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学説紹介 クラウゼヴィッツが推奨する戦闘陣形の図解ー19世紀プロイセン陸軍の歩兵旅団の場合ー

プロイセンの陸軍軍人 カール・フォン・クラウゼヴィッツ は、戦略思想家として有名ですが、戦術に関する研究成果はほとんど知られていません。戦術学の歴史においてクラウゼヴィッツは ナポレオン の戦術を詳細に研究した最初の世代であり、彼の戦術に関する議論を通じて19世紀の戦術思想について多くのことを知ることができます。 今回は、クラウゼヴィッツの『 戦争術の大原則 』(1812年)から、戦闘陣形に関する考察を取り出し、彼がどのような陣形を推奨していたのかを考察してみたいと思います。 なぜ戦闘には陣形が必要なのか 戦術学は長年にわたって戦闘陣、つまり戦闘前あるいは戦闘間にとるべき一定の部隊の配置について研究してきました。この陣形というものが戦場において重要な理由は大きく分けて二つある、とクラウゼヴィッツは述べています。一つ目の理由は陣形を確立しておけば、全部隊の戦闘要領に一貫性、整合性を持たせることが可能になること、二つ目の理由は、戦術の理解が乏しい将校の能力を陣形の合理性が補ってくれることです。 「まず、陣形は防御のことを考えて組み立てられるべきです。この戦闘陣は軍の戦闘の要領に確固とした一貫性を与えるので、有益かつ便利なものになるでしょう。というのも、これは今後も避けることができないことでしょうが、下級将官や分遣隊の指揮をとるその他の士官の多くは戦術について特別な知識を持っておらず、また戦争指導に必要とされる立派な見識もおそらく持ち合わせていないためです」(クラウゼヴィッツ『戦争術の大原則』2-3.5) 要するにクラウゼヴィッツは陣形の価値が絶対的なものだと考えていたわけではなく、全軍が戦術能力を向上させれば、形式にこだわる必要は必ずしもないとも述べています(同上)。したがって、陣形を組むことは戦術的に絶対に必要なことだとまでは言えませんが、少なくとも各級指揮官の戦術能力に不備が見られる限り、戦闘陣を組んで戦うことの意義はなくならない、という認識を持っておけばよいでしょう。 実際、現在の戦術学の研究では陣形を通じて各部隊の配置や行動を細かく統制することはあまり重視されなくなっています。もちろん、戦闘陣形の考え方が完全になくなったというのは誤解を招くでしょうが、20世紀の戦争では、各部隊の指揮官がそれぞれの戦術能力を発揮する訓令戦術が...

学説紹介 戦場における歩兵と戦車―グデーリアンが考える諸兵科連合―

第一次世界大戦で戦車が初めて実戦に投入されて以来、この新兵器をどのように運用すべきかをめぐって議論が交わされてきました。 ある者は歩兵を支援する兵器として戦車を位置付け、ある者は戦車を独立して運用すべき兵器として位置付けたのです。 今回は、ドイツ陸軍軍人である グデーリアン が戦間期に歩兵と戦車の協同についてどのように考察していたのかを取り上げ、複数の兵科の部隊を協同させる諸兵科連合(combined arms)の観点からそれにどのような意義があったのかを考察してみたいと思います。 歩兵と戦車の協同はどうあるべきか グデーリアンは第一次世界大戦の戦闘を経験して以来、戦車の役割に関する論争が二つの陣営に分かれて繰り広げたことを紹介しています。 一方の論者は歩兵こそ唯一無二の「戦場の女王」であると考え、それ以外の兵科は歩兵部隊を援助する役割を果たすべきだと主張しました(邦訳、グデーリアン、393頁)。 すなわち、歩兵部隊が徒歩で戦場を移動している間、機甲部隊は動く楯のように歩兵の前方で行動するべきだということです(同上)。 この思想に反対するのが機甲部隊の独立を主張する論者であり、彼らはその機動力を活用して敵の側背を突き、さらに縦深にわたって敵陣地を突破するという新しい戦術運用を構想していました。 このことによって、防御陣地に立て籠もる敵部隊を奇襲することが可能となり、塹壕戦で手詰まりになる事態を避けようということです(同上、394頁)。 グデーリアン自身の思想は基本的に後者のものでしたが、諸兵科連合という観点から見て機甲部隊と歩兵部隊との協同が重要であることも認識していました。次の記述からもそのことが読み取れます。 「他兵科との協同は、装甲部隊にとって必要なことである。それ単独では(他の兵科もまたそうであるように)、与えられる戦闘任務のすべてを遂行できないからだ。装甲部隊には他兵科の部隊と協同する義務があるし、逆もまた真なり、他兵科の部隊が恒常的に戦車との協同用に配されているとあらば、なおさらである」(同上、394頁) 機甲部隊の独立性が重要だとしても、機動力が全く異なる二つの兵科を戦場でどのように運用すべきかという問題への解答にはなりません。 将来の戦争で歩兵と戦車の協同を実現するためには、戦術の観点から詳細な分析が求めら...

