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道路と行進―行進速度を計算する方法―

私たちはどこかに行こうとすると、どのような経路が使用できるのか、どれだけ時間がかかるのかを調べます。 軍隊の作戦計画を立案する作業でも、同じような経路研究が行われていますが、異なっているのは移動しようとする車両が1両ではないということです。 小隊や中隊程度の部隊規模であれば、特に複雑な計算は必要ないかもしれませんが、師団や軍団になってくると、行進の問題は極めて複雑になってきます。 今回は、軍団が車両行進を実施する場合を想定し、行進を計画する際に考えるべき問題を紹介し、分進合撃の有効性についても触れたいと思います。 細い道路に阻まれる巨大な部隊 3個師団で編成された軍団の指揮をとっていると想定しましょう。 この軍団を1本の道路上で前進させなければならないのですが、ざっと見積っても25,000両の車両を一斉に動かす必要があるとします。 このような条件下で25km前進するためには、どの程度の所要時間を見積もるべきでしょうか。 ここでは問題点を分かりやすくするために、行進縦隊ごとの間隔は無視することにしましょう。 車両間に100mの安全間隔を設定すると、1km当たり10両が路上の空間を占有しながら走行することになります。 したがって、軍団が道路を前進しようとすれば25,000/10=2,500となり、つまり路上空間を2,500kmにわたって占有することが予測されます。 変な話に聞こえますが、路上にずらりと並んだ軍団の全長は、これから前進しようとする距離の100倍の長さになるのです。 これだけ行進する部隊が大規模になると、時速25kmで安全走行を心がけ、道路状況に一切の異常がなく、25,000両が全て交通事故を起こさないとしても、25kmの前進には4日以上かかると考えられます。 ただし、どこか一カ所でも交通事故が起きれば、後続の車両がすべて遅れることになるため、実際に目的地に到着する時間はさらに遅れる可能性があるものと考えなければなりません。 行進のスケールをこのような数字で捉えると、軍隊の移動が一般的に考えられているより難しい問題であることが分かるのではないでしょうか。 分進合撃の威力を数字で考える さらに議論を先に進めてみましょう。1本の道路で軍団の行進速度を向上させるには限界があることが分かりました。このままでは...

ナポレオンが軍団を設置した理由

現代の陸軍の組織では、軍(army)、軍団(corps)、師団(division)、旅団(brigade)、連隊(regiment)、大隊(battalion)、中隊(company)、小隊(platoon)、分隊(squadron)という編制がおおむね当然のものになっていますが、このような編制に到達するまでには長い歴史的経緯がありました。 軍団が設置されたのは19世紀と比較的最近のことなのですが、これを最初に実施したのはフランスの ナポレオン・ボナパルト でした。 なぜナポレオンは従来の陸軍の組織構造を見直したのでしょうか。この点について理解するため、今回は軍事学者の ジョミニ によるナポレオンが採用した軍団編制に関する考察をいくつか紹介したいと思います。ジョミニの議論を踏まえながら、18世紀までの陸軍のあり方とナポレオンの陸軍の組織構造にどのような変化が起きていたのかを説明していきます。 フランス革命までの陸軍の戦列 18世紀後半までヨーロッパ列強の軍隊は戦列(line of battle)という一種の陣形を維持することによって、戦闘における部隊の行動を統制していました。軍隊はこの戦列を展開することができるように組織されていたのです。その特徴についてジョミニは次のように解説しています。 「フランス革命が起きるまで、全ての歩兵は連隊または旅団に編制されており、これらの部隊はそれぞれ一つの戦闘集団として集められ、左右両翼に広がって部隊を2列に展開した。騎兵は通常であれば、各歩兵部隊の両翼に位置しており、さらに当時は非常に扱いにくかった砲兵についても、それぞれの歩兵部隊が構成する中央正面に沿って配置されていた。軍は集まって宿営し、横陣もしくは縦陣で行進した。例えば、4個の縦隊で構成される縦陣により行進するなら、歩兵部隊と騎兵部隊はそれぞれ2個の縦隊に区分される。また(側面への機動に特に適した)横陣によって行進する際には2個の縦隊に区分された。それ以外にも地形が特異であるため、騎兵部隊もしくは歩兵部隊の一部を第3列で宿営させることもあったが、これは非常に珍しいことであった」(Jomini 2007: 222) 戦列の大きさのイメージが持てないという方のために、いくつか基本的な数値について補足しておくと、18世紀の列強の戦争では3kmから5kmに...

