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2016年5月29日日曜日

論文紹介 兵士は恐怖との戦い方を知っている

恐怖とは戦争の本質と言えます。しかし、兵士は恐怖を押し殺し、自分の命を危険に晒してでも、断固として与えられた任務を遂行することが求められます。
銃声と爆音が辺りを支配し、敵の散兵と戦車が自分たちに向かって来るのが見えた時、兵士一人ひとりが規律と冷静を保ち、指揮官の命令に基づいて整然と自分の持ち場を守ることは、それ自体が一種の偉業とさえ言えるかもしれません。
しかし、これはどのようにして可能となっているのでしょうか。この疑問を解決するためには、軍事学において戦闘の恐怖がどのように研究されているのかを知る必要があります。

今回は、軍事心理学の研究を踏まえて戦場における恐怖について説明し、それに対応するための方法について考察した論文を紹介したいと思います。

文献情報
Daddis, Gregory A. 2004. "Understanding Fear's Effect on Unit Effectiveness," Military Review, July-August, pp. 22-27.

誤解されてきた戦場の恐怖
軍事学の歴史を振り返ると、戦争で人間が普遍的に感じるところの恐怖が研究の対象とされるようになったのは比較的最近のことであったと分かります。
これは恐怖を覚える兵士は勇敢であるとは言えない、という間違った通念が支配的だったため、表立って研究されることが少なかったためかもしれません。

著者が研究の出発点として位置付けているのは19世紀のフランスの軍事思想家シャルル・アルダン・ドゥ・ピック(Charles_Ardant_du_Picq)の研究であり、ドゥ・ピックは心理学的な観点から兵士が戦場で覚える恐怖に着目しており、それが「攻撃精神」を低下させ、引いては部隊の任務遂行に悪影響を及ぼしていることを初めて詳細に議論しました(Daddis 2004: 22)。

ただしドゥ・ピックの研究は一個人の研究であり、より体系的な調査が開始されるきっかけとなったのは第一次世界大戦以降のことでした。
この戦争で兵士はそれまでにない激しい砲撃や膨大な死傷者を目の当たりにし、第一線では兵士の恐怖にいかに対処するかが重大な問題として認識されるようになりました。
イギリス軍の軍医チャールズ・ウィルソン(Charles Wilson)は恐怖が人間の生存本能に即した自然な反応であり、「危険に対する自己保存」の感情的反応であり、勇気は「意志力」であると主張しました(Ibid.)。

戦闘で恐怖することは臆病だからではなく、人間の本能によるものであり、それに逆らって行動することこそが勇気であるというウィルソンの理解は、恐怖=臆病という構図を排除し、戦場における兵士の感情を研究する上で大きな助けとなったのです。

戦闘の恐怖を分析する
戦闘で兵士が感じる恐怖は一つの要因が作用して生じるものではなく、複合的な要因によるものと考える必要があると著者は指摘しています。

このことは第二次世界大戦に兵士として太平洋に送られた兵士の証言でも表れており、その兵士は戦闘状況でもないにもかかわらず、夜間に頭の中で想像を巡らせていてパニックになったことを報告しています(Ibid.)。
また著者は「兵士は戦争で多くのものが求められる。しかし、強い想像力はそれらには含まれない。ベトナムで最良の兵士は想像力に欠けた兵士であり、明白な理由がない限りは恐怖を覚えないような人間だ」という海兵隊員の言葉を紹介しています(Ibid.)。

つまり、戦闘の恐怖は客観的な状況を認識して感じるものだけではなく、その兵士にとって見ると主観的な側面があるということです。したがって、その対策も一筋縄ではいかないのです。
「何世紀にもわたり、兵士は目に見えない敵によって引き起こされる恐怖を抑え込むために戦ってきた。南北戦争が始まった時、北軍の騎兵は馬術において自分たちよりも遥かに優れた技量を持つ南軍の騎兵に対する恐怖に抗った。第二次世界大戦でイギリス軍のウィリアム・スリム将軍はビルマの森林地帯で日本人がより優れた森林戦の戦士であるという観念を克服するために努力した。戦術的勝利を経験するまで、兵士は敵に対する恐怖を乗り越えることはできず、敵に対して対等な立場で振る舞うことはできなかったのである」(Ibid.: 24)
戦闘で命を落とす可能性は兵士が考える敵のイメージと結びついて恐怖を増幅してしまいます。これは結果として兵士各人の能力を低下させ、部隊として任務を遂行することを難しくすることにもつながるのです。

戦場の恐怖は未知のものやこれらか発生するであろう事態に対する恐れ、敵に対して抱いている恐れ等が複雑に組み合わさって生じるものであり、これに対応するためには十分な準備がどうしても必要となるのです。

恐怖に抗うための対策
恐怖の問題を抜本的に解決する方法など存在しません。しかし、その対策として訓練、統率、団結の三つが考えられます。

著者は訓練の意義を特に重視しており、戦闘教練の習得を徹底させ、実戦的な訓練を施すべきであるとして、「戦闘教練は戦闘の偶然性を最小限にすることを助け、不確実な環境に接触する兵士がよく知っている型を提供する。それはあたかも嵐の海の中の灯台のようなものである」と書き記しています(Ibid.: 26)。

教練を習得することによって、兵士は条件反射的に行動をとることができるようになります。これはどのような異常な状況でも、いつもの教練通りに行動すればよいという安心感を与えることになるのです。
ただし、教練を徹底させるだけでなく、訓練においては戦闘の風景、音響、匂いなどを経験させるすることも有意義です。混乱した状況を疑似的な形でも一度経験しておけば、兵士は恐怖反応を示してもそれが初めての経験とならないため、より冷静に対処できるようになることが期待されます(Ibid.)。

次に著者が訓練と同じだけの重要性を持つと考えているのが統率の問題です。
指揮する人間と指揮される人間の間の関係は戦闘における緊張を緩和することが可能ですが、これは訓練の段階で確かなものにしておく必要があります。
「統率者は訓練の中で戦争の人間的側面を理解し、準備する責任がある。そのためには、戦術的、戦技的な十分さを踏まえた上で、自分の部下の限界、欲求、動機を把握しておくことである。しかし、これは若い士官には容易なことではない。彼らは戦闘で自分の恐怖を抑えなければならない一方で、部下の恐怖にも気が付かなければならない」(Ibid.: 26)
これは口にすることは容易くても、実際に行うことは大変なことなのですが、著者はとにかく部下の状態について詳細に情報を集めておくことが重要であり、部隊の混乱は情報の欠如によって引き起こされるとも指摘しています(Ibid.)。

団結もまた恐怖に抗う手段となりえます。ドゥ・ピックの「自尊心は間違いなく兵士を動かす最も強力な要因の一つである。彼らは仲間の前を臆病者として通り過ぎることを望まない」という言葉で示されているように、個々人の帰属意識、名誉心は兵士が恐怖を乗り越える大きな手助けとなると著者は考えています(Ibid.)。

戦場では誰もが恐怖を感じながら戦っていますが、それでも指揮に従って隊伍を乱さずに銃火に踏みとどまることができるのは、自分の隣で仲間が戦い続けているためです。仲間を見捨てて自分だけが逃げるような姿を見られれば、仲間を裏切ることになることは、兵士が何よりも危惧していることでもあります。

