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2017年1月24日火曜日

事例研究 第四次中東戦争におけるアンワル・サダトの政策

第四次中東戦争は、政治的観点から考えてみると非常に奇妙な戦争です。

エジプト(およびシリア)はイスラエルに軍事的敗北を喫したはずなのですが、当時の政府は国際社会で高い評価を受け、米国との外交関係の改善にも成功し、しかもその後の外交交渉でイスラエルからシナイ半島を取り戻しているのです。

今回は、第四次中東戦争の概要を紹介した上で、冷戦の研究で世界的に知られる歴史学者ジョン・ギャディス(John L. Gaddis)による考察に沿って、第四次中東戦争におけるエジプトの大統領アンワル・サダト(Muhammad Anwar al-Sādāt 1918-1981)がどのような対外政策をとったのかを説明したいと思います。

第四次中東戦争の概要
中東戦争でイスラエル(青色)と敵対関係にあったアラブ諸国(緑色)の位置関係
この地図ではシナイ半島はまだエジプトの支配下だが、第三次中東戦争でスエズ運河の線までイスラエルに奪われた。
第四次中東戦争は、1973年10月6日から24日にわたって続いたイスラエルとアラブ諸国の戦争です。

エジプトはすでに1967年の第三次中東戦争でイスラエルに敗れており、その結果シナイ半島をイスラエルに奪われてしまいます。

当時、エジプトを指導していた大統領ガマール・ナセル(Gamal Abdel Nasser 1918-1970)は継続的にシナイ半島に配備されたイスラエル軍の部隊に対する砲撃や爆撃を継続的に繰り返していました。

しかし、1970年にナセルが死去すると、ナセル政権での副大統領だったアンワル・サダトが大統領に就任することになります。

政権を掌握したサダトは、ナセルが残したシナイ半島の奪回という課題に取り組みました。

そこで構想された作戦が、シリアとの共同作戦によってイスラエルを南北から奇襲する外線作戦であり、この作戦は1973年10月6日に実行に移されます(松村『世界全戦争史』2494頁)。

この日はユダヤ歴の祭日だったこともあり、イスラエル軍は初動の対応が遅れてしまいました。そのためエジプト軍の先制は大きな戦果を上げることができ、中盤までは優勢に戦いを進めていきました。

しかし、10月9日以降のイスラエルの戦略爆撃の開始で戦局が徐々に変化していきました(同上、2497頁)。

この戦機を捉えて、イスラエル軍は10月18日にはエジプト軍が前線に展開していた多くの地対空ミサイルを撃破し、航空優勢を獲得することができました(同上、2497-8頁)。

この戦果を踏まえて、イスラエル軍はまずはエジプト軍をスエズ運河の西岸にまで押し戻し(同上)、次いで北に主力を転進させてシリア軍をダマスカス付近にまで撃退しました(同上、2500頁)。

エジプトとシリアの攻勢は軍事的に行き詰まり、10月24日には国連の決議を受けて当事者間での停戦が成立することになります。

結果的に見ると、この戦争でエジプトが得た戦果は軍事的に皆無に近かったといえます。イスラエル軍に損害を与えたものの、目標としていた領土の奪回には至りませんでした。

しかし、サダト政権は1979年にはエジプト・イスラエル平和条約を締結し、イスラエルの国家承認と引き換えに、シナイ半島からイスラエル軍を撤退させることに成功しています。

なぜイスラエルはエジプトにシナイ半島を明け渡したのでしょうか。そして、エジプトはこれをどのようにして可能にしたのでしょうか。

エジプトを取り巻く国際情勢の変化
ソ連のブレジネフ(左)と米国のニクソン。
1970年代の米ソ関係がデタントに向かう上で重要な役割を果たした。
当時、エジプトの人口はおよそ4,000万、兵力は90万弱程度でした。これに対してイスラエルの人口は400万に届かない程度であり、兵力は平時には16万、24時間以内に招集可能な人員はおよそ40万程度でした(The Military Balance 1973)。
(ちなみに、第四次中東戦争でエジプトと共にイスラエルと戦ったシリアの人口はおよそ800万、兵力は20万を超えていました)

したがって、エジプトは少なくともイスラエルに対して国力・軍事力の規模で数的優勢を確保できる態勢にあったといえます。

ただし、第三次中東戦争でイスラエル軍の装備と運用の優位をよく認識していたエジプト人にしてみれば、これは決して満足できる優位ではありませんでした。

反対にイスラエルは自国の軍事的能力でエジプトに対して不利な立場に置かれているとは考えておらず、エジプトに対して譲歩する必要性を感じていませんでした。

そこで、エジプトとしては強硬なイスラエルから譲歩を引き出すためには、外国、例えばソ連の援助を頼りにする必要があったのですが、こうした国際情勢は1970年台に変化しました。

サダトが大統領に就任した1970年はちょうど米ソデタントの局面に当たります。それ以前からヨーロッパと北東アジアの米ソの勢力均衡は安定状態にありましたが、それ以外の地域では依然として深刻な利害対立がありました。