学説紹介 戦場で小隊長は何をしているのか―歩兵小隊の組織構造と小隊長の役割について―

時代や地域を超えて、歩兵部隊は常に陸軍の中核的戦力であり続けてきました。 歩兵は文字通り最前線において徒歩で近接戦闘などを遂行する兵科であり、主たる武器は小銃、機関銃、迫撃砲です。 今回は、そんな歩兵小隊がどのように編成されているのかについて、米軍の教範を参考にしながら、戦術の観点から解説してみたいと思います。 そもそも歩兵小隊とは何か 標準的な陸軍の編制として、小隊は分隊の上位、中隊の下位に位置付けられる部隊です。 部隊の規模もさまざまですが、30名から50名程度で編成される場合が多いようです。 現在の米軍の教範では、その組織について次のように説明されています。 「歩兵小隊は、3個の歩兵分隊、武器分隊、小隊本部によって編成される。小隊本部は小隊隷下の分隊及び随伴する部隊を指揮統制し、火力支援システムと後方支援システムとの連絡調整を行う。すべての歩兵小隊は戦闘において教義として定められた同じ基本原則を用いるが、それらの原則を応用する方法については、任務を割り当てた部隊によって異なる」(FM 1.11-1.12) 米軍では歩兵分隊の規模が9名とされ、小銃、自動小銃、擲弾などの装備を使用する人員で編成されるのですが、武器分隊(Weapon Squad)だけは機関銃、対戦車誘導弾といった装備を運用する人員がおり、必要に応じて通常の歩兵分隊を支援できるようになっています。さらに小隊本部には小隊長をサポートする小隊陸曹、小隊無線手がいます。 歩兵小隊は小隊本部(PLT HQ)、3個の歩兵分隊、武器分隊(WPN SQD)で構成されている。 小隊本部には小隊長、小隊陸曹、無線通信手が、武器分隊には機関銃班、対戦車班がある。(FM 31-8: 1.12)を参照。 以上が歩兵小隊の大まかな組織構造であり、状況にもよりますが、攻撃の時には100メートルの正面にわたって分隊を展開し、防御の時にはその2倍の正面を担当する場合もあります。 こうした数値を踏まえると、小隊という部隊の規模は交戦の際に全体を一目で見通すことができる、ぎりぎりの規模だと言えるかもしれません。 したがって、小隊長の仕事として求められるのは、現場で状況の変化に素早く反応し、必要な指揮をとることであると理解することができます。 小隊長は何をすればいいのか さて、この...

