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2017年2月22日水曜日

論文紹介 ワーテルローの戦いとナポレオンの敗因―シミュレーション分析の試み

ワーテルローの戦い(battle of Waterloo)は、ナポレオン戦争の歴史の最後を締めくくった決戦です。
この戦いでウェリントンが指揮する連合軍に敗れたナポレオンは再びフランスで政権の座を追われ、イギリス政府によって離島に幽閉されてしまいました。
軍事的天才と名高いナポレオンがこの戦闘で敗北した理由は、これまでもさまざまな角度から検討されてきましたが、その多くは歴史的アプローチを用いたものでした。

今回はシミュレーション分析を駆使してこの問題に取り組んだ研究論文を紹介し、その成果について考察してみたいと思います。

文献情報
Gray, Rocky and Fred Kagan. 1996. Analysis of the Battle of Waterloo and Napoleon's Courses of Action with the Janus Combat Modeling Simulation, Technical Report, West Point: U.S. Military Academy, Operations Research Center.

ヤヌスの概要
この研究で使用されているシミュレーション・ソフトはヤヌス(Janus)と呼ばれています。ヤヌスは冷戦期に米陸軍で大隊レベルの戦術行動を研究、教育する目的で開発されたシステムですが、最近でも学術研究において使用されています(e.g. Biddle Stephen. Military Power, 2006)。

ヤヌスは地形、気象、時期などの条件を調整した上で、部隊の規模、武器の性能、また配置や運用が異なる場合、部隊運用や戦闘結果にどのような影響が出るかを仮想的に再現します。
この研究では、当時の軍隊の編制、武器の性能、戦術の特徴などを考慮に入れつつ、戦闘の再現が試みられています。

ヤヌスの最も重要な機能の一つに、高低差がある地形を三次元空間で把握する機能があります。
これはワーテルローの戦いを分析する上で重要な機能です。というのも、実際に当時のウェリントンは稜線に沿って歩兵部隊を配置することにより、フランス軍の砲弾から部隊を掩護する措置をとっていたためです。
この研究はこうしたシミュレーション分析の方法を駆使することで、ウェリントンが率いる連合軍とナポレオンが率いるフランス軍の相互作用を解析しています。

歴史上のワーテルローの戦いの特徴
ワーテルローの戦いにおけるフランス軍(青)と連合軍(赤)の兵力配置
研究はワーテルローの戦いが歴史上、どのようなものであったのかを確認するところから始まっています。
戦闘に参加したナポレオンのフランス軍とウェリントンの連合軍の兵力を比較すると、フランス軍は歩兵9409名、騎兵10020名、砲兵118門であったのに対して、連合軍は歩兵11755名、騎兵6470名、砲兵86門とされています(Gray and Kagan 1996: 18)。
細かい数値に関しては諸説あるのですが、著者らはフランス軍の側が砲兵と騎兵の数で優勢であり、連合軍は歩兵においてのみ優勢であったと判断しています。

両軍は約1500ヤード(1.37km)ほど続く緩やかな谷を挟んで向き合う稜線をそれぞれ占領しており、戦闘正面としては西方のウーグモン(Hougoumont)邸宅から東方のパプロット(Papelotte)集落まで5000ヤード(4.57km)以上にもなったと指摘されています(Ibid.: 17-8)。
図上で戦闘の経過を判断すると、ラ・ベル・アリアンス(フランス軍の中央付近に位置)からラ・エイ・サント(連合軍中央付近に位置)に向かって走る道路に沿ってフランス軍の攻撃が繰り返し行われているように見えます。これはどのような攻撃だったのでしょうか。

史実を見ると、戦闘開始の12時30分から決着がつく18時までの間にナポレオンが少なくとも3度にわたって攻撃を実施したことが確認できます。
一つ目の動きが13時30分のフランス軍のデルロン伯が指揮する第1軍団による歩兵突撃であり、これは連合軍はこれに歩兵と騎兵を投入して撃退し、3000名の損害が出ています(Ibid.: 18-9)。
二つ目の動きが15時のフランス軍の砲兵射撃と歩兵突撃であり、連合軍の部隊が中央の前進陣地として占領していたラ・エイ・サントの家屋が破壊されました。それに乗じてフランス軍は突撃を実施していますが、激しい抵抗を受けて失敗しました(Ibid.)。
三つ目の動きが16時のフランス軍の騎兵によるラ・エイ・サントへの攻撃です。攻撃の指揮をとったのはミシェル・ネイ(Michel Ney)元帥であり、この騎兵突撃は4度にわたって反復され、18時にラ・エイ・サントを奪取できました(Ibid.)。