1972年の米ソのモスクワ会談では互いの勢力圏を尊重し合うことを狙った取引が行われることになりました。ギャディスは、この合意について次のように説明しています。
「ニクソンとブレジネフは「基本的原則」という共同声明で、両国は一方が「他方の犠牲において一方的な利益を得ようとする動き」は避けるという約束を結んだ。文字どおりに解すれば、それはヨーロッパと北東アジアの超大国関係の特徴となっていた安定を、今や残りのアジア、中東、アフリカ、ラテン・アメリカにまで拡げ、ワシントンとモスクワはこれら世界各所で生じる現状変更の機会を利用しないことを意味したようである」(邦訳、ガディス『冷戦』232頁)
無論、この「基本的原則」は米ソ両国にとって、冷戦の一時的な安定化を狙ったものに過ぎませんでした。

その根拠としてギャディスは、当時交渉に当たったソ連のブレジネフが「社会主義と資本主義の世界観と階級的目的は対立し、和解させられないから、それは予想しておくべきことである」と述べていたこと、そして米国のキッシンジャーも「もちろんそれは法的な契約ではないが、…現実的な進歩が達成されたかどうかを判定する行為の基準を定めており…核戦争の危険を減少させようとする努力は…地球規模の勢力均衡に反対するソ連の圧力を終わらせることと結合すべきである」と述べていたことを紹介しています(同上)。

とはいえ、この1972年のモスクワ会談の合意はエジプトがソ連と手を切り、国際政治で新たな立場をとることを考える大きなきっかけになりました。

そして実際に、エジプトは東側陣営から距離を取り、独自の政策をとるようになっていったのです。

米国を巻き込むための政治的計算
アンワル・サダト(Muhammad Anwar el-Sadat 1918-1981)
エジプト陸軍士官だったが、エジプト革命では自由将校団の一員としてナセルに従い、以後は国務大臣等を歴任。
1972年の「基本的原則」でソ連が米国と協調の姿勢を強めたことが分かると、サダト政権はエジプトにいたソ連の軍事顧問およそ1万5000名を国外に退去させました(同上)。

これは長年にわたるエジプトとソ連の防衛協力関係を一方的に終了させるという意味合いがありました。
「そこでサダトは、それまでの長期にわたったソ連との関係を終わらせ、アメリカと新しい関係を結ぼうとした。アメリカはイスラエルの同盟国として、イスラエルの譲歩を得るのにソ連よりもよい立場にあるようであった」(同上)
つまり、イスラエルを外交的、軍事的に支援している米国がエジプトの立場を考慮するようになれば、それだけエジプトはイスラエルに対して優位な立場に立てるため、ソ連との関係は切り捨てることが得策であるという政治的計算をサダトは行ったのです。

これはエジプトの外交的立場を抜本的に変えるものであったため、大胆な決断として国際社会に受け止められました。

しかし、米国はエジプトの動きにすぐには反応せず、ソ連の影響力が低下した後もエジプトに接近しようとはしませんでした。

サダト政権もこの新たな路線を簡単にあきらめることはせず、さらに大胆な一手を打ち出すを決めました。

その一手が1973年のエジプトによるイスラエルへの侵攻だったとギャディスは論じています。
「彼は1973年10月、スエズ運河を渡る奇襲攻撃を開始して、アメリカの注目を引こうとした。サダトはこの戦争に負けるのを予想しており、巧妙に計算した政治的目的を勝ち取るために戦ったのである。中東におけるソ連の影響力を既に減退させている政治指導者をイスラエルが打ち破るのを、アメリカは放置しておかないだろうという計算であった」(同上、234頁)
要するに、戦争の序盤で一定程度の戦果を上げることができれば、最後は敗戦に終わったとしても、その後のエジプトとイスラエルの外交交渉で米国にエジプトの立場を尊重させることが可能になるとサダトは考えていました。

なぜなら、ソ連の影響力がエジプトに再び及ぶ事態を、米国としては何としても防止しなければならないと考えられたためです。

米国は第四次中東戦争ではイスラエルに対する武器援助を行っているため、軍事的に見ればエジプトの敵に回っていたように見えます。

しかし、ギャディスが指摘する通り、外交的に見れば米国はエジプトに接近していきました。

このことは、ソ連が第四次中東戦争で米ソ共同によるエジプトへの外交的圧力を米国自身が拒否していること、しかもその姿勢をソ連に明確に伝えるために核戦争警報を一時的に発令する措置まで取っていたことから裏付けられます(同上)。

米国としては東側からせっかく距離をとったエジプトが、ソ連の勢力圏に再び組み込まれる事態を避けたいという思惑があり、エジプトに近づく姿勢を取ることを余儀なくされました。

むすびにかえて
ギャディスの説によれば、敗北を覚悟の上でサダトがイスラエルに対する開戦を決断したことは、軍事的な愚かさによるものというよりも、外交的な巧妙さによるものでした。

「ソ連を中東から放り出す好機をちらつかせたのはサダトであり、その餌に喰いついたのはニクソンとキッシンジャーの方であった」ということです(同上、234-5頁)。

米国とエジプトの関係を改善できるなら、イスラエルとの戦争で敗北したとしても、後で外交的立場を強化できるという政治的計算は誰にでもできるものではありません。

サダトは1981年に暗殺されましたが、彼は政治家としてクラウゼヴィッツの「戦争は他の手段をもってする政治の継続」という命題の意味を理解していたといえるでしょう。

最後にイスラエルの立場からこの事例を考えてみましょう。

装備や運用といった質的優位によって有利な軍事バランスを維持していたイスラエルですが、エジプトと米国の関係が接近することで、外交的に難しい立場に置かれることになりました。

