スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(作戦線)が付いた投稿を表示しています

事例研究 作戦線から見た太平洋における米軍の対日作戦

太平洋方面における米軍の作戦を指導したマッカーサー(左)とニミッツ(右)。 戦略学の分析概念の一つに作戦線(line of operation)というものがあります。 これは作戦部隊と作戦基地を結びつける交通手段のことを意味しており、戦域の各方面で展開する部隊は兵站上の理由からその本国と継続的に連絡できる状態を維持しなければなりません。 作戦線を検討すると、さまざまなことが分かるのですが、ある作戦線を特定することによって敵が将来実施しようとする作戦のパターンを予測することができる場合があります。 今回は、太平洋における米軍が1943年以降にどのような対日戦略をとったのかを理解するため、作戦線に着目して考えてみたいと思います。 1942年、米軍が選択可能な戦略 1941年に日米が開戦し、日本が太平洋、アジアの両方面で順調に勢力圏を拡大しつつありましたが、その攻勢の勢いも1942年の時点には衰えつつありました。そこで米国としては日本を降伏にまで追い込むための反攻を計画し始めることになります。 まず、日本を打倒するためには東京を米軍の勢力圏に入れる必要がありますが、東京に対する航空攻撃を実施するために確保すべき作戦基地を考えると候補地は二つあり、一つは北海道、もう一つはルソン島・台湾(中国沿岸)・沖縄の地域でした。 どちらの目標に向かうのかという論点でも議論が分かれますが、さらにこれらの目標に向かうためにどのような作戦線を選択するのかという論点でも議論が分かれます。したがって、戦略案は大まかに次の五通りの意見に分かれます。 第一案、アラスカから出発して北太平洋のアリューシャン諸島を軽油し、北海道に侵攻する戦略。 第二案、ハワイを起点とし、ギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、そしてルソン島、台湾、沖縄を目指す戦略。 第三案、オーストラリアを起点としながら、ニューギニア島、ハルマヘラ島、パラオ諸島、ミンダナオ島を順次経由してルソン島、台湾に侵攻する戦略。 第四案、インドから出発し、ビルマから中国に入り、広東省、香港、上海という順番に攻略していく戦略。 第五案、同じくインドから出発しますが、これはマラッカ海峡を通過して南シナ海から台湾(中国沿岸)へ進攻する戦略。 (Coakley and Leig...

兵站システムから基地の機能を考える

基地の問題を考える際に私たちがまず思いつくのは、騒音の問題や近隣住民とのトラブル等かもしれません。 しかし、兵站学の立場から基地を考える場合には、その基地だけを取り上げることは適当ではありません。基地の価値は他の味方の基地の所在や、仮想敵国の部隊配備等によって変化するためです。 今回は、兵站の観点から基地の価値を分析する方法を説明するために、兵站システム(logistical system)という概念を紹介したいと思います。 兵站支援の概要 そもそも兵站の目的とは作戦部隊の戦闘力を維持増進するために必要な人員、武器、物資等を充足させることにあります。 このような目的のために使用される需品、整備、輸送、衛生等の職種の部隊は戦闘部隊と一般に区別され、兵站部隊と呼ばれます。 兵站システムとは、これら兵站部隊を有機的に組み合わせて運用するための組織のことであり、基本的には兵站基地(logistical base)と支援地域(support area)の二つ要素を組み合わせて構成されます。 非常に大雑把な整理をすると、兵站基地はより固定的な兵站支援の拠点であり、支援地域は作戦の進展に応じて所在が変更される流動的な兵站支援の拠点です。 しかし、兵站基地と支援地域もさらに細かく分類されます。 (1)兵站基地の分類 ・中央兵站基地:国家的観点から生産、流通にとって重要な地域に設定される兵站基地であり、兵站システムの中枢を構成。 ・方面兵站基地:方面隊(軍団レベル)がそれぞれの作戦地域において設けられる兵站基地。 ・方面前進兵站基地:方面兵站基地の分派として状況の必要に応じても受けられる兵站基地。 (2)支援地域の分類 ・前方支援地域:師団等を直接支援する方面隊の兵站部隊が展開する支援地域。 ・師団段列:師団の人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。 ・部隊段列:連隊・大隊等において人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。 戦略兵站・作戦兵站・戦術兵站の区分 順番に説明すると、中央兵站基地が全軍の兵站システムの中心として位置付けられます。 そこを起点として主要な戦略単位である軍団の作戦地域に置かれた兵站基地がそれぞれ設定されます。 一般に戦略兵站(strategic logistics)と呼ばれるのは、この...

