ポエニ戦争で敗北し、ローマに滅ぼされたカルタゴの遺跡。 ローマ人が国政術、戦争術、外交術を巧みに運用しながら国家を発展させた歴史は、政治学を学ぶすべての人にとって興味深い教訓を与えてくれます。 今回はモンテスキューの著述の一部を取り上げて、ローマが征服を進める上でどのような外交を展開していたのかを説明したいと思います。 大国としての勢力をいかんなく発揮する外交術の一端を垣間見ることができると思います。 そもそもローマは当初、小さな君主政の国家として建国されましたが、共和政に変革されてから次第にその勢力を拡張し、ポエニ戦争でカルタゴに勝利すると東地中海方面の中小国を次々と支配下に置いて勢力圏を拡大させました。 このようにローマが成長することができた要因は、単に物的国力の進展があっただけではありません。そこには周到に計画された政略があったことをモンテスキューは指摘しています。 例えば、ローマ人の戦争の進め方に着目すると、必ずしも自国の軍隊だけで戦おうとせず、同盟国の軍隊を利用することに注意していたことが分かります。自国の国力を温存し、他国の国力で自国の国益を実現しているのです。 しかも、ローマは同盟を結んだ国がわずかでも反意を抱いていることを察知すると、間もなく別の同盟国の軍隊を用いて滅ぼさせるか、その勢力を縮小させていました。モンテスキューは次のように述べています。 「同盟国は敵と戦うために利用された。しかし、まず破壊者を殲滅することが目指された。フィリッポスはアナトリア人を使って打倒されたが、彼らはその後すぐにアンティオコスと同盟したため、滅ぼされた。アンティオコスはロドス人の援助で打倒された。だが、彼らは、素晴らしい恩賞を与えられた後、ペルセウスとの和平を求めたということを口実にそのままずっと一顧だにされない地位に陥れられた」(モンテスキュー、68頁) モンテスキューの著作では、戦争でローマから休戦を申し入れる場合も、必ず最も弱小な敵国との休戦を優先するようにしたことも指摘されています(Ibid.: 69)。これは、交渉が妥結する可能性が最も大きく、かつ滅亡させる時期を多少先送りにしても軍事的な脅威となりにくいと考えられるためです。 さらに興味深いのは、戦争で勝利を確実にした後のローマの戦後処理です。 ローマの国家政策として...
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