イエメン内戦の歴史とサウジの戦略については以前に電子雑誌で「航空戦略の観点から見たイエメン内戦の教訓」という記事を書いていますが(武内 2019)、改めて本ブログにイエメン内戦の経緯をまとめた記事を投稿することにしました。 イエメンの情勢に対する理解を深める一助になればと思います。 イエメン内戦にサウジが介入するまでの経緯 事の発端は2015年1月、アラビア半島の南端に位置するイエメンで起きたクーデターです。 当時、前大統領サーレハ(Ali Abdullah Saleh)がイスラーム教シーア派の宗教勢力の一つであるフーシ派の部隊を指導し、現大統領ハーディー(Adb Raddu Mansur Hadi)の政権を打倒しようと画策しました。 しかし、サーレハはハーディーが首都サヌアを脱出することを許すという致命的なミスを犯しまい、これが内戦に拡大する原因になりました。 ハーディーは南方の沿岸都市アデンを占領し、そこに陣地を構築して防御態勢をとり、反撃のチャンスを得ることができました。 フーシ派の戦闘力に独力で対抗できる力はハーディー派の部隊にはなく、このままではアデンさえも陥落し、国外に脱出しなければならなくなる危機に直面していました。 サウジアラビア(以下サウジ)はこのままイエメンでフーシ派が政権を掌握すれば、その背後にいるイランの勢力が自国の南部に進出する可能性があると懸念した可能性があります。 サウジの戦略を考える上でイエメンを押さえておくことは、アラビア半島の南端は紅海の海上交通路を保護するため、あるいは南部国境地帯の安全を確保するため、などが戦略学の見地から考えられる理由です。 サウジはハーディーは政権に復帰することを後押しするため、2015年3月に軍事的介入を決断し、フーシ派の武装解除や占領地返還を求める国連安保理決議を採択させるなど、外交的手段によって戦争の準備を整えていきました。 ここからイエメン内戦はハーディー派とそれを支援するサウジ(さらにサウジに追従する国々)が結束してフーシ派と戦うという構図に変化していきました。 この時期からフーシ派はイランの支援を受けていた可能性がありますが、どのような部隊が展開していたのか、どの程度の装備や物資が送られていたのかなど、詳細がよく分かっていません。 サウジ軍の航...
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