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2018年6月8日金曜日

学説紹介 なぜ戦間期の米国は対日攻撃を行わなかったのか―スパイクマンの地政学的分析―

戦間期の日米関係を考察した研究は数多くあり、政治的、経済的、社会的、軍事的要因など幅広い要因が示されてきました。

しかし、地理的要因が果たした影響について考察した研究はそれほど多くなく、本格的な地政学的分析が展開された研究はさらに少数です。

今回は、スパイクマンの学説を参照し、地政学の立場から当時の日米関係に対する一つの解釈を紹介したいと思います。

戦争を避けようとしていた米国の対日政策

1933年に米大統領に就任したローズヴェルトは、従来の対日政策を見直して強硬な措置をとったが、それまでのフーヴァー、クールリッジ、ハーディングは対日政策で強硬な措置をとることには慎重な姿勢を維持してきた。スパイクマンの研究では、この背景にフィリピンの防衛問題があったことが指摘されている。
まず、スパイクマンは米国が日本に対して全般的には軍事的に優勢だったにもかかわらず、なかなか自ら進んで対日開戦に踏み切ろうとはしなかったことを問題としています。

第一次世界大戦が終結してから間もなく、米国が東アジアで日本が軍事的に台頭していることに警戒感を強め、さまざまな手段で日本が地域覇権を握ることを阻止しようと動いてきました。

それにもかかわらず、米国は単独で日本と戦争状態に突入することは慎重に回避し続け、1941年に日本が対米攻撃に踏み切るまで戦争を先送りにしたのです。

満州事変の後で日本が中国で戦線を拡大している間も、米国は自国の武力を見せつけるように実動演習や部隊配置を実施しましたが、これらは抑止力としてほとんど機能しませんでした(108頁)。

その代わりに使われていた経済的、外交的圧力も十分ではなく、1940年に国防上必要な物資の輸出を禁止、制限する決定権を大統領に一任するシェパード・メイ法案が可決された例を見ても、実質的な勢力均衡に影響を及ぼすことはあまりありませんでした(同上、109頁)。

初めて米国が実効力のある経済制裁として、国内の日本資産を凍結したのは1941年7月25日に日本軍が南部仏印進駐を受けてからのことであり、これは12月の日米開戦のおよそ4カ月ほど前のことでした(同上)。

こうした一連の経緯を見れば、米国のように国力で優れた国が、なぜ日本に対して、これほど慎重な対応をとっていたのか不可解に思われます。
もっと早い段階で米国が対日攻撃に踏み切っていれば、日本はそもそも大陸においてあれほど勢力を拡大することはできなかったように考えられるためです。

しかし、スパイクマンは空間的要素を考慮すれば、説明がつくと指摘しています。当時の米国は日本に地政学的な弱点を握られており、迂闊に軍事行動をとると、かえって不利になる危険があったのです。

米国の地政学的な弱点だったフィリピン

太平洋におけるフィリピンは米国の統治下にあったものの、それは日本の勢力圏によって孤立した位置にあり、防衛のための兵力も十分ではなかった。そのため、台湾で発起した攻勢に持ち堪える見込みはなく、米軍の戦略において弱点となっていた。
スパイクマンは西太平洋という地域に限定すれば、米国は必ずしも日本に対して軍事的に優勢とはいえず、そのため米国は対日攻撃に踏み切れなかったのだと説明しています。

具体的な弱点として挙げられているのはフィリピンでした。
スパイクマンは「米国が自国の経済力に物をいわせ、日本を関税に締めつけることをためらった理由の一つは、西太平洋における米国の軍事力が脆弱で、日本が報復としてフィリピンを攻撃してくることを恐れたためであった」と述べています(110頁)。

(ちなみに、当時のフィリピンは独立準備のため、マッカーサーを顧問に迎え入れ、軍備拡張を進めようとしましたが、軍事的に不十分な状態でした。その詳細については事例研究 第二次世界大戦におけるフィリピンの敗北―ケソンとマッカーサーの挫折―を参照してください)

つまり、当時のフィリピンはすでに米国の勢力圏から外れ、日本の攻撃をいつ受けてもおかしくない危険な状態だったにもかかわらず、現地の防衛力も不完全だったということです。

当時の米国が太平洋に保持していたハワイの海軍基地を起点にしてみます。
すると、フィリピン諸島まではおよそ9000kmの距離があり、横浜までの6500kmよりもさらに遠くに位置していることになります(同上、148頁)。

フィリピンの防衛は米軍にとって重荷であり、イギリスのような国の支援がなければ、実施不能だとも考えられていたことも説明されています。
「自分たちは日本よりはるかに優れているという確信が、海軍の全船から兵士一人一人に至るまで徹底していたにもかかわらず、フィリピン諸島を防衛することは困難で、米国単独で日本を徹底的に打ちのめすのは不可能に思われた。米政府は地理的現実を正確に認識しており、イギリスの協力が確実に得られない限りは、アジアにおける勢力均衡を保つためにあえて戦争の突入することは得策ではないと考えていた」(同上、110頁)
日本の戦争遂行能力が米国よりもはるかに小さいにもかかわらず、局地的なレベルで米国は日本に劣勢だったことをスパイクマンは別の箇所でもはっきり述べています(同上、111頁)。

むすびにかえて

第一次世界大戦でヨーロッパの列強が相対的に弱体化したことによって、米国はますます国力を高め、政治的な地位を向上させました。

しかし、だからといって米国が全世界で軍事的に優勢だったと誤解すべきではないというのがスパイクマンの指摘であり、米国はいわばフィリピンを日本に人質に取られ、自在に軍事行動がとれる状況ではなかったということになります。

1941年の太平洋では日本と米国が戦いましたが、今では中国が日本に変わって米国に対抗する勢力となっています。

こうした現状を正しく判断する意味でも、当時の軍事情勢を理解することがますます必要になるのではないでしょうか。

KT

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参考文献
Spykman, Nicholas J. 2007(1942). America's Strategy in World Politics: The United States and the Balance of Power. Transaction Publishers.(抄訳、『スパイクマン地政学:世界政治と米国の戦略』渡邉公太訳、芙蓉書房出版、2017年)