そのため、戦闘に臨む指揮官は部隊の団結を最高度に高めることが不可欠となります。
著者も「集団への帰属それ自体が行動の変化を勢いづかせる」という記述に続いて、これを強化するためには、訓練の段階で指揮官が部隊の結束を高める工夫が必要であると論じています。

結びにかえて
著者はこの論文の冒頭で「特に非対称戦において敵は恐怖を武器として使用し続けることだろう。だからこそ、軍事組織における部隊の効率に対して恐怖が及ぼす影響を再検討することには意義があるのだ」と述べています(Daddis 2004: 22)。
ゲリラ戦、テロリズム等、恐怖を武器として活用する勢力と戦うためには、恐怖を克服するための訓練や戦術を研究し、それを発展させることが欠かせません。著者は戦争の恐怖という普遍的なテーマを検討すると同時に、現代の安全保障環境に軍隊を適応させる方法を模索しています。

どれだけ武器が発達しても、第一線で殺し合っているのは人間であり、人間であれば恐怖を感じることは自然なことです。兵士とそうでない人間の違いとは、その恐怖心を抑える術をどれだけ心得ているかによって分かれる、と言っても過言ではないでしょう。

KT

2016年5月28日土曜日

論文紹介 核兵器の重要性と日本が核武装する可能性

2016年5月27日、現職の米大統領としてバラク・オバマが広島初訪問を果たし、「核なき世界」を実現することの意義を訴えたことが、日本国内で大きく報道されました。
しかし、核兵器を削減するための取り組みは外交的に行き詰まっているのが現状です。これは現代の国際政治において核兵器が果たしている役割が極めて重要であるためであるためです。
今回は、構造的現実主義(structural realism)の立場から、核兵器の重要性を政治学的に考察したケネス・ウォルツの研究を取り上げてみたいと思います。また、彼が日本の核武装の可能性について指摘したことも紹介したいと思います。

文献情報
Kenneth N. Waltz. "The Emerging Structure of International Politics," International Security, Vol. 18, No. 2(Autumn, 1993), pp. 44-79.

核関連技術が持つ恒久的価値
史上初の核攻撃で使用された原爆「リトルボーイ」
核分裂反応を利用してTNT爆薬2万トンに相当する威力を発揮する無誘導核爆弾。
そもそも核兵器は原子核分裂の連鎖反応または原子核融合反応で得られる熱放射、衝撃波、放射線を殺傷または破壊目的で利用する兵器の総称であり、広島型原爆だとTNT換算で2万トン相当、水爆だと50万トンから5,000万トン相当の威力を発揮できます。(TNT換算に基づく威力範囲に関しては「ホプキンソン-クランツ相似則で考えるTNTの殺傷範囲」を参照)

核兵器を用いた攻撃は軍事目標だけでなく、工業地帯や都市機能に対して加えることも可能ですが、その非人道性、残酷性から「核なき世界」の実現を求める声が根強くあることは知られています。しかし、この論文で述べられていることは、核兵器には他の兵器には代替できない特異な性質があり、それは国際情勢の安定化に寄与する側面があるということです。

通常、国家の戦争遂行能力は軍事力だけではなく、経済力を総合して考察する必要があります。しかし、ウォルツの議論によれば、「核の世界では一国の経済力と技術力、軍事力との関係が弱くなっている」とされており、これは一度でも核開発に成功すれば、その成果が長期にわたって継続し、自国の軍事的能力を底上げできるためだと説明しています(Waltz 1993: 51)。このような特性は通常兵器には見られないものであり、国際政治における勢力関係を根本的に変化させる特異性と認められます。
「(訳注、核兵器に対して)通常兵器に関しては、急速な技術革新が競争を激化させるものであるため、各国が有する軍事力を見積ることは難しくなる。一例として1906年には、より長射程、より高威力の火砲を搭載したイギリスのドレッドノート級戦艦は旧式の軍艦を陳腐化させた。しかし、核兵器だと事情は異なっており、第一撃能力か、有効な防衛能力のいずれかを米国に与えるような技術革新が登場しない限りは、ロシアはアメリカの技術に軍事的に追随する必要がない」(Ibid.)
通常兵器に対する核兵器の優位はその表面的な威力に止まりません。どのような優れた武器体系であっても、技術の進歩によって陳腐化することが予測されます。しかし、核兵器はどれほど技術革新が進んだとしても、その技術が無価値になることはないため、通常兵器だけで防衛体制を確立するよりも研究開発に必要とする負担が大幅に軽減できると考えられます。

通常兵器の抑制に寄与する核兵器
ワシントン州バンゴーで哨戒から戻ったオハイオ級原子力潜水艦「メイン」
弾道ミサイル潜水艦の主な任務は国家として第二撃能力を保持することであり、核抑止の柱として位置付けられる。
さらにウォルツは核兵器の運用を支える戦略理論、特に抑止理論の研究を踏まえて、核兵器が抑止力の強化にいかに貢献するかについても考察しています。
「ある国家が攻撃を受けた後で(訳者注、核戦力で)報復行動に出ることが可能な限り、または報復行動に出ることが可能だと相手に見られている限りは、その国家が持つ核戦力が敵国の技術の発達によって旧式化することはありえない。抑止力が支配的ならば、第二撃戦力は小規模でも十分となる。この小規模な戦力がどの程度の規模が必要かを言うことは容易いこである。つまり相手の第一撃に耐え抜き、数十発ほどの核弾頭で報復する能力を失わなければ、それで十分である」(Ibid.: 51-2)
つまり、戦争が勃発した後で相手の都市を核攻撃できる体制を維持しておけば、我が方の核兵器はその国家の安全保障に役立てることは十分に可能だと考えられます。
このような核抑止が機能する限り、大規模な通常兵器を整備する必要は小さくなるため、あくまでも第一撃に対処できるだけの最小限な水準にまで軍備を抑制することができます。
「米国とソ連も長期間、抑止の必要をはるかに上回るだけの弾頭と運搬手段を貯蔵してきた。それに加えて、核抑止戦略は大規模な通常戦力を時代遅れのものにする。自らの通常戦力は敵が攻撃を仕掛けてきたとき、その侵略の意図が明白になってしまう。そのような役割さえ果たせれば十分である。核抑止戦略が要求する通常戦力の果たすべき唯一の役割とは、報復行動の導火線なのである」(Ibid.: 52)
ウォルツは正しく理解すれば核兵器は平和の維持を容易にするという側面があり、少なくとも核の応酬が予見される核保有国の間の武力衝突のリスクを軽減できると考えていました。核兵器は小さな費用で大きな抑止効果が期待されるものであり、引いては国家が経済力の拡充と軍事力の整備を両立しやすくさせるものです。

