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2016年6月7日火曜日

事例研究 リンカーンの憲法違反と戦争権限

エイブラハム・リンカーン大統領とジョージ・マクレラン司令官。
南北戦争で北部を勝利に導いた歴史的功績でその名を知られている。
アメリカは成文化された憲法に基づいて建国された史上初の国家でした。憲法では大規模な常備軍の編成を妨げるため、戦争の準備と遂行に関する権限が大統領ではなく、議会に属していた歴史があります。しかし、このような憲法上の規定は南北戦争で大統領が国防のために行使すべき権限を制約し、結果として超法規的行動を余儀なくした側面もありました。

今回は、南北戦争が勃発した1861年にエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が発動した戦争権限の成り立ちについて説明してみたいと思います。

戦争勃発時の政治・軍事情勢
南北戦争に参戦した諸州の区分。
青色が北部、赤色が南部、水色は奴隷制でありながら北部に残留した州。
黒人奴隷制度の非人道性、アメリカの北部と南部の社会的・経済的な分断、連邦政府と州政府との関係に関する憲法論争等、南北戦争を引き起こしたとされる要因は多岐に渡り、研究者の間でも議論が分かれる複雑な問題です。
さまざまな思惑が入り乱れる中で、アメリカという連邦国家からの分離独立を図る勢力は、1861年4月12日、サウスカロライナ州チャールストンのサムター砦に対して攻撃を加え、これをもって北軍と南軍の本格的な軍事行動が開始されました(ミレット、マスロウスキー, 2011, p. 223)。

北軍を指揮するリンカーン大統領は南部諸州の反乱を平定できるだけの十分な経済力を活用することが可能でした。1861年に北部の白人人口は2000万であり、南部の600万に対して3倍以上の数値でした(Ibid. p. 224)。さらに北部には移民として流入する人口も多く、実際に南北戦争では全期間を通じて200万名以上の移民が軍隊に入隊したことが分かっています(Ibid. p. 226)。
さらに北部は財政構造でも南部に優越しており、歳入の21%は課税で、63%を国外からの借款によって調達しましたが、国力で劣る南部に対して外国政府が資金を融資することはありませんでした(Ibid. pp. 226-7)。

基礎的国力でこれほどの格差があるとすれば、北軍に対して南軍が優勢になることはほとんど絶望的かと思われます。
しかし、南北戦争は直ちに終結に向かうことはなく、1865年まで4年間にわたって続くことになりました。その理由の一つは、戦争が勃発した当時、リンカーンが直ちに動員できる軍隊が実態としてほとんど存在しないためでした。これは合衆国憲法が大統領の一存で大規模な常備軍を編成、運用することを妨げていたことの必然的な結果だったのです。

合衆国憲法における非常事態の問題
南部との戦争が迫る緊迫した政治情勢で行われた1861年の大統領就任式。
この時の演説でリンカーンは南部に奴隷制の撤廃を強制する意図がなく、戦争回避を求める意向を表明した。
1861年3月4日に大統領に就任したリンカーンは、もはや戦争が不可避な政治情勢に直面しており、一刻も早く軍隊を編成する必要がありました。しかし、この編成作業を進める上で妨げとなっていたのは合衆国憲法の規定でした。

合衆国憲法が規定した政治制度の特徴を一言で表すならば、それは徹底した権力分立です。
例えば、合衆国憲法の第一条は戦争を宣言する権限、陸軍を徴募及び維持する権限、海軍を建設し、維持する権限、陸海軍の統制及び規律のための規則を定める権限、そして連邦の法律を執行し、反乱を鎮圧し、侵入を鎮圧するため民兵の招請について定める権限、つまり軍隊を編成するために必要な各種権限が大統領ではなく、連邦議会に属するものと定められています。

大統領の権限について合衆国憲法の第二条は「合衆国の陸軍及び海軍及び合衆国の兵役のために招請された各州の民兵の最高司令官である」と規定しているに過ぎません。
憲法で大統領が「最高司令官」であると曖昧に規定されていながら、その具体的な権限が不明であることは、その後の大統領の権限の範囲をめぐって憲法上の論争を引き起こすものでした。この点について政治学者ハンチントン(Samuel P. Huntington)は次のようにその危険を説明しています。
「大統領は『陸軍・海軍を指揮する』機能を与えられていない。彼は『最高司令官』という官職を与えられているのである。このような形態上の差異は非常に重要である。憲法起草者たちは大統領の権限を官職として定義することによって、それが持つ特殊な権限や機能を未定義のままにしておいた。このことは、憲法批准会議での憲法の承認を容易にしたが、それは次の世代に思案し、議論させる要素を与えることになった。つまるところ、最高司令官の権限とはなんであるか。それらは戦争指導という極端に広範な権限から軍隊の指揮という狭い限られた権限に至るまでの範囲を持つのであろう。それらは明らかに議会や州に特別与えられたあらゆる権限を排除する」(ハンチントン, 2007. pp. 174-5, 「総司令官」を「最高司令官」に修正)
つまり、サムター砦の陥落という国家の非常事態を受けて、リンカーンが最初に直面したのは、南軍の脅威ではなく、憲法の問題でした。リンカーンは合衆国憲法を尊重しなければならない一方で、軍事的脅威に対処するために憲法が規定しない領域に踏み込んだ権力の発動を要求されたのです。

