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不眠不休の軍隊は敗北する

戦闘を遂行するに当たり、指揮官は部隊の健康状態を適切に管理し、その人的戦闘力を維持する必要がありますが、そのために気を付けなければならない問題が睡眠時間の確保です。
睡眠の剥奪が健康状態に与える影響は極めて大きいことは知られていますが、それが部隊の戦闘力に与える影響については必ずしも十分に議論されておらず、具体的な数値が示されることも多くありません。

今回は、野外衛生の観点から睡眠剥奪のリスクについて説明した米陸軍の野外教範の記述を紹介し、それが人的戦闘力に及ぼす影響について考えてみたいと思います。

睡眠剥奪の心理的影響
米陸軍の教範では、戦闘ストレスを軽減し、部隊の人的戦闘力を維持する上で、睡眠の重要性が指摘されています。その具体的な症状がいくつか紹介されています。
・(最後の睡眠から)24時間後:不十分または新規に学習した活動、単調な活動、警戒を要する活動の効率が低下
・36時間後:情報を記録し、理解する能力の著しい低下
・72時間後:あらゆる活動の効率が通常と比較した場合に50%の効率に低下
・3日から4日後:精神的、身体的要素を含めて、集中的な作業に制約があり、特に生物化学兵器などを用いた状況においては、この段階またはそれ以前から幻覚が発生する可能性あり
・特に0300時から0600時は一日の中でパフォーマンスが最も低下する時間帯(FM 3-21.10:A-13)
睡眠不足の症状として特徴的なのが、血走った目、支離滅裂な発言、ふらつき、顔面蒼白、茫然自失などですが、それ以外にも士気の低下(環境に対する無関心や、活動レベルの低下)、記憶の喪失、言語の不明瞭、情報を理解する所要時間の増加、短期記憶の喪失、集中力の欠如、標準作業の間違いなども生じてきます(Ibid.)。

睡眠の不足は第一線で戦う兵士の戦闘ストレス耐性を低下させる恐れがありますが、さらに影響が大きいのが指揮官に対する影響です。
教範によると、「素早い反応、複雑な推論、詳細な計画立案を要求されるため、指揮官は睡眠剥奪の影響を最も受けやすい。指揮官は睡眠をとらなければならない。自制心のある指揮官は、睡眠を取らないことは逆効果であると認識し、睡眠をとるための措置をとるものである」(Ibid.)と述べられています。
適切な睡眠時間を奪われた場合、最初に制約を受けるのが思考力であり、部隊の行動を決定する立場にある指揮官の判断力が低下することは、戦闘効率を低下させる重大な要因となってくるのです。

不眠不休が3日続けば部隊は戦えなくなる
睡眠不足による戦闘力の低下を避けようとしても、極限状況で十分な睡眠時間を取ることが困難という状況もありえます。こうした場合にどの程度の睡眠時間を限度とすべきなのでしょうか。この点についても教範では、興味深い目安を示しています。
「睡眠を一切とらずに48時間から72時間が過ぎると、兵士は軍事的に行動不能となる。限定的な睡眠不足の場合でも、5日から7日経過すると、睡眠なしで2日から3日経過した場合と同じレベルにまでパフォーマンスが低下する」(Ibid.: A-11)
この記述によれば、一切の睡眠をとらない場合には3日で、不完全な睡眠を取らせながら戦った場合には7日で、部隊の戦闘力を使い果たす状態になると見積られます。これだけの時間が経過すれば、他の部隊と陣地を交代するか、敵との接触を断って戦場離脱しなければなりません。

ただし、教範によると24時間ごとに4時間の連続の完全な睡眠時間が確保された場合には、7日以上にわたって行動することが可能であること(Ibid.)、さらに最後の睡眠から47時間-72時間が経過した場合、回復するためには完全な睡眠が10時間にわたって必要であると述べられています(Ibid.)。結局、睡眠不足の状態のまま健康状態を適切に維持することはできず、短時間の睡眠を組み合わせることで回復することは不可能である、ということです。

ただし、先ほど示したように、3日間にわたって不眠の状態で戦い続けることが可能というのは、あくまでも目安であることに注意しなければなりません。すでに言及したように、生物化学兵器が使用された場合、3日前から兵士の一部で幻覚症状が出てくる恐れがあります。武器を操作する兵士でそのような幻覚が見られれば、単に健康管理上の問題ではなく、安全管理上の問題も生じてきます。
その他にも、敵の夜襲や激しい雨天、食料の不足など、さまざまな要因によって疲労の程度は増加するため、ここで示された数値はあくまでも参考として考える必要があるでしょう。

むすびにかえて
戦争だからといって睡眠をないがしろにしてはなりません。夜を徹して何日も戦い続けるべき状況は確かに考えられますが、そうした状況こそ勝利に繋がる鍵は睡眠だともいえるのです。
ここで述べた睡眠剥奪による戦闘力の低下は我が方にだけ起こる事象ではなく、敵の部隊にも生じてくることです。戦闘が数日間にわたって続けば、我の部隊だけでなく、敵の部隊にも睡眠不足が生じてくることは避けられません。このような状況では指揮官が自分の部下にどれほどの睡眠をとらせることができるかによって、戦闘結果、さらには勝敗までもが変わる可能性があるのです。
つまるところ、戦闘力の根幹とは人であり、人の健康は適切な睡眠によって支えられていることを指揮官は忘れてはなりません。

KT

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参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.10, The Infantry Rifle Company, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

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