日本が核保有国になる可能性
さらにウォルツは今後、世界が多極化する方向に向かい、新たな大国が出現することになれば、こうした核兵器の利点を活用しようと考える傾向はますます強まると論じています。
「一国の指導者たちが核兵器の意味するところをよく理解すれば、それが存在することによって合理的経費で安定した平和を享受できることが分かるだろう。核兵器によって、大国と大国を目指す諸国との間で、効果的な競争を展開するための経済力の規模が拡大するので、もし欧州共同体、ドイツ、中国、日本が大国への扉を叩くのであれば、その扉は開かれるであろう」(Ibid.: 54)
ウォルツは将来的に大国となる可能性を持つ国家としてドイツ、中国、日本に注目していますが、論文では日本の大国化の可能性に注目しています。確かに日本は大規模な軍事力を整備し、国際社会において大国の地位を得ることには自制的であり、核兵器の取得に対しても否定的な考えを持っています。

しかし、ウォルツの見解によれば、このような自制心が永遠に続くものと考えることは間違いであり、中国からの圧力と米国の戦略的抑止力に対する不安によって日本がより主体的な防衛体制を構築しようとする可能性があるとして、次のように述べています。
「しかし、重要な問題は日本国民が自国の大国化を望むかどうかではない。重要なのは、現在および将来において発生する問題、脅威に対して防衛的かつ予防的に対処するために、周辺地域または世界で他国が保有する規模の軍事力を日本国民とその指導者が必要であると感じるかどうかである。多くの米国人から『日本は安全保障の負担を増大させるべきだ』という意見を聞き、またアメリカ世論が日本に対する非難を強めるに従って、日本の指導者も日本がいつまでアメリカの保護を頼りにすることができるのか疑問に感じるようになっている。出現しつつある多極的世界で、日本は在日米軍に駐留経費60%を支払い続け、米軍の戦略的抑止力に依存する状態を期待できるのだろうか。世界の大国は自分のことを自分で守らなければならない」(Ibid.: 65-6)
東アジアでは中国や北朝鮮が軍備増強を進めているため、米国の抑止力に対する日本側の信頼感が低下していけば、日本はますます自主防衛の努力を強化せざるを得なくなります。それゆえ、ウォルツは国際情勢の動向によっては日本が再び東アジアの大国としての政策を推進するようになる可能性があると判断しているのです。

むすびにかえて
ウォルツは、核兵器は平和を維持することに寄与するだけでなく、それを全廃させた場合に必要となる通常兵器の維持費は財政を圧迫する可能性が大きいと考えていました。ウォルツの見解に依拠してみると、もし国際情勢から核兵器が一掃され、1945年以前のような世界になれば、各国で通常兵器の増強が促され、また戦争の危険性が大きくなるとも考えられるでしょう。また、世界情勢が多極化の方向に向かい、東アジアで米国の抑止力に陰りが見られ、その反対に中国や北朝鮮が軍備の増強を続ければ、日本国民は核武装という選択肢を真剣に考えることを余儀なくされるとも予見されています。

こうした議論に対する意見は立場によって異なるでしょうが、少なくとも核兵器に二面性があるということが示されています。国際政治の観点から考えれば、核兵器という存在には利点と欠点がそれぞれあり、しかも日本はいずれその利点を活用しなければならない状況に直面するかもしれません。核兵器という問題に対してさまざまな観点があり得ることを今一度理解し、どのような政策が最も我々にとって利益が大きいのかを比較検討することが、建設的な議論に繋がるのではないでしょうか。

KT

関連項目
論文紹介 健全な通常戦力こそ安全保障の基礎である
軍事的観点から考える水爆の重要性

2016年5月26日木曜日

論文紹介 中国の航空母艦は脅威となるのか

2012年9月25日、「遼寧」と命名された航空母艦が配備されたのは、中国海軍にとって大きな転機となりました。
「遼寧」は基準排水量53,000t、全長305mの航空母艦ですが、国内で建造された艦艇ではなく、ソ連で建造が中断された航空母艦ヴァリャーグを購入し、修理を行ったものです。航空母艦の配備によって、より遠方で海上作戦を遂行することが可能になることが期待されました。

しかし、艦艇を配備したからといって、それが本来の戦闘機能を発揮できるとは限りません。今回は、中国海軍の航空母艦の問題を考察した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Andrew Scobell, Michael McMahon, and Cortez A. Cooper III. 2015. "China's Aircraft Carrier Program: Drivers, Developments, Implications,"Naval War College Review, Volume 69, Number 4(Autumn), pp. 65-80.

なぜ中国は航空母艦を必要とするのか
そもそも中国が防空母艦の配備が必要とした背景にはどのような判断があったのでしょうか。
著者はその要因を官僚的利益、民族主義の高まり、戦略的必要性の三つに区分して説明しています。

第一の官僚的利益としては海軍の地位向上が関係していると見られています。
それまで陸軍の影響力が強かった中国軍で海軍の発言権が増大したことを受けて、航空母艦の取得が進められており、2004年以降の中央軍事委員会では海軍の司令官が出席するようになったこともその表れであるとされています(Scobell, et al. 2015: 66-7)。

二つ目の要因として、航空母艦は民衆の民族主義的な支持を集める手段としても利用されていると述べられています。
著者は1996年の台湾海峡危機で中国が台湾に対する軍事的圧力を強めた際に、米国が2隻の航空母艦を送り込んだ経験から、海上支配を強化すべきという考え方が広がり、その世論が航空母艦の取得を後押ししていると述べています(Ibid.: 67)。

無論、こうした政治的要因だけでなく、軍事的要因が存在することについても著者は言及しています。
この要因を重視する立場によれば、1980年代初頭から中国海軍は段階的にその戦力を拡充させていく方針を定めており、2000年までに東シナ海と南シナ海、黄海を含む近海で活動が可能となるようにし、第一列島線を戦略的防衛線として確保し、2020年までには第二列島線にまで海上勢力を推進し、2050年までに地球規模に海軍を展開できるようになることを目指していると見られています(Ibid.: 67-8)。(第一列島線、第二列島線に関しては過去の記事「今さら聞けない中国軍の接近阻止/領域拒否(A2/AD)」を参照)

航空母艦を離発着できる飛行隊が必要
「遼寧」の飛行甲板はスキー・ジャンプ方式を採用しており、発進する航空機は搭載可能な武器の重量が制約されるだけでなく、発進の時点で多くの燃料を使用せざるを得ないため、在空時間の減少にも繋がる。
確かに中国は航空母艦を運用することができるようにはなり、すでに2013年12月に南シナ海で駆逐艦、フリゲート、潜水艦との訓練も行っていますが(Ibid.: 72)、その戦力化にはまだ時間を要すると考えられています。著者は「遼寧」がまだ十分に戦力として運用できない理由を次のように説明しています。
「しかし、組織化され、訓練された航空部隊と、完全に試験されて艦隊を構成する航空母艦の二つの要素が一緒に実現するまでは、中国は真の航空母艦の能力を獲得できないであろう」(Ibid.: 73)
「さらに加えて、中国が独自の手法で設計、建造すると見られる第二の航空母艦の公試に向けた予定を考慮すれば、中国が航空部隊の訓練と組織化を進展させており、またJ-15の全面的な生産だけでなく、恐らくは将来的に第五世代の艦載機となるであろうJ-31の開発を進めていることも説明がつく。もちろん、これらの予定は国産の航空母艦の設計と同時並行で進められている。この二つのプロセスを均衡させる中国の取り組みは、次の中国海軍の航空母艦の設計と建造開始の進行速度に関する思慮深さを示唆しているかもしれない」(Ibid.)
著者の見積によると、航空母艦に搭載する艦載機J-15の部隊が任務遂行に必要な能力を獲得するためには2018年以降のこととされています(Ibid.)。
とはいえ、中国海軍の予算も無尽蔵ではなく、航空母艦の保守管理に伴う経費は他の艦艇と比較手しても大きく、予定通り戦力化できると断定すべきではありません。
著者は中国海軍は中国空軍と競合することになる可能性を示唆しており、経済成長の動向と併せて軍事関係の予算が今後どのように変化するかを検討する意義を強調しています(Ibid.: 74)。

