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2018年8月1日水曜日

論文紹介 イギリス海軍が見た日本海軍の航空攻撃―1941年の衝撃から1943年の分析まで

マレー沖海戦で日本海軍の航空攻撃を受けるイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(左前方)とレパルス(左後方)。いずれも撃沈されており、イギリス海軍のアジアにおける軍事的プレゼンスは低下した。
1941年12月に日本海軍が南方へと進出しようとしたとき、それを最初に阻んだのはイギリス海軍でした。
当時、イギリス海軍はシンガポールに基地を置き、南シナ海にも軍事的プレゼンスを確保していましたが、日本海軍の航空攻撃によって壊滅的被害を受けてしまいました。

この出来事はイギリス海軍において大きな衝撃をもって受け止められ、日本海軍の航空攻撃の威力についてさまざまな調査が行われるきっかけともなりました。

今回は、第二次世界大戦においてイギリス海軍が日本海軍の戦術をどのように評価していたのかを調査した研究を参照し、特に航空攻撃に関する部分を中心に内容を紹介したいと思います。

衝撃的だった日本の航空戦術の威力

沈没しつつある戦艦プリンス・オブ・ウェールズから救助のため駆けつけた駆逐艦に移乗しようとする水兵。
1941年12月10日、日本海軍の航空攻撃でイギリス海軍はシンガポールを基地としていたプリンス・オブ・ウェールズとレパルスという主力艦をほとんど同時に失いました。
これら主力艦の喪失は極東におけるイギリス海軍のプレゼンスを大幅に低下させることになりましたが、これはイギリス海軍にとって完全に予想外の事態でした。

著者はこれが「日本の脅威の重大性に対する判断ミス」だったことを率直に指摘しています(252頁)。

実際、イギリス海軍は日本海軍の能力を相当過小に評価しており、高性能な航空機を製造する能力がない、優秀な搭乗員を育成できない、などの見方がありました。しかし、1941年の敗北でこうした見解はイギリス海軍から一掃されました(同上、253頁)。

しかし、その後も戦局の悪化は続き、シンガポールの陥落後にイギリス海軍がセイロンに新たに配置した東洋艦隊も、1942年4月に南雲忠一が率いる艦隊がインド洋に進出することを食い止めることができず、多大な損害を出してしまいます(同上)。
「その損害にはコロンボとツリンゴマリの空爆、重巡ドーセッシャーとコーンウォール、軽空母ハーメス、合計23隻の商船の沈没が含まれていた。艦載機によって多くの損失がもたらされ、日本海軍の搭乗員の技量と航空機の性能による航空戦力の強大さに、現場にいた英国海軍の指揮官は圧倒された」(同上)
このような戦闘の経過の中でイギリス海軍では日本海軍の航空戦術に関する調査が始まりました。
当初は日本海軍の航空攻撃の精度や効率に衝撃を受けた者が多かったこともあり、調査結果もそれに引きずられたものが自然と多かったようです。

敵の弱点に気付き始めたイギリス

南太平洋海戦で日本海軍の航空攻撃を受けているアメリカ海軍の空母ホーネット。当時、この艦に搭乗していたイギリス海軍の士官は、日本の航空機の脆弱性に関する重要な報告をイギリス海軍にもたらしている。
1942年にインド洋で劣勢に立たされたイギリス人は、日本海軍の航空攻撃の正確さや威力に驚き、まずその原因は装備の性能にあるのではないかと考えたようです。
当時の東洋艦隊司令官のサマヴィルは英日両軍の装備の格差があまりにも大きく、互角に戦うことが難しいとの判断を下したことは、その表れでした(同上)。

しかし、現場からの証言が集まってくると、装備以外にも搭乗員の技量が素晴らしいことも分かってきました。
航空攻撃で撃沈されたドーセッシャーの艦長は、対空防御を突破した日本海軍の航空攻撃に関して「日本の急降下爆撃機が太陽を背にして襲撃したため、対空砲火による防御を困難にし、さらに対空防御の盲点である直上から」降下してきたと報告しました(同上、253-4頁)。