学説紹介 ナポレオン革命を準備した18世紀フランスの軍事学

18世紀のフランスでは、軍人が主体となって軍事学の議論が活発に行われ、そのいくつかの成果は19世紀の戦略や戦術に大きな影響を与えたとされています。 例えば、歴史学者マイケル・ハワードは、ヨーロッパの軍事史を総括する中で、18世紀に見られた戦術をめぐる革新に着目し、それらを「ナポレオン革命」というタイトルの下で考察しています。歴史的影響が大きかったということが、このタイトルからも示されています。 今回は、このハワードの学説に沿って、18世紀のフランスにおける軍事学の研究動向を中心に紹介し、その歴史的意義について考えてみたいと思います。 1、軍の師団への分割 ピエール・ド・ブルセ(1700 – 1780) イタリア北部出身のフランス陸軍軍人、山岳戦の研究で知られている。 ハワードの見解によると、ヨーロッパの陸軍が師団のような部隊編制を採用し始めるのは17世紀の末からだとされており、18世紀の中頃には主力から独立して行動する分遣隊を用いることがますます一般的になっていました。 しかし、このような方法が軍事理論として裏付けられるのは、18世紀の後半にフランスの将軍ピエール・ド・ブルセが発表した『山岳戦の原則』(1775年)が発表されてからのことだったとハワードは述べています。 「遠隔の分遣隊をともない一つの塊となって運動する軍の代わりに、ブルセは、『山地戦の原則』の中で、軍隊を、すべての兵種から成る自律的「師団」に分けることを提案した。各師団は、おのおのの前進路に沿い運動し、相互に支援するが、おのおの持続した運動をする能力を持つ。このことは、はるかに速い運動速度ばかりでなく、新しい柔軟な機動性を可能にした」(ハワード、131-2頁) 現代の陸軍で当たり前のように採用されている師団編制ですが、これが普及する以前では、司令官は全ての兵力を軍としてまとめながら行進する必要があり、鈍重で統制しにくいだけでなく、警戒可能な範囲も限られていたのです。 軍を師団に分割することができたからこそ、それぞれの部隊にそれぞれの道路を割り当て、迅速に行進し、必要があれば独立した戦闘部隊として行動することもできたのです。 2、自在に行動できる散兵 主力から離れて行動する部隊が増加してくると、その行進の途中で小規模な敵部隊に遭遇するような場面も増えてき...

文献紹介 どのように歩兵小隊の戦術は変わってきたのか

戦術の発展を促してきた要因は一つではありません。その時代、その地域に主流だった隊形や編制、武器や装備など、多くの要因が相互に影響し合っています。 しかし、兵役制度が戦術思想の発展に与えた影響は比較的理解されているところが少ないかもしれません。 今回は、20世紀の兵役制度の変化が歩兵小隊の戦術をどのように変化させたのかを考察した社会学者アンソニー・キングの研究を紹介したいと思います。 文献情報 King, Anthony. 2013. The Combat Soldier: Infantry Tactics and Cohesion in the Twentieth and Twenty-First Centuries . Oxford: Oxford University Press. 歩兵小隊の戦術が重要な理由 この研究は20世紀に徴兵制から志願制へ兵役制度の移行が進む中で、陸軍の歩兵戦術、特に歩兵小隊の戦術にどのような変化が生じていたのかを研究したものです。 20世紀初頭の各国陸軍では徴兵制によって人員を集めることが一般的でしたが、戦闘効率で問題を抱えていたことを著者は指摘しています。 「20世紀の大衆軍(mass armies)は近代的な武器を使用させる上で集団行為の問題の解答を探し求めるために努力した。市民からなる歩兵部隊は、集団としての戦闘効率で問題を抱えていた」(King 2013: 60) つまるところ、徴兵制で集めた兵士で効率的な戦い方を行わせることには限界があったということです。 また著者は第二次世界大戦で兵士の行動を調査したマーシャルの有名な研究を取り上げ、第一線における兵士の発砲率の低さが指摘されていたことを紹介していますが、この研究も徴兵制で作り上げた陸軍の戦闘効率の低さを示唆しているものだと評価しています(Ibid.)。 しかし、マーシャルをはじめとする過去の研究は、この戦闘効率の改善が進んだ背景として、兵役制度の影響を十分に考察しておらず、この研究はその空白を埋めるためのものとして位置付けられています。 戦術単位としての歩兵小隊の成立 著者の調査によれば、19世紀末から20世紀初頭の歩兵戦術は短間隔、つまり密集した状態で部隊が行動することが前提とされていました。 この思想はプロイ...