航空母艦を掩護する能力が不十分
鄧小平が主導して海軍の本格的増強が始まった1982年以降、中国海軍はその能力を継続的に向上させてきたが、装備の開発、人員の訓練、教義の研究などの課題も多く、現段階においては本格的な海上作戦を遂行する能力を取得するには至っていないと見られる。
海上作戦において航空母艦は打撃力の要となり、大きな攻撃的能力を発揮することができますが、その一方で敵の航空機や潜水艦の脅威に対して脆弱であるという特性もあります。
1982年のフォークランド紛争に関する研究で中国海軍はイギリス海軍の勝因に航空母艦の役割を指摘していますが、同時に対潜戦闘能力、早期警戒管制能力の問題について言及されています(Ibid.: 74)。
現在の中国海軍では対潜哨戒機や早期警戒機を航空母艦で運用することには技術的課題が少なくなく、大きな脆弱性となっていると著者は指摘しています。

また東アジア地域の軍事情勢を考えれば、中国海軍が必要とする航空戦力の規模は航空母艦1隻では到底十分ではなく、2隻をもってしても不足する恐れがあるとも述べられています。
「第一列島線の内側で生じる紛争において航空母艦が1隻であることと、2隻であることは、どのような相違をもたらすのか。南シナ海の衝突において「遼寧」は敵対する勢力に対して余剰の航空戦力の投射能力を提供し、特にそれは同海域の南端にまで達するだろう。それもまた敵にとって『素晴らしい、でかい的だ(nice, big target)』となる恐れがある。東シナ海の戦闘において1隻では当然のことながら、2隻でも戦力が不足することになるだろう。台湾有事において、航空母艦の飛行隊は台湾と日本から離れたより容易に防護されやすい地区において牽制するには役立つかもしれないが、戦闘それ自体に貢献できないだろう」(Ibid.)
 「遼寧」の飛行甲板は米国の空母とは異なりスキージャンプ方式を採用しているため、発進可能な機体やその機体に搭載できる装備の重量が制限されてしまいます(Ibid.)。これは対潜戦闘、対空戦闘の能力発揮を困難にし、また通常動力であることもあって、定期的な洋上補給が必須であることからも、作戦遂行に大きな支障が出ると予想されるのです(Ibid.)。

むすびにかえて
中国はその政治的、軍事的理由から航空母艦の強化を重視していますが、それが安全保障上の脅威としてどの程度の水準なのかを判断するためには、航空母艦がどのように戦闘力を発揮するのかを理解していなければなりません。
この論文は中国が航空母艦を使って達成しようとする目標に対して、実際の作戦上の能力には格差があることを示唆しており、今後の予算の推移や訓練の状態によって状態が急速に改善される可能性があるものの、直ちに戦力化することは困難であるものと評価されています。

これは日本の立場から見れば有利な状況であると言えますが、これは本格的な地域戦争を想定した評価として受け取らなければなりません。
中国は必ずしも軍事力を戦時にのみ運用するものと考えているわけではなく、平時または危機において戦闘に至らないように恣意的、威嚇的に使用する場合も見られます。また、21世紀後半を目指して中国海軍がさらに航空母艦の数を増やすような事態もなくなったわけではありません。こうした可能性を踏まえて、今後も中国軍の動向に注意を払うことが重要でしょう。

KT

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2016年5月22日日曜日

戦闘陣の正しい使い分け方

戦闘で任務を遂行するためには、その部隊の能力が適時適所で発揮できるように配置されていなければなりません。戦術学の研究では、戦場で部隊を配置する方法を戦闘陣(combat formation)として区別します。これは戦術を理解する上で非常に重要なポイントであり、さまざまな戦史を理解する手がかりともなる論点です。

今回は米軍の教範で示された分類方法に基づいて、その代表的な戦闘陣のいくつかを紹介することにし、その利害得失について一般的に説明してみたいと思います。

なぜ戦闘陣は重要なのか
戦闘陣の適否は任務、敵情、地形によってさまざまな仕方で変化してくる。
特に地形は選択可能な戦闘陣を直ちに規定する要因であり、起伏が険しく、また視界が狭まるほど、部隊を統制しにくくなる傾向が生じてくる。さまざまな状況に即した戦闘陣を使い分けることができることは戦術能力の重要な要素である。
戦術は戦闘において任務を遂行するための部隊の行動を規定するものですが、戦場のどこに部隊を配置するのかという問題は非常に重要です。
「戦闘陣は上級指揮官の企図及び任務に適応した態勢を保ちながら戦場で部隊が移動することを可能にするものである。部隊は攻撃が進展する間に複数の戦闘陣に展開することができるが、それぞれの陣形には利点と欠点がある。また、その特定の状況を考慮しながら、戦闘陣を構成する隷下の部隊も各々で戦闘陣を展開できる」(FM 3-90-1: 1.26)
例えば、ある師団が攻撃、前進する場合でも、漫然と手持ちの部隊を戦場で横一列に展開させることは危険です。
そのような陣形を形成すると、戦闘正面が増大して両翼が過剰に離れてしまいます。また戦闘が始まってから敵が味方の一翼に戦力を集中させてきても、味方の部隊は第一線に展開して交戦中となるため、増援として用いれる部隊がない状態になります。

敵の動向をいち早く察知するための前衛や側衛、後衛を区分し、その上で部隊の大部分を主隊として温存しておかなければなりません。しかし、その組み合わせ方も任務、敵情、地形によってさまざまに変化するため、一概にこの陣形が最良ということはありません。それゆえ、歴史を通じて国力国情に応じた戦術を具体化する戦闘陣の研究が重ねられてきました。

日本語の文献で戦闘陣の意義を述べたものはあまり見られませんが、一般向けに書かれた戦術の解説として松村(1995)は、「戦闘陣は、古代から今日にいたるまで、各国が総力をあげて開発をすすめており、各国の戦術ドクトリン(教義、考え方)が濃縮されているといってよい」と述べており(松村, 1995: 39)、このことからも戦術研究における戦闘陣の重要性を読み取ることができます。

さまざまな戦闘陣の特徴
ここでは基本的な戦闘陣として縦陣、横陣、斜行陣を紹介します。それぞれの陣形には戦術的な利点と欠点の両面があることについて説明したいと思います。

