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2016年6月8日水曜日

論文紹介 核戦闘でのペントミック師団の戦術

戦争の歴史を学べば、武器の改良と戦術の改良は絶えず影響を及ぼし合ってきたことが分かります。
このことは核の時代においても基本的には変わっていません。核兵器が登場したことにより、戦術研究もまたそれに対応できるように発達してきたのです。

今回は、核の時代における戦術学の動向を知るために、ペントミック師団の教義を戦術研究の観点から解説した論文を取り上げ、その内容を紹介します。

論文情報
John H. Cushman. 1958. "Pentomic Infantry Division in Combat," Military Review, Vol. XXXVI, No. 10, pp. 19-30.

ペントミック師団はどのような部隊か
1952年、米国が史上初の水爆実験を成功させ、冷戦は新たな段階に入った(「軍事的観点から考える水爆の重要性」を参照)。
1953年に発足したアイゼンハワー政権は核戦略として大量報復を打ち出し、ヨーロッパ地域でソ連軍が侵攻してくれば、米軍としては核兵器の使用も辞さない意思を示し、ライン川の防衛線を固守する姿勢を明らかにした。この一連の軍事情勢が1957年にペントミック師団が導入される契機となった。
そもそもペントミック師団(pentomic division)は、核戦争での運用を想定し、米陸軍で1957年に編成された歩兵師団、空挺師団の総称であり、正式名称はそれぞれROTAD(Reorganization of the Current Infantry Division)とReorganization of the Airborne Division (ROTAD)でした。
1963年の改革でROAD師団へと改編されるまで、ペントミック師団は維持されましたが、これは核の時代におけるいかに地上戦を遂行すべきかを模索する米陸軍の組織的な挑戦でした。
この論文の著者も米陸軍で核兵器の使用を想定した戦術の研究に取り組み、新たな陸軍の教義を確立することで、ソ連軍に対する米軍の能力が低下しないように努めていたのです。

著者はペントミック師団の戦闘教義を考えるためには、戦争の形態が全面戦争、限定戦争等のようにさまざまな状況に対応できなければならないと考えました。
つまり、ペントミック師団は戦域を自在に移動できる機動力を欠かしてはならず、柔軟性、運動性を最大限に発揮できる編成を採用するべきである、と考えたのです(Cushman 1958: 19)。
ペントミック歩兵師団の編成表。
その最大の特徴は師団の下の連隊が廃止され、5個の歩兵戦闘団に置き換えられている点である。
核戦争において第一線に展開されるペントミック師団に求められたのは、核攻撃に対する脆弱性の軽減でした。従来の師団の編成では一撃で師団の兵力が完全に失われる恐れがあったため、より柔軟性に富んだ組織構造が必要だと判断されることになります。これがペントミック師団において連隊が廃止され、5個の歩兵戦闘郡(infantry battle group それぞれに4個小銃中隊、1個迫撃砲中隊、司令部、後方支援部隊)が置かれた理由でした(Ibid.: 20-1)。

さらに戦車大隊、騎兵大隊が1個ずつ置かれ、師団砲兵として105ミリ榴弾砲の射撃中隊が3個、155ミリ榴弾砲の射撃中隊が1個、203ミリ榴弾砲の射撃中隊が1個が置かれましたが、師団砲兵の指揮官については戦歩兵闘団の迫撃砲中隊の射撃を統制する権限を与えられることになりました(Ibid.: 21)。この権限を駆使すれば、師団砲兵は歩兵戦闘団に対して迅速かつ適切に火力支援を提供することが可能であると期待されました。

また工兵大隊、航空中隊を見ても歩兵戦闘団を直接支援するために注意が払われており、航空中隊に配備された航空機はヘリコプターを用いて短距離の部隊の移動を柔軟に支援できる体制もとられています(Ibid.: 22)。

