冷戦期におけるソ連と米国の核戦略が大きく異なるものであったことはよく知られていますが、具体的にソ連の核戦略がどのような体系だったかについては十分に理解されていません。 今回はローレンス・フリードマンの研究に基づいて、1970年代中葉から80年代初頭にかけてのソ連の核戦略を説明したいと思います。 限定核戦争に対するソ連の構想 ローレンス・フリードマン(1948-)イギリスの研究者、核戦略の研究業績などで世界的に知られている。 フリードマンの説によれば、1980年代に入ったばかりの頃の西側の専門家や研究者は、ヨーロッパの大規模戦争におけるソ連の戦略を三つの段階に区分できるものと理解されてきました。 その第一の段階は通常戦争の段階であり、この段階においてソ連は可能な限りNATOの核兵器についても破壊しようとします。 第二の段階は残存したNATOの核戦力と通常戦力の基地に対する核攻撃の実施の段階であり、第三段階においてNATOの通常戦力を戦域から一掃し、領土を獲得します(Freedman 2003: 401)。 ソ連軍の戦略方針としては西側に対して攻勢作戦をとることになるので、戦いの全局面において主導的地位に立ち続けることが求められます(Ibid.)。 この主導権を得る方法としては、NATOの核攻撃を準備段階で予防する能力を持つこと、そして米国本土を攻撃しない見返りとしてソ連本土の安全も確保し、戦闘をあくまでもヨーロッパの一部地域で完結させること、これら二点が重要と考えられました(Ibid.)。 つまり、ソ連の戦略で目指されていたのは一部の地域に限定された核戦争であったと西側において考えられていたのです。 こうしたソ連の戦略が米国の利害にもある程度配慮したものであったことについてフリードマンは「核戦争が勃発した場合、ソ連と米国ができるだけ限定された範囲に戦争を止めることについて利害の一致があったことについては疑問を差し挟む余地はほとんどなかった」と述べています(Ibid.)。 米ソ間で違った「限定戦争」の意味合い もしヨーロッパで戦争となればソ連としては米国本土を攻撃しない代わりにソ連本土の安全を確保することで、戦争を地域内部に限定し、西ヨーロッパに対する侵攻を確実に実現しようとしていたが、米国が反撃の一環としてソ連本...
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