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文献紹介 太平洋軍の思惑と日本の戦略

フィリピン中部ビサヤ諸島のレイテ島の北西にあるオルマック湾。 フィリピンの基地は西太平洋、東アジア各地に米軍が部隊を展開する上で戦略的に重要である。 世界各地に駐留する米軍ですが、その中でも特に太平洋軍(U.S. Pacific Command)は日本の安全保障と最も緊密な関係を持つ統合軍です。 今回は、太平洋軍の戦略についての研究成果を紹介したいと思います。 文献情報 David J. Berteau, and Michael J. Green. 2012. U.S. Force Posture Strategy in the Asia Pacific Region: An Independent Assessment , Washington, D.C.: Center for Strategic in International Studies. 近年、米国の貿易の60%はアジア諸国を相手としていますが、この地域では軍事力の増強がきわめて活発であり、特に中国、ヴェトナム、中国、韓国、インドなどが軍事支出を増加させています(Berteau and Green 2012: 13)。 特に中国の軍事力を見てみると、中国の周辺地域に米軍が進攻することを阻止する対抗接近/地域拒否の能力を構築しつつあることが指摘されており、具体的には東シナ海、フィリピン海、南シナ海に次の地図のような防衛線が準備されています。これが完成すれば、米国はアジアにおける影響力を大幅に低下させる可能性が研究者によって示唆されています(Ibid.)。 東アジア地域の戦略情勢の概観。 東シナ海と南シナ海からフィリピン海に向かって中国が防衛圏を構成する脅威が示されている。 東アジア地域で紛争が生じている地域は朝鮮半島、台湾海峡、南シナ海、中印国境、印パ国境と分布。 中国の軍事的台頭によってこれら紛争地域の状況が大きく変化する危険が考えられる。 (Berteau and Green 2012: 14)より引用。 中国が強固で安定した防衛圏を構成するには、東シナ海と南シナ海での海上優勢を確保するだけでなく、フィリピンと日本の領土・領海を通過するチョークポイントを確保しなければなりません。 つまり米国の太平洋軍の戦略上の目標は、これらチョークポイントを...

論文紹介 軍事技術それ自体は解決策ではない

あらゆる軍事技術はまず戦場でその効果を発揮しますが、必ずそれは戦略的な影響をももたらします。 したがって、軍事技術を理解するためには、戦術と戦略を深く理解することが必要となります。 今回は1970年代に登場したミサイルの技術が西側陣営の防衛力を高めるのではなく、かえって危険にしている側面があると指摘した研究を紹介したいと思います。 文献情報 Kennedy, R. 1978. Precision ATGM's and NATO Defense , Carlisle: Strategic Studies Institute U.S. Army War College. 1970年代、精密誘導の技術が向上すると、西側では対戦車ミサイルを活用することで歩兵でも簡単に戦車を撃破することができるという楽観的な見方がありました。 それ以前の陸上戦闘では、一般に機甲師団が高い攻撃能力を持つという前提から、陸軍の中核的存在として位置づけられており、実際にソ連軍は西側よりも多くの機甲戦力を保持していました。 しかし、対戦車ミサイルがNATOの部隊に配備されたことによって西側の防御能力はWPの攻撃能力に優越する可能性があると西側の専門家の間で考えられていたのです。 しかし、この研究で著者が指摘しているのは、機甲師団の戦闘効率が対戦車ミサイルにより低下すると、ソ連の軍事戦略における核戦力への依存度がより増大するという点でした。 「対戦車誘導弾技術が陸上戦術に革命をもたらし、戦車による攻撃を潜在的に放棄することが議論されるようになった今日、ソ連としては対戦車防御を突破する手段として初期から考えていた核兵器に依存する戦略に復帰することに強い誘惑を感じただろう」 これは多くの専門家にとって意外な指摘でした。 専門家たちは問題をWPの中核である機甲師団の攻撃を対戦車ミサイルによって阻止することだけに限定していました。 そのため、ソ連の軍事戦略の全体像が見過ごされ、核戦力によって機甲戦力を補完する可能性を十分に考慮に入れていませんでした。 著者は、ソ連が核戦力を重視する軍事戦略に回帰した場合に予想されるシナリオを次のように考察しています。 「ソ連の専門家が書いているように、核攻撃を予想するとき防御者はその部隊を分散しておかなければならな...

論文紹介 兵站は戦略を制約する

今回は、安全保障学で(残念ながら)特に知名度が低い研究領域、兵站学に関する議論を紹介します。 兵站学の論文は特に第二次世界大戦が終結してから数多く書かれるようになりましたが、その中でも特にアメリカ軍の兵站に関する優れた事例研究があります。 論文情報 Sykes, H. F., Jr. 1947. "Logistics and World War II Army Strategy," Military Review , 35(2): 47-54. この論文の著者である米陸軍大佐H. F. Sykes, Jr.の貢献は、第二次世界大戦におけるアメリカ軍の大戦略の決定を決定した要因として兵站が決定的だったことを実証的に明らかにしたことです。 日本海軍による真珠湾攻撃を受けてから間もない1942年1月の議会演説で、ルーズベルト大統領は「この圧倒的な優勢を獲得する目的から、合衆国はその国力のほぼ限界まで航空機、戦車、火器、艦船を生産しなければならない」と発言しました(Sykes 1947: 47)。 この発言から示される通り、アメリカにおける戦略と兵站の関係は「父と子の関係」ではなく、全く逆の関係でした。 つまり、アメリカは戦略を策定するよりも先に、その戦略に必要な武器や装備を生産するところから戦争指導を着手し、その後に当面の戦略を策定したのです。 著者は、このような結果として、戦略と兵站のどちらの領域においても長期的な指針が確立されていなかったと指摘しています(Sykes 1947: 47)。 この主張を裏付けるために、著者は1939年以後のアメリカ軍の兵站がどのように指導されていたかを動員という観点から検討しています。 ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ軍の勢力は最初21万名でしたが、9月には22万7000名に増勢されます。当初の計画によれば1941年10月1日までに100万名、1942年4月までに400万名に増勢するつもりでした。 この戦力を整備するために必要な費用はおよそ73億ドルと見積もられましたが、予算の総額はルーズベルト大統領の要求によって30%程度ほど削減されてしまいます(Sykes 1947: 48)。 この予算削減の決定から間もなくして、武器や装備を生産する防衛産業の能...

