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論文紹介 ミハイル・トゥハチェフスキーの縦深戦闘(Deep Battle)とは何か

ソ連の軍人として有名な ミハイル・トゥハチェフスキー(Mikhail Tukhachevsky 1893-1937) ですが、彼は今日の軍事学のトレンドにも影響を与えた研究者の一人としても知られています。 1937年に粛清されてしまいましたが、当時のソ連軍の近代化に尽力した功労者であり、戦後のスターリン批判で名誉回復されています。 今回は、トゥハチェフスキーの生涯を簡単に紹介した上で、彼が構想した縦深戦闘の概念について紹介したいと思います。 文献情報 McPadden, Christopher P. 2006.  Mikhail Nikolayevich Tukhachevsky (1893-1937): Practitioner and Theorist of War . The Land Warfare Papers, No. 56W August. Arlington: The Institute of Land Warfare. トゥハチェフスキーはどのような軍人だったか 1935年に元帥に昇進したトゥハチェフスキー(左下)。その右にヴォロシーロフ、エゴロフ、後列左からブジョーンヌイ、ブリュヘルがいる。 もともとトゥハチェフスキーは元地主で没落した貴族の家に第4子として生まれ、経済的に厳しい生活を送っていたのですが、1909年に陸軍幼年学校に入学してからその才能を開花させていきます(McPadden 2006: 3)。 学校でトゥハチェフスキーは優れた成績を収め、1912年に入学した士官学校でも1914年の卒業時に歴代卒業生の最優秀成績保持者として記録されたほどでした(Ibid.)。 卒業した年に勃発した第一次世界大戦ではロシア軍の士官として従軍し、ドイツ軍の捕虜となってしまいますが、捕虜収容所から脱走することに成功し、1917年にロシアに帰国します(Ibid.)。 ところが、当時すでにロシア革命が進行中であったため、トゥハチェフスキーが軍に戻れる政治状況ではありませんでした。 そこでトゥハチェフスキーはトロツキーと接触を持ち、1918年にモスクワ防衛を担当する軍事委員に任命されます。それから彼はロシア内戦で軍司令官として多くの功績を上げることになり、レーニンからも高く評価されることになりました(Ibid.:...