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学説紹介 下士官の権威で兵卒は戦う

戦場で兵士を戦わせることは大変難しい仕事です。敵前で戦列を乱し、指揮官が射撃を命じても発砲を躊躇し、挙句の果てには旗色が悪いと逃げ出す者まで出てくるのが戦場の実態でした。 軍事学者は19世紀頃から心理学的アプローチによって、兵士の統制や士気に関する問題に取り組むようになるのですが、今回は兵卒を戦わせるために下士官が果たす役割を心理学者デーブ・グロスマン(Dave Grossman)がどのように考察しているかを紹介したいと思います。 攻撃行動につきまとう心理的負担 軍隊の戦闘効率を向上するためには、武器や戦術の問題の前に、すべての兵卒が戦場で集団的な攻撃行動に参加していなければなりません。 ところが兵士全員に照準具の向こう側にいる敵を攻撃させようとしても、見も知らない他人に対して自分から攻撃を加えることを避けたいという心理が働いてしまいます。 敵との物理的、心理的な距離が小さくなるほど、殺人に対する心理的負担は大きくなる傾向があるため、敵と最前線で対峙する兵卒ほど攻撃を回避する傾向が強まっていきます。こうなると戦闘部隊の効率性は致命的なレベルにまで低下してしまいます。 グロスマンはこうした攻撃行動に伴う心理的負担を軽減するため、現場に指揮官が直接命令を達することが重要であると指摘しており、次のように論じています。 「この問題を研究したことがない人は、兵士が敵を殺す際の指揮官の影響をさほど重視しないかもしれない。だが、戦場を経験したことのあるものはそんな愚は犯すまい。1973年の研究において、クランス、カプラン、およびクランスの3人は、兵士が発表する理由を調査している。戦闘経験のない人は、「撃たないと撃たれるから」というのが決定的な理由だと考えたが、戦闘経験者が最大の理由として挙げたのは「撃てと命令されるから」だった」(邦訳、グロスマン、244頁) 実はこのような心理はイェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって実証されたことがあり、ミルグラム実験として広く知られています。 ミルグラム実験で分かる攻撃と服従の心理 ミルグラム実験の概略図。実験の略図。被験者であるTは、Lに問題を出して解答を間違える度に電気ショックを次第に強くするよう、実験者Eから命令される。実験ではLはEと打ち合わせし、電気ショックで苦しく様子を演じ...

学説紹介 どうすれば士気を高めることができるか

Staff Sgt. Katherine Spessa. Feb. 17, 2017.  士気(morale)は部隊に所属する各個人の心理状態を合わせたものであり、戦闘効率を高める重要な要因として位置付けられています。 統率力(リーダーシップ)を発揮して士気を高めることは、指揮官が任務を遂行する上で欠かすことができないといえます。 今回は、アメリカ海軍協会から刊行された統率論の参考書に沿って、部下の士気を高めるために必要な措置に関する解説を紹介したいと思います。 士気は小さいことの積み重ねである Lance Cpl. Sarah Stegall. Jan. 4, 2017.  Basic Warrior Training is a 48 hour training evolution that covers land navigation. 古来から軍人は士気を高めることの重要性を認識し、統率者の使命はこれを高いレベルに保つことだと考えてきました。 というのも、士気が低下すれば部隊の能力は低下し、転属や退職を願い出る者、規律を乱して事故を起こす者、最悪の場合には命令に従わないなどの重大な事態にまで発展する危険があるためです。 軍隊の戦闘力への影響で見れば、物理的要因の3倍の効果を心理的要因が及ぼすとナポレオンが主張したことは決して誇張ではありませんでした(アメリカ海軍協会、226-7頁)。 しかし、部下の士気を高めることは決して簡単な仕事ではなく、日頃の地道な取り組みがなければ士気を改善することができないと文献でも述べられています。 「「士気とは小さいことの積み重ねである」といわれている。これほど、この重要な要因を正確に表したものはあるまい。なぜならば、人間に満足感を覚えせしめるすべてのものは士気を増強し、個人としての人間を煩わすすべてのものは士気を低下せしめるからである」(同上、227頁) こうした士気の複雑性は、手っ取り早い改善策が存在しないことの裏返しでもあります。 士気とは究極的には各個人の心理状態に起因するものですので、生活状況、食事、住宅、規律、給与、職務内容のすべてが影響してきます(同上)。 こうした諸条件において、その個人が集団の一員として重要な働きをしてい...

