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2017年10月4日水曜日

論文紹介 米陸軍がソ連軍の作戦術を取り入れた理由

冷戦期に米陸軍ではヨーロッパ正面での対ソ作戦を想定し、アクティブ・ディフェンス(Active Defense)からエアランド・バトル(AirLand Battle)にドクトリンが変更された歴史的経緯があります。
それは米陸軍がソ連軍に対して劣勢だったためだとか、ソ連軍のドクトリンに対抗するという観点から説明されることが一般的でしょう。

しかし、エアランド・バトルについては異なる視点から評価する議論もあり、そこではベトナム戦争で政府の首脳部が前線の指揮所の決定に過剰に介入する傾向をドクトリンとして是正する意味合いがあったのではないかと指摘されています。

今回は、作戦術の観点から1980年代の米陸軍のドクトリンの発達過程について考察した研究の要点を取り上げて紹介したいと思います。

文献情報
北川敬三「安全保障研究としての「作戦術」―その意義と必要性」『国際安全保障』2017年、44巻4号、93-109頁

なぜ作戦術の問題が重要なのか
作戦術(operational art)という概念は、後述するようにもともとソ連軍で発展したものであり、大規模な野戦軍による統合的、独立的な作戦行動を準備または遂行するための理論と実践を取り扱うものと定義され、戦略と戦術の中間に位置付けられてきました。

本来、戦略は政治的目的を達成するために軍事的手段を運用する計画や方策を定めるものであり、戦術は戦闘で任務を遂行するために戦闘力を運用する方法を定めるものです。
その中間に作戦という領域を置いて、一定の自律性、独立性を持たせることができれば、戦略と戦術の連絡調整を迅速化し、より動態的、機動的な戦力運用が可能になることが期待されます。

西側では1980年代に入ってから研究が活発になり、軍事理論の一領域を構成するまでに発展したのですが、その理由は軍事専門的な観点だけで把握すべきではないと著者は考えました。
「1980年代以降、「作戦術」は英米を中心とした軍事組織における革新運動の一環として盛んになり、一般の研究者における研究も盛んになっている。これまでの研究の蓄積により、「作戦術」は軍事理論の一つの分野として認識されている。すなわち、「作戦術」は軍事専門家のみが研究し、軍が実践する領域ではなく、軍事を包含した広範囲の安全保障研究の中で考えられるものとなっている」(北側、93頁)
このことを理解するためには、まず作戦術の概念の成り立ち、1980年代に作戦術に注目が集まった経緯を確認し、1980年代後半に米陸軍が作戦術を基礎とするドクトリンを発展させるまでの経緯を確認しなければなりません。

ソ連軍が先行していた作戦術の理論研究
ロシア・ソ連の陸軍軍人スヴェーチン(Aleksandr A. Svechin)
1878年にオデッサで生まれ、陸軍ではロシア戦争で従軍した他、作戦術に関する先駆的な研究を残した。1938年に死去
軍事理論の歴史においては、作戦術という概念を20世紀初頭に編み出されたと考えられており、その最初の提唱者は1922年にソ連陸軍士官学校教官だった陸軍軍人スヴェーチン(Aleksandr A. Svechin)と見られています。
彼はクリミア戦争、日露戦争、第一次世界大戦でロシア軍が得た戦闘経験に基づき、この概念を考案しました(同上、98頁)。

スヴェーチンの以前の記事でも紹介したトゥハチェフスキーの縦深戦闘の構想も、この作戦術の影響を受けていたことが指摘されています。(論文紹介 ミハイル・トゥハチェフスキーの縦深戦闘(Deep Battle)とは何か

第二次世界大戦でソ連軍がドイツ軍と戦うために採用したドクトリンは、スヴェーチンの研究に一定程度依拠していたので、西側としてもソ連軍の研究を通じて作戦術という概念を知り得る状況にはありましたが、著者が指摘するように、その意義は直ちに認識されませんでした。
「これらの思想は、ソ連軍において第二次世界大戦や冷戦中の欧州における大規模作戦計画に活かされ、機動力を重視し敵縦深に至る「縦深作戦(Deep Operation)の概念に繋がった。さらに注目すべきは、政治的イデオロギーが軍の編成や戦術までも規定したソ連から、政治的に翻訳可能な軍事的概念が出てきたことである。これは現時点で見れば一見当たり前のようにも思えるが、認知されるまでかなりの時間を要した」(同上、98-9頁)
西側の軍事学の文献では、戦略と戦術という二分法がすでに定着していたこともあり、その中間に作戦術のような概念を導入することの必要性が感じられなかったのかもしれません。

しかし、そうした状況を変える研究が1980年代に登場します。それがエドワード・ルトワックの研究でした。

ルトワックの研究が米陸軍のドクトリンに与えた影響
ルーマニア出身の政治学者、エドワード・ルトワック(1942年-)
戦略理論、国際政治、軍事史を専門とし、冷戦期には対ソ戦略の分析を中心に論文を発表していた。
米ソが新冷戦の局面に入った80年代は、西側でさまざまな防衛改革が進められた時代であり、ヨーロッパ正面におけるNATOのソ連軍に対する防衛態勢についてさまざまな批判的な検討がなされています。

ルトワックも1981年の論文「戦争の作戦的次元」で戦略と戦術の中間に作戦レベルという分析レベルを設定した上で、米陸軍のドクトリンを消耗戦から機動戦に移行すべきことを主張しました(同上、99頁)。
ソ連軍との戦闘において米陸軍の第一線部隊を防御陣地に止めるのではなく、より機動的な戦闘要領で交戦することが求められると主張したのです。

