1783年、アメリカは長い戦いの末にイギリスから独立を勝ち取りましたが、戦後にフランスと結んだ防衛同盟が残っていました。 この条約は直ちにアメリカの国益を害するものではありませんでしたが、ヨーロッパ大陸の戦争にアメリカが巻き込まれる危険があるとも考えられました。 その懸念は1789年のフランス革命戦争によって現実のものとなり、初代大統領ジョージ・ワシントン(George Washington, 1732-1799)がこの問題に対処することになったのです。 今回は、フランス革命戦争に参戦すべきと主張する意見を封じ込め、対英宣戦を回避したワシントンの対外政策の事例について考察してみたいと思います。 当時の関係国の勢力関係 フランス革命の発端、バスティーユ襲撃事件 フランス革命戦争(1789-1798)は、もともとはフランス革命で危機的状況にあったルイ十六世の身の安全を確保しようとプロイセン、オーストリアが部隊を送り込んだことによって始まった干渉戦争です。 1793年、国外への逃亡に失敗したルイ十六世が革命政府によって処刑されると、このフランス革命戦争にイギリスも参戦することになり、結局フランスは一度にイギリス、オーストリア、プロイセン、スペインなどを相手に戦わなければならなくなりました。 18世紀末の時点で列強がどの程度の国力を持っていたのかを判断することは容易ではありませんが、軍事力に着目して比較してみると、1789年におけるフランス軍の動員可能な兵力は18万名、イギリス軍は4万名、プロイセン軍は19万名、オーストリア軍は30万名であったとされています(Corvisier 1979: 113)。 フランス軍については、一連の革命での事件を受けて、士官の地位にあった貴族の多くが亡命していたため、先述した数値からさらに減勢していたと推測されます。ただし、対仏連合軍の勢力の合計は53万名にもなるため、フランス軍の人員が無理やり維持されたと仮定しても、難しい国際情勢には変わりなかったでしょう。 こうしたヨーロッパ情勢であったにもかかわらず、アメリカでフランス革命戦争に参戦すべきという意見が公然と支持されていたことは驚くべきことです。 そもそも、アメリカ独立戦争が終結した時点で大陸軍は解散されており、正確な数値を知ることはでき...
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