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2016年7月24日日曜日

論文紹介 日本の対ソ戦略で海峡封鎖が重視された理由

レーガン米大統領と中曽根首相。
ソ連のアフガン侵攻で勃発した新冷戦では、米国の対ソ戦略で日本も積極的役割を果たそうとした。
中曽根首相は日米同盟の強化を重視し、自衛隊を「盾」、米軍を「やり」として相互に補完し合う関係を主張した。
冷戦の歴史は核兵器の歴史であり、米ソ両国は互いに相手の核戦力を念頭に置きながら、少しでも有利な軍事的態勢を実現すべくしのぎを削っていました。この政治的競合は1970年代の緊張緩和(デタント)によってひと段落するのですが、1979年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻で再び米ソ関係は新冷戦に突入してきました。

今回は、新冷戦が始まってから間もない1980年代前半の時期に、米国と同盟関係にある日本が対ソ抑止でどのような役割を果たすべきかを考察した自衛官の戦略研究を紹介したいと思います。

文献情報
西村繁樹「日本の防衛戦略を考える―グローバル・アプローチによる北方前方防衛論」『新防衛論集』第12巻第1号、1984年、50-79頁

極東方面におけるソ連の戦略分析
デルタIII(NATOコード)型原子力弾道ミサイル潜水艦。
北方艦隊と太平洋艦隊に配備されており、ソ連にとって第二撃を担う核戦力として運用されていた。
国際情勢が新冷戦に突入し、米ソ関係が新たな局面を迎えていることを踏まえた上で、著者は極東方面におけるソ連軍の活動が1979年以降になって極めて活発になっていることを指摘しており、具体的には以下のような事象が重要であると論じています。

(1)ソ連海軍の太平洋艦隊が増強。
(2)ソ連空軍の装備が近代化。
(3)ソ連陸軍の戦力規模がウラジオストクで15個師団、樺太2個師団、カムチャツカ半島1個師団、北方領土1個師団、バイカル湖以東には40個師団にまで増勢。
(4)極東方面に中距離弾道ミサイルSS-20が初めて配備(54-55頁)。

こうした個々の兆候を総合判断した著者は、ソ連軍が整備しようとしている軍事力は、海洋要塞として知られる戦略を実行するための能力である可能性が大きいと指摘しています。
つまり、ソ連はその戦力を外洋に進出させることよりも、近海に展開し、防勢の態勢で米軍の攻撃を待ち受けようとしている、ということです。

このような戦略を策定した要因として考えられるものとして、著者は米国の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の「ポラリス」、「ポセイドン」の射程が延伸されたことを指摘しています。
そもそもSLBMには核弾頭を搭載することが可能であるため、ソ連としては戦争の序盤で米国の地上の弾道ミサイルや戦略爆撃機を全て核攻撃で破壊できたとしても、米国の核戦力で報復される可能性をなくすことができません。
したがって、米国を第一撃で可能な限り武装解除し、事後の外交交渉を有利に進めるために、ソ連海軍の戦力を攻勢的に活用し、SLBMを搭載した米海軍の原子力潜水艦を積極的に捕捉、撃沈しなければなりません。

しかし、米国のSLBMの射程が延伸されれば、それだけ米海軍は原子力潜水艦をよりソ連から遠く、また広く配置することが可能になり、ソ連海軍がこれを撃沈できる公算は低下してしまうため、著者はソ連が戦略を見直したと判断しているのです(同上、60頁)。
ソ連の近海に米国の艦隊が進出することを拒否できれば、SLBMを搭載した原子力潜水艦をそこに展開し、ソ連としても第二撃能力を確保することが可能になります。これはその後の外交交渉での優位を確保することに寄与すると考えられます。
ソ連の太平洋艦隊が太平洋に進出して防衛圏を構成するためには、オホーツク海と日本海の制海権を確立するだけでなく、宗谷海峡か津軽海峡を通過する必要があるが、そのためには沿岸地域を攻略奪取しなければならない。そのため、樺太から近く、宗谷海峡を確保できる道北は理想的な攻撃目標と考えられる。
新たにソ連が策定した防衛の方法は「ゾーン・ディフェンス」と呼ばれるものだと著者は指摘しており(同上)、これは二重の防衛圏から構成されるものです。
内部防衛圏は本土防衛のためのものであり、極東方面ではオホーツク海がここに組み込まれます。外延防衛圏はソ連に対抗して海上封鎖を行うことが可能な国を米国から分断するためのものであり、オホーツク海の外側に位置する太平洋の一部海域がここに含まれます(61頁)。日本はいわばこの外側の防衛圏に組み込まれる地理的環境に位置することになります。

戦争が勃発した際に、ソ連海軍が太平洋艦隊を太平洋に直ちに進出させようとすると、津軽海峡か宗谷海峡を通過する必要が出てきます。
著者は米海軍の情勢判断としてはソ連軍の作戦計画で攻撃目標とされているのは道北と推定されていることを紹介しており、北海道北部の占領によって宗谷海峡の海上交通路を確保することがソ連軍の主目標ではないかと判断しています。
こうした脅威が1980年代に自衛隊が対応すべき安全保障上の課題となっていたのです。