ルトワックが当時の論争に及ぼした影響は大きなものがあり、1982年版の米陸軍の野戦教範『FM100-5』で正式に作戦レベルの概念が導入され、1986年の改訂ではソ連軍の概念である「作戦術」が盛り込まれました(同上、99-100頁)。米陸軍はこれ以降、作戦術の研究を本格化させます。
ただし、1980年代に作戦術の概念が導入された理由として、ルトワックの議論だけが重要だったわけではなく、複数の背景的要因が関係していたことも著者は指摘しています。

一つはベトナム戦争の反省であり、「戦術的勝利を得ていたにもかかわらず、戦略的結果に結び付けられなかった」経験からドクトリンの見直しを積極的に進める動きが米陸軍にあったことと説明されています(同上、100頁)。
ベトナム戦争では政府首脳部の戦略と前線司令部の戦術との関係にさまざまな齟齬が生じたことが反省されていました。

さらに、将来の戦争の技術的革新の問題も認識されており、「第四次中東戦争では、ミサイルや高機動の戦車を含む最新兵器が使用され、機動戦が近代戦の要諦であることが再認識された」として想定する戦争の様相では機動力を重視すべきという意識の変化がありました(同上)。
同時に以前の米陸軍で策定されていたドクトリンである「アクティブ・ディフェンス」に対する批判が高まっていた事情もあり、「防御中心かつ、小規模兵力による戦術次元に焦点をあてた「アクティブ・ディフェンス」には、欧州正面におけるワルシャワ機構軍の大規模な波状攻撃という戦闘様相に合致していないという批判があった」と著者は紹介しています(同上)。

エアランド・バトルを可能にした作戦術の導入
米陸軍軍人、オーティス(Glenn K. Otis)米陸軍のドクトリンとしてエアランド・バトルが検討されていた時期に、米陸軍訓練教義軍(United States Army Training and Doctrine Command, TRADOC)の指揮をとった。その後、米欧州陸軍の総司令官にも任命されている。
ベトナムでの苦い経験、新たな武器体系の登場、アクティブ・ディフェンスの行き詰まり、これらを背景としながら、ルトワックの研究は1920年代よりソ連軍で発展していた作戦術の意義を西側の研究者に再評価するよう促したのです。

さまざまな検討が重ねられた結果、1980年代後半に米陸軍ではエアランド・バトルという新しいドクトリンが策定されることになります。
論文では言及されていませんが、当時このドクトリンを策定したオーティスは後に米欧州陸軍総司令官も務めた人物であり、これが当時のヨーロッパの米陸軍の戦略思想に与えた影響は大きなものがありました。
「上述の要素は、大部隊の運用、機動力を要する縦深性、技術の進歩の必要性に関し、ドクトリンと組織改革の両方に作用していった。この成果が陸上兵力のみならず、陸空軍の航空兵力と統合した「エアランド・バトル(Air Land Battle)」の開発に繋がっていくつことになる。「エアランド・バトル」の要諦は、同時攻勢作戦を戦場の幅と縦深において実施し、敵を敗北させるものである」(同上、101頁)
1982年に制定された「エアランド・バトル」の構想は、1991年の湾岸戦争で実践されたと著者は考えており、「第一次湾岸戦争は、米国と有志連合の「作戦術」の勝利でもあった」と述べています(同上)。

著者の見解によれば、戦略と戦術だけで軍事行動を考えた場合、政府の首脳部が示す戦略が、現場の作戦部隊の戦術に過剰に干渉する恐れがあるが、その間に作戦という中間的領域を置くことで、政治的意思決定と軍事的意思決定の両方の自律性を保ち、かつ両者を調整できるようになると考えられます(同上、103頁)。

これは示唆に富む議論であり、その意味するところに従うと米陸軍がエアランド・バトルという機動的な戦力運用を目指すドクトリンを策定できたのは、戦略を一方的に押し付ける政府首脳部に対して、作戦の自律性と独立性を一定程度回復し、その下で戦術的意思決定に柔軟性と融通性を持たせることが可能になったためだと解釈できます。

むすびにかえて
現代の日本では統合機動防衛力という防衛力の整備構想に基づき、自衛隊をより機動的に運用することも検討されていますが、そうした検討を進めるに当たって戦略、作戦、戦術の関係性を改めて整理しておくことは必要なことだと思います。
さもなければ、政府レベルで策定される戦略上の決定が、どこまでも戦術を制約することになりかねないでしょう。

現代の軍事行動において政治的制約を踏まえた戦略の決定は危機管理や戦争指導において決定的に重要なものだと言えます。しかし、戦略と戦術との線引きを踏み越えるようなことがあれば、たちまち現場の部隊行動に悪影響を及ぼす恐れがあり、また刻々と変化する状況で第一線の指揮官に対する統制が強まれば、機動的な部隊運用は実現不可能となるでしょう。

戦略、作戦、戦術に論理的な一貫性を持たせることの重要性について、より理論的な分析を読みたいなら、ルトワックの『戦略論』が参考になるでしょう。またアクティブ・ディフェンスからエアランド・バトルに至るドクトリンの歴史を知りたい場合には『Prepare the Army for War: A Historical Overview of the Army Training and Doctrine Command, 1973-1993』(邦訳なし)が参考になります。

KT

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参考文献
エドワード・ルトワック『エドワード・ルトワックの戦略論 戦争と平和の論理』武田康裕、塚本勝也訳、毎日新聞社、2014年
Romjue, J. L., Anne W. Chapman, Susan Canedy. 2002. Prepare the Army for War: A Historical Overview of the Army Training and Doctrine Command, 1973-1993, University Press of the Pacific.