エジプトがソ連と通じている間は、米国もエジプトに強硬な態度に出ていたので、イスラエルと歩調を合わせることに支障はありませんでした。

しかし、サダト政権がそうした外交の力学をよく見極め、米国をエジプトの立場に引き寄せてしまったので、イスラエルと米国との間の利害の相違が拡大し、それだけイスラエルはエジプトに対して強硬な態度を取り難くなったのです。

これは同盟国の軍備や外交上の支援を頼りにする国家にとって、重要な教訓を含む事例といえます。

KT

参考文献
Gaddis, John Lewis. 2005. The Cold War: A New History. London: Penguin Books.(邦訳、ガディス『冷戦 その歴史と問題点』河合秀和、鈴木健人訳、彩流社、2007年)
The Military Balance 1973-1974, London: International Institute of Strategic Studies.
松村劭『世界全戦争史』エイチアンドアイ、2010年

2017年1月19日木曜日

戦術家でもあったリデル・ハート

リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970)といえば、間接接近(indirect approach)の概念で知られる著名な戦略家であり、特に機動戦の研究に大きな影響を与えたことで知られています。しかし、彼の研究領域は決して戦略だけに限定されておらず、戦術にまで及んでいました。このことは、初期の研究の内容に特に反映されています。

今回は、歩兵戦術におけるリデル・ハートの研究成果を再検討し、それが持つ意義を現代の観点から考察してみたいと思います。

歩兵戦術の近代化に貢献したリデル・ハート
リデル・ハート(Basil Liddell Hart, 1895-1970)
イギリスの軍事学者、主著に『戦略論』、『抑止か、防衛か』等
もともとリデル・ハートが本格的に軍事学の研究に取り組むきっかけとなったのは、第一次世界大戦を経験したことがあり、その出発点となったのは歩兵戦術の研究でした。リデル・ハートは1914年から1924年(除隊は1927年)までの軍務を通じて歩兵戦術の近代化のために研究努力を重ねたのです。

リデル・ハートは1914年、つまり第一次世界大戦が勃発した年に陸軍に入隊します。西部戦線に送られたのは勃発から少し時間が経った1915年9月のことでしたが、その後のソンムの戦いで負傷してしまいました。しばらく病院で治療した後に義勇兵の訓練に従事しています。
リデル・ハートが最初に刊行した著作が1918年の『義勇兵部隊のための新歩兵訓練要綱(Outline of the New Infantry Training, Adopted to the Use of the Volunteer Force)』であったのは、この時の経験があったためです。この著作はすぐに『歩兵訓練の新手法(New Methods in Infantry Training)』として再刊されています(Liddell Hart 1918)。

この著作は短い著作であり、また学術文献というよりも教育資料としての性格が強かったのですが、戦術の観点から見て一つの新しい思想が盛り込まれていました。それは歩兵部隊の戦闘行動の基本単位を分隊とすべきだ、という考え方でした。

この考え方は1919年に発表された論文「戦闘部隊の将来的発展に関する提言」でさらに詳細に発展されています(Liddell Hart 1919)。この論文の意義として注目すべきは、将来の戦争では分隊の戦術能力を向上させる必要がますます高まるであろうと予測されている点です。リデル・ハートは従来の歩兵戦闘に関する戦術を基礎から再検討することが重要であるという立場から、近代的な歩兵戦術の研究に取り組んでいました。

機械化歩兵の着想
1921年に刊行された『歩兵戦術の科学のための枠組み(The Framework of a Science of Infantry Tactics)』は、従来の研究をさらに発展させたものであり、より詳細に分隊戦術の問題が検討されていました。この著作は当時の研究者、専門家の間で好評を得たため、何度か再版されており、1926年には改訂版が出されています(Liddell Hart 1926)。

リデル・ハートの歩兵戦術において何よりも強調されていたのは、機動力の重要性でした。近代戦に対応するためには、歩兵であっても従来のような脚力に依存した機動力では限界があり、車両による機動力を付与しなければならないと考えていたのです。
ちょうど同時期に、戦車の戦術的な価値に研究者の注目が集まり始めていました。リデル・ハートはこうした戦車の運用も参考にしつつ、歩兵部隊を機動的に運用するためには、装甲車両と歩兵部隊を組み合わせることが重要であると考え、装甲車両で移動しつつも、敵との交戦になれば速やかに下車戦闘に移るという機械化歩兵(mechanized infantry)の構想にたどり着いたのです。(ただし、当時の彼自身の表現は一つに定まっておらず、戦車海兵(tank marine)や機械化された「乗馬歩兵」(mechanize mounted infantry)といった用語が使われていました)

現在、各国で機械化歩兵師団の編制が実際に採用されていることを踏まえれば、このような着想は概念の段階に過ぎないとはいえ、歩兵戦術のあり方を根本から変える可能性を持った研究であったと評価することができるでしょう。

むすびにかえて
民間の身分になったリデル・ハートは軍事評論家として研究を続けることになりましたが、その焦点は戦術から戦略へと次第に変化していきました。
しかし、だからといってリデル・ハートが戦術上の問題に関心を失ったというわけではありません。例えば、1960年に出された『抑止か、防衛か(Deterrent or Defense)』という著作の一部では、機甲戦闘に関する分析や、夜間戦闘の意義の増大について戦術的に考察しています(Liddell Hart 1960: Ch. 17, 18, 19)。