しかし、このネイの戦果は戦闘の結果にほとんど影響を及ぼしませんでした。
というのも、この時にはすでに戦場外から駆け付けたプロイセン軍が連合軍の増援として戦闘に加入していたためです。
フランス軍は未だ戦闘力が残っている連合軍と戦いながら、新たな敵とも戦わなければならなくなってしまったのです。
どれほどナポレオンの手腕が卓越していたとしても、戦局挽回は不可能といえる状況であり、この段階で戦闘の勝敗が確定したと評価されます。

ナポレオンが選択可能だった戦術の考察
ワーテルローの戦いで16時の戦況を示した状況図
フランス軍は連合軍の中央を突破しようとラ・エイ・サントの奪取を図った。
しかし、イギリス軍の激しい抵抗を受けて攻撃は何度も撃退され、最後に確保できたものの戦果として活用できなかった。
(Ibid.: 59)
ワーテルローの戦いでナポレオンが犯した戦術上の間違いは何だったのでしょうか。
著者らは二つの要因に注目しています。第一にラ・エイ・サントを早期に奪取できなかったこと、第二に騎兵だけで攻撃を行わせたので、歩兵や砲兵といった他の兵科との連携、つまり諸兵科連合の方法を最大限に駆使した攻撃ができていなかったことです。
「ナポレオンは戦闘を中断することもできたし、あるいはプロイセンの援軍が到着する前に、ウェリントンに全ての兵力を投入し、撃破することもできた。15時30分にラ・エイ・サントを奪取せよという正規の命令をネイは受領した。
 ナポレオンはこの陣地がどれほど重要であるかを認識しており、攻撃を再三実施するようにネイに命じた。4回にわたる騎兵攻撃がすべて失敗に終わった1800時過ぎ、「勇者の中の勇者」であるネイは再びドンズロ(François-Xavier Donzelot)師団の一部の騎兵と手頃な火器を抽出し、攻撃に向かった。結局、ネイは正しい戦術の方式、つまりあらゆる兵科を協同一致させた攻撃を実施し、攻撃は完璧に成功した。滞りなくネイ元帥はイギリス軍の中央からわずか300ヤードの距離の陣地に砲兵を配置して、激しい射撃を浴びせた。
 このように、この戦闘の分析と評価はフランス軍によって早期にラ・エイ・サントを奪取する利点と、諸兵科連合に基づいて部隊を展開する利点について研究する必要があるものと認められる」(Ibid.: 20)
そこで著者らはナポレオンが当時選択可能だった戦術を(1)ラ・エイ・サントを奪取しないまま、騎兵だけで攻撃を行う、(2)ラ・エイ・サントを奪取しないまま、諸兵科連合の方法で攻撃を実施する、(3)ラ・エイ・サントを奪取した上で、騎兵だけで攻撃する、(4)ラ・エイ・サントを奪取した上で、諸兵科連合で攻撃を仕掛ける、以上の四種類に区分し、特に16時の時点での戦況でそれぞれの戦術が持つ妥当性を検討します。

シミュレーション上のワーテルローの戦い
ヤヌスで第一案をシミュレートしたところ、戦闘の展開はほとんど史実と同じようなものとなりました。
フランス軍は騎兵突撃を繰り返し実施するのですが、そのつど連合軍は各部隊の隊形を方陣に転換させて、これを撃退します。
フランス軍の騎兵が連合軍の方陣に手間取っている間に、プロイセン軍が出現するので、その対処のためにフランス軍の兵力はますます不足し、最終的に18時までに合計4回の突撃が反復されて終わります(Ibid.: 64)。

この一連の攻撃によって局地的に生じる人的損害について、著者が5回シミュレーションを試行した結果の平均値をとると、連合軍の損害1806名、フランス軍の損害6562名という結果になりました(Ibid.: 72)。
これは史実における連合軍の損害1530名、フランス軍の損害6450名に非常に近い数値であり、ヤヌスのシミュレーションに一定程度の実証的妥当性があると認められます(Ibid.)。

次にラ・エイ・サントを占領できない状態でフランス軍が諸兵科連合の方法による攻撃を行った状況をシミュレートしてみます。
すると、フランス軍の歩兵が連合軍に大きな損害を与えることができることは分かりましたが、フランス軍の損害も甚大になることが判明しました。
連合軍が受ける損害は平均で2310名と見積られますが、フランス軍の損害も平均7264名になると予想されています(Ibid.: 74)。
戦術において諸兵科連合は戦闘力の効率を向上させる効果があるのですが、それでも連合軍はフランス軍に激しく抵抗することが確認されます。

