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フラーの機甲戦思想と戦車の戦略的重要性

研究者は第一次世界大戦に実戦投入された戦車が、その後の戦争の歴史を大きく変えるだけの影響を持っていたことを(程度の差はありますが)広く認めています。しかし、この影響はしばしば戦術的レベルしか理解されていません。 今回は、戦車が戦略的レベルでどれほどの影響を及ぼしたのかを考察した フラー (J. F. C. Fuller)の学説を紹介し、それを説明したいと思います。 機甲戦の可能性を予見したフラー J.F.C. フラー(1878-1966) 第一次世界大戦でイギリス軍の実験的な戦車部隊の運用研究で重要な成果を残したものの、戦後の予算縮小や戦車に批判的な立場を取る勢力との対立に直面したことなどから、次第に戦車から遠ざけられて退役した。機甲戦に関する学説は現在でも世界的に知られている。 フラーは、近代以降における軍事学の研究に貢献したイギリスの軍人であり、戦車の運用研究に寄与したことで知られています。 彼は第一次世界大戦で新設された戦車軍団で本格的な戦術研究に着手し、史上初の機甲戦とも呼ばれる1917年のカンブレーの戦いにも参加しています。その後、幕僚大学校で教官となった後に1930年に退役し、軍事学の著作を数多く発表しました。 フラーの学説の特徴は戦車が次世代の戦争を考える上で見過ごすことができない重要な武器体系であることを予見し、まだ戦車の技術的発達が十分でなかった頃から機甲戦の意義を主張していたことにあります。 彼の学説では確かに戦場における戦車の戦術的運用が中心的な課題とされていますが、しかし戦争における戦車の戦略的運用についても大きな関心を寄せてもいました。 「戦術は戦場で兵士を動かす技術であり、それは使用する武器と輸送手段によって変化する。新しい武器や改良された武器または移動方法は戦争術において適切な変化を必要とするものであり、現代においては戦車の導入が戦争術における抜本的な変革を求めている」(Fuller 1936) ここでも戦車は単に塹壕戦の問題を解決する一手段ではなく、戦争の歴史において一つの画期と見なすべきであると考えていたことが分かります。フラーは戦車を広い戦争史の文脈に位置付けて理解していたのであり、その導入によって戦術だけでなく戦争術全般が変化する可能性を指摘していました。 戦車...

作戦線を失った部隊は戦略的に敗北している

作戦線(line of operation)は基本的に作戦地域において基地と部隊を結び付ける名目的な線のことを意味しています。後方連絡線(line of communication)とも呼ばれ、軍事学、特に戦略学における基本概念のひとつとして使用されています。 この概念を最初に使用したのはヘンリー・ロイド(1781)という人物であり、18世紀当時の戦争、特に七年戦争を分析することを目的としていました。 「この線(作戦線)の良い選択または悪い選択により、戦争の大部分がほとんど決する。それを間違えれば、あらゆる成功、英知、意思は最終的には無意味なものとなるだろう」(Llyod 1781: 134) ロイドの作戦線の概念は、その後ジョミニ(1971)の研究に導入されました。 ジョミニはさらに作戦線を単に基地と部隊を結びつけるものとして考えるのではなく、敵をコントロールする決勝点を確保するための作戦行動をも包含する線だと考えました。 この解釈からジョミニはさまざまな戦略を作戦線の方向によって分類することを考察しています。 コックスウェル(1995)の研究では、このような古典的学説を検討した上で、作戦線が基地と部隊の中間を結びつける線であり、部隊が前方へと機動することにより延伸されるものだと論じました。 作戦地域の分類方法についての概念図。 作戦基地によって前方の部隊が支援され、目標へと機動することが可能となる。 矢印の左から見ると兵站がまず実施される(その内部で警備作戦が実施)。 兵站支援を受けて戦場での戦術的行動が前線の部隊により実施される。 最後に作戦地域における機動へと移行している。 この図における作戦線は最初の兵站が実施される領域の中でも作戦基地から部隊までの中間に位置する。 (Coxwell 1995: 30)より引用。 ある作戦地域の中で複数の作戦線を駆使する場合、作戦線は相対的関係から次のように分類することができます。 作戦線の諸形態を表した図。 左上は連続的な作戦線。異なる時間に同じ空間に対して作戦線を集約させたもの。 右上は段階的な作戦線。異なる時間に一連の空間に対して作戦線を指向したもの。 左下は集中的な作戦線。同一の時間移動いつの場所に対して作戦線を指向したもの。 右下は離散的な作戦線。異な...