敵前で休止するときは前哨を忘れずに

前哨(outpost)とは、休止する部隊がその敵方に向けて出す小規模な警戒部隊のことです。その状況の危険度に応じた兵力で主力を敵の監視や襲来から掩護することが前哨の役目です。 今回は、米軍の教範に沿って、最も危険度が大きい状況に用いられる戦闘前哨(combat outpost)の要領について紹介し、どのような戦術的考察がなされているのかを紹介したいと思います。 戦闘前哨の任務とは何か 戦闘前哨の配置例を示した状況図 前哨本隊の警戒方向に対して視界が良好な2カ所の地点に哨所を配置している (FM 3-90-2: 3-24) 戦場といっても毎日間断なく銃弾が飛び交っているわけではありません。 特に動きがない時期もあり、にらみ合いが続くことになります。 しかし、ただにらみ合っているわけでもなく、実際には敵と味方が相手の戦力や配備を探ろうと斥候を密かに送り込むことが一般的です。 前哨はこうした敵の斥候を発見し、また可能であれば射殺、捕獲することによって、主力の安全を確保しているのです。 戦闘前哨はこうした前哨の機能に加えて、ある程度の規模の敵襲を受けても、主力が態勢を整えるまで、持ち堪えて時間をかせぐことが求められます。 それだけに、通常よりも強力な武器や装備を戦闘前哨は保有していなければなりません。 とはいえ、戦闘前哨の任務は自ら進んで敵と戦うことではありません。 あくまでも戦闘前哨は敵襲の可能性が高い地域で主力が敵から監視されることを防ぎ、また安全を確保することにあります。 「戦闘前哨は限定的な戦闘行動を遂行できる強化された前哨である。戦闘前哨を用いることは、その地域を監視することを妨げるほど険しい地形で警戒部隊を運用する技術である。戦闘前哨はより小規模な前哨では警戒区域に敵部隊が進出し、突破する危険に晒される恐れがある場合にも使用される。指揮官は戦闘前哨を用いることで、警戒区域の縦深を拡げることや、敵の主力を監視できるまで前方に我の前哨を保持し、または敵の部隊によって囲まれる可能性がある前哨の安全を確保できる」(FM 3-90-2: 2-24) 上図は戦闘前哨の配備の一例を示したものですが、中央の前哨本隊が敵方の警戒方向に向かって監視所を設けていることが分かります。 この場合、河川の対岸から通報を受けた前...

演習問題 小斥候か、部隊斥候か

斥候(patrol)は戦闘、偵察、警戒などの任務のために本隊から派遣される部隊です。 通常、斥候に当たる部隊は1個分隊程度ですので、下士官が斥候長となる場合が多いのですが、状況によっては1個小隊規模の斥候が派遣される場合もあるため、そうなると士官が斥候長になるという場合もあります。 今回は、中隊レベルの観点から斥候に関する簡単な問題を示し、それについて考察してみたいと思います。 そもそも斥候とは何か 斥候(patrol)とは厳密には部隊のことであって、任務のことではありません。例えば米陸軍では次のように斥候について説明しています。 「斥候とは、特定の戦闘、偵察、または警戒の任務を遂行するために、より大きな部隊によって派遣される。斥候の編成は直近の任務に一時的かつ具体的に対処する。斥候は任務ではなく、組織のことをいうため、ある部隊に「斥候」の任務を与えると語ることは正しくない」(FM 3-21.8: 9.1) つまり、斥候は主力から離れてさまざまな任務を遂行する分遣隊であり、任務によってその内容が規定されるものではありません。 捜索や偵察のために斥候が送られることもあれば、戦闘のために送られる場合もあります。次に示す定義もそうした斥候の役割の幅の広さが述べられています。 「敵情、地形その他諸種の状況を偵察・捜索させるため、部隊から派遣する少数の兵士をいう」 「情報資料の収集又は戦闘行動の実施のために、部隊主力から派遣された分遣隊をいう」(『防衛用語辞典』231頁) ただし、斥候は分隊や小隊と異なっているのは、敵地で主力から離れて行動する分遣隊であるということです。 つまり斥候長には指揮官として程度の戦術能力が必要だということです。中隊や大隊の一部として動くのではなく、状況の変化に応じた指揮をとれる人物が求められます。 適切な斥候の規模を考える ここでは次のような状況を想定しておきたいと思います。 我が方のA国は隣接するB国と戦争状態にありますが、まだ両国の国境地帯ではまだ本格的な戦闘が発生していません。 A国の主力である青師団は国境から離れた地点で動員を行っており、直ちに行動に出ることができない状態にあります。 しかし、情報によると本日未明にB国の騎兵がすでに国境付近に進出したとのことです。越境したのか...