憲法違反の議会承認と「戦争権限」の創出
1861年、サムター砦の陥落をもって北部と南部は戦争状態となった。
しかし、当初は北部は本格的な作戦行動に必要な軍備を欠いていた。
サムター砦陥落の3日後に当たる4月15日以降、リンカーンは憲法上の規定の逸脱ともとれる行動を取り始めました。
15日に布告された執行宣言で、リンカーンは7月4日に特別議会を招集することを上下両院に要請し、同時に反乱を鎮圧する目的で7万5000名の民兵を動員することを宣言します(Richardson: 1897: Vol. 11, pp. 13-4)。
5月3日に布告された執行宣言では、三年間にわたって軍務に従事する4万2034名の志願兵を募集していますが、正規の陸軍2万3000名、海軍1万8000名の増員を、やはり大統領が議会の承認も得ずに決定しています。これは憲法に定められた連邦議会の権限を侵害する決定でした(Ibid., pp. 14-5)。

研究者もこの決定については「この驚くべき憲法規定の無視は不可避なものであったという多数意見はあったものの、誰も合憲的であるとは考えなかった」と評しています(ロシター, 2007. p. 339)
しかし、7月4日に開会された議会でリンカーンは一連の行動を「戦争権限(the war power of the government)」によって正当化する主張を展開し、連邦議会はこれを事後承認したのです(Ibid., p. 342)。この戦争権限は、合衆国憲法に曖昧にしか定義されていなかった大統領の権力を強化することに大いに役立ち、その後のリンカーンの戦争指導で活用されることになりました。

その後、最高裁判所はこの戦争権限に関して次のような判断を示しています。
「大統領が内乱を治安圧するため、軍最高司令官としての義務を遂行する際に、交戦国としての性格を与えざるを得ないような驚くべき規模の武力反乱や内戦にどのように対処するかは、大統領によって決定されるべき問題である。当裁判所はこの権力が付与されている政府の行政部局の決定および行動に拘束される。彼は危機が要請する武力の程度を決定しなければならない」(Ibid., p. 345)
言い換えれば、大統領は国家が脅威に晒されている緊急事態においては、その必要に応じて戦争遂行のための権限を行使できるということです。

むすびにかえて
古代ローマの「武力がものを言えば、法律は沈黙する」ということわざは、戦時と平時で国家のあるべき体制が大きく異なってくるという考え方を示すものです。
リンカーンはアメリカの大統領として南北戦争に対処するため、この考え方を適用することを決断しました。しかし、だからといってリンカーンが合衆国憲法を軽視していたというわけではなく、合衆国憲法に基づく国家体制を防衛するためには、合衆国憲法の規定を超えた権力を行使せざるを得ないというジレンマに直面し、それを解決するため彼は戦争権限を必要としたということです。

このことの是非は人によってさまざまでしょうが、少なくとも世界最古の成文憲法を持つ国家の歴史にこのような出来事があったことを知っておくことは、今の日本の憲法問題を考える上においても重要なことであると思います。

KT

参考文献
Huntington, Samuel P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Practice of Civil-Military Relations, Cambridge: Harvard University Press.(邦訳、ハンチントン『軍人と国家』市川良一訳、原書房、上下巻、2008年)
Millett, Allan R., and Maslowski, Peter. 1994(1984). For the Common Defense: A Military History of the United States of America, Rev. New York: Free Press.(邦訳、A・R・ミレット、P・マスロウスキー『アメリカ社会と戦争の歴史: 連邦防衛のために』防衛大学校戦争史研究会訳、彩流社、2011年)
Richardson, James D., ed. 1897. The Compilation of the Messages and Papers of the Presidents, Vol. 10, Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office.
Rossiter, Clinton L. 2007(1948). Constitutional Dictatorship: Crisis Government in the Modern Democracy, New York: Rossiter Press.(邦訳、クリントン・ロシター『立憲独裁 源田字民主主義諸国における危機政府』庄子圭吾訳、未知谷、2007年)

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