将来の戦争の様相について考察するためには、その戦争でどのような戦闘が起こりうるのかを考察することが非常に重要です。そのためには戦略だけでなく、戦術についてもバランスよく基本的な知識を持っていることが求められます。リデル・ハートは軍事学の幅広い分野で業績を残しましたが、それだけの業績を残すことができたのは、やはり地道な戦術の研究に取り組んでいたことによるところが大きかったのではないかと私は思います。

KT

関連記事
変化する戦闘様相と諸兵科連合大隊の必要
論文紹介 未来の戦場では歩兵分隊が重要となる

参考文献
Liddell Hart, B. H. 1918. New Methods in Infantry Training. Cambridge: Cambridge University Press.
Liddell Hart, B. H. 1919. "Suggestions on the Future Development of the Combat Unit: The Tank as a Weapon of Infantry." RUSI Journal, Vol. 64, pp. 660–666.
Liddell Hart, B. H. 1926. A Science of Infantry Tactics Simplified. London: William Clowes & Sons.
Liddell Hart, B. H. 1960. Deterrent or Defense: A Frech Look at the West's Military Position. New York: Frederick A. Praeger.

2017年1月14日土曜日

論文紹介 米ソ冷戦で日本の防衛力が重要だった理由

東西冷戦が核戦争に至らないまま終結した理由の一つに、日本の防衛力が関係していたという議論は、突拍子がないように思われるかもしれません。

日本は核保有国ではなく、また通常戦力でもソ連に比べれば極めてその規模は限定されていました。しかし、問題は日本の防衛力の質や量ではありません。

日本の防衛力は、それが占める地理上の位置によって大きな役割を果たしていたという説が論じられています。

今回は、冷戦末期の時期に、東西両陣営の勢力関係を通常抑止の観点から考察した研究論文を取り上げ、特に日本の防衛力が米国をはじめとする西側陣営の対ソ戦略で重要な役割を担っていたのかを考察した部分を中心に紹介したいと思います。

文献情報
鈴木祐二「東西間の通常抑止」佐藤誠三郎編『東西関係の戦略論的分析』第2章、日本国際問題研究所、1990年、138-175頁

西側から見た東アジアの戦略的重要性
1980年代までにソ連陣営(赤色)に近かった中国(黄色)が外交を見直し、米国陣営(青色)に接近したことで、大きな構造的転換を遂げることになった。これにより極東ソ連は大規模な地上部隊を持つ中国に対抗する必要が出てきた。
日本の防衛力はあくまでも日本の防衛のためであり、西側の防衛に対して寄与するものではなく、また関係もなかったという見方を著者は否定しています。

著者の見解によれば、日本の防衛力は米国を中心とする西側の対ソ世界戦略の一部を構成しており、特に「アジアの翼側」をカバーする意味合いがありました。
「米国の『軍事態勢報告』1984年度版は東アジア地域について、「グローバルな軍事戦略の面では、NATOに対するソ連の攻撃を抑止する重要な役割を果たしている。それは、NATOへの攻撃に先立ち、ソ連の作戦計画担当者はまずアジアでの翼側を安全にしておく必要があるからだ」と述べている。したがって、米国を中心とする西側がこの地域で軍事力バランスを有利な状態に保ち、効果的な軍事作戦を遂行できるような態勢をとっておくことは、すなわちソ連にとっての「アジアの翼側」の安全を確実にさせないことであり、グローバルな対ソ抑止戦略のなかできわめて重要な位置を持つのである」(鈴木、168頁)
このような議論は以前の記事で紹介した論文(論文紹介 ソ連から見た東アジアの新冷戦)でも述べられていました。

これは要するに米国は東アジアで西側に味方する諸国との協力を強化し、また相応の兵力を配備しておけば、それだけソ連はヨーロッパとアジア(特に東アジア)で二正面作戦の立場に追い込まれるという考え方です。

ソ連の戦略で重視されているのはあくまでもヨーロッパ正面でしたが、「アジアの翼側」を掩護するための部隊をシベリアなどに配備することになれば、それだけヨーロッパ正面に兵力を集中させにくくなると期待されるのです。

日本はこのアジアの翼側に位置する米国の同盟国の一つでした。

著者はさらに日本と直接関係があるオホーツク海が米ソ両国の主戦場となる恐れがあったことを次のように説明しています。
「このこととの関連でソ連の兵力配備状況をみると、日本の北方にあるオホーツク海やカムチャツカ半島沖などに、米本土への直接核攻撃が可能なSSBN/SLBM戦力が配備され、主要水上艦艇や攻撃型潜水艦および沿岸基地航空戦力の増強・近代化などによって1970年代後半から着々と海洋要塞化が図られているという事実に注目する必要がある。このSSBN/SLBMとというのは、その戦力を全面的に発揮する核戦争の段階では核報復第二撃用戦力として最終的な決戦戦力となるし、そこに至らない通常戦段階でも、戦局全般の推移や核バランスの面から終結交渉時の条件を自らに有利にするために、重要な役割を果たす戦力になるものと考えられる」(同上)
デタントの時期を利用してソ連が弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN)と潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の増強を続けていたことは(事例研究 デタントの裏側で進んでいたソ連の軍備増強)でも紹介しましたが、とにかく当時の米国にとってSLBMは大きな脅威の一つと認識されていました。

