ヨーロッパにおける戦争の歴史において白兵戦闘から火力戦闘への移行はちょうど15世紀に進み、16世紀になるとその軍事的重要性が幅広く認識されるに至っていました。 この動向は火薬という歴史的に見て新しい軍需を創出することになりました。しかし、ヨーロッパ列強の君主は増大する火薬需要に対して国内に生産基盤を整備することに大変な苦労をしなければなりませんでした。 今回は、近世ヨーロッパ列強でも特にイギリスが火薬の供給を確保するために実施した取り組みを紹介してみたいと思います。 ヨーロッパで貴重だった硝石 そもそもヨーロッパにおける火薬の製造の歴史は14世紀にまでさかのぼることができます。諸説ありますが、火薬を製造する技術は9世紀の中国大陸で見出すことができ、十字軍によるイスラム世界との接触を通じて1300年代にはヨーロッパに伝わっていたと考えられています。 しかし、ヨーロッパ人はこの火薬の知識を得た後でさえも、火薬を効率的に生産する技術を直ちに確立できたわけではありませんでした。なぜなら、ヨーロッパの湿気が多い気候では火薬を製造するために必要な硝石を入手することが技術的に難しかったためです。 14世紀の硝石の製造法として硝石丘法が一般に知られていましたが、これは生石灰、藁、土を丘のように重ねた地層に、動物や人間から採取した尿を投入し、その土を容器に入れて沸騰させ、冷まして結晶化するという工程を繰り返し行うというものでした。 この分野の研究によれば、硝石丘法は「産出量は低く、大量の土と尿を必要とした。最高に生産できて、45キロの土から0.4キロ足らずの硝石がとれるくらいだった」と述べられています(ポンティング、2013年、136頁)。 ちなみに15世紀におけるフランス軍の砲兵隊が一年に消費した火薬はおよそ20万トンと記録されています(同上、141頁)。 さらに15世紀から16世紀にかけて戦場における火薬の消費量が増大し続けたため、ヨーロッパ列強の君主は硝石の供給を確保するための施策を講じざるを得なかったのです。 イギリスにおける硝石不足の問題 この火薬の需要増加と硝石の供給不足という問題は、1641年に清教徒革命が発生し、内戦が激しさを増した際に一挙に表面化しました。 当時、国王と対立した議会は火薬庫の備蓄を使い果たして味方の部隊に火薬を供給...
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