狙撃手にも独自の戦術運用がある

狙撃手の主な任務は監視と狙撃にありますが、戦術上の役割がどのようなものかは理解しずらいところがあります。 広い視野で捉えれば、狙撃手は小銃手や機関銃手、迫撃砲手のように重要な歩兵部隊の一要素に位置付けられます。 しかし、狙撃手の戦術的運用は通常の歩兵部隊と大きく異なることは確かなので、その特性について知らなければなりません。 今回は、米陸軍の野戦教範に沿って狙撃手の戦術的運用について紹介してみたいと思います。 狙撃手の役割 通常、狙撃手は分隊、小隊、中隊に配属されることはあまりなく、大隊レベル以上の部隊で運用されています。 戦術上の機能は大きく分けて二つあり、一つは敵部隊が持つ小銃や機関銃のような小火器の射程外から重要な目標を殺傷、破壊すること、もう一つは味方が持つ他の武器体系を使用することが難しい場合に目標を殺傷、破壊することです。 「狙撃手と観測手は、歩兵中隊の作戦において重要な役割を果たす。狙撃手は大隊レベルよりも下位の部隊では滅多に配属されることがないため、それぞれの歩兵分隊は選抜射手を有している。部隊の狙撃手は部隊の編成表において認められた配置を介して配属される。高度に訓練された狙撃手は、正確性と差別性に富んだ長射程の小火器火力を指揮官に与え、緊要地形と接近経路を直接観察できる。狙撃手の射撃または長射程の精密射撃を最もよく使う二つの方法は、集団的に使われる小銃または自動火器の射程外から重要な目標を狙うこと、または射程、規模、位置、可視性、警戒、ステルス性能のために、その他の武器体系で破壊できない目標を狙うことである」(FM 3-21.8: E1) その武器の特性として、狙撃手は多数の目標を短期間で撃破するような射撃ができません。 しかし、他の火力にはない大きな心理的影響を与えることができ、敵の活動を中断させ、士気低下を引き起こし、混乱を拡大させることも可能です。 「狙撃手の戦術、戦技、要領は重要かつ詳細な敵情を直接収集し、中継することを可能にする。狙撃手の有効性は、死傷者または破壊された目標以外のもので測定される。指揮官は、狙撃手が敵の活動、士気、決心に対しても影響を与えることを知っている。狙撃手が存在することが分かると、敵の移動が妨げられ、混乱が発生し、個人的な恐怖が続く。また、敵の作戦と準備を中断し、狙撃手に...

学説紹介 戦術家でもあったリデル・ハート:機械化歩兵の着想

リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970) といえば、間接接近(indirect approach)の概念で知られる著名な戦略家であり、特に機動戦の研究に大きな影響を与えたことで知られています。しかし、彼の研究領域は決して戦略だけに限定されておらず、戦術にまで及んでいました。このことは、初期の研究の内容に特に反映されています。 今回は、歩兵戦術におけるリデル・ハートの研究成果を再検討し、それが持つ意義を現代の観点から考察してみたいと思います。 歩兵戦術の近代化に貢献したリデル・ハート リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970) イギリスの軍事学者、主著に『戦略論』、『抑止か、防衛か』等 もともとリデル・ハートが本格的に軍事学の研究に取り組むきっかけとなったのは、第一次世界大戦を経験したことがあり、その出発点となったのは歩兵戦術の研究でした。リデル・ハートは1914年から1924年(除隊は1927年)までの軍務を通じて歩兵戦術の近代化のために研究努力を重ねたのです。 リデル・ハートは1914年、つまり第一次世界大戦が勃発した年に陸軍に入隊します。西部戦線に送られたのは勃発から少し時間が経った1915年9月のことでしたが、その後のソンムの戦いで負傷してしまいました。しばらく病院で治療した後に義勇兵の訓練に従事しています。 リデル・ハートが最初に刊行した著作が1918年の『義勇兵部隊のための新歩兵訓練要綱(Outline of the New Infantry Training, Adopted to the Use of the Volunteer Force)』であったのは、この時の経験があったためです。この著作はすぐに『歩兵訓練の新手法(New Methods in Infantry Training)』として再刊されています(Liddell Hart 1918)。 この著作は短い著作であり、また学術文献というよりも教育資料としての性格が強かったのですが、戦術の観点から見て一つの新しい思想が盛り込まれていました。それは歩兵部隊の戦闘行動の基本単位を分隊とすべきだ、という考え方でした。 この考え方は1919年に発表された論文「戦闘部隊の将来的発展に関する提言」でさ...