多正面限定通常戦争のシナリオと日本の戦略
1980年の東西両陣営の勢力図。青色、水色が西側陣営、赤色、ピンク色がソ連の陣営の勢力圏。
1980年以降にソ連がアフガニスタンに侵攻すると、米国は欧州、極東に加えて中東でも対応が求められることになった。
著者は、日本の戦略を考えるためには、極東方面だけを考えるのではなく、世界情勢を包括的に検討することが必要だと論じています。これは日本と同盟関係にある米国が部隊を世界展開しているためです。
当時、中東ではイラン革命、アフガニスタン侵攻が発生したこともあって、ソ連軍に対する米軍の通常戦力の相対的劣勢は深刻な問題となっていました。これは戦争が勃発した際に、米軍の防衛態勢が通常戦力で維持できなくなり、早期の段階で核エスカレーションに移行せざるを得ないリスクがあると著者は指摘しています(同上、65-7頁)。

しかし、核戦力を使用するという政治的意思決定は容易なことではありません。米軍が核兵器に依存した防衛態勢を構築するようになれば、ソ連の立場から見れば米国は最後は譲歩するのではないかと判断する恐れが出てきます。
結果として、米国の抑止力に対する信頼性が低下し、ソ連が攻勢に出てくる確率を引き上げてしまいます。
この可能性を回避するには、ヨーロッパや中東で武力衝突が発生した際に、北東アジアに配備した米軍の戦力を速やかに移動させること、いわゆるスイング戦略が必要となります。
この場合の問題は、極東方面におけるソ連軍の攻撃に対して自衛隊が主体的に対処せざるを得ないことです(同上、68頁)。

著者は対ソ戦略において考慮すべきは、核戦争を想定したシナリオよりも、こうした通常戦争を想定したシナリオ、つまり多正面限定通常戦争であると主張しています。
「核均衡という今日の戦略環境においては、そのような戦争(東西の通常戦)は核戦争に至る段階で過渡的に生ずる交戦形態であろうという従来の認識よりも、そのレベルで持続し、終結へと向かう独立した形態として認識を新たにする方が妥当性がある」(同上、72頁)
つまり、核戦力を持たなくても、通常戦力を持つ日本の抑止力をもって米国の世界規模の対ソ戦略に寄与することは可能であるということです。日本がその地理的な環境から戦争に巻き込まれることを避けることは難しいため、日本がすべきことは速やかに「北方前方防衛態勢」を構築することである、というのが著者の考え方です(同上、75頁)。
北海道の防衛に当たる陸自の北部方面隊は1962年から4個師団の体制に移行した際に、機甲師団が配備されている。
樺太、千島列島方面からソ連軍の攻撃を受けた際には二正面となる危険もある地域であり、またソ連艦隊が宗谷海峡を通過することを阻止する上で重要な意味を持っていた。(写真は日米第11旅団HP「第11旅団の歴史(昭和58年)」より)
この戦略構想の特徴は、戦争が勃発した序盤で海峡を陸上戦力で確保し、ソ連海軍が太平洋に進出することを妨害するという点にあります。
道北から青函までを陸自の部隊で防衛するだけでなく、北海道の航空作戦ではアラスカ方面から米空軍、米海軍と連携し、カムチャツカ半島、オホーツク海のに対して二正面作戦を行うことで、ソ連空軍に北海道の航空優勢を奪われないようにすべきとも述べられています(同上、76頁)。

さらに著者はソ連海軍に対する海上優勢を獲得するために、水上艦発射巡航ミサイル(SLCM)の配備を要請し、ソ連が極東の兵力を他の正面(中東、ヨーロッパ正面)に転用する事態を防止することや、長期的な方針として準中距離弾道ミサイルのパーシングⅡを日本にも配備すること、核戦争を想定した単一統合作戦計画(SIOP)での対日コミットメントの明確化をすること等にも言及しています。

結びにかえて
こうした一連の取り組みによって、極東正面における日本の防衛力を強化すれば、ソ連軍がその戦略を実行に移すことを妨げ、米国はその部隊を他の正面に移動させることができるようになり、引いては米国の抑止力の信頼性を高めることに繋がることになります。
つまるところ、著者は日本の北方前方防衛態勢は、日本の国土防衛という意味を持つだけではありません。同盟国である米国が中東やヨーロッパに兵力を転用する可能性を広げ、ソ連に対する通常戦力の不足を補いやすくするというものであり、それによって世界の均衡が維持されるようになれば、ソ連軍は結果として対日侵攻も断念せざるを得なくなる、というものです。

冷戦の歴史は米国とソ連という核兵器を持つ超大国の競合という性格が強いため、日本のような核戦力を持たず、通常戦力も限られた国家の軍事的な役割はしばしば見過ごされてしまいますし、実際に国民もそうした役割を意識することはほとんどありません。
もはや米ソ冷戦は過去の話となってしまい関心も薄れる一方かもしれませんが、当時の緊迫した国際情勢の中で自衛官は日本の戦略について研究を重ね、防衛力を整備し、ソ連に対する抑止力の充実に努力していたことは、より多くの人に知られる価値があると思います。

KT

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