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2016年8月27日土曜日

論文紹介 作戦レベルにおける機動を考える

軍事学の文献では戦力をいかに運用するのかという問題を考えるために、戦略、作戦、戦術という3種類の分析レベルを設定することがあります。
こうすることで、個々の中隊や艦艇といった小規模な戦力の運用に関する問題と、師団や艦隊といった大規模な戦力の運用に関する問題を、うまく区別して取り扱うことができるのです。

今回は、1980年代において戦略と戦術の中間に位置付けられる作戦という分析レベルが注目された際に発表された機動に関する研究を取り上げ、その内容を紹介したいと思います。

文献情報
Franz, Wallace P. 1983. "Maneuver: The Dynamic Element of Combat," Military Review, Vol. LXIII, No. 5, pp. 2-12.

作戦レベルにおける機動の重要性
1983年、パレードに参加するソ連軍の戦車T-72。
当時、ソ連軍はNATOの防衛線を縦深突破するために高い機動力を重視する傾向があったため、西側ではそのような教義に対抗可能な防衛態勢がどのようなものであるべきか議論されていた。
1982年8月20日、米陸軍では5年ぶりに「野戦教範100-5(Field Manual 100-5)」が改訂され、その内容に大きな注目を集めていました。
当時の政治情勢として、ロナルド・レーガン大統領の下で米国の対ソ政策が見直されていた時期であり、ヨーロッパにおけるNATOの通常戦力がWPのそれを規模で下回っていることが戦略上の課題となっていました。こうした情勢の中で米陸軍が教範の見直しを通じて教義に再検討を加えることには、大きな意義があったのです。

著者がこの論文の冒頭で最初に注目しているのも、新たに定められた野戦教範の内容なのですが、特に注目したのは従来の教範で明示的に定義されてこなかった「作戦」という概念を戦略と戦術の中間にはっきりと位置付けたことでした(Franz 1982: 3)。
この改訂を著者は支持していますが、その理由として戦略と戦術を結び付けるために、作戦が理論的にも、実践的にも重要な役割を担っていると考えているためです。

その重要性は、戦争で部隊に機動を行わせる際に顕著になります。大規模な部隊による戦略機動から、小規模な部隊による戦術機動を連続的に展開することの軍事的な有効性は、すでにナポレオンによって証明されていると著者は述べています。
「かつて戦略は戦争の作戦レベルを示唆するためにしばしば用いられてきたが、近年においては、戦略は意思決定で最も高度な領域に適用されるようになっている。戦争の作戦レベル(の運用)は、ナポレオン戦争において最も著しく発展を遂げた。ナポレオンによる戦争術への最大の貢献は、このレベルにある。ナポレオンは行進、機動、交戦、そして追跡を一つの連続的な過程にまとめ上げた。これは戦略から戦術への移行に他ならない」(Ibid.: 3)
さらに著者は、ソ連軍がナポレオンが編み出した機動のモデルを理論的にも、実際的にもよく取り入れていることを指摘しています(Ibid.: 4)。米軍としても作戦レベルの機動に関する研究を早急に進めるために、著者は改めて作戦レベルにおける機動とはどのようなものであるのかを理論的に考え直すことが必要だと考えたのです。

機動を動態的なものとして考える
新たな教範では、火力、防護と並んで機動が戦闘力を構成する重要な要素であるとされており、そこでは機動が「戦闘の動態的要素であり、小規模な戦力であっても大規模な戦力を撃破することを可能にする奇襲、心理的衝撃、陣地、または戦機の利点を獲得し、また活用するために、決定的地域に戦力を集中させる手段」と定義されています(Ibid.: 6)。

これは機動の効果を要約した記述として評価できますが、教範で示された機動の形態が「正面攻撃」、「浸透」、「包囲」の3種類を挙げるに止まっており、それらの機動の組み合わせや敵と味方の相互作用について議論されていません(Ibid.)。

利用可能な資料から著者が判断したところによると、ソ連軍では攻勢作戦のために2種類の機動を定義しています。一つは側面攻撃であり、もう一つは包囲です(Ibid.)。
興味深いのは、いずれの機動の場合でも必ず正面攻撃の要素が含まれている点です。これは、敵に側面攻撃や包囲を仕掛ける際には、必ず正面攻撃によって敵の部隊を拘束し、また間隙を形成させる必要があることを踏まえた記述となっています。
ソ連軍の攻勢作戦で使用される機動の類型。上の図が側面攻撃の概念図であり、下の図が包囲の概念図。いずれの場合も敵に正面攻撃を実施しており、側面攻撃と包囲の選択はどこまで敵の後方に進出するかで区分されている。(Ibid.: 7)
ソ連軍の教範における機動の解説には優れた点があります。それは機動の問題を単なる形式の問題に単純化していない点であり、より動態的な性質のものとして把握されています。
著者はこうした機動の理解をさらに発展させるために、1944年のノルマンディー上陸作戦の事例も参照しています。
この事例では、ドイツ軍に対して連合軍が作戦レベルでの包囲を成し遂げた経緯が見て取れます。
「第3軍の作戦地区でアヴァランシュ、フージェール、ラヴァル、ル・マンからアランソンまでは、ドイツ軍の組織的抵抗をほとんど受けなかった。そのため、ウェード・H・ハイスリップ少将の第15軍団は南進してから東進し、8月13日までにファレーズの間隙のすぐ近くまで北進することができた。この4日間で、第15軍団はサンティレールからル・マンまでの75マイルを駆け抜けた。この前進によってセーヌ川の西岸にいたドイツの複数の軍がほぼ包囲された」(Ibid.: 8)
1944年8月7日から11日にかけてのノルマンディー戦線の状況図。
第15軍団は迅速な機動によってル・モン(地図右下の市街)を通過して北進し、ドイツ軍を包囲している。ドイツ軍の後方地域に進出したことで、別の地区で戦闘中だった味方の部隊の行動を助けている。
(Ibid.: 9)
こうした事例の検討から、著者は機動の本質は主導的地位を獲得することであり、戦いを主導することによって味方の行動の自由を拡大することが可能になると論じています。
敵がうまく対処できない場所、時期、方法を選択することが機動にとって最も重要なことであり、それに成功することによって敵は側面攻撃や包囲によって行動の自由を奪われ、その分だけ見方は行動の自由を得ると考えられるのです。

