国境付近の地域で実施され、 赤線が独軍の主抵抗線を表す。 地図で見ると米軍部隊の左翼が南方から北進し、ドイツ軍を後退させていることが分かる。 1914年に勃発した第一次世界大戦はすでに四年目に入り、ドイツ軍の戦闘力は限界に達しつつありました。1918年、米国は部隊を西部戦線に配置し、ドイツ軍に対する数的優勢を確保しながら戦うことができるようになりました。 この機会を利用するため、米軍は大規模な攻勢作戦を計画します。この攻勢はムーズ・アルゴンヌ攻勢と呼ばれています。 9月から実施されたムーズ・アルゴンヌ攻勢は、第一次世界大戦の最終局面を形成する重要な作戦でした。この攻勢作戦において特に主攻の目標とされたのは、交通の要所であるセダン(Sedan)でしたが、単にセダンを奪取するだけでなく、ドイツ軍に決定的な打撃を加え、戦争を早期に終結へと導くことが戦略的に意図されていました。 ムーズ・アルゴンヌ攻勢におけるアルゴンヌの戦闘 ホイットルセー(Charles W. Whittlesey)少佐。 ハーバード大学法科大学院修了、米国が参戦を決定した1917年に陸軍入隊。 アルゴンヌの戦闘を指揮した功績で名誉勲章が授与されている。 1918年10月2日、セダンを目標とする攻勢作戦に参加していた米軍の第七十七歩兵師団では、アルゴンヌの森の北端部を占領するドイツ軍の防御陣地に対して攻撃が実施されることになりました。 この攻撃に使用された部隊の一つにホイッ...

はじめて学ぶ築城学の基本基礎

日本にも各地に城塞が残っており、こうした史跡を観光資源として活用するために改めて調査研究する取り組みも活発に見られます。 しかし、こうした城塞の研究を進める上で基礎とすべき築城学の文献はそれほど多く流通していないため、理解を深める上で障害となっている部分があるのではないかと思います。 築城(fortification)とは、我が部隊の防護性を向上させ、かつ戦闘力の発揮を容易とするため、土地に対して施す工事、またはその工事によって構築される掩体等の各種構築物の総称であり、築城学はその研究をいいます。 築城の意義は戦闘を戦闘で所要の地点を味方が防御することを助けることにありますが、築城の形態や規模は与えられた任務や利用できる物資、また周囲の状況によってさまざまです。 最も一般的に分類すると、あらゆる築城は平時から計画的に工事を実施して構築される永久築城と戦時に一時的、応急的に構築される野戦築城の二種類に分類されます。 今回は築城学の基本である野戦築城を中心に、その基本知識を簡単に説明し、より深く城塞について研究して頂く上での参考にして頂ければと思います。 掩体の基本的な構造と特徴 築城学でよく使用される専門用語の一覧。 用語の解説のための掩体の断面図だが、各辺の大きさは強調または短縮している。 ここで示しているのは19世紀から20世紀前半まで見られた典型的な堡塁構造の断面図である。 現在の個人用の掩体では外壕を設けず、積土、本体部、通路部で構成する。 ここで示した築城用語に関する個別の解説は(Mahan 1852)を参照。 野戦築城の基本的な要素となるのは掩体です。 掩体の目的は火力の発揮または監視や観測を容易にし、かつ敵の火力から人員、武器、装備を防護することであり、一見すると土が周囲に盛られ、大人が全身を入れることができるだけの大きさを持つ穴のようにも見えます。 基本的に野戦築城では掘開した土を積土として射手の前方に設置します。米軍では掘開深さの目安は小銃の全長の二倍と指導することもあるようです。 掘り返した土を周囲に盛り、その斜面を緩やかにすれば、少ない積土でも厚みを増すことができます。ただし、この場合には積土は低くなるという欠点があり、より深く掘らなければなりません。 しかし、斜面の角度を急にして積土高を高くし...

接近経路で分類できる防御陣地

戦場では任務、地形、敵情等の各種状況によって防御者として敵を迎え撃つという場面が出てきます。 戦術において攻撃よりも防御が一般的に有利に立てる前提条件となるのが、地形地物を活用した陣地構築と部隊配置です。 今回は、特に歩兵中隊(3個小隊と中隊本部を合計して200名弱程度の部隊規模)の観点から、ある接近経路に対して部隊を適切に配置させるために注意すべき事項を説明したいと思います。 接近経路から戦闘陣地の種類が判断できる あらゆる戦場の地形は五つの観点から分析することができます。 すなわち、任務遂行のために確保が優先される地形である緊要地形、部隊が通過することを妨げる障害、部隊の所在を秘匿する掩蔽、部隊の所在を確認するための監視、緊要地形に向けて前進する上で通過することになる接近経路、これら五つの観点です(詳細は 地形分析に関する過去の記事 をご参照下さい)。 これら地形分析の中でも陣地防御を指導する上で重要なのが接近経路です。 接近経路を把握すれば、その接近経路に沿って敵が前進してくると予測されますので、それに対して我が部隊をどのように配置することができるのかを判断できるようになります。 以下では選択可能な戦闘陣地の関係を四種類に区別したものを見てみます。 敵の単一の進路に直行する単一の防御陣地 単独の接近経路に対して単独の陣地を構成する場合。 (FM3-21.8: 8-26)より引用。 図で示したように敵の部隊が使用する接近経路に対して良好な視界と射界が得られ、かつ偽装と隠蔽が容易な地形があれば、そこに全ての分隊の火力を指向して強力な弾幕を構成することができるだけでなく、戦局に応じて別の陣地へ移動することさえ可能です。 我が部隊を一カ所に展開して運用することになるので、指揮官にとって部隊の状態を最も掌握しやすい点も利点として挙げられます。 敵の複数の進路に平行する単一の防御陣地 複数の接近経路に対して単一の防御陣地を構築する場合。 (Ibid.: 8-26)より引用。 上図のように、中隊の交戦地域に敵が利用可能な接近経路が複数あり、敵の部隊がどの方向から前進するのか予断を許さない場合があります。 そのような状況では、両方の接近経路に対して広く正面をとった防御陣地を構築しなければなりません。こうすると...

