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2016年8月10日水曜日

文献紹介 ハートランドの支配ではなく、リムランドの支配を重視せよ

国際関係、特に安全保障を研究する人間にとって、地理は常に重要な研究対象とされてきました。その国家が世界においてどのような地理的位置に存在するのか、どのような形状、形態の国土を持っているのかによって、その国家が選択すべき政策は大きく変わってくるためです。
さまざまな研究者がこの問題に取り組んできましたが、特に米国の政治学者ニコラス・スパイクマン(Nicholas J. Spykman)は、地理が国際政治に与える影響を体系的に分析した功績で知られています。

今回は、彼の著作『平和の地政学』を取り上げ、どのような内容だったのかを一部紹介したいと思います。

文献情報
Spykman, Nicholas J. 1944. The Geography of the Peace, New York: Harcourt, Brace.(邦訳、ニコラス・スパイクマン『平和の地政学 アメリカ世界戦略の原点』奥山真司訳、芙蓉書房出版、2008年)

ランドパワーとシーパワーの対立
マッキンダーの地政学の理論で示された地域区分では、世界が3個の地域に区分されている。
ユーラシア大陸の中心にある枢軸地域(pivot area)またはハートランド、その周辺にある内側三日月地域(inner crescent)、さらにその外方にある外側三日月地域(outer crescent)とそれぞれ名付けられているが、スパイクマンはいくつかの名称を修正しながら使用している。
この研究では、国際情勢を分析する目的で、最大の大陸であるユーラシア大陸に着目した上で、世界を3個の地域に区分できると想定しています。
第一の地域はハートランド(heartland)であり、これは外洋の海上交通から地理的に隔絶されたユーラシア大陸の内陸部をいいます。第二の地域はリムランド(rimland)であり、これはハートランドに隣接して位置するユーラシア大陸の沿岸地域をいいます。第三の地域はオフショア(off-shore)であり、これはユーラシア大陸と海で切り離された島嶼や沖合の大陸のことをいいます。
こうした区分の仕方は著者の独創ではなく、マッキンダーの過去の研究成果を踏まえたものとなっています。

興味深い点は、マッキンダーが国際政治で優位に立つために重要なのは、ハートランドの支配に他ならないと主張したのに対して、著者はそうではないと批判したことです。著者はマッキンダーの学説を次のように紹介しています。
「マッキンダーは、「ユーラシア大陸における政治面でのおおまかな動きは、ハートランドから外に向かおうとする遊牧民がリムランドに対してかける圧力によって説明できる」と主張している。ロシア帝国は海へのアクセスを求めたが、19世紀にはユーラシア大陸周辺の沿岸に勢力をくまなく拡大していたイギリスのシーパワーにその進路を妨害されている。イギリスの帝国的なポジションは、ユーラシア大陸を海洋側から周辺の海の公道に沿って圧倒的な海軍力を維持して維持することによって成り立っていたのだ。このポジションを脅かす唯一の脅威はユーラシア大陸の沿岸部に競争相手となる新たなシーパワーが登場することや、ロシアのランドパワーが沿岸部に到達することであった」(邦訳、スパイクマン『平和の地政学』100頁)
マッキンダーは19世紀にハートランドを支配し、ランドパワーとして勢力圏を拡大していたロシアが、シーパワーのイギリスの抵抗を受けた事例を示し、これがランドパワーとシーパワーの対立という歴史的パターンに従っていると考えていました。
確かに、19世紀の歴史を振り返ると、ロシアは中東、中央アジア、東アジアにわたって広範囲に勢力圏を南下させる政策を採用しており、それが1853年に勃発したクリミア戦争の遠因にもなっていました。

マッキンダーの間違い
マッキンダーはランドパワーとシーパワーの対立を一つのモデルとして考えたが、スパイクマンはそのような対立は純粋な形で起きたことがなく、リムランド国家の行動がより重要であると指摘した。第一次世界大戦でイギリスがフランス、ロシアと同盟を結び、ドイツ、オーストリアと戦ったことは、ランドパワーとシーパワーの対立という単純な構図で説明できないと指摘されている。
しかし、著者はマッキンダーがランドパワーとシーパワーの対立というパターンにこだわった結果、いくつかの事実を無視しているのではないかと指摘しています。
「マッキンダーは自分の理論を強く確信しており、すべてのヨーロッパの本質は1919年に主張した「ランドパワー対シーパワーの戦い」というパターンに従うはずで、しかもロシアが最終的に打ち倒されるまでこの戦いの本当の姿は見えてこない、と主張している。つまり、当時のイギリスのシーパワーはハートランドを支配するランドパワーに対して戦っている、と考えていたのだ。しかしこの解釈に従うと、フランスがランドパワーとして果たした役割を説明できないし、ロシアが東部戦線で3年間も耐えたという事実を無視しているようで無理がある」(同上、100-101頁)
マッキンダーの研究が最初に発表されたのは、英露協商が締結される前の1907年のことであり、その研究は当時の時代背景が影響している部分が少なくありませんでした。
著者はマッキンダーの分析の枠組みを参照しながらも、より多くの歴史的事例を取り入れた定式化をやり直す必要があると考え、純粋な意味でのランドパワーとシーパワーの対立という地政学的モデルから離れるべきだと主張しています。
「要するに、今までの歴史の中では、純粋な「ランドパワーとシーパワーの対立」は発生していない。戦いの組み合わせを歴史的に見れば、「リムランドの数カ国とイギリスの同盟国」が、「リムランドの数カ国とロシアの同盟国」に対抗したり、イギリスとロシアが支配的なリムランド国家に対抗するという構図があった。したがって、マッキンダーの格言である「東欧を支配するものはハートランドを制し、ハートランド支配するものは世界島を制し、世界島を支配するものは世界を制す」というのは間違いである。もし級世界のパワー・ポリティクスのスローガンがあるとすれば、それは「リムランドを支配するものがユーラシアを制し、ユーラシアを支配するものが世界の運命を制す」でなければならない」(101頁)
これはマッキンダーの研究に対する重要な批判でした。ハートランドに位置するランドパワーと、オフショアに位置するシーパワーの中間に位置しながら、どちらの勢力にも従属せず、独特な振る舞い方をする可能性があることが示されているためです。

