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学説紹介 国土に人口を分散配置せよ―マキアヴェリの考察―

ニッコロ・マキアヴェリの政治思想の特徴は、首尾一貫して実用主義的、実践的な態度で国家の統治方法を論じていることです。 政治家として成功したいのであれば、道徳的に批判される行為でもあえて行うべき状況があり、政治家は尊敬されるよりも恐れられた方がよい、と彼が論じたことはよく知られています。 今回は、そんなマキアヴェリが人口という問題についてどのように考察していたのかを紹介し、特に人口の計画的な配置が国家政策にとってどのような意味を持つのかを考察してみたいと思います。 人口配置を考慮した古代の国家政策の事例 2世紀中葉におけるローマ帝国の植民地の位置を示した地図。ローマを中心としながら勢力圏の拡大に応じて辺境の広範囲に入植していることが分かる。 Cresthaven.2015. Romancoloniae. マキアヴェリの議論には古代史への言及が数多く見られます。 人口の問題に関してもマキアヴェリは古代の君主国や共和国の制度に注目するところから論じ始めています。 「古代の共和国や君主国の偉大で驚嘆すべき制度の中には多くの防備集落や都市が新たに建設される際に、今日では消滅してしまっているが、当時は常に採用されていた制度があった。というのは、最高の君主にとっても、秩序の整った共和国にとっても人々が安心して防衛と耕作ができるように、避難できる防備集落を新たに建設するという統治の制度にまさるものはなかったし、どの地方にとっても、それより有益なものはなかったからである」(マキァヴェッリ、133頁) ここで述べられているのは、古代における国家がその領土を拡張していく典型的なパターンとして地方に「防備集落」という拠点を構築していくことが一般的だったということです。 防備集落は平時においては地方行政の中心であり、また戦時には国境警備に当たる陣地としても活用することができます。 さらにマキアヴェリは、「この制度は、新たな防備集落を建設する原因となったのみならず、敗者の土地を確実に勝者のものにし、無人の土地を住民で満たし、各地方に人々をうまく配分したのである」(同上、133-4頁)と述べており、国土の各地方に拠点を配置することの利点が、軍事と経済の両方面に及ぶということを強調しています。 なぜ人口を国土に広く分散させるべきか ロ...

論文紹介 ローマ帝国の衰退と国家社会主義の限界

ローマ帝国が滅亡に至った原因は研究者の間でも長らく論争が続いてきた研究テーマであり、かつてはキリスト教の誕生を原因と見なす説もありましたが、現在では財政の破綻がローマの存続を不可能にしたのではないかと考えられるようになっています。 これはつまるところ、ローマは5世紀には自らを守るために必要な武器、兵士、要塞、軍船に伴う公的支出に耐えきれなくなり、外部からの軍事的侵攻を許してしまった、という説です。 もしそうだとすれば、なぜローマの財政はそれほど危機的状況に陥ってしまったのでしょうか。 今回は、ローマ帝国の滅亡を引き起こした国家財政の危機を国家社会主義の限界として考察した研究を紹介したいと思います。 論文紹介 Bruce Bartlett. 1994. "How Excessive Government Killed Ancient Rome," Cato Journal , Vol. 14, No. 2(Fall 1994), pp. 287-303. 初期におけるローマ帝国の自由放任 アウグストゥス(前63-14年)ローマ帝国初代皇帝。 常備軍を設置し、親衛隊を創設するなどの軍制改革をはじめ、税制と通貨の改革、都市設備の大規模な改修などの事業に取り組み、その後のローマ帝国の基礎を整えたことで高く評価されている。 この論文の特徴は、ローマ帝国の衰退を国家社会主義体制の限界と結びつけて説明している点にあります。ローマ帝国の歴史は初代皇帝アウグストゥスが即位した前27年に始まりますが、当時のローマでは政治権力の集中が強化されたにもかかわらず、経済的自由は拡大される傾向が続いていました。 アウグストゥスはローマで民間部門の成長を促進するため規制緩和に取り組み、またローマで続いてきた徴税請負人に特定地域から物納で税を取り立てる権利を売却するタックス・ファーミングを廃止し、貨幣による徴税に切り替えました(Bartlett 1994: 288)。 エジプトの事例のように、経済的自由がローマ帝国の全土で確保されていたわけではありませんでしたが、銀行業の規制緩和によって多くの銀行が設立され、それに伴って民間事業が拡大したことはローマの経済成長を大いに推進することになったと考えられています(Ibid.: 289)。 また...

