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2017年7月18日火曜日

学説紹介 脅威認識が国家の動員応力を向上させる―16世紀オーストリアの事例

戦争の歴史は国家の歴史でもあります。古代から現代に至るまで、国家は自らを防衛するために大小さまざまな戦争を遂行してきましたが、その遂行能力はいつの時代も国家の動員能力の上限によって制限されていました。

今回は、財政史という観点から国家と軍隊の関係を歴史的に考察し、戦争が国家体制の近代化を促したとするシュンペーターの考察を紹介したいと思います。

シュンペーターが注目した財政と国家の関係
ヨーゼフ・シュンペーター(1883年2月8日 - 1950年1月8日)
オーストリア・ハンガリーの経済学者
ヨーゼフ・シュンペーターは恐らく20世紀前半に活躍したオーストリア・ハンガリー帝国の経済学者として有名ですが、政治学においても広くその名が知られている研究者です。

シュンペーターの関心は財政の観点から近代国家の成り立ちを考察することにも向かっており、その思想は第一次世界大戦が終わった1918年に刊行した著作『租税国家の危機』で知ることができます。

この著作で展開されている思想にはさまざまな側面がありますが、特に興味深いのは財政状態があらゆる国家政策を規定してきたという視点を示し、近代国家の成り立ちもこの視点から説明できるとしているところです。

このような視点は必ずしもシュンペーターの独創ではなく、もともとゴルトシャイトという社会学者の研究によるところがあり(邦訳、シュムペーター、10頁)、シュンペーター自身も彼の研究を出発点として次のように述べています。
「何よりもまず、どの国民の財政史も、その国民の歴史一般の本質的な部分である。すなわち国民の運命に対する巨大な影響は、国家需要によって強要される経済的瀉血とこの瀉血の成果がどのように利用されるか、その方法いかんから生ずる」(同上)
つまり、国家の政策の根本は、どれだけの税収を得て、どのような予算を組むかにあり、その内容を詳細に検討すれば、多くの歴史的事象を説明できると考えたのです。

16世紀に神聖ローマ帝国を統治したカール五世の政策が財政的必要によって方向付けられていた事例があり、また17世紀のフランスでコルベールが全国にツンフト制度を導入しようとし、またプロイセンでフランスから職人の移住を大規模に受け入れた背景にも財政的事情があったとシュンペーターは指摘しています(同上、11頁)。

封建的国家の政治的、財政的、軍事的限界
『ニュルンベルク年代記』の挿絵では神聖ローマ帝国の政治構造がイメージとして描き出されており、中央に神聖ローマ皇帝が座っているが、その同列の左側に3人の聖職者、右側に4人の選帝侯が立っている。
財政と国家の関係を考える大きなメリットとは戦争や軍事的脅威の接近が国家体制に与える影響を定量的な形で把握できることだといえます。

シュンペーターは中世末期において国家体制が封建的形態を捨てた理由についていくつか検討しているのですが、オーストリアにとって特に大きかった要因はオスマン帝国の軍事的脅威だとされています。

そもそも封建的な国家体制はどのようなものかといえば、さまざまな国内勢力、例えば貴族、聖職者、都市市民、自由農民に対して国家の一般的な課税権を行使することができず、戦時といえども動員できる国内の資源は非常に限定的だったとして、次のように論じられています。
「14世紀、15世紀の領主は、その土地の無条件の支配者ではなかったのであって、そうなったのは三十年戦争の後のことである。等族、すなわち、まず第一に、種々の範疇の貴族、それより低い程度で僧侶、さらにいっそう低い程度で都市の市民、最後にティロールおよび東フリースラントのあちこちに存在していた自由農民―これらは、地方領主に対抗して、自己の権力と自己の権利にもとづく強固な地位をしめていたが、その地位は、根本において領主的地位と本質を等しくし、本質的に同じ認可にもとづき、本質的に同じ要素を内容とするものであった」(同上、15頁)
つまり、このような非集権的体制では一般的な租税義務がないため、近代的な意味での国家財政というものも存在し得ませんでした。

それゆえ、国家を統治する権力者(国内の一部の直轄領を経営することで収入を得ていましたが)は、軍隊を招集する際には自分で防衛支出を負担するだけでなく、各地の封建貴族が自費で賄う兵力を招集していましたが、やはり動員能力で限界がありました(同上、22頁)。

シュンペーターの調査によれば、当時オーストリアを支配するハプスブルク家は世襲領でライン貨30万グルデンの収入を得ており、最大6000名の歩兵、2500名の騎兵の年間維持費を支払うことができましたが、当時のトルコ軍がヨーロッパに差し向けていた兵力およそ25万名だったため、軍事バランスで圧倒的に劣勢でした(同上、23頁)。

脅威の認識が国家の動員能力を強化した
スレイマン一世の時代にオスマン帝国はビザンツ帝国を滅ぼし、その勢力を中央ヨーロッパ方面にまで拡大しつつあった。この脅威を受けて神聖ローマ帝国は構造改革に乗り出すことで、より大規模な軍備を整備できる体制を整えていった。地図はオスマン帝国の領域が最大となる1683年のもの。
シュンペーターは、オーストリアの政治史においてトルコという脅威が共通の認識になったことが、国家体制の再構築に繋がったと考察しており、次のように述べています。
「例えば、トルコ戦役のような事態は、たんにかれの個人的な事柄ではないこと―すなわち、「共同の困難」であることを指摘した。そして、等族はこれに同意した。かれらがこれに同意した瞬間に、一つの事態、すなわち、租税の徴求はしないという紙の上の保障はずたずたに切り裂かれねばならなかったところの事態が承認されたのである。すなわち、この事態のもとでは、全人格を超個人的な目的体系につないでいた旧い形態が死滅し、そして、どの家族にとっても、個人経済というものがその存在の中心となって、そこに一つの私的領域が基礎づけられる。そして、これにたいしては、今や、公的領域が何か異なったものとして対置されることになったのである。「共同の困難」から国家は生れたのである」(同上、24頁)
こうしてオーストリアではトルコという「共同の困難」が共通の脅威認識となったことで、それまで租税負担を免れてきた貴族は、同意を得ることを条件としながらも、国家の防衛負担を担うことになりました(同上、25頁)。

そして、このような形態の国家体制を確立するための闘争は、オーストリアだけでなく、ヨーロッパの至るところで展開されることになり、封建的な国家体制は解体し、近代的な国家体制が発展するきっかけとなったとシュンペーターは考えています。

むすびにかえて
軍人にとって戦争の問題で思い浮かべるのは、兵士、武器、糧食であって、貨幣ではないかもしれません。というのも、軍人はすでにこうした手段を与えられた状態で戦争を遂行するためです。

しかし、実際に戦争を計画し、遂行する政策決定者の立場からすると、事情はまったく違って見えます。戦争を遂行するということは、所要の兵力を確保するところから始まっており、必然的に戦争遂行は経済・財政運営と直結しているのです。

シュンペーターの思想については、社会主義国家の成立との関係で検討すべき議論も含まれているのですが、財政と国家、そして戦争の関係は一体不可分のものであり、これらを包括的に検討することが重要であることを私たちに教えてくれるのではないでしょうか。

参考文献
Schumpeter, Joseph A. 1918. Die krise des steuerstaats. (邦訳、シュムペーター『租税国家の危機』木村元一、小谷義次訳、岩波書店、1983年

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