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学説紹介 なぜ戦時中に国内の党派は争うのか―トゥキディデスの考察―

戦争のような国家の一大事が起こったならば、各党各派は政治的休戦を図り、挙国一致の体制に移行することが何よりも求められます。 しかし、歴史を振り返ると、戦争が勃発したことによって国内の政治的分裂がかえって激しくなってしまった事例が見られます。 古代アテナイの歴史家トゥキディデスもこのような事例について記述していますが、今回はその要因と結果に対する彼の考えを紹介したいとお思います。 外国勢力による国内政治の混乱 トゥキディデスによれば、戦争という国家の一大事であるにもかかわらず、国内の各党派の対立が起きてしまう理由の一つに外国勢力の影響が挙げられます。 そもそも戦争が勃発すると国防上の理由から特定の大国と緊密な外交関係を結ぶことになります。 すると国内政治においても外国勢力の影響力が強まることになり、さまざまな党派がその余波を受けることになります。一部の党派にとってそれは党勢拡大のチャンスになるのです。 「平和でさえあれば、これらの外部勢力の干渉を仰ぐ理由も意志もない各派指導者も、戦時となってからは、いずれかの陣営との同盟関係が生じ、国内反対派の弾圧とそれによる自派の勢力増大を求めて政治的均衡を崩そうと望む者たちにとっては、外国勢力の導入が簡単にはかれるようになった」(『戦史』中100頁) 当時、ペロポネソス戦争では民主政を採るアテナイと君主政を採るスパルタの二大大国が対立しました。 両大国の狭間に置かれた多くの中小国はアテナイとスパルタのどちらかと同盟を結ぶことで、自国の安全を確保しようとします。 しかし、こうした中小国の国内では民主政の導入を訴える民衆派と、君主政を主導する貴族派が対立していたため、アテナイとの同盟は民衆派の立場を強化し、スパルタとの同盟は貴族派の立場に有利に作用しました。 これが従来までの国内の均衡を破壊する方向に作用してしまい、各国で激しい権力闘争を引き起こすことになったとトゥキディデスは指摘しています。 生活の悪化が人々を短期の利益に駆り立てる ペロポネソス戦争が勃発した当時のギリシアの情勢図、アテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟とが争った。 戦争状態で国内が分裂する原因は外国勢力の影響だけではありません。トゥキディデスは生活水準が低下することも人々の行動を変化...

事例研究 シチリア遠征の失敗から学べること

ソクラテス(右)とアルキビアデス(左)の関係を描いた絵。 アルキビアデスはソクラテスの下で哲学を学び、ペロポネソス戦争当時はアテナイで最も有力な政治家の一人だったが、国内に政敵も多く、シラクサ遠征の最中にスパルタに亡命することになった。 Jean-Léon Gérôme作 「兵も船も、ことごく失われ、さしもの大軍も故国に帰り着いたものは、数えるほどしかいなかった」 歴史家トゥキディデスがこのように書き記すほど、ペロポネソス戦争(前431年-前404年)におけるアテナイ軍のシチリア遠征作戦は凄惨な戦いとなりました。 そもそも戦争が勃発した当時のアテナイ指導者だったペリクレスは、敵国スパルタが保有する優勢な陸軍の侵攻を正面から食い止めることは危険と判断し、アテナイ軍として地上で防勢作戦を展開しつつ、優勢なアテナイ海軍をもってスパルタの同盟国に洋上から攻撃を加え、時間をかけて消耗させるという戦略を策定していました。 しかし、長期にわたる籠城でアテナイ市街に疫病が発生すると、それでペリクレスは命を落としてしまい、また想定以上にスパルタとの戦争が長期化したことで、アテナイ市民の間で不満が高まっていました。 このシチリア遠征はアテナイにとって戦況を一変させる一手としてアルキビアデスの主導の下に実施されましたが、結果的にアテナイ軍は多くの兵士を失い、アテナイがペロポネソス戦争に敗北する要因ともなってしまったのです。なぜ、このような事態になってしまったのかを理解するためには、当時の政策過程と作戦指導の関係を知らなければなりません。 アテナイの政治システムとシチリア遠征問題 アテナイの中心部に位置するプニュクスという丘は民会における論壇。 ペロポネソス戦争当時では民衆扇動を行う政治家が複数現れ、それが政策決定を難しくしていたとされている。 当時のアテナイの政治システムは民主制でした。議会に当たる民会では複数の市民が各党各派に分かれており、戦争に関する重要な問題については議論した上で多数決により決定を下していました。 ペリクレスの死後、アテナイの民会で影響力を拡大していた市民は複数いましたが、いずれも市民を扇動して政治力を拡大しようとする傾向があり、歴史家からは扇動政治家(デマゴーゴスdemagogos)と呼ばれていました。その中でも特...