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2017年10月1日日曜日

文献紹介 どれだけ健康なら兵役適格なのか―第二次世界大戦と米陸軍の採用基準―

軍事行政においては徴兵制、志願制いずれの場合であっても、兵役適格者を識別するために採用基準(accession standard)を設定します。

20世紀、多くの国家の軍事行政では徴兵制の施行に伴って採用基準の検討が始められ、健康、体力、知能の検査に面接調査を組み合わせて実施されてきました。

今回は、第二次世界大戦当時の米陸軍でどのような採用基準が採用されていたのかを検討した研究を紹介してみたいと思います。

文献情報
Anderson, R. S., and C. M. Wiltse, eds. 1967. Physical Standards in World War II, Washington, D.C.: U.S. Army Medical Department.
(外部リンク)https://collections.nlm.nih.gov/catalog/nlm:nlmuid-0126710-bk

採用基準をめぐる歴史的背景
もともと米国では18世紀の独立戦争の時代から体力に関する採用基準を設定する必要があることは知られていました。
特に19世紀の南北戦争では健康面で兵役不適な兵士が各部隊で続出したことが深刻な問題となっており、統一的な採用基準を設定しなければならないことが議論されたこともあります。

しかし、常備軍に対する反発が根強い米国では採用基準に関する議論がなかなか進まず、20世紀に入って以降も採用基準の問題は軍で十分に研究されていませんでした。
こうした状況が変わり、米国で採用基準の検討が本格的に始まったのは、第一次世界大戦が終わった後になります。

著者らは1923年5月29日に制定された陸軍規則「合衆国陸軍、州兵および予備役への入隊のための身体検査基準」(AR 40-105)を制定して以降、採用基準の内容が次第に見直されていったことを紹介しています(Ibid.: 2)。

米陸軍でこの取り組みを推進していたのは主に軍医であり、特に軍医総監室の貢献が重要だったと指摘しています。
彼らは第一次世界大戦の経験を踏まえ、医学的見地に基づく検査方法を導入し、兵役不適格者と兵役適格者を選別する客観的指標を確立しようと研究を始めました。

しかし、採用基準によって兵役不適格者を軍隊から排除する努力は、第二次世界大戦でさまざまな障害に直面し、論争を引き起こすことになります。

「糧食を食べる歯があれば、兵役適格と認める」
米国が第二次世界大戦に参戦する前年の1940年の段階で、米陸軍は全国民を動員する体制を整えておく必要を認識し、徴兵検査の準備も進めていました。

ところが、軍医総監室が策定していた採用基準を実際に運用してみると、戦時の総動員に支障を来すことが次第に明らかになってきます。要するに、採用基準が厳しすぎて、部隊に欠員が生じてしまうということです。

その要因の一つが歯科に関する採用基準に関するものでした。徴兵検査の段階になって、多数の徴兵対象者が軍医の策定した基準を合格できるほどの歯を持っていなかったのです。そこで直ちに米陸軍はこの基準を見直すことにしました。
「戦争が勃発し、総動員が開始された際に、歯の基準は劇的に引き下げられた。暫定的な措置の下で、1942年2月には、深刻な感染症を持っておらず、『戦闘糧食を喫食するために十分な歯(人工の歯も含む)があるならば、』徴兵登録者は歯科的に兵役適格者であると宣言された」(Ibid.: 23)
治療を受けることができない戦場で長期にわたり活動することになる兵士にとって、十分な数の歯がないことは決して小さな問題ではありませんでした。しかし、このままでは動員計画に後れを生じさせる恐れもあったため、妥協が図られたのです。

しかし、歯に関する採用基準は1942年にさらに引き下げられる事態になり、10月にほとんど基準としては抹消されるまでに至っています。それだけ当時の若者の歯科保健に問題が多かったということが示されています。

こうした問題は歯科だけで終わりませんでした。米陸軍は所要の兵力を確保するためにどの程度の精神障害を許容すべきかという面でも検討を余儀なくされています。

「精神疾患も程度によっては、兵役適格と認める」
軍医総監室が策定した採用基準で次に問題となったのは、精神科に関する基準でした。
動員の前に行われた研究では、家庭から分離され、プライバシーがない場所で生活し、劣悪な環境と慢性的な飢餓、そして強い疲労感と身体的負傷に耐えるためには、精神的、人格的異常のある人間については、兵役適格者から排除する必要があると考えられていました。

一見するともっともに見えますが、こうした採用基準はやはり実際に徴兵の検査が始まると予想以上に多くの兵役不適格者を出すことが分かってきました。
著者らは「特定の例外はあったが、精神的、人格的障害のための基準は、陸軍規則において確立されたいかなる基準で最も抜本的かつ継続的な修正を受けたものである」と述べています(Ibid.: 37)。
それほどの譲歩を求められるほど、精神的な問題を抱える徴兵対象者は多かったのです。

統計的調査を調べると、米国が参戦して動員が開始されてから戦争が終わるまで、徴兵検査を受けた米国市民の中で10%を超える人々が精神異常、人格異常に関する採用基準を合格できず、その合計は199万2950名を数え、その数は兵役不適格者全体の30%以上を占めていました(Ibid.)。

結局、米陸軍は所要兵力の確保のため、1942年3月の改訂でこの採用基準は大幅に緩和することを認めます。1943年に強迫性障害(自分の意志に反して不合理な行動を繰り返してしまう精神障害の一種)が採用基準から除外されたことも、こうした経緯で行われています。

むすびにかえて
著者らの調査によると、米国が第二次世界大戦に参戦する前年の1940年の時点で米軍にはおよそ102万4789名の軍人がおり、51万9805名が陸軍に所属していました(Ibid.: 15)。
しかし、参戦する1941年12月になると米軍の規模は229万6086名にまで拡大され、1942年11月に677万3809名に達し、陸軍の規模も493万2496名に膨らんでいます(Ibid.)。

数字だけ読むと驚異的な大規模動員ですが、これを実現するために米陸軍で採用基準に関する大きな譲歩が繰り返されていたことが研究から分かります。
健康状態に問題がある兵士を軍隊に多数抱え込んでしまうと、戦闘効率に悪影響を及ぼす危険があるだけでなく、衛生管理上の負担を増大させることにも繋がります。
当時の米陸軍の措置の功罪については防衛行政、特に人的資源管理の観点からよく検討しておくべきでしょう。

残念ながら日本語で書かれた軍事学の文献で採用基準の問題を取り扱ったものを見つけることはできませんが、英語だと今でもさまざまな文献が発表されています。
最近の傾向として、国民の基礎体力の低下や肥満化の傾向を踏まえた採用基準の設定がよく議論されていると思います。日本でも今後ますます参考になる議論だと思います。

ちなみに、第二次世界大戦より前の採用基準の歴史を調べたい場合は、軍事医学の分野で定評がある教科書シリーズのMilitary Preventive Medicine, Mobilization And Deploymentの第1巻第7章に掲載されている論文「Evolution of Military Recruit: Accession Standard」に当たることを推奨します。

KT