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事例研究 三十年戦争の様相を変えたリシュリューの現状打破

ヨーロッパにとって17世紀は激動の時代でした。16世紀に増加し続けたプロテスタントはカトリックと社会的、政治的な対立を深め、1618年に勃発した三十年戦争はヨーロッパのほぼ全域を巻き込む戦争に拡大しました。 この戦争によってハプスブルク朝は大幅に勢力を低下させることになりましたが、それに対抗する形で台頭したのがフランスでした。 ハプスブルク家の覇権を打破し、フランスが大国へと成長する足掛かりを築けたことは、リシュリュー枢機卿(以下、リシュリュー)の大きな功績です。彼は宗教的な価値観や信条に囚われず、政治的合理性にのみ従ってフランスの政策を指導し、ハプスブルク家の勢力を低下させることに成功しました。 しかし、政治学者の発想からすると、リシュリュー個人の外交的能力がどれほど優れていたとしても、フランスの国力がある程度確保できていないと、大国相手に現状打破を行うことはできないと思われます。 今回は、こうした観点から三十年戦争におけるリシュリューの対外政策を取り上げ、それを可能にした当時のヨーロッパ各国の勢力関係について考察したいと思います。 17世紀のヨーロッパ情勢の概観 1648年の時点におけるヨーロッパ地域の情勢図。 フランス王国(紫色)はスペイン領オランダを始め複数個所での領土に隣接していることが読み取れる。 神聖ローマ帝国の領土はオーストリア(青色)を中心に赤線で囲われているドイツ全域であり、当時の皇帝フェルディナント二世はスペイン王国と同盟関係を構築していたため、フランスは二正面で脅威を受ける態勢にあった。 長らくヨーロッパ地域はカトリックという共通の価値観と普遍性の原則に基づき、神聖ローマ皇帝を中心とする緩やかな政治的連合体を形成していましたが、宗教改革の影響を受けて、各国は次第に神聖ローマ皇帝に対する忠誠を失い始め、分裂と対立の動きを加速させていきました。 神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナント二世(1578-1637)はこうした政治情勢でカトリックの復興と自らの勢力を回復を強引に図ろうとしたため、プロテスタントの反発を受け、1618年に事態は武力紛争にまで拡大してしまいました。これが後に三十年戦争と呼ばれる戦争の始まりです。 当初、三十年戦争はドイツ地域を中心にカトリックとプロテスタントの宗教戦争として推移してい...