ラ・エイ・サントを占領した後で騎兵突撃を実施する第三案をナポレオンが採用すれば、どうなったでしょうか。
ラ・エイ・サントがフランス軍の手に落ちれば、ナポレオンはそこに砲兵を配置できるようになり、連合軍の中央に対する騎兵突撃を砲兵が火力で支援できるようになります。直感的に考えれば、これは騎兵突撃の戦果を改善するはずだと予想されます。しかし、連合軍の損害はそれほど大きく増加しないはずだとヤヌスは見積っています。
著者らは5回のシミュレーション結果を平均した上で、連合軍の損害は2094名、フランス軍の損害は5962名になったと報告しています(Ibid.)。
確かにフランス軍の人的損害はやや抑制されましたが、それでも連合軍に与える損害が他の戦術案を採用した場合よりも減っており、これは驚くべき結果だといえます(Ibid.: 76)。

最後にラ・エイ・サントを占領した上で、歩兵、騎兵、砲兵の戦闘力を最大限に発揮して連合軍に向ける第四案のシミュレーション結果を見ると、これも従来と同様の結果が出ています(Ibid.)。
見積られた結果の平均値をとってみると、連合軍の損害2372名、フランス軍の損害は7528名となっています(Ibid.: 78)。
確かに連合軍の人的損害が最も大きいので、戦果は改善されていると言えなくもありませんが、フランス軍の損害もそれに応じて大きくなっています。
結局のところヤヌスのシミュレーション結果から判断すると、ラ・エイ・サントの占領が成功しようが、失敗しようが、フランス軍の戦果が大きく変わるということはなかったということになります。

ラ・エイ・サント奪取は重要な問題ではなかった
ラ・エイ・サントをフランス軍が奪取できたかどうかという要因は、戦闘結果を左右するとは認められませんでした。
このことは、ワーテルローの戦いにおいて、ナポレオンが間違った攻撃目標を選んでいたことを示唆しています。しかし、なぜこのような結果になるのでしょうか。

著者らがシミュレーションを通じて発見したのは、ワーテルローの戦いにおいて連合軍が占領した稜線が、防御施設として機能していたことを指摘しています。
つまり、フランス軍がラ・エイ・サントに砲兵を配置し、騎兵だけでなく歩兵や砲兵を組み合わせて攻撃しても、結局はイギリス軍の陣地に砲弾を落下させることができなかったのです。
「たとえラ・エイ・サントが砲兵にとって優れた場所のように見えたとしても、この場所は従来言われているほど重要ではない。連合軍部隊の南側の稜線は、騎兵突撃のための有効な火力支援を妨げてしまう。実際の戦闘でナポレオンは確固とした砲兵の射撃計画を準備する時間がなかった。そのため、砲兵による突撃準備射撃はたった30分しか行われなかった。より長い時間をかけた射撃支援の後であれば、攻撃を実施することができたであろう」(Ibid.: 80)
部隊配置で説明した通り、ワーテルローの戦いにおいて連合軍とフランス軍はそれぞれ平行して走る稜線を占領していました。
ラ・エイ・サントは連合軍が占領している稜線とフランス軍が占領している稜線の中間にある谷間の底に位置しており、そこに砲兵が進出すると谷底から稜線を見上げる位置関係になります。このような態勢でも射距離が短ければ砲兵は戦闘力を発揮できたかもしれませんが、谷底のラ・エイ・サントから稜線上の連合軍部隊まで距離があったので、射撃に支障を来したのです。

むすびにかえて
著者らの見解によれば、フランス軍がもう少し早くラ・エイ・サントを奪取できていれば勝てた、または諸兵科連合による攻撃を行っていれば勝てた、というような議論がそもそも地理的要因によって成り立ちません。
これは従来の研究であまり見られなかった分析であり、三次元空間で戦闘を再現するヤヌスの利点が発揮された研究成果だと思います。

この研究を踏まえた上で、ワーテルローにおけるナポレオンの戦術を検討すると、連合軍の中央に攻撃の重点を置くのではなく、側面や背後に置く必要があったと考えられます。確かに中央突破はナポレオンが最も得意とする戦術でしたが、イギリス軍が稜線に沿って防御態勢を固めているのであれば、側面攻撃を狙って包囲するか、敵の陣地転換を強制するように迂回機動をとることも選択肢に含まれたでしょう。
ただし、プロイセン軍と合流を果たす前に、連合軍を撃破しなければならなかったナポレオンとしては、そのような時間のかかる移動を命じることができなかったのかもしれません。

KT

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参考文献
Biddle, Stephen. 2006. Military Power, Princeton: Princeton University Press.

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