地上配備型に比べて、所在を把握することが難しかったためです。そこでこれを撃破するためには、米海軍が主体となって積極的に対潜作戦を行う他になく、そのためにはオホーツク海にまで進出しなければなりませんでした(同上、169頁)。

この点について著者は「日本近海のオホーツク海においてソ連SSBN/SLBM戦力を無力化することによって、米本土をソ連SLBMの攻撃から守るということは、とりもなおさず米国自身の対ソ基本抑止にかかわらう死活的な問題となるためである」と述べています(同上)。

ソ連が劣勢に立たされていた東アジア正面
1980年代の極東ソ連は東アジア正面で中国、日本、米国(アラスカ)の三カ国に取り囲まれる態勢にあり、この正面におけるソ連軍の脆弱性はヨーロッパ正面におけるソ連軍の優勢を相殺する恐れがあった。
こうした西側の立場から東側の立場に目を移すと、東アジア正面がソ連の弱点であったと考えることができます。

ウラル山脈の東側に広がるシベリア平原は縦深こそ大きいのですが、国境が長大であるため、地理的環境として守りにくい地域でもあります。

著者は、ソ連の立場からすると東アジア正面は米国、日本、中国によって戦略的に包囲されている状態であり、しかもヨーロッパのような緩衝地帯を設定することもできないとして、その劣勢を指摘しています。
「以上みてきたことからも明らかなように、この地域の西側の通常抑止の対象となる極東ソ連軍が展開している極東シベリア地域というのは、ウラル山脈以西のソ連の中核地帯から遠く離れている上に、陸上国境ではモンゴルという緩衝地帯を除いて、核戦力を含む量的に膨大な軍事力を擁する中国と隣接し、さらに海を介しているとはいえ日本と米国にも隣接している。そのためソ連は、日米中と言う三国に対してソ連本土を露出し、かつ三方向から包囲される形となっている。したがって、ソ連はこの地域では、欧州正面における東欧諸国のような同盟国へのソ連軍の前方展開といった態勢をとる余地がほとんどなく、逆に陸上国境や海面に面してソ連本土を露出しているぶんだけ、相手の通常戦力による直接攻撃をより受けやすい状態となっているのである。つまりこの地域では、ソ連は欧州正面と比較して相対的に不利な立場にあるといえる」(同上、169-70)
この東アジアの状況を打破する戦略として考えられるのは、ソ連の防衛線を国境よりも前方に推進するというものです。

しかし、これを実施するためにはウラジオストクを拠点とする艦隊が太平洋に展開できなければなりません。

ここで障害となるのが日本列島であり、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡という三海峡を確保しなければなりません。

しかし、いずれも有事になれば海上自衛隊、航空自衛隊によって封鎖されると考えられるため、この戦略に実効性を持たせるためには第一撃で自衛隊(さらにこれを支援する在日米軍)を無力化できるだけの兵力を極東に配備しなければなりません(同上、170頁)。

ヨーロッパでの作戦も準備しなければならないソ連にとって、このことは大きな負担となります。
「日本が西側同盟の一員として積極的に貢献するか否かということは、この地域での対ソ通常抑止を考えるうえでとくに重要な意味をもつ。そしてグローバルな規模で西側の通常抑止が効果的に達成されるかどうかも、東アジア・北西大西洋地域における米国の最大の同盟国としての日本がどのような貢献をなすかにかかっているといっても、あるいは過言ではないかもしれない」(同上、171頁)
つまり、ソ連は日本を攻略できなければ、日米中の被包囲状態を打破することができず、その状態が打破できなければヨーロッパにおいて大規模な攻勢に出ることもできないため、結果として日本はソ連による戦争の遂行を抑止する上で重要な役割を果たしているということになるのです。

「アジアの翼側」を守る日本の課題

著者は冷戦構造で日本が「アジアの翼側」の一端として重要な役割を果たしていることを踏まえ、自衛隊の課題として残存性の向上を重視していました。

対日侵攻を企図するとすれば、ソ連軍は必然的に(ヨーロッパでの作戦に支障を来さないよう)短期決戦に持ち込む必要があります。

もし自衛隊が抗湛性を高め、ソ連軍の第一撃をもってしても作戦遂行が不可能にならないとすれば、それだけでもソ連軍にとって対日攻撃の難しさは大きく増すことになり、結果として抑止の効果が期待できると考えられています。
「日本とソ連の間は海を介しているために、極東ソ連軍は日本に対して圧倒的に優勢な地上軍の機動力をいっせいに発揮するような電撃侵攻作戦は行えない。この点を考えると、日本がソ連の航空機やミサイルなどの経空手段を用いた先制奇襲攻撃に効果的に対処することによって、攻撃を受けた後もその防衛力(通常戦力)を残存させるならば、前方対処、洋上撃破によりソ連の着上陸侵攻を拒否するとともに、三海峡の通峡阻止などによってソ連SSBN/SLBM戦力の安全確保を行いにくくする可能性も高まる。なおかつ日本の防衛力が米国との共同作戦によって有効な対ソ攻勢作戦を遂行しうるほどに強力なものであるならば、実際に対ソ攻勢作戦を行うか否かは別として、日本は有利な地勢条件と米国との防衛協力関係を背景に、グローバルな規模での通常抑止の強化・安定化のために寄与することも可能となる」(同上、171頁)
さらに、この記述で著者が述べているのは日米共同作戦において対ソ攻撃を実施できる態勢を整えておくことですが、これは先ほど述べた米国のオホーツク海への進出を支援することが念頭に置かれています。