東アジア地域での安全保障環境の現状

実際、東アジア地域の安全保障環境が厳しさを増しているのでしょうか。日本の安全保障の現状としてどのような情勢判断を下すことができるのでしょうか。 今回は、いくつかの報告書や先行研究から、こうした論点に関する部分を紹介したいと思います。 まず東アジア地域に権益を持つ主要な国家の勢力は次の通りです。 アメリカ 陸上勢力59万名、海上勢力613.9万トン(1030隻)、航空勢力3498機 中国 陸上勢力160万名、海上勢力142.3万トン(892隻)、航空勢力2582機 ロシア 陸上勢力29万名、海上勢力207万トン(976隻)、航空勢力1555機 日本 陸上勢力14万名、海上勢力45.3万トン(139隻)、航空勢力420機 (防衛省2014: 375) 東アジア地域ではこれら以外にも102万名の陸上勢力を有する北朝鮮、52万名の陸上勢力を有する韓国などがあり、各国が展開する軍事要員を合算した規模だけで評価すれば、世界でも特に高い密度で部隊が展開されていると言えます。 このような地域の特性は東アジア情勢で緊張が緩和されない場合の地政学的な危険を示唆していますが、それと同時に各国が大規模な軍事力で相互に抑止し合うために、戦略的安定性は高いことも意味しています。 ある研究報告で東アジアで武力衝突が発生する公算は少なくとも2030年までは低いレベルとして判断されたことも、各国が保有する軍事力の規模が戦略的安定性を促進する因果関係が認められているためです(Swaine et al. 2013)。 もし中国が領土や勢力圏の拡張を企図するとしても確実な勝利が得られるだけの局地的な軍事的優勢を準備することが必要です。現状の勢力関係で中国がそれだけの水準に達しているとは言えません。 したがって、東アジア地域で直ちに武力紛争の危険を考慮する必要はそれほど高くないと考えられます。 しかしながら、東アジア地域で緊張がやや高まる傾向性があることは確かです。 最近の防衛研究所の報告書では安全保障のジレンマが顕在化していることや、北朝鮮での政権交代、中国の勢力拡大と民族主義の高揚などが危険な要因として指摘されています(防衛省防衛研究所2014: 26-29)。 中国の台頭以上に重大な影響を及ぼす可能性がある要因として考えられるのが、東アジア地域における...

文献紹介 不足する弾薬と工廠の役割

兵站において補給を優先しなければならない最も基本的な物資が三つあります。それは、糧食、燃料、そして弾薬です。 戦場において軍事力を発揮するためには、大量に消費される弾薬を適切に補給することが兵站の最も重要な仕事の一部と言えます。 今回はこうした関心から、第一次世界大戦のアメリカにおける弾薬の供給についての著作を紹介したいと思います。 文献情報 Crowell, B. 1919. America's Munitions, 1917-1918 , Washington, DC: U.S. Government Printing Office. 第一次世界大戦では火力戦闘の重要性が高まったため、戦場での弾薬の消費が飛躍的に増加した事情があります。 そのためアメリカでも工廠(軍隊内部の軍需工場)で大規模な弾薬の増産に乗り出さなければならなくなりました。 ワシントンDCに建設された工廠の写真。 事実関係を確認しておくと、アメリカが第一次世界大戦に参戦するのは1917年4月からのことです。 この参戦によってアメリカは第一次世界大戦でのドイツの敗北を決定的なものにしたと研究では一般に言われています。 しかし、この報告書で指摘されているのは、アメリカが兵站の側面で数々の問題を抱えており、特に弾薬の補給に関しては他の連合国に大きく依存していたことです。 あまり知られていないことだと思いますが、報告書によるとアメリカの防衛産業で砲兵の弾薬の増産が本格的に開始されたのは、1918年の夏以降になってからでした。 つまり1917年4月に参戦を決定したことを考慮すれば、弾薬の増産への移行に1年以上の時間を費やさなければならなかったことが分かります。 1914年からドイツと戦っていたフランスやイギリスの産業が供給する一か月あたりの弾薬量と比べると、1918年10月上旬の段階でさえその供給力は半分程度だったことが指摘されています(Ibid: 33)。 したがって、1918年11月に戦争が終結することを考えればアメリカが弾薬の補給に関して連合国の供給に依存していた関係が分かります。 この資料の下の図によると1917年4月1日から1918年11月11日までにイギリスが生産した弾薬を基準にすると、フランスの供給した薬莢が固定された弾薬(完...