縦陣(column, column formation)
縦陣は前後に部隊が展開する戦闘陣であり、最も基本的な陣形の一種です。主体の周囲には前衛、側衛を配置させ、敵と遭遇戦になれば主隊に先んじて交戦することにより、主隊がどの方向に対しても展開できます。何よりも縦陣はさまざまな地形に応じて素早く前進できる機敏さという利点があります。
もし左右両翼から側面攻撃を仕掛けられても、全体の戦闘力をすぐに敵の方向に指向できる点も大きな特徴です。
縦陣に展開している旅団戦闘団の一例。
前衛、側衛が警戒に当たり、主隊が前後に並んで展開している。
(Ibid.: 1.26)
米軍の教範では、縦陣の特徴として以下のようなものが挙げられています。
・大規模な部隊を素早く移動させることに最良な陣形であり、特に経路と視界が制限されている状況に適している。
・全部隊の内、ごく少数の部隊を敵と接触させることができるため、統制しやすく、また指揮官が戦力を迅速に集中させることができる。
・他の陣形に容易に移行することができる。
・険しい地形においても機能する(Ibid.: 1.26-1.27)

とはいえ、あらゆる陣形と同じように縦陣にも欠点があります。こうした戦闘陣の弱点を考える際に重要なポイントは正面と縦長のバランスです。
縦陣の最大の弱点は正面が非常に狭く、味方の戦力規模が大きくてもそれに見合う戦闘力を直ちに敵に指向できません。
いわば縦陣は火力を発揮することよりも部隊の機動を重視した陣形であり、本格的な戦闘が開始されると直ちにそのため、より戦闘力を発揮しやすい陣形転換を図ることを前提としたものと言えます。

横陣(line, line formation)
横陣は隷下の部隊が互いに横に並んで機動する戦闘陣の一種であり、縦陣よりも正面に対して戦闘力を発揮しやすい態勢です。
下の図では砲兵や司令部が背後に控えているため、一見すると縦陣と同じような形に見えるかもしれませんが、直接的に戦闘力を発揮する部隊は前方で左右に展開しており、横陣であることが分かります。
横陣に展開した部隊の一例。
最も前方に警戒部隊が配置されており、その背後には主力が左右に並び、その背後には砲兵があり、さらにその背後には直接戦闘を遂行しない司令部、後方支援の部隊が展開している。(Ibid.: 1.27)
戦術の観点から見た横陣の利点は以下の通りです。
・敵と接近した状態で部隊が移動し、また打撃を与えることを容易にする。
・戦場で大きな正面を確保することを可能にする。
・射撃による攻撃または射撃陣地からの支援を行うための陣地占領に有利である(Ibid.: 127)。

また不利な点については以下の通りです。
・戦闘陣に縦深が乏しいために、自在に部隊を機動させることができる余地が小さくなる。
・横陣に展開すると左右両翼に対して限られた火力しか発揮できない。
・正面に広く戦力を展開する分、予備として拘置できる戦力は減少する。
・横陣に展開した部隊は陣形を保持したまま移動することが難しく、険しい地形や視界の制約の影響を受けやすい(Ibid.)。

斜行陣(echelon, echelon formation)
斜行陣は正面に対して左右どちらか一方に傾斜する陣形です。
この陣形が独特なのは、部隊の正面と側面(左右どちらか)に対して同時に火力を発揮しやすい点です。この特性を活用できれば、敵の弱点を突くこともできるため、戦術の幅が大きく広がるのですが、敵の配置や状態に関して事前に情報を得ていなければ、使いこなすことが難しい陣形でもあります。

斜行陣に展開した部隊の一例。
左に傾斜した斜行陣は正面と左翼に警戒部隊と戦闘部隊の大部分を配置させる。
(Ibid.: 1.27)
米軍の教範では、斜行陣の利点が次のように説明されています。
・地形が開けた平野において部隊の行動を統制しやすい。
・味方の部隊の火力を前方または側面に対して集中させることを可能にする。
・敵と遭遇した際に味方の全戦力が一度に交戦状態になるわけではないため、部隊の運用を柔軟にする上で利点がある(Ibid.: 1.27-1.28)。
ただし、斜行陣は一方の側面に対してのみ火力を発揮しやすい陣形ですので、反対の側面に対して火力を指向する際には不都合があります。しかも地形の制約によって部隊行動が統制できない場合もあります(Ibid.: 1.28)。

まとめ
今回は基本的な戦闘陣のさまざまな特性について一般的に解説しました。戦術を研究する際には戦闘を空間的に把握することが重要であることが分かって頂けたと思います。
指揮官が部隊が戦闘力を発揮すべき方向と戦闘陣の形態をうまく合致させないと、全体としての相対戦闘力で優勢であるにもかかわらず、実質的に発揮できる戦闘力が限定されてしまうのです。そのため、戦闘では敵の主力を誘致することで弱点を突くことが可能になってしまうということです。

時代や地域によって主流の戦闘陣は変化しますし、状況によってその意味合いも変化しますが、こうした変化をきちんと理解するためにも戦闘陣について理解することは重要なことであり、また戦術を研究する上で重要な出発点ともなります。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2013. Field Manual 3-90-1, Offense and Defense, Vol. 1, Washington, D.C.
松村劭『戦術と指揮』文藝春秋、1995年

2016年5月19日木曜日

論文紹介 フランスの防衛とヴォーバンの戦略

17世紀後半から18世紀前半にかけて絶対王政のフランスは数多くの戦争を遂行し、ヨーロッパの政治情勢の潮流に大きな影響を及ぼしました。この一連の戦争を指導した指導者が1661年に権力を掌握した国王ルイ十四世であり、彼は1667年から68年にかけては南ネーデルラント戦争、1672年から78年にかけてはオランダ侵略戦争、1688年から97年にかけてはプファルツ継承戦争、そして1701年から13年にはスペイン継承戦争を指導しました。

軍事史の観点からルイ十四世の戦争指導を検討すると、当時のフランス軍が戦略陣地の争奪を重視する傾向があったことが特徴として指摘できます。この背景には築城術の研究で知られる軍人ヴォーバン(Sébastien Le Prestre de Vauban)の戦略思想が深く関係していました。
今回は、ルイ十四世の戦争指導に関する論文を取り上げ、そこで検討されているヴォーバンの戦略について紹介したいと思います。

文献情報
ジョン・A・リン著、石津朋之訳「栄光への模索――ルイ十四世統治時代の戦略形成(1661~1715年)――」ウィリアムソン・マーレー、マクレガー・ノックス、アルヴィン・バーンスタイン編著、歴史と戦争研究会訳『戦略の形成』上巻、中央公論新社、2007年、364-416頁(Williamson Murray, MacGregor Knox, and Alvin Bernstein, eds. 1994. The Making of Strategy: Rulers, States, and War, Cambridge: Cambridge University Press.)