核火力を活用した攻勢作戦

著者はこうしたペントミック師団で攻勢作戦を遂行するためには、その機動力を重視することが有効であると論じており、その具体的な攻撃の方法として浸透(penetration)を重視していました。その詳細について著者はペントミック師団の教義として以下のような提案を行っています。
「地形:組織化された航空機は障害としての高地の重要性を低下させる。核火力は地形から敵が設置した地上障害を一掃するために使用することが可能であり、それには機動を妨げることはできない」(Ibid.: 24)
「陣形:核火力は複数の地点で浸透することを可能にするため、敵は二方向以上から同時に加えられる攻撃に対して抵抗するために戦うことを強いられる。核兵器は攻撃開始線から直ちに戦果拡張の行動を開始することを可能にする可能性がある。核兵器の大規模な使用が可能であれば、助攻も主攻の活動に接近することが可能であるだろうし、その結果として敵を拘束し、欺瞞するための助攻に必要な兵力を除いた全兵力によって、戦果拡張の形態に近い作戦が行われるかもしれない」(Ibid.)
ここで述べられているのは陣地攻撃の実施要領に近いものですが、実際には防御陣地の施設やそこに配備された敵の部隊は戦術核兵器で一掃するため、攻撃開始と同時に戦果の拡張を行うという点が従来の戦術と異なっています。
ペントミック歩兵師団が攻勢作戦で陣地攻撃を行う場合の実施要領。
突撃準備として核火力を使用することで広範囲にわたり敵の防御施設を破壊する点が特徴。
左側が主攻であり、右側はあくまでも助攻であるため、可能な限り多くの敵の部隊を抑留することに主眼がある。
(Ibid.: 25)
このような攻撃要領において前提とされているのは、歩兵が自動車で移動できなければならないという点です。著者も述べている通り、核火力を使用する戦場で、部隊の運用に柔軟性を持たせるためには、それに応じた機動力を持たせることが必要です。
とはいえ、移動する距離が比較的近距離である場合に関しては徒歩での移動を想定していたことも著者の説明からは読み取れます。

核火力の下での防勢作戦

核火力が使用される環境で防御を研究するためには、そもそも戦術行動としての防御が成立する可能性があるのかどうかが問われなければなりません。
著者はこの難問を解決するために、縦深を大きく確保することで活路を見出そうとしています。
「核戦闘では縦深を持たせて防御陣地を構成することが重要となり、それは前方の陣地が敵の手に落ちても直ちに戦果を拡張することができないように防ぐものである。師団にとって偵察のための手段が増加しているため(例えば騎兵大隊、各戦闘群の偵察小隊、増強された航空機、戦闘地域の監視能力)、長距離偵察が可能であるだけでなく、組織化された防御陣地の間をより広く区切ることもできる」(Ibid.: 25-6)
理論的に言えば、この考え方は機動防御(mobile defense)の応用ですが、広域的に防御陣地を構成する場合についても想定はされたものです。
著者は防御陣地について次のように図を交えて説明しています。
「戦闘地域には要塞の守備兵力と予備を含む第一線の戦闘群が配備される。(中略)次の図は広正面における陣地防御を示しており、防御を変化させれば核兵器、通常兵器のどちが使用される状況にでも速やかに対応することができるであろう。それは陣地の縦深、強力な予備、そして協力は前方火力によって特徴付けられる。積極的な偵察と計画された火力は防御陣地の間隙を統制する上で極めて重要である」(Ibid.: 27)
ペントミック師団の防御陣地の一例を示した図。
この図の上方に対して警戒線を構成し、その下の戦闘地域では中隊が防御陣地に配備されている。
その背後には予備として拘置される部隊が配備されるが、正面はおよそ16,000ヤード(14キロ)、縦深は10から20マイル(16キロから32キロ)と記載されている。
(Ibid.: 29)
まとめると、敵の部隊が核火力を使用してくる状況が想定される場合には、師団として警戒線を可能な限り前方に位置させる工夫が大いに求められることになります。もし敵の偵察斥候がこの警戒線を通過し、後方の戦闘陣地の所在について把握してしまえば、敵は核火力でこれを一掃してくることでしょう。
核兵器が使用される戦場で部隊の所在を敵に捕捉されてしまうと、極めて不利な状態に置かれることになるため、味方の存在を秘匿し、かつ敵の状態を可能な限り探ることが重要であると考えられます。

むすびにかえて
核兵器の登場によって戦争は確かに以前よりも困難になりました。しかし、戦争が不可能になったとまで断定することはできません。少なくとも冷戦初期においては核兵器を戦術的に運用するための戦術はさまざまな形で模索されていました。その結果、世界各国の陸軍の編成や戦術に大きな影響を残しています。

特に歩兵師団は第二次世界大戦以前と異なり、可能な限り兵力の密集を避けることができるような運用が目指されるようになり、迅速かつ柔軟に部隊の移動のために装甲兵員輸送車等が積極的に開発されるきっかけとなりました。これもペントミック師団の編成や運用が、その後の陸軍のあり方に影響を与えたためだということができます。

KT

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