オホーツク海に米軍の海上部隊が展開し、そこで対潜作戦を遂行できるとなると、東アジアの戦況によってはソ連軍の弾道ミサイル搭載潜水艦に大きな損害が出ることが予想されます。こうした米軍の攻勢作戦を促進するためにも、自衛隊が第一撃を受けても残存し、基地機能を確保することが重要な課題であると考えられるのです。

むすびにかえて
以上の考察から分かるのは、日本が他国の戦略の成否に重大な影響を及ぼすほどの重要な位置を占める国であることを自覚すべきということでしょう。

この論文で述べられている日本の防衛上の役割は、過大に評価されていないとは言い切れません。

しかし、東アジア情勢においてソ連が確保しようとするシーレーンに対し、日本がこれを封鎖できる特異な地理的位置関係にあり、これによってヨーロッパ正面におけるソ連の戦略が大きな制約を受ける危険があったことは確かです。

普段の何気ない生活で、自分が住んでいる地域が軍事的にどれほど価値があるのかを認識する機会などほとんどありません。そのために、その価値に最初から気が付かない人や、その価値を過小に評価してしまう人も少なくありません。

しかし、そうした戦略的価値は国家の政策を立案し、また戦争の指導に当たる人々にとっては大きな意味を持っており、常に念頭に置かれているということを理解しておくべきではないでしょうか。

KT

参考資料
写真:陸上自衛隊第2師団HP・写真馬鹿(http://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/bakatop/syasinnbaka/top1.html)

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事例研究 1986年の日米共同統合演習で見えた課題

2017年1月9日月曜日

論文紹介 アメリカ軍を蝕む士官の知的水準の低下

軍隊の基礎は人であるとよく言われます。しかし、優れた人材を獲得し、これを適切に教育し、高い能力水準を維持することは容易なことではありません。世界で最高水準の戦闘能力を誇ると言われているアメリカ軍であっても、こうした問題に近年悩まされています。

今回は、アメリカ軍において人的戦闘力の劣化が知的水準の低下という形で進んでいることを指摘し、教育や人事のあり方を改革すべきであると主張した論文を紹介したいと思います。

論文情報
Matthew F. Cancian. 2016. "Officers Are Less Intelligent: What Does It Mean?" Joint Force Quarterly, Vol 81, No. 2, pp. 54-61.

アメリカ軍の士官の知的水準の実態

著者の主張によれば、アメリカ軍に入隊してくる士官候補生の平均的な知的水準は近年ますます低下する傾向にあり、将来的に高級士官として勤務できる人材が不足する可能性が出てきています。
さまざまな根拠が示されていますが、例えば第二次世界大戦に海兵隊が士官候補生に要求した学力水準を現在に適用すると、現在の多くの海兵隊士官がこれを満たすことができないことが指摘されています。
「アメリカ軍は、21世紀の戦いの複雑性に必要とされる指導者を獲得することができていない。この問題は「将来の兵力(Force for the Future)」計画において中心的な役割を果たしたが、現在はそれを裏付ける確固とした証拠がいくつかある。情報公開法の申請に基づいて得られたデータによれば、1980年以来、海兵隊の新しい士官の知能は着実に低下している。2014年に任官した新たな士官の3分の2の学力水準は、1980年の分類で下から3分の1に当たる。2014年の新しい士官の41%は、第二次世界大戦に設定された基準で士官になる資格がなかった。同様に、その人員配置の最終段階において、究極的には高級士官になるであろう極めて理性的な士官が少なくなっているのである」(Cancian 2016: 54-5)
ちなみに、海兵隊だけでなく陸軍でも同様の傾向が生じており、陸軍士官候補生に対する調査では、1990年代後半以降になって学力の低下が進行し始めていることが確認されています。

GCTによる知能検査とその結果の検討
青線が1980年、赤線が2014年に入隊した士官の一般分類検査(GCT)での点数
1980年の成績と比較すると2014年の成績は全体として低下していることが確認できる
(Ibid.: 57)
著者はこの問題をより詳細に検討するために、海兵隊でこれまでにも継続的に実施されており、かつ知能検査として一貫した判断基準が採用されている一般分類検査(General Classification Testm GCT)の結果に注目しています。GCTはかなり長期間にわたって兵士が持つ知能を定量的に把握することに役立てられており、訓練や戦闘での業績との関係についてもさまざまな方法で分析され、人事管理でも利用されています。

例えば、第二次世界大戦におけるアメリカ軍では入隊希望者に対して知能検査を行っており、基準の点数を取ることができなかった者については、新兵訓練に進む前に準備教育を受けさせるか、それとも入隊させないという措置を講じました(Ibid.: 55)。
知能検査に基づく人事管理は士官にも行われており、例えば大戦中にアメリカ軍では大学を卒業していない者はGCTの得点が110点以上でなければ、士官候補生学校への入校は認めませんでした(Ibid.: 56)。当時の海兵隊士官候補生の大部分がGCTで120点を取っています(Ibid.)。