論文紹介 アメリカ軍を蝕む士官の知的水準の低下

軍隊の基礎は人であるとよく言われます。しかし、優れた人材を獲得し、これを適切に教育し、高い能力水準を維持することは容易なことではありません。世界で最高水準の戦闘能力を誇ると言われているアメリカ軍であっても、こうした問題に近年悩まされています。 今回は、アメリカ軍において人的戦闘力の劣化が知的水準の低下という形で進んでいることを指摘し、教育や人事のあり方を改革すべきであると主張した論文を紹介したいと思います。 論文情報 Matthew F. Cancian. 2016. "Officers Are Less Intelligent: What Does It Mean?" Joint Force Quarterly , Vol 81, No. 2, pp. 54-61. アメリカ軍の士官の知的水準の実態 著者の主張によれば、アメリカ軍に入隊してくる士官候補生の平均的な知的水準は近年ますます低下する傾向にあり、将来的に高級士官として勤務できる人材が不足する可能性が出てきています。 さまざまな根拠が示されていますが、例えば第二次世界大戦に海兵隊が士官候補生に要求した学力水準を現在に適用すると、現在の多くの海兵隊士官がこれを満たすことができないことが指摘されています。 「アメリカ軍は、21世紀の戦いの複雑性に必要とされる指導者を獲得することができていない。この問題は「将来の兵力(Force for the Future)」計画において中心的な役割を果たしたが、現在はそれを裏付ける確固とした証拠がいくつかある。情報公開法の申請に基づいて得られたデータによれば、1980年以来、海兵隊の新しい士官の知能は着実に低下している。2014年に任官した新たな士官の3分の2の学力水準は、1980年の分類で下から3分の1に当たる。2014年の新しい士官の41%は、第二次世界大戦に設定された基準で士官になる資格がなかった。同様に、その人員配置の最終段階において、究極的には高級士官になるであろう極めて理性的な士官が少なくなっているのである」(Cancian 2016: 54-5) ちなみに、海兵隊だけでなく陸軍でも同様の傾向が生じており、陸軍士官候補生に対する調査では、1990年代後半以降になって学力の低下が進行し始めていることが確認されています...

不眠不休の軍隊は敗北する

戦闘を遂行するに当たり、指揮官は部隊の健康状態を適切に管理し、その人的戦闘力を維持する必要がありますが、そのために気を付けなければならない問題が睡眠時間の確保です。 睡眠の剥奪が健康状態に与える影響は極めて大きいことは知られていますが、それが部隊の戦闘力に与える影響については必ずしも十分に議論されておらず、具体的な数値が示されることも多くありません。 今回は、野外衛生の観点から睡眠剥奪のリスクについて説明した米陸軍の野外教範の記述を紹介し、それが人的戦闘力に及ぼす影響について考えてみたいと思います。 睡眠剥奪の心理的影響 米陸軍の教範では、戦闘ストレスを軽減し、部隊の人的戦闘力を維持する上で、睡眠の重要性が指摘されています。その具体的な症状がいくつか紹介されています。 ・(最後の睡眠から)24時間後:不十分または新規に学習した活動、単調な活動、警戒を要する活動の効率が低下 ・36時間後:情報を記録し、理解する能力の著しい低下 ・72時間後:あらゆる活動の効率が通常と比較した場合に50%の効率に低下 ・3日から4日後:精神的、身体的要素を含めて、集中的な作業に制約があり、特に生物化学兵器などを用いた状況においては、この段階またはそれ以前から幻覚が発生する可能性あり ・特に0300時から0600時は一日の中でパフォーマンスが最も低下する時間帯(FM 3-21.10:A-13) 睡眠不足の症状として特徴的なのが、血走った目、支離滅裂な発言、ふらつき、顔面蒼白、茫然自失などですが、それ以外にも士気の低下(環境に対する無関心や、活動レベルの低下)、記憶の喪失、言語の不明瞭、情報を理解する所要時間の増加、短期記憶の喪失、集中力の欠如、標準作業の間違いなども生じてきます(Ibid.)。 睡眠の不足は第一線で戦う兵士の戦闘ストレス耐性を低下させる恐れがありますが、さらに影響が大きいのが指揮官に対する影響です。 教範によると、「素早い反応、複雑な推論、詳細な計画立案を要求されるため、指揮官は睡眠剥奪の影響を最も受けやすい。指揮官は睡眠をとらなければならない。自制心のある指揮官は、睡眠を取らないことは逆効果であると認識し、睡眠をとるための措置をとるものである」(Ibid.)と述べられています。 適切な睡眠時間を奪われた場合、最初に制約を受けるの...