論文紹介 現代の戦場に格闘は必要なのか

現代の戦場で一般にイメージされるのは、小銃、機関銃、携帯無反動砲などを使った戦闘でしょう。それにもかかわらず、現代においても多くの軍隊で格闘の研究や訓練が続けられています。これは果たして軍事的に合理的なことだと言えるのでしょうか。 この疑問に答えるためには、戦場で兵士が格闘技術をどれだけ使用しているのかを調査する必要があります。 今回は、2004年から2008年にかけて米軍で実施された格闘技術の使用実態に関する研究成果を紹介してみたいと思います。 文献情報 Peter R. Jensen. 2014. Hand-to-Hand Combat and the Use of Combatives Skills: An Analysis of United States Army Post-Combat Surveys from 2004-2008 , West Point: Center for Enhanced Performance, U.S. Military Academy. 戦場での徒手格闘の特徴 格闘という言葉からテレビで見る柔道や総合格闘技のようなスポーツをイメージするかもしれませんが、軍隊で訓練される格闘技術は徒手格闘の技術だけでなく、武器格闘の技術も含まれており、すべて戦闘状況が想定されているため、根本的に別のものです。 まず、徒手技術を構成する技術には、当身技、投げ技、関節技、絞め技があり、武器技術とは小銃、銃剣などを使用した打撃または刺突が含まれています。 もちろん、武器格闘で使用が想定される武器は小銃や銃剣だけでなく、えんぴや棍棒なども含まれています。軍隊の格闘はスポーツではないため、特別な制約が課されているわけではありません。 研究の背景について述べておくと、米陸軍では1990年代以降になって格闘の研究が重視されるようになっていった経緯があります。現在米陸軍で採用されている格闘技術は1995年に第2レンジャー大隊が中心となって策定した現代陸軍格闘計画(Modern Army Combatives Program)の成果を踏まえたものが中心となっており、これは実戦で起こりうる格闘にも対応できるように配慮されたものでした(Jensen 2014: 1)。 その後、米陸軍格闘学校(U.S. Army Comb...

変化する戦闘様相と諸兵科連合大隊の必要

諸兵科連合(combined arms maneuver)とは、任務を遂行するために、兵科・職種の区別を超えて味方の戦闘力を斉一的、同時的、総合的に発揮することをいいます。現在の自衛隊では諸職種連合と呼ばれますが、指揮、近接戦闘、火力戦闘、対空戦闘、戦闘支援、後方支援の機能を兼備して、各職種の部隊の能力を有機的に総合発揮することであると考えられています。 今回は、諸兵科連合部隊の理解を深めるため、米陸軍における諸兵科連合大隊(Combined Arms Battalion)の編成と運用について説明したいと思います。 諸兵科連合大隊の編成 諸兵科連合大隊の組織的特徴について米陸軍の教範では次のように述べられています。 「諸兵科連合大隊の指揮官は通常、大隊の任務を遂行するため、隷下の中隊を機甲部隊と歩兵部隊を混成した戦闘団として編制する。この中隊戦闘団は戦車、ブラッドレー戦闘車、歩兵、支援部隊を含む隷下部隊の相乗効果を増大させる効率性を持った組織である。これらの部隊は幅広い種類の能力を保持するが、多数の脆弱性を持ってもいる。諸兵科連合部隊として中隊戦闘団の効率的運用は戦闘団の隷下部隊の戦力を増大させ、その一方で各々の限界を最小限にするものである」(ATP 3-90.5: 1-9) つまり、諸兵科連合大隊の指揮官は大隊長という地位にもかかわらず、それぞれの兵科の専門的領域を超えて複数の兵科の利害得失を組み合わせるという能力がなければなりません。米陸軍の諸兵科連合大隊の指揮官の場合、歩兵と戦車を連携させる方法について高度な運用が求められるのです。 諸兵科連合大隊の任務組織は極めて柔軟性が重視されており、大隊本部の下で機械化歩兵中隊と戦車中隊が置かれているため、任務に応じて柔軟に必要な戦闘力を発揮できるように考慮されています。 諸兵科連合大隊における歩兵中隊の編成。 中隊本部に機械化歩兵小隊3個で構成されている。(Ibid.: 1-10) 諸兵科連合大隊における戦車中隊の編成。 中隊本部に戦車小隊3個で編成されている。(Ibid.) 諸兵科連合大隊における本部中隊の編成。 大隊の斥候小隊、迫撃砲小隊、衛生小隊、通信班、狙撃班は本部中隊の下に置かれている。 (Ibid.: 1-11) 諸兵科連合大隊で特徴なのは、通常なら歩兵部...