スペイン軍の脅威に対するヴォーバンの戦略
1667年にネーデルラント継承戦争が勃発するとフランスはスペイン領ネーデルラントに侵攻。
黄色がスペイン領ネーデルラントの領域であり、紫色がフランスの領域である。
赤色の部隊符号がフランス軍の部隊で、青星はスペイン軍の陣地を示す。
両者の領域の境界が複雑に入り組んでいる様子が分かる。
ルイ十四世に専門的助言を与えていたヴォーバンは経験豊富な工兵士官であり、特にその築城術、攻城術の分野において右に出る者はいませんでした。
当時、ヴォーバンがルイ十四世に重用されたのは偶然によるものではありませんでした。ルイ十四世が理想とする戦争の進め方を追求する上でヴォーバンの卓越した築城学の知識が不可欠だったためです。論文の著者はルイ十四世が要塞に立脚した戦略を好んだことを次のように考察しています。
「明らかにルイは、『陣地戦』を好んでいたのである。この『陣地戦』という言葉は、築城、防御、要塞化などによる攻撃をすべて包含する用語であった。ルイのこの個人的な嗜好は、支配を求める彼の個人的資質、不可測なもののの役割を極小化しようとした彼の資質、そして細部に対して関心を抱く彼の個人的資質を反映していた。それに加えて、『陣地戦』は作戦を支配し、戦略を形成するものであった」(リン「栄光への模索」389頁、訳文の「位置の戦争」を「陣地戦」に修正)
こうしたルイ十四世の要望をヴォーバンは的確に理解し、それに応じた戦略構想を研究することに尽力しました。

オランダ侵略戦争が勃発した翌年の1673年にヴォーバンはフランスの戦略計画に関する考察として、プレ・カレ(pré carré)、すなわち防衛線を国境地帯に構成することが必須であると政府への書簡に書き記しています(同上、390-1頁)。
これはフランスと敵対するスペインが領有していたネーデルラント正面の脅威に抵抗するための防衛線であり、ダンケルクから始まりリール、ヴァランシエンヌ、カンブレー等至る長大な防衛線でした(同上、391頁)。

攻防兼用の防衛線だった「プレ・カレ」
プファルツ継承戦争における第一次ナミュール攻囲戦(1692年)
当時、フランス軍はスペイン領ネーデルラントだったナミュールを攻略、併合した。
国境地帯を強固な防衛線とするプレ・カレは一見すると防衛に特化した戦略構想に見えますが、実際のところ各地の要塞は防御陣地の機能だけでなく、敵地に攻撃を加える際の兵站基地としても機能していました(同上、392-3頁)。

1693年にヴォーバンがフランスの領土に進入して襲撃を繰り返す山賊集団を平定するためにシャルルロアに位置する敵の陣地に攻撃を加えましたが、この際にも要塞が作戦基地となりました(同上、393頁)。
著者は「フランスの弾薬庫が秩序だった制度の下にあったため、フランス陸軍は一年のなかで敵よりも早く野戦に臨むことができた。そして倉庫に依存できる軍隊は、例えば春の新芽が馬が草を食むのに十分な高さに育つ以前に、その軍馬を野に放つことができたのである」と当時の要塞の役割を紹介しています(同上)。
ルイ十四世はこのような要塞の軍事的価値を適切に理解していたため、敵の攻撃で領内で被害が生じれば、防衛線から軍勢を前進させて報復的な攻撃を行わせ、敵の本格的侵攻を抑止してもいました(同上、393-4頁)。

さらにヴォーバンはこうした防衛線を予めフランスの戦略計画において設定しておくことにより、整備すべき戦力の規模を抑制しようとも考えていました。
不必要な要塞を撤去すべきと主張していたのも、戦略的価値が乏しい要塞に貴重な人員、装備を配備する無駄を減らせば、安全保障に伴うフランスの財政負担を軽減できることに気が付いていたためです(同上、395頁)。
こうしたヴォーバンの軍事的な創意工夫はいずれもルイ十四世が戦争によってフランスの領土を持続的に拡張することに役立つものでした。

「プレ・カレ」が引き起こした安全保障のジレンマ
ルイ十四世が獲得した領土の配置図。
17世紀後半にかけてフランスは軍備を強化し、戦争によって軍事的、経済的に重要な都市や領域を数多く獲得した。
しかし急速な勢力拡大は周辺諸国の警戒感を刺激し、1701年に勃発したスペイン継承戦争でフランスが外交的に孤立する要因となった。
ヴォーバンはルイ十四世が遂行しようとした対外政策をよく理解し、それに最も適合する戦略を採用していたと言えるでしょう。
しかし、ヴォーバンの戦略には欠点もありました。それは攻防両用の防衛線でフランスの国境地帯を囲い込むことにより、周辺諸国にとって受け入れがたい脅威を及ぼしたということです。
「ヴォーバンによれば、防衛可能な国境というシステムには、フランス国境の直線化とそれを要塞で支えることが求められた。ギザギザに裂かれ混乱を極める国境を直線化するには二つの方法があった。すなわちそれは、最前線地域を犠牲にして防衛線まで撤退するか、前進した防衛線を形成するために新たに幾つかの領土を獲得するかであった。王は彼の領土へのいかなる侵害、あるいはその損失も容認しなかったため、彼にはただ一つの選択肢しか残されていなかった。それは領土の併合や征服により防衛線の領土を肉付けしていくことであった。これが一つのパラドックスを生むことになる。すなわち、ルイの究極的目標が本質的に防御的であったにもかかわらず、彼はそれを攻撃的な方法で追及したのである」(同上、401-2頁)
ここで著者が指摘しているのは典型的な安全保障のジレンマ(security dilemma)の問題です。
つまり、フランスは自国の軍備を増強する行動によって周辺諸国の軍備増強を促し、それが引いては対仏包囲網の形成に繋がるという国際情勢に直面していたのです。

そもそもヴォーバンの考えたプレ・カレの戦略構想を取り入れ、フランスの国境地帯に強力な要塞を次々と建設し、防御だけでなく状況に応じて攻撃においても最大限活用したのは、ルイ十四世にとって究極的には国土防衛のために他なりませんでした。
しかし、フランス軍の脅威に直面していた当時のイングランド、オランダ、ドイツ諸侯などの立場から見れば、それは自国の国益に対する明白な挑戦として捉えられても仕方がないものでした。
「ルイが絶対的な安全保障を追求したことが、いかに隣国に脅威を与えたかについて、彼はまったく理解していなかったし、また、彼の安全とはその性格上、隣国の安全を阻害することになることについても考えが及ばなかった。敵にフランスを攻撃する機械を与えるライン川沿いの橋頭保を抑えることは、直ちにフランスが敵に対する進撃路を得ることを意味するのであった。ルイの要塞は彼の国境を封鎖するだけでなく、フランスの戦力を投射することになった。こうして、フランスの意図に疑念を抱く者が、ルイの意図を攻勢的ととらえることは合理的であった」(同上、404頁)
結果として、ルイ十四世の積極的な勢力拡大は、イングランド、オランダ、ドイツ諸侯、神聖ローマ帝国を外交的に結束させる誘因となりました。
ヴォーバンの戦略は確かにルイ十四世が求める戦略であり、当時の技術環境に置いてフランス軍の部隊配備や戦力運用を可能な限り合理化するように緻密に検討されたものでしたが、それはあくまでも軍事戦略上の観点に基づく戦略であり、ルイ十四世の政策的な失敗を挽回できるものではなかったのです。

