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論文紹介 19世紀のイギリス陸軍と築城学の発達

築城(fortification)とは、味方の防護性を向上させ、より高度な戦闘力を発揮するため、土地に対して施す工事またはその工事によって設置される各種構築物のことをいいます。 21世紀の戦場で築城の形態は大きく変わりましたが、その基本的な技術は今でも広く研究、訓練されています。 今回は、19世紀のイギリス陸軍で築城学の研究がどのように進められていたのかを教範類に基づいて調査した研究を紹介したいと思います。 論文紹介 John Goodwin. 2008. "Selected 19th Century Manuals on Fortification for British Military Engineers," Fort , Vol. 36, pp. 22-35. 19世紀イギリス陸軍における築城学の躍進 チャールズ・パスリー(1780-1861) イギリス陸軍における工兵教育の改革に尽力した。 築城には長い歴史がありますが、19世紀という時代は近代的な築城学の成立にとって特に重要な時期でした。この時期には戦場で使用される火力の威力や射撃速度が向上したため、兵士や装備を防護する上で築城がますます重要になったためです。そのためイギリス陸軍でも19世紀には専門的な研究が行われました。 ロンドン東部にはウーリッジという地区がありますが、ここでは1741年に王立陸軍士官学校が設置されて以来、築城学の研究には熱心に取り組んでいました。学校の教官には軍歴のない文民も多く含まれており、また国籍にも関係なく人材が集められたため、1766年まで40年にわたってドイツ人の数学者が校長を務めた時期さえあったほどです(Goodwin 2008: 22)。 こうした研究努力があったにもかかわらず、19世紀初頭のナポレオン戦争において従軍したイギリスの工兵士官たちは築城の研究が不十分であることを思い知らされました。フランス陸軍の砲兵射撃がイギリス人が想像する以上の威力を持って防御陣地を破壊していく様子を目の当たりにしたためです。 当時、陸軍大尉だったパスリー(Charles Pasley)は王立陸軍士官学校で行われている築城訓練がすでに現場で役に立たないと指摘し、その改革を求め始めたのですが、すぐに成果に結びつくことはありません...

文献紹介 戦術的革新を生み出した組織的学習

第一次世界大戦でドイツ軍の部隊が精強であった理由は、しばしばその質実剛健な国民性というイメージから説明されることもあります。 しかし、このような説明では当時のドイツ軍の各部隊で行われていた研究努力が見過ごされてしまいます。 今回は、当時のドイツ軍における戦闘教義の革新を可能にした研究体制を調査した研究を紹介したいと思います。 文献情報 Lupfer, Timothy T. 1981. The Dynamics of Doctrine: The Changes in German Tactical Doctrine during the First World War , Leavenworth Papers, Fort Leavenworth: Combat Studies Institute. 目次 1.弾力的な縦深防御 2.1918年における攻勢の戦術 3.一般的考察の試案 この研究の主な特徴は、第一次世界大戦における戦術そのものの変遷ではなく、戦術の更新を推進していた研究努力について注目していることです。 1914年に第一次世界大戦が勃発した当初、ドイツ軍のほとんどの士官は、砲兵火力の優位性と集密な攻撃こそが勝利の条件である、という当時の戦術上の通説を疑っていませんでした。 しかし、開戦から間もなくして、この戦争がこれまでの戦争とは異次元の戦争であり、これまでの攻撃を重視した戦術が通用するとは限らないという認識が陸軍の間で普及していきます(Ibid.: 1-2)。 1915年に西部戦線では広大な野戦築城に依拠した防衛線が構成されるようになり、ドイツ軍として犠牲が拡大しないように陣地攻撃を実施しない防勢作戦の方針を決定します。 この時期にイギリス軍とフランス軍が行った大規模な攻撃に対して、ドイツ軍は地域防御を実施するための戦術を研究する必要に迫られました。 1915年6月に刊行されたドイツ軍の教範では、防御陣地を構成する上で第二線を設定して敵の突破に備えるように指示され、本格的な戦術の見直しが進められました。 さらに現場での経験から、逆襲が防御戦闘において有効であること、敵の監視と間接射撃から部隊を守るために野戦陣地に逆勾配を設けることの価値などが、この時期に明らかにされています(Ibid.: 3) 一方のフ...