戦争とは本質的に大量殺戮であると考える人々にとって、第一線で武器を手に戦う兵士が「人殺し」であるということには、疑問の余地がほとんどありません。 しかし、このような単純化に問題があると感じている人は少なくなく、また兵士自身にとっても自分たちの仕事が犯罪のようにレッテル張りされることは不名誉なことです。 ここで問題なのは、このレトリックに反論する方法が、多くの人々にとって明確ではないという点です。 戦場で兵士が任務を遂行するために人命を奪うことはあり得ることであり、それは兵士という職務の重要な一部分を成していることは事実です。 そのため、軍人を「人殺し」と同一視する職業差別的なレトリックであると考える人でさえ、直感的にはそのような物言いが真実の一面を捉えているようにも感じられるのです。だからこそ、これは真剣に取り組まれるべき重要な検討課題と言えます。 今回は道徳的な観点から兵士が「人殺し」ではない理由を明らかにするために、哲学者のマイケル・ウォルツァーの説を紹介し、その意味するところを考えてみたいと思います。 戦争とは他の手段をもってする政治の延長である 軍人を「人殺し」と呼び、その職務を犯罪的行為であるかのように見なすことの最大の問題とは、戦争を個人的な活動と見なしていることにあります。 かつてクラウゼヴィッツは「戦争とは他の手段をもってする政治の延長である」と述べましたが、これは戦争が個人の行動に還元できるものではなく、国家を構成する人々が政治権力の下で組織的に武力を行使する活動であることを示しています。 戦争は個人の行為ではなく、国家の行為であることを裏付ける根拠として重要なものに国際法があります。 戦争はルール無用の殺し合いのように見えますが、現実には数多くのルールが存在しており、その多くは慣習法として成立してきたものですが、現代ではその多くが明文化されています。 ウォルツァーはこの点について次のように述べています。 「戦争とは、『二つか、それ以上の集団に、武力による紛争の遂行を同等に認める法的状態』である。そして、われわれの目的とってはより重要なのだが、戦争はまた、実は主権国家のレベルではなく、軍隊は個々の兵士のレベルで同一の許容が含まれている道徳的状態でもある。平等な殺人の権利がなければ、ルールに統制された...
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