むすびにかえて
1701年に勃発したスペイン継承戦争でフランスがイングランド、オランダ、神聖ローマ帝国と対立すると、ルイ十四世は厳しい戦局に直面しました。この戦争によってフランスの勢力拡大の動きは大きく妨げられることになったのです。
「スペイン継承戦争の戦略的挑戦は、それ以前の戦争とは異なっていた。それまでは、ルイの軍隊は攻撃側であるか、あるいは『プレ・カレ』を保持するかのどちらかであった。しかしながら、この最後の戦争で再びルイの軍隊は防御的であったが、それは『プレ・カレ』を超えたものであった。ルイの軍隊はスペイン領ネーデルラント、ピエモンテ、スペインを保持する予定であった。敗北のみがルイの軍隊をフランス国境まで押し戻すことができたが、フランスの敗北は、まさにスペイン継承戦争が用意していたものであった」(同上、408頁) 
ヴォーバンはスペイン継承戦争の最中、1707年に死去しました。しかし、彼が国境地帯に建設した要塞はその後もフランスを守り続けました。

もしルイ十四世が軍事的手段で勢力を拡大することの限界を認識し、政治的、経済的、外交的手段をもってその限界を補い、より効率的な方法で国力を向上させることができれば、ヴォーバンの功績も後の歴史家によって一層高く評価されていたかもしれません。

KT

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2016年5月13日金曜日

論文紹介 中国軍の潜水艦発射弾道ミサイルとその課題

弾道ミサイル搭載型潜水艦094型(晋級)の写真は2007年にインターネット上で拡散された。
現在もこの写真の情報源についてはよく分かっていない。
2015年の米国防総省の推計によると、中国軍には1200基の短距離弾道ミサイル、50-60基の大陸間弾道ミサイルがあると見積もられており、中国の核戦略で中心的な役割を果たしています(U.S. Department of Defense 2015)。
しかし、中国軍の核戦力はそれだけではありません。海軍には4隻の弾道ミサイル搭載型原子力潜水艦094型(晋級)があり、また詳細は不明ですがこれに搭載すると見られる潜水艦発射弾道ミサイルのCSS-NX-14(JL-2)の開発も進んでいると見られます(Ibid.; IISS 2016: 240)。
このような水中に配備する核兵器の利点は、地上配備されたものより捕捉、破壊が困難であることです。核戦争が勃発しても最終局面まで第二撃として温存できるということになります。

今回は、中国軍と米軍が戦争状態に入れば、中国軍の海上配備型の核戦力がどれほど残存できる公算があるのかを中国の視座から考察した研究論文を紹介したいと思います。

論文情報
Riqiang, Wu. 2011. "Survivability of China's Sea-Based Nuclear Forces," Science & Global Security, 19: 91-120.

中国の原子力潜水艦が抱える静粛性の限界
南シナ海は3,500,000平方キロメートルの面積を持つが、深度2000メートル以上の深海が大部分を占めており、パッシブソナーで探知されにくい浅海の面積は極めて小さく、有事には静粛性に乏しい中国海軍の潜水艦を運用しにくい特性がある。(Wu 2011: 100)
あらゆる場合に言えることですが、潜水艦が任務を遂行する上で第一に重要なことは水中で敵に捕捉されないことです。
それゆえ、水中における静粛性が向上するほど、その潜水艦は任務を遂行しやすくなるものと一般に考えられているのです。
そこで著者は中国海軍の094型原子力潜水艦(以下、094型)の生存性を考える上で、まず静粛性に関する調査を行っています。その結果、正確な数値は得られないものの、米海軍情報局の報告書から094型の静粛性は093型原子力潜水艦より改善が見られるものの、ロシア海軍のデルタ型原子力潜水艦に劣後していることを指摘し、その技術水準は必ずしも高くないと評価しています(Ibid.: 98)。

潜水艦の生存性を決めるもう一つの要因として著者が注目しているのが地理的要因です。
水中で潜水艦から生じる音から自らの位置を敵に特定されてしまうと、速度に劣る潜水艦は水上艦艇または航空機から逃れることができず、撃沈される危険があります。
これを避けるためには、敵のパッシブソナーが水中音を拾いにくい浅海に潜水艦を移動させる必要があります(Ibid.)。

著者は静粛性に劣る中国海軍の潜水艦の安全を確保するためには、深度が浅い海域に限定して展開する必要であると判断し(Ibid.)、黄海、東シナ海、南シナ海等の中国周辺の海域の特性やその地勢を踏まえて、沿岸付近の40m程度であれば潜水艦の安全が確保できると指摘しており(Ibid.: 101)、そこから遠く離れて深海に進出すれば容易に探知されてしまうものと述べています。

これは米海軍の潜水艦は必ずしも中国海軍の原潜を継続的に追跡する必要がないことを意味しています。なぜなら、敵の原潜の大まかな位置さえ把握できていれば、弾道ミサイル防衛システムで対応することが可能となるためです(Ibid.: 103-4)。

発射位置を特定できれば、弾道ミサイル防衛で対応可能
論文が発表された当時、まだ中国軍で開発中だったJL-2は2015年から運用開始された。
射程は7,200キロメートルと報告されているため、中国周辺の浅海から発射した場合にはアラスカまでしか到達しない。
アメリカ本土を射程に収めるためにはDF-31Aの射程11,200キロメートルが必要となる。(Ibid.: 104)
著者は根本的問題として中国海軍が開発、運用を進めるJL-2では、米本土を射程内に置くことができず、11,200キロメートルの射程を持つDF-31Aに匹敵する性能改善が必要であることを指摘していますが(Ibid.: 105)、論文では今後さらに開発が進んで、JL-2が米本土を攻撃できる射程を獲得したものと想定されています(Ibid.)。

しかし、中国軍のJL-2が射程を延伸できたとしても、米軍はこの脅威に対処するための弾道ミサイル防衛システムを構築しており、これを突破して被害を与えることができるとは考えにくいと著者は述べています。
その理由として、中国の浅海から発射される弾道ミサイルが取るコースは、海上に配備されたSM-3だけでなく、アラスカ州に配備されたミサイル、そしてカリフォルニア州に配備されたミサイルで三重の迎撃を受けることになるためです。
想定される原子力潜水艦の配備地点を示した地図。
◇は米軍のイージス・ミサイル搭載型の艦船の地点。
△は中国軍のICBMまたはSLBMが発射されるであろう地点。
ここでは中国軍の原潜が黄海、東シナ海、南シナ海にあるものと想定されている。
(Wu 2011: 106)
「地上配備型弾道弾迎撃ミサイル(Grounded-Based Interceptors, GBI)を組み合わせることで、米国は大陸間弾道ミサイルと中国近海から発射される潜水艦発射弾道ミサイルに対して多層的なミサイル防衛システムを構築することがおおむね可能であるこのようなシステムには中国近海に展開されたSM-3、そしてアラスカとカリフォルニアに配備されたGBI、そして米国沿岸部に配備されたSM-3を含むことになるだろう」(Ibid.: 107)
しかしながら、このような米軍の対応が可能なのは、先程述べた中国の潜水艦の静粛性が相対的に低いためであり、これが改善されれば、中国軍はより深海に原潜を進出させ、米本土の近くからミサイルを使用することが可能になるかもしれないとも著者は述べています。
「以上を要約すれば、もし中国の原子力潜水艦が将来的に外洋に哨戒できるに十分な静粛性を手にすれば、現在の米国のミサイル防衛構造は米国の南方から発射される潜水艦発射弾道ミサイルを迎撃することができない。しかし、米国は艦船配備型、移動式、再配置可能であり、柔軟性がある地球規模のミサイル防衛システムに取り組んでいる。外洋における中国の原子力潜水艦はこの脅威に直面せざるを得なくなり、またそこから発射されるミサイルの生存性にも疑問を抱くことになるかもしれない」(Ibid.: 110)
結局、中国のミサイル攻撃能力は米軍のミサイル防衛の研究開発がどのような成果をもたらすかによって左右されるものと考えられます。著者はすでに米中間の競合は始まっており、次の段階としては中国が094型の静粛性の向上を目指し、一方で米国は地球規模のミサイル防衛システムの強化を目指すことになると予測しています(Ibid.: 111)。