GCTで評価される知能が兵士としての業績とどのような関係にあるのかという疑問については、すでにいくつかの研究が行われています。著者は海兵隊士官が6カ月にわたって受ける基礎学校(The Basic School, TBS)における武装障害走、教官や同期から見た統率能力、学業を総合した成績と、GCTでの点数は相関係数で0.65と強い相関があるとする研究を紹介しています(Ibid.)。

以上を踏まえた上で、1980年代と2014年の士官の平均的な知的水準の格差を見てみると、やはり以前よりも平均的な成績が低下していることが認められます。GCTの最高点は160点ですが、1980年の士官で155点以上を得点したのは14名であり、2名を除けばこの士官はいずれも佐官にまで昇進しています(Ibid.: 57)。しかし、2014年に155点以上を得点した士官は一人もいません(Ibid.)。このような士官ばかりでは将官クラスの人材を確保しようとしても、見合った能力を持つ士官がいないことになります。

GCTの評価を軽視する立場からは、若い士官に知性など必要ない、必要なのは統率と体力である、という議論も聞かれます。確かに、第一線で部隊の指揮をとる場合には、統率や体力といった要件が重要であるという見解には説得力があります。
しかし、そうだとすれば、兵卒から選抜され、体力と技能に優れた下士官に小隊や中隊、大隊の指揮が認められていないことは極めて不合理なことであり、わざわざ士官を充てることの意味はないということになってしまいます(Ibid.: 57)。

さらに批判を付け加えれば、体力と業績に相関があるという見解は科学的な根拠によって裏付けられたことがないという根本的な問題もあります。著者は、知能の検査で得られた結果と、体力の検査で得られた結果を比較した場合、体力よりも知能の方が高い相関が確認できることを指摘しており、士官の能力の多くは体力よりも知能に依存していると論じています(Ibid.: 57-8)。

知的水準の低下が組織を蝕む危険
著者はアメリカ軍の士官の平均的な知能水準が低下する前に、対策を講じるべきであると主張しています。もしこのままの状況が続けば、いずれアメリカ軍の能力の低下が引き起こされるだけでなく、高度な戦略的意思決定を下せる人材の不足に直面する可能性があると指摘しています。
「士官の知能の低下は二つのレベルでアメリカに危険をもたらす。第一に、短期的には能力が劣る下級士官を増加させ、第二に、長期的にはアメリカが必要とする戦略思想家を生み出さないのである。軍隊の大多数の感情的な反応として、同調者をかき集め、問題の存在を否定することである。しかし、我々は効率的な軍隊を真に必要としており、このような事態が起きることを許すことはできない。改革のための議論は、士官集団の知能の低下の兆候から数多くの重要性を与えられる。これは単なる危機である必要はない。それは機会ともなり得るものであり、我々はこれを完全かつ決定的に活用するものである」(Ibid.: 61)
士官の知的能力の低下は表面的には観察し得ないものです。しかし、静かに軍隊の人的基盤を空洞化させる危険をもたらしています。
この事態を放置し続ければ、アメリカ軍の能力はますます武器や装備の性能への依存を深め、戦略的に妥当な決定を下す能力は低下し、次世代の士官を適切に教育することもままならなくなるかもしれません。今後、こうした問題がどのように解決されるかは、冒頭でも言及した軍隊内部の教育訓練の改革「将来の戦力」計画がどれほど成果を上げるかにかかっているでしょう。

むすびにかえて
この論文に一つ問題があるとすれば、なぜこれほどまでに成績が低下しているのかが詳細に分析されていないことでしょう。この論点については、今後さらに検討する必要があります。

またこの論文は士官の質を高めることが非常に重要であるにもかかわらず、なかなか容易なことではないことも示しています。今後、日本で予測されている少子高齢化が進んでいけば、民間部門と若年労働力の奪い合いが激しくなり、結果として防衛部門に配置される労働力の質が低下しやすくなる可能性もあります。そのような事態が継続すれば、防衛力の人的基盤は空洞化していき、有事において深刻な人材不足に直面するという危険も考えられます。アメリカだけでなく、日本も今のうちから将来発生し得る課題の深刻さを認識し、必要な対策が何かを研究しておくことが重要でしょう。

KT

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2017年1月4日水曜日

軍事学を学びたい人のための文献案内(2)教科書

この記事はシリーズ「軍事学を学びたい人のための文献案内」の第二回です。今回は、前回の記事に引き続き、軍事学を学ぶ際に役立つ教科書について紹介しています。
世界的に見れば軍事学の教科書はこれまでにも数多く書かれているため、読者は自分自身の関心や知識の水準に応じて教科書を選択することができますが、日本国内に限定すると依然として選択肢が多くありません。ここでは入門者を想定した軍事学の教科書として、日本語で読める文献3冊と英語で読める文献2冊をそれぞれ選び出し、合計5冊を紹介することにしました。

