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論文紹介 南シナ海での中国の強制行動が費用対効果に基づき実施されている可能性が指摘される

中国の海洋進出の動きが活発になり始めたのは、1990年代の中ごろのことです。 1995年にフィリピンも領有権を主張していた南沙諸島のミスチーフ礁を奪取し、構造物の建設を強行したことは、その後の南シナ海において中国が勢力を拡大する重要な一歩となりました。 それ以来、中国は南シナ海で積極的な勢力拡大を続けており、フィリピンだけでなく、ベトナムとも島嶼部の領有権をめぐって対立し、現在ではアメリカとも軍事的に対立するに至っています。 このような勢力拡大に動く中でも中国の戦略は一定の費用対効果の計算に従っているという分析が2019年に出されました。その研究成果の一部をここで紹介したいと思います。 文献情報 Ketian Zhang, Cautious Bully: Reputation, Resolve, and Beijing's Use of Coercion in the South China Sea, International Security , Volume 44, Issue 1(Summer 2019), pp. 117-159.(https://doi.org/10.1162/isec_a_00354) 中国は経済的コストと地政学的コストを計算しているのか 中国は南シナ海の領土紛争に関しては、国際社会で批判を浴びる外交的リスクをいとわず、武力を背景とした強制行動(coercive behavior)をとってきました。 この研究は、戦略的観点から中国の強制行動に影響を及ぼす要因を特定しようとしたものです。 著者は中国が強制行動の効果と費用を絶えず比較検討し、費用の方が効果を上回らないのであれば、より慎重な姿勢をとるという仮説を立てており、文献資料や当局者への面接調査によってそれを裏付けようとしました。 著者はまず強制行動に使われる手段はさまざまであり、軍事的手段だけでなく、非軍事的手段をも含まれることを確認しています。 そして、強制行動を選択する際には、強制行動の対象となる国との貿易が遮断されるといった経済的コストと、対象国やその他の国々が総力を挙げて対抗するバランシング(balancing)に出るという地政学的コストがどの程度になるかが重要であると著者は考えました。 南シナ海での中国の強制行動...

学説紹介 なぜ勝者が敗者に譲歩すべきなのか:外交により平和を維持する方法

世界の歴史において戦争の勝者は敗者に対して多額の賠償金を課し、領土を割譲し、あるいは軍備を制限するなどの措置をとってきましたが、これらは果たして合理的な措置なのでしょうか。 今回は、戦争の勝者が敗者に対してあえて譲歩を行うような外交には、有利な側面もあるという議論をアイケンベリーの説に沿って紹介してみたいと思います。 将来報復を受けるリスクを考えよ 基本的に戦勝国は講和条約を締結するための条件を敗戦国に対して提示できる立場にあります。 この際に最も強硬な立場をとることもできれば、穏健な立場を示すこともできますが、アイケンベリーは強硬な立場で和平交渉に臨むことには批判的です。 これは将来的に敗戦国が報復してくるリスクを考慮に入れた上で自国の条件を提示することが必要だからであり、最悪の場合、両国の勢力関係が逆転したとしても、敗戦国の軍事行動を阻害する要因を講和の条件に含ませるべきだと彼は考えているのです。 「戦勝国は、勝利の結果、司令的立場に立つ。しかし、戦勝国が運用する戦後秩序に正統性がなければ、戦勝国の支配は十分には実現されず、また、安定もしない。正統的な戦後秩序とは、秩序構成国が進んで参加し、そのシステムの全体的方針に同意する秩序である」(アイケンベリー、57頁) つまり、戦勝国が現段階における軍事的優勢を利用して有利な講和条約を締結する利益が見込めたとしても、それは将来的に予測される敗戦国の軍事的報復によって生じる不利益によって相殺されてしまうので、長期的に考えれば戦勝国の特権を手放して平和を維持できるようにした方がよいと考えられます。 戦勝国は自国の能力の行使を制限すべき それでは将来の平和をより長く維持するには戦勝国はどのような姿勢で敗戦国と交渉を進めるべきなのでしょうか。 この点についてアイケンベリーは意外なことを述べています。それは自国の能力の一部を自ら進んで手放すことだというのです。 「全体として、主導国は、弱小・追随諸国を、戦後秩序に関する一連のルールと制度に縛り付けたいと希望する。言い換えれば、主導国は諸国を予測可能な行動パターンの中に固定し、その一方で、自らは制度的拘束と責務から解放され、自由であることを望む。しかし、新秩序に弱小諸国を積極的に参加させ、これら諸国に秩序ルールを順守させるためには、主導...

事例研究 デタントの裏側で進んでいたソ連の軍備増強

国家と国家との関係は多かれ少なかれ利害対立の上に成り立っているものです。国際政治の舞台では、表向きでは友好的な態度を取っている間でも、その背後ではあらゆる手段を最大限に駆使して自国の国益を少しでも増進させようと、互いにしのぎを削っているものと考えなければなりません。 このことを理解する上で参考になる事例が1970年代に米ソ間で活発に行われた軍備管理の事例です。 今回は、1970年代に米ソ両国の首脳が軍備管理のために払った外交努力がどのようなものであったのかを振り返り、その一方で米ソ間の勢力関係がどのように推移していたのかを考えてみたいと思います。 緊張緩和における軍備管理の進展 1973年の米ソ首脳会談の様子、左がブレジネフ、右がニクソン 冷戦の歴史において1970年代は緊張緩和(デタント)の時代と位置付けられています。確かに、この時期に米ソ関係の様相は大きく変わりました。米ソ首脳会談を毎年のように実施することを通じて、信頼関係を構築し、外交交渉によって偶発的な武力衝突の危険性を除去し、また相互に保有する軍備を制限し合う動きが見られました。 一例として、1973年7月22日に署名された「核戦争防止協定(Agreement on the Prevention of Nuclear War)」は米ソ両国の軍事行動が核戦争にエスカレートする危機的状況を回避することを目指したものであり、デタントの時期にまとめられた重要な外交的成果の一つと言えます。 また核兵器の保有量に関する規制に関しても戦略兵器制限交渉(Strategic Arms Limitation Talks, SALT)で成果が見られました(宮坂 「軍備管理・軍縮」137頁)。 1972年から5年間有効とされたSALT-1暫定協定において、戦略兵器と区分された大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、長距離爆撃機(BBR)に搭載する核爆弾という3種類の兵器体系については、米ソ双方が数的な規制を受けることになりました。詳細としては、ICBMは米国が1054基、ソ連が1618基、SLBMは米国が710、ソ連が950、BBRは規制なし、検証技術手段(偵察衛星による相互監視)も容認されています(同上、138頁)。 このSALT-1暫定協定と同時に対弾道ミサイル...