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2017年2月12日日曜日

外交で成功するための四つの原則

外交関係の報道があると、それについて多くの人々は、それがよい外交であったとか、悪い外交であったというように、さまざまな評論を加えています。その中には興味深いものもあれば、一貫性がないものもあり、千差万別としかいいようがありませんが、そもそも「よい外交」と「悪い外交」はどのような基準によって評価できるものなのでしょうか。

今回は、政治学者のハンス・モーゲンソー(Hans Morgenthau)によって提唱された外交における四つの原則を紹介し、それぞれがどのような意味を持つのかを考察したいと思います。

崇高な理想は外交を妨害する
ハンス・モーゲンソー(1904-1980)
モーゲンソーの説によれば、外交において無視された場合に、必ず戦争の原因となる手法というものがあります。その第一のものは、イデオロギー、宗教、教義、その他さまざまな抽象的な価値観にとらわれるということであり、「外交は十字軍的精神から脱却しなければならない」と論じられています。これはどういう意味なのでしょうか。
「宗教戦争によって、われわれは自己自身の宗教を唯一の真理として世界の他の人々に押しつけようとする試みが多くの犠牲を生むと同時に無益でもある、ということを教えられてきた。一世紀にわたるほとんど前例のない殺戮、荒廃、および野蛮の歴史は、二つの宗教が相互の寛容のなかで共存できるのだ、ということを対立当事者に確信させる必要に迫れれた。現代の二つの政治宗教は、16世紀、17世紀の二つの巨大なキリスト教宗派にとって代わってしまった。現代の政治宗教は三十年戦争の教訓をみずからのものにするだろうか、また、果てしない戦争を不可避的に生む普遍主義的な野望から早晩免れるであろうか」(邦訳、モーゲンソー『国際政治』569頁)
政治の問題が善悪の問題にすり替えられてしまえば、妥協の余地がなくなるということは、過去の歴史において繰り返し示されてきたことでもあります。モーゲンソーがここで懸念していることは、20世紀以降の政治イデオロギーや価値観の相違が、近世ヨーロッパの国際社会を分断してきたカトリックとプロテスタントのように作用し、戦争の回避を妨げるのではないかということです。

モーゲンソーは人々が信じる価値や教義が政治においてどれほど忌まわしいものであるかを論じたウィリアム・サムナーの「抽象的な主張は、いま問題になっているわれわれのいかなる利益ともはっきりした関連をもってはいない。そうではなくて抽象的な主張は、われわれの予測しえない混乱を生み出す多くの可能性をそのなかにもっており、しかもその混乱が起こればきっと厄介なものになるのである」という言葉も引用しています(同上、568頁)。

つまり、不変的価値観は漠然としか定義できないものであり、どのようにでも解釈することができるものでしかないということがここでは論じられています。それでは、何を行動の基準とすべきなのか、という論点についてモーゲンソーはそれは利益、それも国益でなければならないと考えました。

国益とは国家の安全保障に他ならない
モーゲンソーが外交において常に重視すべき原則の二つ目が「対外政策の目的は国益によって定義されなければならず、また適当な力によって支えられなければならない」というものです。
モーゲンソーがここで述べている国益は、あまり広い意味を持っておらず、次のような解釈に限定されています。
「平和愛好国家のナショナル・インタレストは、国家安全保障の観点からのみ定義されるべきである。しかも国家安全保障は国家の領土および諸制度の保全として定義されなければならない。そこで、国家安全保障とは、外交が相手に妥協せずに適当な力を動員して守らなければならない最小限のものをさす」(同上、570頁)
したがって、自国の領土や主権のように、国家の存立そのものを揺るがる価値については、武力をもってしても守り抜くことが国家安全保障といえるのであって、それは国民の利益に繋がるとモーゲンソーは考えていたことになります(同上)。