論文紹介 戦争で作戦部隊の指揮官がいるべき場所

かなり以前に軍事学について関心を持たれたある方からこうした質問を受けたことがあります。 「昔に比べれば近代の戦争で指揮官の所在は前線から後方に変化したと思うが、それは現場からどの程度離れた場所が適切なのか」 これは非常に複雑な問題であり、作戦指揮に対する考え方や戦況、さらに組織における上官と部下の関係などと関係があります。 今回は、第二次世界大戦の事例を中心に、作戦部隊の指揮官がどこに位置するべきかを考察した研究論文を紹介します。 文献情報 Ware, Howard L., III. 1989. Command Presence: Where Should the Operational Commander be Located on the Modern Battlefield? Monograph, Fort Leavenworth: School of Advanced Military Studies, United States Army Command and General Staff College. 部下の決断を 尊重したブラッドレー この論文は、将来の戦争で作戦の指揮をとる際に、前線からどの程度の距離を置くことが適切なのかを解明することを目的としており、著者は第二次世界大戦で知られる6名の将軍の事例を選び、それぞれが作戦の指揮においてどこにいたのかを比較検討した上で、複数の教訓を抽出しています。 最初に取り上げられているのは、ブラッドレー(Omar N. Bradley)ですが、著者によればブラッドレーは米軍の歴史で最も長い期間にわたり野戦軍の指揮官であり続けた将軍であり、第82師団、第28師団の師団長を歴任した後に、北アフリカで第2軍団の指揮官となり、ノルマンディー上陸侵攻に当たっては第1軍を率い、第二次世界大戦の末期には第12軍集団の指揮をとりました(Ware 1989: 11)。 したがって、戦後には初代統合参謀本部議長にまで上り詰めたブラッドレーは、多くの戦闘経験を持つ熟練の指揮官であったといえますが、彼は次のように自らの指揮官としての考え方を述べたことがあります。 「マーシャル将軍から私は効果的な指揮の秘訣を学んだ。戦争を通じて私は注意深く部下の任務に干渉することを避けた。私が期待したように部下...

論文紹介 ノルマンディー戦役で考える火力の重要性

軍隊の作戦は、一般に火力と機動の組み合わせによって成り立っています。 戦域で部隊が展開されると、敵味方はそれぞれ有利な地域を確保しようと機動し、互いに接触すると歩兵、戦車、砲兵、航空機などの火力をその地点に集中し、相手よりも火力で優位に立とうとします。 このような争いが戦域の各所で繰り広げられる中、指揮官は絶えず火力を適切な地域に配分できるように注意しなければなりません。 今回は、このような作戦レベルにおける火力の重要性を理解するために、第二次世界大戦におけるノルマンディー戦役を取り上げて考察した研究を紹介したいと思います。 文献情報 Richardson, Sterling R. 1987. The Normandy Campaign: Firepower at the Operational Level , Fort Leavenworth: School of Advanced Military Studies, U.S. Army Command and General Staff College. 教範で見落とされている作戦と火力の関係 この研究は1944年7月から8月にわたって続いたノルマンディー戦役を火力の運用という観点から検討したものですが、そもそも著者がこの問題に注目した理由には、当時のアメリカ陸軍の教範の問題がありました。 当時のアメリカ陸軍の野外教範FM100-5では、軍隊の戦闘力を形成する要素として火力、機動、防護、統率が挙げられていました。そこでは各級部隊はそれぞれ能力を発揮して任務を遂行するように述べられており、具体的にその要領について説明されていたのです。 著者は旅団や大隊のような下級部隊での火力の重要性に関しては具体的に述べられていると認めていますが、しかしより上級部隊である軍団のような作戦レベルに議論が及ぶと十分な説明が見られないことを指摘しています(Richardson 1987: 1-2)。 軍団という部隊は陸軍の編成でいうと軍よりも下位、師団よりも上位に位置付けられ、2個以上の師団で編成されるために(状況にもよりますが)3万名から4万名以上の規模となります。 これだけ大きな部隊の規模になると、指揮官はその攻撃目標や接近経路を示すことが重要だと考えられていたために、火力をどのように調整、配分、...