さまざまな機動の分類とそれらの関係
著者はソ連軍の機動に対する考え方に影響を受けていますが、さらに独自の見解も発展させています。
それが以下に示す6種類の機動のパターンであり、新教範の形式的な機動の分類方法をある程度尊重しながらも、敵と味方が相互にせめぎ合う状況を想定した機動のパターンについても踏み込んで考察しているのが特徴です。
正面攻撃:敵の戦力を正面から攻撃する機動の方式(Ibid.: 10)
包囲または側面攻撃:味方の予備で敵の弱点を攻撃する機動の方式(Ibid.)

浸透:正面から敵の後方地域に進出して、後方連絡線を狙う機動の方式(Ibid.)
これらは新教範の機動の分類をそのまま受け入れたものと言えますが、著者はさらにこれらの機動を組み合わせて行うことも可能であり、具体的には次のような機動の方式があると著者は考えています。
正面攻撃と浸透:敵に正面攻撃を加えるが、味方の予備で浸透を行う機動も行う。この場合に敵は予備を用いて浸透に対処することが予測される。(Ibid.)
正面攻撃と包囲・側面攻撃:味方の予備で敵の弱点を狙うが、正面攻撃で敵の主力を拘束する機動、敵は予備をもって包囲に対処することが可能。(Ibid.: 11)
浸透と包囲・側面攻撃:浸透と包囲を組み合わせた機動であり、正面攻撃は実施しない。敵は側面に予備を使用するのか、浸透に対処するのかを判断する必要が生じる。当初配備した部隊から戦闘に参加していない部隊を抽出し、味方に包囲を仕掛けることも考慮される。(Ibid.)
機動の形態の間の関係を示した概念図。
正面攻撃で敵を拘束し、包囲で側面に敵を引き付け、浸透で敵の防御態勢を崩す、という機動の組み合わせ方が一般的に示されている。戦いを主導し、敵の行動の自由を奪うことが機動の本質という著者の説が反映されている。(Ibid.)
これらの機動のパターンを考えると、正面攻撃、包囲、浸透という3種類の機動を知るだけでは不十分であり、その組み合わせ方について習熟する必要が生じてきます。

この点について著者は「これら機動の3形態を動態的に運用することが、敵の平衡を動揺させ、勝利をもたらすのである。火力の集中とその使用は真の終わりを意味するに過ぎない。それは敵に抵抗を続ける意思を心理的に破壊するということである」と述べています(Ibid.: 11)。
これは、作戦レベルの運用において、火力を指向するためには、機動が適切でなければならないという意味であり、それだけに作戦指導において各部隊をどのように機動させるべきかを知ることが重要となるのです。

むすびにかえて
今回の論文は1980年代のソ連軍の脅威を念頭に置き、米軍としてソ連軍の機動に対処できるだけの能力を構築することを目指す内容であったと言えます。
この論文の著者が示した見解に対しては、読者によって異論があるかもしれません。機動の方式をどのように分類するのかという論点に関しては、さまざまな考え方があり得るので、ここで示された以外の機動方式を分析に加えるべきだという意見もありうるためです。
しかし、1982年の当時にあっては、ソ連軍の機動戦に関する研究が米軍のそれよりも全般として優れていたということについては多くの人が同意すると思います。

敵の全縦深にわたって打撃を加えるという作戦の基本思想は1930年代にソ連軍で確立され、第二次世界大戦でドイツ軍との熾烈な戦いからその妥当性が実証されました。
冷戦に入っても1980年代に至るまで長い時間をかけて作戦レベルの機動に関する研究が継承されており、それはソ連軍の教義において中心的要素と位置付けられてきました。

こうした研究の蓄積がほとんどなかったことが、1980年代に米軍において問題として認識されるようになり、そうした問題に取り組む初期の論文として今回の研究が登場してきました。
その後、米軍ではNATOの有事の対ソ作戦として、ソ連軍の後続部隊が第一線に到達する前に航空優勢を獲得し、航空阻止によって敵を撃破するというエアランド・バトル(Air-Land Battle)を構想するようになったのです。

KT

関連項目
陸軍の戦術で用いられる攻撃機動の五類型
論文紹介 参謀総長モルトケの戦争と作戦術の原点

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