ただし、現代の国際情勢では遠方で勃発した二国間の紛争が世界中の安全保障に影響を及ぼす可能性が増していることについては特別な注意が必要であるとも述べており、次のように核兵器の影響を考慮しています。
「しかし外交は、国家安全保障が核時代の衝撃の下で受ける急激な変化に対してはつねに敏感でなければならない。核時代の到来までは、国家は、た国家を犠牲にしてその安全を獲得するという目的のためにその外交を活用することができた。今日外交は、各派かいからある国家を安全にするには、ある特定国に有利な形で原子力のバランス・オブ・パワーを急変させるなどということをせずに、諸国家全部を安全にしなければならないのである」(同上)
したがって、第三の問題が出てきます。新しい軍事情勢の下で国家の安全保障が歴史上かつてないほどに相互に密接な関係を持つようになるとなると、単に自国の防衛のことだけを考えていればよいというわけにはいかなくなり、さまざまな交渉を行い、妥協点を見つけていくことが絶えず必要になってくるためです。

他国の立場から政治情勢を判断する
モーゲンソーの原則で特に重要だと思われるのは「外交では他の国家の観点から政治情勢を見極めなければならない」というものです(同上)。
すでに説明したように、モーゲンソーの考え方では国益は直ちに武力の発動を引き起こす国家にとって死活的利益、つまり自国の領土と主権の保全を意味します。
したがって、戦争状態を避けるためには、他国が何を安全保障において重視しているのかを理解しなければなりません。自国の要求ばかりを考えて、不用意にも相手にとっての一線を越えてしまえば、もはや外交的解決は期待できなくなってしまうためです。

そこではじめてに取り組むべき問題とは「国家安全保障の立場に立って何が他国のナショナル・インタレストであるのか、また他国のナショナル・インタレストは自国のナショナル・インタレストと両立できるのだろうか」ということになります(同上)。
国家は安全保障のために、領土、領海、領空の外方に対して仮想敵国を想定し、相手に対して劣位に立たないような軍備の規模や形態を準備しようとします。こうすることで、仮想敵国からの攻撃が成功する確率を低下させ、結果として戦争を防止できると考えられているためです。
しかし、対峙する二カ国の軍事力の展開可能地域が地理的に重なっていると、勢力圏が干渉し合う状況となるため、どちらも譲歩する姿勢を示さなければ、外交的解決の道は閉ざされてしまいます。

モーゲンソーはこうした事態を避けるために、自国の立場だけで考えるのでなく、他国の立場から見て自国がどのように見えているのかを考察することが重要であり、安全保障上の重要性を持たない地域の取り扱いについては柔軟に対応すべきだと論じています。
「これら安全保障の埒外にある領域は、国家安全保障に何ら寄与するものではないのである。それらは、ただ負担になるだけで、戦争の場合にはもちろんこたえることのできない領域となる。それぞれの陣営が双方の国家安全保障領域を相互に引き離すための間隔を広くとればとるほど、各陣営はより一層安全になるだろう。それぞれの陣営は、互いに遠く隔たったところに線を引くことができ、そしてその線に接触あるいは接近することさえ戦争を意味することを相手に理解させることができるのである。その場合、二本の境界線の間に広がる中間領域についてはどうだろうか。ここでは第四の外交方式が適用されることになる」(同上、570-1頁)
国家はその領土によって規定されますが、外交によって互いの勢力圏を調整することができれば、それは両国の国益にかなったものとなります。互いに相手が武力を発動するレッド・ラインを理解するようになれば、戦争の危険性を大幅に低下させることができるのです。

優れた外交の本質は、優れた妥協の仕方にある
先ほどの原則と密接な関係を持っているのが、「国家は自国にとって死活的ではない争点に関して進んですべて妥協しなければならない」という原則です(同上、571頁)。
これは外交の重要な原則であり、また困難な原則でもあります。モーゲンソー自信がこの原則については「ここにおいて外交はその最も困難な仕事に遭遇する」と述べています(同上)。
「政治宗教の十字軍的熱情によって混乱させられずに、客観的に双方の側のナショナル・インタレストを観察できる人びとにとっては、これら死活的利益の境界を設けることは、そうむずかしいことではない。ところが、第二義的な争点の妥協については事情がちがう。ここでの妥協の仕事は、まさにその本質に従ってすでにそれぞれの側に分離され境界を決められている利益を、あらためて分離し定義することではない。その仕事は、多くの点で相互に抵触していて、とうてい分離などできないほどに絡み合う利益を均衡させることである」(同上)
モーゲンソーの議論はここで込み入ったものになってきます。つまり、自国にとって死活的な意義を持つ領域に関しては交渉の余地がそもそもほとんどないため、かえって外交の仕事は単純を極める傾向があります。しかし、交渉の余地が大きい二次的な問題において外交交渉は難航しやすいのです。