論文紹介 核戦闘でのペントミック師団の戦術

戦争の歴史を学べば、武器の改良と戦術の改良は絶えず影響を及ぼし合ってきたことが分かります。 このことは核の時代においても基本的には変わっていません。核兵器が登場したことにより、戦術研究もまたそれに対応できるように発達してきたのです。 今回は、核の時代における戦術学の動向を知るために、ペントミック師団の教義を戦術研究の観点から解説した論文を取り上げ、その内容を紹介します。 論文情報 John H. Cushman. 1958. "Pentomic Infantry Division in Combat,"  Military Review , Vol. XXXVI, No. 10, pp. 19-30. ペントミック師団はどのような部隊か 1952年、米国が史上初の水爆実験を成功させ、冷戦は新たな段階に入った(「 軍事的観点から考える水爆の重要性 」を参照)。 1953年に発足したアイゼンハワー政権は核戦略として大量報復を打ち出し、ヨーロッパ地域でソ連軍が侵攻してくれば、米軍としては核兵器の使用も辞さない意思を示し、ライン川の防衛線を固守する姿勢を明らかにした。この一連の軍事情勢が1957年にペントミック師団が導入される契機となった。 そもそもペントミック師団(pentomic division)は、核戦争での運用を想定し、米陸軍で1957年に編成された歩兵師団、空挺師団の総称であり、正式名称はそれぞれROTAD(Reorganization of the Current Infantry Division)とReorganization of the Airborne Division (ROTAD)でした。 1963年の改革でROAD師団へと改編されるまで、ペントミック師団は維持されましたが、これは核の時代におけるいかに地上戦を遂行すべきかを模索する米陸軍の組織的な挑戦でした。 この論文の著者も米陸軍で核兵器の使用を想定した戦術の研究に取り組み、新たな陸軍の教義を確立することで、ソ連軍に対する米軍の能力が低下しないように努めていたのです。 著者はペントミック師団の戦闘教義を考えるためには、戦争の形態が全面戦争、限定戦争等のようにさまざまな状況に対応できなければならないと考えました。 つまり、ペントミック...

論文紹介 陣地攻撃の損害をいかに抑制するか

敵の防御陣地に対して攻撃を加えることは状況が許す限り避けるべきである、というのは戦術の鉄則です。強化された陣地で敵の部隊が待ち受けているところに、味方の部隊をわざわざ差し向けるようなことをすれば、多くの損害が出ることを覚悟しなければならないためです。 しかし、現地の状況からやむを得ず任務遂行のため陣地攻撃を行わなければならないことがあることも事実です。そこで戦術研究としていかに効率的な陣地攻撃を実施するのかという問題が出てくることになります。今回は、第二次世界大戦の最中にこの問題を検討した論文を紹介したいと思います。 文献情報 Barker, M. E. 1945. "Assault on Fortified Positions," Military Review , Vol. XXV, No. 1, April, pp. 3-7. 陣地攻撃を完遂することの難しさ 第二次世界大戦において、米軍はヨーロッパから太平洋にわたる広大な戦域で攻勢作戦を行いました。 当時、ドイツ軍と日本軍の部隊は各地で強固な防御陣地を構築し、米軍の攻撃を破砕しようとしたため、米軍部隊からは攻撃の過程で多くの犠牲が出ています。著者は陣地攻撃の困難さを承知した上で、局地的な防御陣地に対して有効な攻撃を加えるためには化学攻撃を組み合わせることが重要になっていると判断しました。 この論文の著者の最大の関心事はいかにすれば人的損害を最小限に抑制しながら陣地攻撃を成功させることができるのか、という点にあります。 まず著者が着目しているのは防御陣地の形態の相違であり、一人だけが入れるタコツボのような簡易な形態もあれば、鉄とコンクリートで構築された要塞までさまざまあると指摘しています(Barker 1945: 3)。イタリア戦線のアンツィオの戦いでドイツ軍が使用した掩体や、日本軍が活用した洞窟陣地であり、特に洞窟については入口をS字形にすることで進入しにくくする工夫が見られたことなども紹介しています(Ibid.: 4)。 こうした小規模な防御陣地に配備された部隊は迫撃砲、機関銃、手榴弾などを使用して抵抗し続け、また陣地の内部には地雷が敷設される場合もありました(Ibid.)。 著者はこれほどの施設、武器を利用して抵抗する敵を排除することは非常に難しい...