論文紹介 兵士は恐怖との戦い方を知っている

恐怖とは戦争の本質と言えます。しかし、兵士は恐怖を押し殺し、自分の命を危険に晒してでも、断固として与えられた任務を遂行することが求められます。 銃声と爆音が辺りを支配し、敵の散兵と戦車が自分たちに向かって来るのが見えた時、兵士一人ひとりが規律と冷静を保ち、指揮官の命令に基づいて整然と自分の持ち場を守ることは、それ自体が一種の偉業とさえ言えるかもしれません。 しかし、これはどのようにして可能となっているのでしょうか。この疑問を解決するためには、軍事学において戦闘の恐怖がどのように研究されているのかを知る必要があります。 今回は、軍事心理学の研究を踏まえて戦場における恐怖について説明し、それに対応するための方法について考察した論文を紹介したいと思います。 文献情報 Daddis, Gregory A. 2004. "Understanding Fear's Effect on Unit Effectiveness," Military Review , July-August, pp. 22-27. 誤解されてきた戦場の恐怖 軍事学の歴史を振り返ると、戦争で人間が普遍的に感じるところの恐怖が研究の対象とされるようになったのは比較的最近のことであったと分かります。 これは恐怖を覚える兵士は勇敢であるとは言えない、という間違った通念が支配的だったため、表立って研究されることが少なかったためかもしれません。 著者が研究の出発点として位置付けているのは19世紀のフランスの軍事思想家シャルル・アルダン・ドゥ・ピック(Charles_Ardant_du_Picq)の研究であり、ドゥ・ピックは心理学的な観点から兵士が戦場で覚える恐怖に着目しており、それが「攻撃精神」を低下させ、引いては部隊の任務遂行に悪影響を及ぼしていることを初めて詳細に議論しました(Daddis 2004: 22)。 ただしドゥ・ピックの研究は一個人の研究であり、より体系的な調査が開始されるきっかけとなったのは第一次世界大戦以降のことでした。 この戦争で兵士はそれまでにない激しい砲撃や膨大な死傷者を目の当たりにし、第一線では兵士の恐怖にいかに対処するかが重大な問題として認識されるようになりました。 イギリス軍の軍医チャールズ・ウィルソン(Char...

学説紹介 戦闘で兵士の内面で何が起きるのか

戦場から戻ってきた兵士はその経験を生涯にわたって忘れることはありません。 その経験は兵士でない人々にとって理解しがたいことが多く、退役軍人は社会復帰しても深い孤独感にさいなまれることがしばしばあります。 軍事心理学の研究者たちは、戦闘という経験が兵士の心身の健康状態にどのような影響を与えるのかを長年考察してきました。 今回は、マーシャルとシャイの研究成果を紹介し、それらに基づいて戦闘経験が精神状態に与える影響を考察したいと思います。 戦闘ストレスから逃れようとする兵士 第二次世界大戦、太平洋戦域で従軍する米軍の兵士たち。マーシャルの研究によって実際に戦闘行動に参加して射撃している兵士が極めて少数であることを解明し、その後の戦闘訓練の考え方に大きな影響を及ぼした。: - National Park Service (National Archives). Marines mopping up Tinian Island drop into firing positions when enemy is sighted. マーシャルは第二次世界大戦に従軍したアメリカ軍の兵士を調査し、軍事心理学の研究を発展させることに大きく貢献した研究者です。 彼は兵士に戦闘を回避しようとする一般的な傾向があるという大胆な仮説を打ち出したことでよく知られています。 彼の研究成果によれば、戦闘において実際に自分の武器を使用しているのは全体の15%から20%だと見積もられており、その原因として戦闘が兵士に与える身体的、心理的なストレスが大きいためであると説明されています。 ここで述べているストレスとは、必ずしも戦闘で自分の命を危険に晒すことだけではありません。 マーシャルによれば、兵士は敵を殺傷する行為そのものに対する嫌悪感を持っており、その遂行にストレスを感じてしまうのです。 したがって、戦闘ストレスは殺される恐怖だけでなく、殺すことへの恐怖が複合して生じていることになります。 この画期的な研究は軍事訓練のあり方を見直す必要性を強く示唆していました。従来の方法であれば、兵士をうまく戦闘に従事させることができないことは明らかでした。 後にマーシャルは朝鮮戦争にも派遣され、兵士の低い発砲率を改善するための訓練方法の研究に取り組み、55%程...