戦間期の日米関係を考察した研究は数多くあり、政治的、経済的、社会的、軍事的要因など幅広い要因が示されてきました。 しかし、地理的要因が果たした影響について考察した研究はそれほど多くなく、本格的な地政学的分析が展開された研究はさらに少数です。 今回は、スパイクマンの学説を参照し、地政学の立場から当時の日米関係に対する一つの解釈を紹介したいと思います。 戦争を避けようとしていた米国の対日政策 1933年に米大統領に就任したローズヴェルトは、従来の対日政策を見直して強硬な措置をとったが、それまでのフーヴァー、クールリッジ、ハーディングは対日政策で強硬な措置をとることには慎重な姿勢を維持してきた。スパイクマンの研究では、この背景にフィリピンの防衛問題があったことが指摘されている。 まず、スパイクマンは米国が日本に対して全般的には軍事的に優勢だったにもかかわらず、なかなか自ら進んで対日開戦に踏み切ろうとはしなかったことを問題としています。 第一次世界大戦が終結してから間もなく、米国が東アジアで日本が軍事的に台頭していることに警戒感を強め、さまざまな手段で日本が地域覇権を握ることを阻止しようと動いてきました。 それにもかかわらず、米国は単独で日本と戦争状態に突入することは慎重に回避し続け、1941年に日本が対米攻撃に踏み切るまで戦争を先送りにしたのです。 満州事変の後で日本が中国で戦線を拡大している間も、米国は自国の武力を見せつけるように実動演習や部隊配置を実施しましたが、これらは抑止力としてほとんど機能しませんでした(108頁)。 その代わりに使われていた経済的、外交的圧力も十分ではなく、1940年に国防上必要な物資の輸出を禁止、制限する決定権を大統領に一任するシェパード・メイ法案が可決された例を見ても、実質的な勢力均衡に影響を及ぼすことはあまりありませんでした(同上、109頁)。 初めて米国が実効力のある経済制裁として、国内の日本資産を凍結したのは1941年7月25日に日本軍が南部仏印進駐を受けてからのことであり、これは12月の日米開戦のおよそ4カ月ほど前のことでした(同上)。 こうした一連の経緯を見れば、米国のように国力で優れた国が、なぜ日本に対して、これほど慎重な対応をとっていたのか不可解に思われます。 もっと早い段階...
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