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2017年12月15日金曜日

学説紹介 19世紀フランスの軍事学者はクラウゼヴィッツを理解したのか

クラウゼヴィッツの研究業績がフランスで広く知られるようになったのは、1880年代以降のことです。
この歴史的背景には、1871年に普仏戦争でフランスがプロイセン(ドイツ)に敗れた経緯がありました。

フランス人はドイツ人の強さの源泉となっている軍事学について詳細に調査研究するようになり、その過程でクラウゼヴィッツを「発見」しました。
しかし、その理解の程度は決して高いものではなく、単純化された解釈がフランス陸軍で一般的になってしまっていたことが指摘されています。

今回は、1880年代から20世紀初頭にかけて、フランス陸軍におけるクラウゼヴィッツ研究の動向を調べたフランスの政治学者レイモン・アロンの研究を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究

カール・フォン・クラウゼヴィッツはプロイセン陸軍軍人、1780年7月1日生まれ、1831年11月16日に死去。
著作『戦争論』は国内外の研究者から注目を集め、プロイセンだけでなくフランスでも研究された。
アロンの調査によれば、クラウゼヴィッツがフランス陸軍でクラウゼヴィッツに関する先駆的な研究に着手したのはリュシアン・カルド少佐とされています(アロン、30頁)。

カルドは1885年に陸軍大学校でクラウゼヴィッツの『戦争論』に関する講演を行っていますが、これは陸大として初めて取り上げられたテーマでした。
その翌年の1886年から87年にかけてド・ヴァトリ中佐によるフランス語訳が出版されると、クラウゼヴィッツはフランスで広く読まれるようになり、影響はさらに広がります。

アロンはこの時期からクラウゼヴィッツが一部の批判を受けながらも、フランス陸軍の首脳部を構成する人々の思想に影響を与えたと指摘しています。
「1885年から1900年にかけてクラウゼヴィッツは、今世紀初頭に参謀本部の計画を作成し、1914年にフランス軍を指導した日墓地との思想形成に貢献した。勿論クラウゼヴィッツ流の思想が広まるにつれて、これに対する反対者も現れた。例えば、H.カモンは、B.H.リデル・ハートのそれに近い論法を用いて、クラウゼヴィッツはナポレオンの方法の本質をつかんでいない、と批判した」(同上、31頁)
ただし、フランス人がクラウゼヴィッツに対する関心を抱き始めたものの、その内容を完全に消化するまでには至らなかったとアロンは述べています。
このことを説明するため、当時のフランス陸軍で影響力があったフォッシュの著作『戦争の原理』を取り上げています。

フォッシュのクラウゼヴィッツ理解

フェルディナン・フォッシュ、フランス陸軍軍人、 1851年10月2日生まれ、1929年3月20日に死去。
軍事学の著作として『戦争の原理』などがあるほか、第一次世界大戦では連合国軍総司令官を務めた。
フォッシュは1900年に行った講演を収録した著作『戦争の原理』を1903年に出版しました。
この著作を読むと、「当時の将校たちがクラウゼヴィッツの包括的な思想を理解することができなくて、彼を戯画化し、しかも、その本質をつかんだと思いこんでいたかが分かる」とアロンは主張しています(同上、31-2頁)。
「彼は、クラウゼヴィッツの定式を取り上げて、「戦争では、戦術的結果だけが利益になる。武器による決着、これだけが有効な判断である。これによってのみ敗者と勝者がきめられるからである」というだけでなく、「最初の行動が、もっとも決定的なものであろう」と考え、また、「火器の改良は、攻撃に、懸命に指揮された襲撃に力を加えるものである。歴史がこれを証明し、水利がこれを解明する」と断ずるのである」(同上、35頁)
アロンに言わせれば、フォッシュは戦術と戦略を明確に区別することもできておらず、クラウゼヴィッツがなぜ戦略的防御と戦術的攻撃を組み合わせることの重要性を論じたのかも理解できていないと指摘しています。

フォッシュにとってみれば、クラウゼヴィッツの思想体系を包括的に解釈するということはたいして重要なことではなかったようです。
フォッシュは「兵力の経済的使用」、「行動の自由」といった自分なりの戦いの原則を擁護し、兵力の戦略的な集中とそれを遂行する司令官の精神の重要性に関する自分の主張を裏付けるためにクラウゼヴィッツを利用したに過ぎませんでした。

戦争そのものへの問題意識の欠如

ユベール・カモン(Hubert Camon)はフランス陸軍軍人、
著作『ナポレオンの戦争体系』(1923年)などの研究業績で知られていた。
アロンは、当時のフランス陸軍でクラウゼヴィッツに関する独断的、一面的な解釈が支配的だったことを指摘し、これがフォッシュの著作だけに見られた傾向ではなかったと強調しています。
「私がフォッシュの著書をここで取り上げたのは、この書がフランスのクラウゼヴィッツ関係図書のなかで特にすぐれているとか、代表的なものだとかいうわけではない。その平凡なところにかえってリュシアン・カルドに続くフランスの将校たちが『戦争論』から学んだ諸観念を、あけすけに示しているところがある、と思ったからである」(同上、39頁)
結局、当時のフランス陸軍が直面していた問題は、いかに決定的な時期、場所に兵力を集中し、敵に対して優勢を確保するかということでした。

つまるところ、当時の軍人にとって戦争と政治は本質的な問題ではありませんでした。
むしろ、戦争が勃発してから作戦部隊がとるべき機動の方式こそが重要な問題と考えられていたのです。

例えば、カモンのような陸軍の著述家が、クラウゼヴィッツを批判し、ナポレオンの戦争術に見られる戦略的包囲を再評価する研究したことも、当時の疑問により直接答える意味合いがありました。

むすびにかえて

フランス陸軍で、フォッシュのようにクラウゼヴィッツの思想に無理解な将校が主流派となって参謀本部を支配し、「1914年の敗北に一部責任のある戦争計画に加担していた」と思われることは驚くにあたらないとアロンは述べています(同上、41頁)。
それは必然的なことであり、だからこそ彼らは戦争においてフランス軍が攻勢をとるべきことを主張し続けたと思われます。

アロンは当時、一部の軍人が陸軍の首脳部と異なる立場をとり、戦略的攻撃に反対したことも紹介していますが、「彼の教えは、当局者の無理解にあって葬り去られた」としています(同上、42頁)。
特定の学派がいったん陸軍の要職を独占すると、それに反する意見を述べることはできなくなっていました。

広い視野で見れば、アロンの議論はフランス陸軍におけるクラウゼヴィッツ研究の不備を指摘するだけのものではありません。
これは健全な学術研究が硬直的な組織構造に阻害され、それが国家の防衛を危うくする一因になったことを示唆しています。

KT

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文献案内

  • レイモン・アロン『戦争を考える クラウゼヴィッツと現代の戦略』政治広報センター、佐藤毅夫、中村五雄監訳、1978年(この記事で参照している文献、ドイツ、フランス、アメリカなどでクラウゼヴィッツの思想が与えた影響を検討している)
  • Irvine, Dallas D. "The French Discovery of Clausewitz and Napoleon." Journal of the American Military Institute (1940): 143-161.(当時のフランスにおけるクラウゼヴィッツ研究の動向に関する論文であり、アロンが上記の著作でも参照している)
  • Porch, Douglas. "Clausewitz and the French 1871–1914." The Journal of Strategic Studies 9.2-3 (1986): 287-302.(フランスにおけるクラウゼヴィッツ研究としてより最近の成果を知ることができる)