1574年、八十年戦争でのライデン攻囲戦を描いた絵画。 このスペインの攻囲に耐え抜いたライデンにライデン大学が設置される。 Otto van Veen(1574 - 1629)作 今回は、国家が存亡の危機に直面した時、研究者ができることが何なのかを私自身考えさせられたオランダの軍事革命の歴史を紹介したいと思います。 この話は1568年にスペインに対してオランダが独立を求めて武装蜂起したことにまでさかのぼります。この反乱は後に八十年戦争と呼ばれることになり、休戦を挟みながらも1648年まで続きました。 開戦当初、オランダ軍はスペイン軍に対して劣勢な状況だったのですが、その最大の理由は当時のオランダ軍にはスペイン軍の優れた戦術に対抗する手段がなかったためでした。 当時、スペイン軍はテルシオと呼ばれる野戦方陣に基づく戦術を完成させていました。 テルシオというのは槍兵を中央に配置し、正面にアルケブス小銃を持つ小銃手、そしてそれ以外の側面をマスケット小銃を装備する小銃手を配置した横陣の戦闘陣形だと考えて下さい。 一つのテルシオはおよそ200名の中隊規模で構成され、特に防御戦闘で有効な縦深が十分確保されているため、オランダ軍が白兵戦闘でテルシオを敗走させることは至難のことでした。 戦局が好転しない中で1588年、オランダの最高指導者の地位についたマウリッツは、スペイン軍の戦術を打破するためには、陸軍を改革する必要があると判断します。そして、その改革の方針を定めるに当たって研究プロジェクトを立ち上げることを決定しました。 マウリッツは研究プロジェクトを立ち上げるに当たって、国内の大学から文理両方の研究者を招集し、スペイン軍の戦術に対抗する方法を解明するように求めました。 この研究プロジェクトの方向性に当初から大きな影響を及ぼした研究者がリプシウス(Justus Lipsius)という政治哲学者でした。 リプシウスは政治学を専門とするライデン大学の教授でしたが、古代ローマの軍事思想に関する知識がありました。 そこでスペイン軍の戦術を研究するに当たっては、古典時代以降の軍事思想を再検討する必要があると判断し、ウェゲティウスなどの文献に関する調査を行っています。 さらに、当時まだ普及から間もない小銃や火砲の研究も並行して進められ、研究者たちは...
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