防衛大学校・防衛学研究会編『軍事学入門』かや書房、1999年
利点:軍事力とは何か、というテーマを中心に据えた学部生向けの教科書であり、陸海空ごとの特質や、ミサイル、大量破壊兵器、後方支援などの問題にも各章が割り振られており、参考文献のリストも含めて系統的な学習に役立つ
欠点:全般として学習者への教育的配慮が乏しく、要点の整理、図表の解説、用語の定義、演習問題などが欠けているため、独学の場合には参考書や辞典類で知識を補うことが必要な場合が多く、また脚注も少ない

Baylis, John, James J. Wirtz, and Colin S. Gray, eds. Strategy in the Contemporary World: An Introduction to Strategic Studies. Third Edition. Oxford University Press.(邦訳、ジョン・ベイリス、ジェームズ・ウィルツ、コリン・グレイ編、石津朋之監訳『戦略論 現代世界の軍事と戦争』勁草書房、2012年)
利点:特に戦略学の分野では最も有名な教科書の一つであり、ナポレオン、クラウゼヴィッツ、ジョミニの戦略思想から、現代の核戦略やテロリズムの問題に至るまで、戦略を研究する上での重要なテーマについての包括的な解説を読むことができる
欠点:原著は19章で構成されているにもかかわらず、邦訳は第8章までしか翻訳されておらず、しかも結論に当たる最も重要な第19章について一切触れられていない上、原著では各章の末で示されている学習すべき文献の一覧とウェブサイトのリンクが削除され、その代わりに訳者による文献一覧が代わりに付与されている

西村繁樹編著『「戦略」の強化書』芙蓉書房出版、2009年
利点:防衛大学校における戦略学の教材として編纂された教科書であり、孫子やクラウゼヴィッツなどの戦略思想の解説も含まれるが、抽象的な理論の解説というよりも、古代から現代まで具体的な状況で生じる戦略問題に対する解決策を見出す能力を養うことが重視されている
欠点:教材としての性格上、それぞれの戦略思想家の学説が簡略化、単純化されてしまっており、その細かな内容について問題が残るだけでなく、問題として取り扱われている各状況の特質に関する説明やその解決策として紹介されている戦略の解釈に議論の余地が残される

松村劭『戦術と指揮 命令の与え方・集団の動かし方』文藝春秋、1995年
利点:戦術学の基本概念を学べるだけでなく、図上戦術の要領でさまざまな演習問題が出題されており、読者が主体的に答案を作成し、研究することを通じて、戦術的思考を実際に習得することができるようになっている
欠点:内容が学部生レベルよりもやや初歩的であり、また陸上部隊の運用だけを検討しているため、海上部隊や航空部隊の運用については別の文献を参照する必要があるにもかかわらず、文献や論文の一覧が示されていない


Dunnigan, James F. 2003. How to Make War: A Comprehensive Guide to Modern Warfare in the Twenty-First Century. Forth Edition. New York: William Morrow Paperbacks.(邦訳、ジェイムズ・ダニガン『新・戦争のテクノロジー』岡芳輝訳、河出書房新社、1992年)
利点:さまざまな定量的データが紹介されている点が特徴であり、射撃速度や射程、殺傷範囲などの武器の性能から、戦闘における兵士の損耗率や1個師団を維持するために必要な財政的負担などが数字に基づいて解説されている
欠点:オペレーションズ・リサーチや統計的研究の成果を反映した内容になっているが、出典が明らかにされていないため、その根拠を調べることができない。また邦訳は1992年に出されているため、原著の最新版ではない点に注意が必要


Alger, John I. 1985. Definitions and Doctrine of the Military Art: Past and Present. (The West Point Military History Series) New Jersey: Avery Publishing Group.
利点:米陸軍士官候補生のための軍事史の教科書であり、軍事史の流れだけでなく、古代から現代にかけて開発、使用されてきた武器が図解で紹介されているため、装備に関する知識がない学習者にとって有用であり、また戦略・戦術の基本概念に関する解説も充実している
欠点:軍事史の解説でも戦略より戦術に関心が向けられている他、内容が一部古くなっている部分があるため、最新の装備の動向については別の文献に当たる必要があり、また簡略化のために各事項の説明は最小限の分量にまとめられている

Angstrom, Jan., and J. J. Widen. 2015. Contemporary Military Theory: The Dynamics of War. New York: Routledge.
利点:軍事理論の基本概念である戦争、戦略、作戦術、戦いの原則が解説されているだけでなく、陸上、海上、航空、統合作戦に関する解説や文献の紹介も充実しており、さらに結論で述べられている軍事理論の全体的展望も研究の出発点として参考になる
欠点:全体として学部生レベルよりも内容がやや発展的であり、また戦略、作戦の下位に位置付けられる戦術は検討の対象から除外されている点にも注意しなければならない

日本語で書かれた軍事学の教科書の問題は、その圧倒的多数が戦前のものであること、しかもその大半が軍人向けであることです。そのため、内容も戦術、教練、装備、法令などに偏っており、一般教養としての軍事知識の習得にはそぐわない場合がほとんどです。
今後、日本で軍事学の研究に対する関心を高めていくためには、多種多様な教科書が書かれる必要があるでしょうが、研究者の人口規模を考えた場合、この問題は依然として解決が難しいとも思われます。

いずれ、軍事学の研究で役立つ古典、参考書、地図類、ウェブサイトなどの紹介も執筆するかもしれませんが、とりあえずこのシリーズ記事はここで一旦区切り、また読者の皆様の反応次第で検討したいと思います。

KT

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