先ほどの自国と他国の勢力圏が干渉しないようにする場合を思い出してみましょう。両国が安全保障の観点から絶対に許容できない領域を設定できたとしても、その両国の間に緩衝地帯を設定するとなると、その干渉地帯に存在する中小国に対して両国がどの程度の影響力を行使してよいのか、一切の介入を認めないのか、などなどの問題が出てくることになります。こうした派生的な問題でうまく妥協ができない結果、交渉全体が行き詰まるということもしばしば起きて来るのです。
「重要な課題は、これら中間領域が相手側の圏内に吸収されないようにしながら、相手側のある程度の影響力をこの中間領域内で認めることである。これに劣らず重大な任務は、自己の安全保障領域に近い領域では、それ自身の圏内にこれらの領域を吸収することなく相手側の影響力をできるだけ小さくしておくことである。こういった仕事を遂行するために自動的に適用できるような公式はない。堅実と自制による絶え間ない適応の過程によるのでなければ、第二義的な争点に関する妥協はうまくいかないのである」(同上)
私たちが普段の会話で外交を評論する際に多いのは、この「第二義的な争点に関する妥協」でどれほど相手から譲歩を引き出したのかではないでしょうか。しかし、これはモーゲンソーにとってみれば、外交の成果のほんの一部でしかありません。
モーゲンソーの見解によれば、外交で最も重要なことは自国の国益、つまり国土の安全がどれだけ確保できたのかということなのです。つまり、両国が主張する勢力圏をどのように整理したのか、その中間領域にどのような緩衝地帯を設定できたのか、そのことによって国家の安全保障環境がどのように改善されたのかが優れた外交の判断基準と考えられています。

むすびにかえて
現代の政治学者の間でモーゲンソーはリアリズム(realism)の権威の一人として認められており、その著作『国際政治(Politics among Nations)』が今回の外交思想の基礎になっています。この著作の最後の部分では、現代の国際政治における権力の側面について一般の人々が軽視する傾向があることに懸念が示されています。
「外交への軽視が権力政治への軽視の結果にすぎないものである限り、われわれが後者すなわち権力政治への軽視について語ってきたことは、前者すなわち、外交への軽視についても十分あてはまるということになる。外交は、その仕事が多くの人にとって、いかに道義的に魅力のないものにみえようとも、秩序ある平和な相互関係を維持しようとする主権国家間の権力闘争のあらわれにほかならないのである」(同上、558頁)
外交という技術を特定の価値観や自国だけの立場から評価することは、もはや特に目新しいことではなくなりました。これがモーゲンソーの恐れていたことでした。

多くの有権者は特に国際政治や安全保障を熟知しているわけではありません。そうした有権者に対して政治家が自らの政治的アピールを行う手段として外交を駆使することが普通になれば、第二義的な争点においても政治家は外交的妥協を国内世論で敗北として受け止められることを恐れるようになり、他国の政府や国民に対して非難を加えたり、圧力を加えるような事態が引き起こされます。これは外交の選択肢を狭め、武力衝突のリスクを増すことに繋がることを念頭に置いておかなければなりません。

こうした事態を避ける上で、モーゲンソーが論じた外交の四原則は一つの評価基準となり得るでしょう。つまり、「よい外交」とは、善悪のような抽象的価値ではなく、安全保障という実益を国益として定義し、何が安全保障上の重要問題であり、何がそうでないのかをよく見極め、相手の国益についても考慮した上で、二義的な争点に関しては妥協する姿勢を示すような外交のことといえます。そして、これに背くような外交は「悪い外交」であり、それは国家安全保障を損なっている恐れがあるのです。

KT

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参考文献
Morgenthau, Hans J. 2005(1948). Politics among Nations: the Struggle for Power and Peace, 7th edition. New York: McGraw-Hill Humanities.(邦訳、モーゲンソー『国際政治 権力と平和』現代平和研究会、福村出版、2008年)

1 件のコメント:

  1. タイムリーな内容でとても勉強になりました。

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