イギリス海軍ではこうした証言を踏まえて、日本海軍の航空戦術の優位性がどのような要因によるものなのか分析されましたが、次第に装備の優位性については疑問が出されるようになりました。
当初、日本の急降下爆撃機は特別に急角度で降下可能であり、攻撃に使用する爆弾も高性能などと指摘されていたのですが、これらの認識は事実ではなく、実際には搭乗員の練度の高さに相当程度依存した戦術だと分かってきました(同上、254頁)。

また、アメリカ海軍が太平洋において活動を活発化させると、イギリス海軍はオブザーバーとしてアメリカの軍艦に士官を派遣し、日本海軍に関する報告を行わせるなど、情報収集の体制を強化しました(同上)。
海軍大尉ルアードもその一人であり、彼は南太平洋海戦を空母ホーネットで観戦しました。
ホーネットはこの戦闘で沈没してしまいますが、ルアードはこの戦闘で重要な観察を得ました。

それは、日本の航空機も迎撃機や対空砲火で十分に阻止できるということであり、また「日本機は非常に軽く脆弱で、機体にマグネシウムが大量に含まれ、装甲も施されていないため燃えやすい」と指摘したのです(同上、255頁)。
これは日本海軍が航空機と搭乗員の防御を手薄にしていることをイギリス海軍が認識する上で重要な報告でした。

偏見を乗り越え、敵を理解する

1945年1月にイギリス海軍の空母インディファティガブルから発艦し、日本軍の施設への攻撃に向かう航空隊。イギリス海軍は1944年からインド洋方面にも空母を配置し、対日作戦に投入した。
1941年の壊滅的敗北を受けて、イギリス人は日本海軍の航空攻撃に関する調査研究を進め、1943年末になる頃には当初ほど恐れることはなくなっていました(同上)。

この頃には日本海軍の航空戦術の実態がかなり詳細に把握されるようになり、太平洋方面から入手される情報もあって、日本海軍の航空戦術にも問題があること、特に航空攻撃の成否が優秀な搭乗員の技量に依存する度合いが大きいことが分かってきたためです。

とはいえ、著者は1941年から42年までの日本海軍の快進撃はイギリス海軍にとって予想外だったこと、そしてイギリス海軍の中で蔓延していた日本に対する人種差別的見解が一掃され、客観的な脅威分析が進んだが重要だと論じています(同上、259-60頁)。
「英国海軍は今世紀最初の数十年、主に日本海軍の「人」(彼らの長所と短所、訓練状況、および近代海戦に対する練度)に焦点を絞っていたが、第二次世界大戦中は組織としての装備や戦術をより重視するようになった。また、この変化は誤解に満ちた人種的先入観や、日本人の国民性を愚かに単純化することなど、戦間期に英海軍の日本海軍への客観的な評価を阻んだ要因をも一掃させたようである」(同上、260頁)
確かに、イギリス海軍は日本海軍の実力を不正確に低く見積もっており、戦争の序盤で大きな犠牲を出しました。

とはいえ、いったん調査が始まれば、徹底的な分析が行われ、日本海軍の航空攻撃にも弱点があることを突き止めたのです。

むすびにかえて

この研究成果が持つ意義の一つは、戦争が始まるまで脅威の能力を正しく見積もることが非常に難しいことを歴史的事例で明らかにしていることでしょう。

イギリス海軍は敵の能力を分析する能力を持たなかったわけではありません。戦争が始まってからイギリス海軍が見せた情報分析、組織的学習の速度はむしろ優秀な部類に入るでしょう。

戦前に本来の分析能力が発揮できなかったのは、著者が指摘するように人種的偏見、もっと一般化していえばバイアスによるところが大きかったのだと思います。
イギリス海軍はかつて自分たちの弟子だった日本海軍に負けるはずがなく、自分たちが長年にわたり培ってきた戦術や技術がそう簡単に凌駕されることはないはずだと信じていました。

過去の勝者が未来の敗者に陥る典型的なパターンだったといえるかもしれません。

KT

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参考文献
フィリップ・シャーリエ「日本海軍の戦術と技術に対する英海軍の評価:1941-1945」平間洋一、イアン・ガウ、波多野澄雄編『日英交流史 1600-2000』東京大学出版会、2001年、252-262頁