そもそも、リムランドに位置する国家は大国として勢力を拡大するために必要な人的、物的資源に恵まれている場合が少なくありません。
もしリムランドに現状打破を意図する国家が出現すれば、それはハートランド、オフショアのいずれの方向に対しても自在に勢力圏を広げることが可能であるため、ランドパワーとシーパワーと随時同盟関係を切り替えておけば、さまざまな正面に勢力を指向することが政策的に可能となるのです。

日米関係の焦点は極東のリムランドだった
1922年、ワシントン会議は史上初の軍縮会議として知られており、米国の主催の下で日英仏伊等9か国が参加した。
この会議の結果、日本は主力艦の保有量については対米7割の水準を受け入れることになり、海上兵力の整備で外交的制約を受けることになった。
ランドパワーとシーパワーの対立というマッキンダーの分析を批判し、リムランドの重要性を認識することによって、著者は第一次世界大戦以降の日本の政策とそれに対する米国の政策をより適切に理解できるようになると考えました。
著者は第一次世界大戦後の米国と日本の対立について次のように説明しています。
「日本は1915年に中国に対して二十一カ条の要求を突き付けることによって、その動きを開始した。その後の1918年には、同盟国と共にシベリア出兵を行っており、自国の利益を強く主張している。もしこの時に反発する勢力がなければ、日本はこの紛争でアジアのリムランドを完全支配していたかもしれない。
 1921年から22年にかけて行われたワシントン会議では、日本の極端な二十一カ条の要求が部分的にしりぞけられ、同時にシベリアと山東半島からの撤退も実現した。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約よりもワシントン会議での諸条約に注目してみると、我々はこの会議の権力闘争で勝利を収めることができたおかげで、敵を比較的に狭い地域に押し込めることができたのだ。しかしそれでも彼らがリムランドの支配と広大な潜在力を求める拡大政策を再開させるまで長くはかからなかった。第二次世界大戦はこの政策が継続していたことを証明しており、日本は1931年、そしてドイツは1936年から、積極的にその活動を再開しているのだ」(同上、102頁)
ここで述べられている二十一カ条の要求とは、第一次世界大戦でヨーロッパ諸国が中国問題に介入できる国力がないことを利用し、日本が中国の袁世凱政府に承認させた要求のことです。
山東省にあったドイツ権益を日本が継承することや、南満州、東部内蒙古の日本の利権を強化すること等がその具体的内容として含まれていました。

その後、日本は獲得した中国の権益を他の列強に事後的に承認させるため、ロシアや英国、米国との外交交渉をまとめています。第一次世界大戦の最中にロシア革命が起こると、日本は社会主義を敵視する米国等の列強とも連携してシベリアに軍隊を派遣しました(シベリア出兵)。

著者はこうした日本の行動と米国の対抗措置は、朝鮮半島をはじめとするリムランドの支配を政治的に重要視したものであり、1921年に行われたワシントン会議は海軍軍縮と極東問題を審議するための交渉であったというよりも、本質的にリムランドに対する日本の勢力を抑制することを狙ったものだったと説明しています。
その成果によって米国は(少なくとも1931年の満州事変までは)日本の勢力圏の拡大を抑え込むことが可能となったのです。

むすびにかえて
地図上で国際政治を研究する人にとって、地政学は何か特殊な学問体系というよりも、日常的に参照する分析ツールのようなものと言えます。原理は単純なのですが、さまざまな事例や状況に当てはめることで、その概念が持つ意味をより深く理解することができるようになるのです。
スパイクマンの研究はハートランド、リムランド、オフショアという三つの地域に世界を区分することによって、世界情勢の動向をより体系的に説明することが可能になることを示唆しており、特にリムランド国家の動向が国際政治を研究する上で大きな意味を持つという洞察を示しています。

KT

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