「平時」の戦略を確立した政治学者バーナード・ブロディ

現代の安全保障環境は必ずしも武力を直接的に使用することができる状況にはありません。一度、戦争状態に入れば彼我が受ける損害は極めて甚大なレベルとなり、政治的目的を達成するにはあまりに軍事的負担が大きくなりすぎるためです。 これを避けるために、現代の戦略家が重視するのは武力の間接的な使用であり、強制外交や抑止がこれに当たります。 こうした時代の要請に応じて戦略の考え方を大きく見直す必要が生じたのは冷戦期に入ってからのことでした。今回は、冷戦期に新たな戦略の理解を確立することに寄与した ブロディ (Bernard Brodie)の戦略理論の一部を紹介したいと思います。 バーナード・ブロディとは誰なのか バーナード・ブロディ(1910-1978) 「米国のクラウゼヴィッツ」、「核戦略の創始者」と称される米国の政治学者。 彼が構築した抑止に基づく戦略理論は現在の安全保障学の研究の基礎となっている。 ブロディは戦略研究の方面で世界的に名前が知られた政治学者ですが、日本で彼を知る人はそれほど多くないため、簡単にその略歴を述べておきます。 彼は1910年にロシア帝国から米国に移り住んだユダヤ人の家庭に生まれ育ち、1940年にシカゴ大学で政治学の研究で博士号を取得しています。 第二次世界大戦では米海軍で作戦本部に勤務し、終戦後にはイェール大学を経て1951年にランド研究所に入所しています。 このランド研究所で行っていた核兵器の運用に関する戦略研究は、1954年の学会報告で知られるようになりました。 ブロディは核の時代における軍事力の意義は戦闘に勝利することではなく、抑止を有効にすることであると主張し、この考え方はその後の安全保障学の研究者に大きな影響を与えることになりした。 その後も数多くの研究を残していますが、1966年からカリフォルニア大学で政治学・国際関係論を教えており、1978年に死去しました。 「戦略にはドルマークがついている」 ブロディは核の時代に備えるべき戦争とは限定戦争であり、国家の限られた資源をどのような武器体系の開発に配分するかが戦略的な重要性を持つようになると考えていました。 つまり、国家が編成する防衛予算の規模とそれを配分する方法こそが戦略の中心的な課題として考察しなければならないと指摘...

国家の政策を支配する政治の論理

ある国家がどのような政策を選択するのかを予測する技術を政策予測(policy forecasting)といいます。 さまざまな政策課題がそのまま放置されたり、また有権者の思いとは正反対の政策が選択される事態を目の当たりにし、なぜこのような政策が決定されるのか不思議に思うことが少なくありません。 こうした問題を検討し、将来選択される政策を検討し、国民のより良い政治的意思決定を助けることが政策予測の趣旨です。 とはいえ、政策予測に関する考え方は政治学者の間でも十分にまとまっているとはいえません。 定性的判断に基づく予測もあれば、シミュレーション分析、統計的分析に基づく予測などがあるのですが(Armstrong 2005)、そもそも予測としての精度が十分に確保できていないとの指摘もあります(Tetlock 2005)。 今回は、こうした政治的意思決定に基づく政策を予測するための理論研究として支持基盤理論を取り上げ、政治体制が政策を予測する上で重要な要因であることが説明されていることを紹介したいと思います。 支持基盤理論とは何か ナポレオンの戴冠式。支持基盤理論の最大の特徴は、権力者として生き残ることが政治家にとって最大の関心事と見なすことで、さまざまな政治的意思決定に一貫した説明を与えることができることを示したことにある。政治家は国家の繁栄のような「公益」に基づいて行動するのではなく、自らが政権を掌握し続けるために行動を起こす、という考え方は支持基盤理論が構築される以前から政治学にあった考え方であるが、支持基盤理論はその理解をさらに理論的に拡張した意味で重要であった。 支持基盤理論は、米国の政治学者であるブルース・ブエノ・デ・メスキータ(Bruce Bueno de Mesquita)、アラスター・スミス(Alastair Smith)、ランドルフ・シヴァーソン(Randolph M. Siverson)、ジェームズ・モロー(James D. Morrow)によって構築された政治理論であり、「政治的指導者はいかなる目標を達成するためにも、政権の座を維持することが必要とされる」という前提から出発し(Bueno de Mesquita, et al. 2003: 7)、そこから財政、公共事業、海外援助、反乱、戦争、民主化などさまざまな事象に一貫...