文献紹介 戦術的革新を生み出した組織的学習

第一次世界大戦でドイツ軍の部隊が精強であった理由は、しばしばその質実剛健な国民性というイメージから説明されることもあります。 しかし、このような説明では当時のドイツ軍の各部隊で行われていた研究努力が見過ごされてしまいます。 今回は、当時のドイツ軍における戦闘教義の革新を可能にした研究体制を調査した研究を紹介したいと思います。 文献情報 Lupfer, Timothy T. 1981. The Dynamics of Doctrine: The Changes in German Tactical Doctrine during the First World War , Leavenworth Papers, Fort Leavenworth: Combat Studies Institute. 目次 1.弾力的な縦深防御 2.1918年における攻勢の戦術 3.一般的考察の試案 この研究の主な特徴は、第一次世界大戦における戦術そのものの変遷ではなく、戦術の更新を推進していた研究努力について注目していることです。 1914年に第一次世界大戦が勃発した当初、ドイツ軍のほとんどの士官は、砲兵火力の優位性と集密な攻撃こそが勝利の条件である、という当時の戦術上の通説を疑っていませんでした。 しかし、開戦から間もなくして、この戦争がこれまでの戦争とは異次元の戦争であり、これまでの攻撃を重視した戦術が通用するとは限らないという認識が陸軍の間で普及していきます(Ibid.: 1-2)。 1915年に西部戦線では広大な野戦築城に依拠した防衛線が構成されるようになり、ドイツ軍として犠牲が拡大しないように陣地攻撃を実施しない防勢作戦の方針を決定します。 この時期にイギリス軍とフランス軍が行った大規模な攻撃に対して、ドイツ軍は地域防御を実施するための戦術を研究する必要に迫られました。 1915年6月に刊行されたドイツ軍の教範では、防御陣地を構成する上で第二線を設定して敵の突破に備えるように指示され、本格的な戦術の見直しが進められました。 さらに現場での経験から、逆襲が防御戦闘において有効であること、敵の監視と間接射撃から部隊を守るために野戦陣地に逆勾配を設けることの価値などが、この時期に明らかにされています(Ibid.: 3) 一方のフ...

論文紹介 機動戦略に伴う軍事的リスク

平成26年度以降に係る防衛計画の大綱」では将来の自衛隊の防衛戦略の基本的指針として「統合機動防衛力」と呼ばれる防衛構想を実現することが示されています。 国民がこの構想の是非を検討する一つの着眼点となるのが、この構想で機動を重視している特徴です。 戦略上の防御には大きく分けて消耗を主眼とする防御、そして機動を主眼とする防御の二種類があるのですが、この防衛戦略は後者に重きを置いた戦略構想を重視することを含意しています。 今回はこのような防衛戦略にどのような危険が含まれているかを冷戦期におけるNATOの戦略についての研究を紹介した上で考察してみたいと思います。 文献情報 Mearsheimer, J. 1981/1982. "Maneuver, Mobile Defense, and the NATO Central Front," International Security , 6(3): 104-122. 1.機動と機動防御 2.理論における機動防御 3.機動防御とNATO 4.ソビエトの脅威 5.機動防御と危機の安定性 6.結論 機動戦略か、消耗戦略か 著者のミアシャイマーがこの論文を執筆した時期はちょうどレーガン政権の軍拡が注目を集めていた時期でした。 当時、中欧地域で西側陣営が東側陣営に対して軍事的に劣勢な状態に置かれていることが問題とされており、レーガン政権でこの勢力不均衡を是正するために軍事力の増強が推進されていました。 しかし、このような取り組みに対しては多くの研究者から批判が加えられていました。 というのも、米ソ間の勢力不均衡はアメリカ軍の過剰に高額すぎる武器体系と、それに依存した前方防衛(Forward Defense)という脆弱な戦略に起因するものであったためだと考えられていたためです(Mearsheimer 1982: 104)。 前方防衛の要点は東西ドイツの国境地帯に沿ってNATOの防衛線を設定した上でWPの攻撃をその防衛線上で阻止し、敵に損害を強要することでそれ以上の侵攻を断念させるという戦略であり、その前提にあるのは機動戦略ではなく消耗戦略の考え方です。 レーガン政権がいくら軍事予算を増額したとしても、前方防衛のような不完全な戦略を採用する限りは米ソ間の勢力不...