論文紹介 米国のオフショア・コントロールと日中貿易のリスク

オフショア・コントロール(offshore control)とは、現在米国で研究が進んでいる対中戦略の一種です。 すでに中国は第一列島線、第二列島線によって地理的に区切られた防衛圏を形成する構想を明らかにしており、近年の中国の海洋進出はこのような構想を実現するための活動と考えられています。 中国が設定する第一列島線と第二列島線の位置関係。 (平山2014: 11)より引用。 この中国の戦略に対抗するため、米国では当初、海軍と空軍の協同連携によって中国の重層的な防衛線を潜入突破することを目指す戦略構想、エアシー・バトルの研究が始まりました。 しかし、予算見積の結果を受けて、エアシー・バトルは国防予算の制約上、実行可能性に乏しいことが批判されるようになりました。 結局2015年現在では抜本的に戦略の見直しが進められることになっており、そのエアシー・バトルの代替案として浮上したのがオフショア・コントロールです。 今回は、海上自衛隊幹部学校から出されている研究論文を紹介し、特に日本の立場からオフショア・バランスを考察した部分を中心に紹介します。 文献情報 平山茂敏「オフショア・コントロール戦略を論ずる―「戦争を終わらせるための戦略」と日本の選択」『海幹校戦略研究』2014年6月(4・1)6-26頁 (http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/4-1/4-1-2.pdf) この論文は、米国のオフショア・バランスがどのような戦略であるのかを解明するために、この構想の提唱者である米国防大学のハメス(T. X. Hammes)の研究内容を調査しています。 その調査結果をまとめると、オフショア・コントロールとは中国と米国の限定戦争を想定した上で次のような構想が盛り込まれています。 (1)中国の沿岸から第一列島線までの海域に潜水艦部隊等を進出させ、中国海軍がその海域で海上優勢を確立することを拒否する。 (2)中国の第一列島線上に位置する海域または空域を防衛する。 (3)第一列島線から外側の海域または空域に対する支配を強化し、特に中国の船舶に対してはチョークポイントを封鎖する。 チョークポイントの封鎖はいわば中国の軍艦、商船の両方を海上交通路から排除するという海洋戦略であり、米中の対立が...

戦史研究 アレクサンドロスのペルシア遠征作戦

マケドニア王国のアレクサンドロス三世は、アケメネス朝ペルシアを滅ぼし、その領土を中央アジア、インドにまで拡大させたことで知られる軍事的英雄です。 しかし、遠征が成功した軍事的理由に関しては個々の戦闘における勝利に注目が集まるため、戦略的観点に基づく説明はあまり知られていません。 今回は、リデル・ハートの分析を踏まえて、戦略の観点からアレクサンドロスのペルシア遠征作戦が成功した理由を説明したいと思います。 アナトリア半島で兵站基地を確保したことの意義 小アジアにおけるアレクサンドロスの軍勢の進路。 まず戦略的にパンフィリアの奪取により小アジアの海上交通路を支配。 その後、内陸に進出しているが後にシリアに向かうために南進していることが分かる。 アレクサンドロスのペルシア遠征は紀元前334年春にダーダネルス東岸から開始され、前331年まで続いています。これだけ長期にわたってアレクサンドロスは小アジア、エジプト、メソポタミアに及ぶ広大な戦域を戦い抜かなければなりませんでした。したがって、兵站線の管理は戦略上重要な問題となります。 戦域が広がり、敵と味方の部隊が相互に脅威を及ぼし得る正面が複数の方向へと広がりを見せるようになると、それだけ味方の作戦線を掩護することが難しくなります。もし作戦線を失えば、それは前線で活動する部隊の兵站支援が成り立たなくなることを意味するため、アレクサンドロスは前進目標の選択を慎重に行い、味方の軍の作戦線がペルシア軍によって遮断されないように注意することが重要でした。 この遠征でアレクサンドロスが巧みだったのは、この作戦線の保全を確実にするように作戦を指導していたことです。 まず、アレクサンドロスはダーダネルスを出発し、アナトリア半島に上陸すると、各地のギリシア人の都市を占領し、またペルシア軍の前方展開基地を潰しながら、自らの作戦基地に組み入れていきました。 この段階で重要だった都市はカリア(Karia)、リシア(Lykia)、パンフィリア(Pamfylia)という沿岸都市です(上記地図参照)。 特にパンフィリアから先の地域には大規模な艦隊が拠点とできる沿岸都市が存在していなかったので戦略的に大きな意味がありました。アレクサンドロスはペルシア軍が独占していたアナトリア半島の沿岸地域の作戦基地を奪ったのです。...

作戦線を失った部隊は戦略的に敗北している

作戦線(line of operation)は基本的に作戦地域において基地と部隊を結び付ける名目的な線のことを意味しています。後方連絡線(line of communication)とも呼ばれ、軍事学、特に戦略学における基本概念のひとつとして使用されています。 この概念を最初に使用したのはヘンリー・ロイド(1781)という人物であり、18世紀当時の戦争、特に七年戦争を分析することを目的としていました。 「この線(作戦線)の良い選択または悪い選択により、戦争の大部分がほとんど決する。それを間違えれば、あらゆる成功、英知、意思は最終的には無意味なものとなるだろう」(Llyod 1781: 134) ロイドの作戦線の概念は、その後ジョミニ(1971)の研究に導入されました。 ジョミニはさらに作戦線を単に基地と部隊を結びつけるものとして考えるのではなく、敵をコントロールする決勝点を確保するための作戦行動をも包含する線だと考えました。 この解釈からジョミニはさまざまな戦略を作戦線の方向によって分類することを考察しています。 コックスウェル(1995)の研究では、このような古典的学説を検討した上で、作戦線が基地と部隊の中間を結びつける線であり、部隊が前方へと機動することにより延伸されるものだと論じました。 作戦地域の分類方法についての概念図。 作戦基地によって前方の部隊が支援され、目標へと機動することが可能となる。 矢印の左から見ると兵站がまず実施される(その内部で警備作戦が実施)。 兵站支援を受けて戦場での戦術的行動が前線の部隊により実施される。 最後に作戦地域における機動へと移行している。 この図における作戦線は最初の兵站が実施される領域の中でも作戦基地から部隊までの中間に位置する。 (Coxwell 1995: 30)より引用。 ある作戦地域の中で複数の作戦線を駆使する場合、作戦線は相対的関係から次のように分類することができます。 作戦線の諸形態を表した図。 左上は連続的な作戦線。異なる時間に同じ空間に対して作戦線を集約させたもの。 右上は段階的な作戦線。異なる時間に一連の空間に対して作戦線を指向したもの。 左下は集中的な作戦線。同一の時間移動いつの場所に対して作戦線を指向したもの。 右下は離散的な作戦線。異な...