学説紹介 アリストテレスが語る、政治の逆説的論理

政治学を一般化するならば、それは国家を統治するさまざまな技術を研究する学問であり、国家を政治的に安定化させ、内戦や反乱が発生することを未然に防止する方法もその研究対象に含まれています。 今回は、アリストテレスの政治理論を中心に国家の安定を促進する技術に関する説明を紹介したいと思います。 政治の要諦は上流階級と下流階級の利害調整にある アリストテレスの説によると、ある国家で内戦や革命が起きる原因は財産や地位の配分方式に不平等があることです。 つまり、その国家の構成員の間で地位や資産の配分方式について著しい不公平感があると、その不公平を是正し、適正な配分方法を再設定するために、武力または謀略という手段を行使して内戦、反乱などの政情不安が引き起こされるということです(邦訳、205頁)。 アリストテレスはこのような問題が生じる背景には、あらゆる国家で資産を多く持つ上流階級と、資産をあまり持たない下流階級がさまざまな割合で存在していることが関係していると指摘しています。 上流階級に属する人々は自分たちの能力を下流階級の人々より優れていると考える傾向があるため、平均よりも多くの富が配分される制度を要求しがちです。 それとは反対に下流階級の人々は本来であれば自分たちと平等であるべき上流階級の市民たちが、自分たちよりも多くの富の配分を受けていると考えたがる傾向を持っています(同上、210-11頁)。 その結果、両者が共通の政策を決定し、国民一体となって行動を起こすには、上流階級と下流階級の利害を巧妙に調整する技術を用いることが権力者にとって不可欠となるのです。 民主制では上流階級に、寡頭制では下流階級に配慮せよ 次に、その具体的な対策を明らかにしなければなりませんが、アリストテレスはその国家の政治体制が民主制なのか、寡頭制なのかによって権力者は異なる対策を選択すべきだと論じていました。 その議論によれば、政治体制が民主的であるほど、少数の上流階級の利益を重視するべきであり、反対に政治体制が寡頭的であるほど多数の下流階級の利益を重視しなければならないことが主張されています。 これは一見すると、政治体制の特性に反して逆効果のようにも見えますが、アリストテレスがこのように主張したことには理由があります。 「貴族制国家のなかには、いや...

アダム・スミスが考える防衛意識の問題

近代経済学の確立に寄与したアダム・スミスの名前は日本でもよく知られています。 しかし、アダム・スミスが「国防は富裕よりもはるかに重要である」と指摘し、国防問題に重大な関心を寄せていたことは、それほど注目されていません。 今回はアダム・スミスによる適切な軍事制度に関する考察から、防衛意識に関連する部分を紹介したいと思います。 まずスミスは富の蓄積が近隣諸国の侵略を誘発する危険を高めることを認識していました。 そこで経済力の増大に応じて国家は自らの国富を守るための軍隊を整備する必要が生じます。しかし、防衛体制を整えるにあたり、国民は二つの政策選択に直面すると考えられました。 「それは第一に、非常に厳しい政策をとって、人民の利害関心や天分や好みの傾向などすべておかまいなしに、軍事教練の実習を強制し、兵役適齢期の市民全部、あるいはその一定数を、かれらがたまたまどんな商売なり職業なりを営んでいようと、ある程度まで軍人の職業を兼ねるように義務づけることができよう。さもなければ、第二には、一定数の市民を養い、雇用して、軍事教練を常時実習させておくやり方で、軍人という職業を他のいっさいの職業から独立した別個の一特殊職業とすることができよう」(邦訳3巻14頁) スミスがここで検討した選択肢のうち前者は市民兵を中心とする軍事制度であり、後者は職業軍人を中心とする軍事制度に対応しています。 いずれの選択が経済先進国の安全保障に適しているのか、という疑問についてスミスははっきりと後者を支持しました。 その理由は軍事的専門性の技術的な高度化です。 スミスはさまざまな生産現場で分業化が進むと、技術革新が促進され、それに応じて軍事技術も高度化することを知っていました。 これを言い換えれば、経済成長が進んだ国では、戦闘員の教育訓練に必要な時間や費用が必然的に増大するということです。 ここまでの議論はおおむね私たちの直感とも一致するものでしょう。 しかし、スミスは職業軍人に国防をまかせることによる弊害について考慮しておくことも必要であると同時に考えていました。 なぜなら、国防に触れることなく、各人が自分の専門化された仕事にだけ打ち込むような近代社会では、公共のために武勇の精神を発揮する機会に乏しく、防衛意識が大いに低下すると考えられるためです。 この議論...