要約
戦略的観点から考えれば、確かに原子力潜水艦からの核攻撃を可能にすれば、その国家の核戦力の脆弱性は大幅に低下し、それだけ第二撃能力を保持しやすくなるでしょう。それは核抑止をより強固にするということは確かです。

しかし、このような防衛体制を確立するためには、中国海軍の原子力潜水艦の静粛性を大幅に向上させ、深海でも敵に探知されずに活動できる能力が欠かせません。この能力が欠けていると、発射位置が予測されてしまうため、弾道ミサイルを発射しても容易に米軍のミサイル防衛システムに捕捉、撃墜されてしまう恐れがあるということになります。

この研究が日本の安全保障を考える上で持っている意義を、東シナ海正面で活動する中国海軍の原子力潜水艦に対する対潜戦能力を充実させることが戦略的に大きな意味を持っていることが分かります。
十分な探知能力を保持し、中国海軍の原子力潜水艦を浅海に止めることができれば、それだけ中国の核戦略上の優位が低下させることになり、またそれだけ中国が容易に米国を相手に軍事行動に出ることを抑止することにも繋がると考えられます。

KT

参考文献
U.S. Department of Defense. 2015. Chinese Military Power, Washington, D.C.: Governmental Printing Office.
IISS. 2016. Military Balance 2016, London: IISS.

2016年5月11日水曜日

文献紹介 国際政治で生き残るための政治的リーダーシップ

国家を指導する立場にある政治家にとって最も重要な仕事は、その国家の安全を確保することであり、引いては国民の生命と財産を守ることに他なりません。
そのために国家の能力を適切に開発または運用するための一貫性を持った政策を打ち出す必要が出てくるのですが、国内の政治情勢によってはこれは容易くできないこともしばしばです。

今回は、安全保障上の脅威が目前に迫っているにもかかわらず、国家として対応するために必要な政策決定を下せない状況を考察したシュウェラーの研究を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。

文献情報
Randall L. Schweller. 2006. Unanswered Threats: Political Constraints on the Balance of Power, Princeton: Princeton University Press.

アンダーバランシングとは何か
国際政治の理論、特に勢力均衡(balance of power)理論では、ある国家が自らに及ぶ脅威を認めると、軍備を拡張し、同盟を強化する等の処置を講じ、バランシング(balancing)を図るものであると考えられています。

著者も「勢力均衡理論では、全ての国家が同じような抽出された能力を保持し、集約された国家の資源が実際の国力や対外的影響力と同等であるものと想定されていた」と従来の学説を説明しています(Schweller 2006: 13)。
しかし、著者は同時に政治の現実はこの理論の通りには動いていないと指摘します。
これは国家は脅威に対抗する上で十分な資源を持っていても、それを適切に運用できない場合が見られるということです。

このように勢力均衡理論に反する事象を著者は「アンダーバランシング(underbalancing)」と呼んでいます。(ちなみに脅威の程度に比して過剰な防衛反応を取ることをオーバーバランシング(overbalancing)とも呼んでいます)
アンダーバランシングはなぜ生じるのか、という疑問について著者は次のように応答しています。
「対外的環境における類似の変化に対し、国家がそれぞれ異なる仕方で反応する要因とは、第一に関係する政治的、社会的主体の選好であり、第二に彼らの行動を制約し、また行動を促進するように作用する社会または政府に特有の構造的特徴である」(Ibid.: 46)
この著者の見解をもう少し要約すると、結局アンダーバランシングはその国家のエリートや一般国民の間で大きな意見の不一致が起きていることの表れなのです。
エリートはその国家として選択すべき政策を直接的に決定する立場にあるため当然ですが、著者は一般国民のレベルで意見が鋭く対立している状況もまたアンダーバランシングを引き起こす要因になりえると述べているのです(Ibid. 67)。

戦間期フランスのアンダーバランシング
レオン・ブルム(1872-1950)社会党に所属した左派の政治家。
右翼勢力の台頭を阻止するため、1936年に共産党等の連携に基づき人民戦線内閣を立ち上げ、政府首班に就く。
しかし、ラインラント進駐を始め、スペイン内戦など重要な局面で路線対立が生じ、1937年に内閣総辞職となった。
著者は歴史上のアンダーバランシングの事例をいくつか取り上げていますが、戦間期のフランスの事例も含まれています。
第一次世界大戦で戦勝国の地位を獲得したフランスですが、政権が短期間で交代し続ける状態に陥っていました。そのため、長期的な視野で政策決定ができない状況になっていたと指摘されています。
「フランス政府は極めて不安定な体制にあり、1918年から1940年の間に首相が驚くべきことに35回も交代しており、1930年から1940年の間だけでも24回も省庁が改変された。共産党という例外を除けば、フランスには強力で、統制のとれた政党が欠如しており、政党の数ばかりが多かった。社会党の党首だったレオン・ブルム(Léon Blum)は1936年6月4日に首相に就任する際に『ああ、もしフランスに政党さえあれば、もし政党に組織と綱領さえあれば』と嘆いた」(Ibid.: 76)
また著者はフランスは政界のレベルで分断されていただけでなく、一般有権者のレベルでも分断されており、それが政策決定をより難しくしたとも指摘しています(Ibid.: 77)。
こうして政治的な混迷を極めたフランスに対して、1933年にドイツの政権を掌握したヒトラーはその勢力拡大のための一手としてラインラント進駐に踏み切りました。
1936年3月、ラインラント進駐によってドイツが獲得した地域。
ランラントは第一次世界大戦後にヴェルサイユ条約で中立化されていたが、ヒトラー政権は再軍備の後に軍事力を背景として、この地域を占領した。
1936年、条約で非武装地帯とされたはずのラインラントにドイツ軍が一方的に進駐したことは、ヴェルサイユ体制に対する明白な挑戦でした。
それにもかかわらずフランスの政界は対応の方針を巡って意見が紛糾し、結局のところ有効な対抗策を取ることができなかったのです。総選挙の日程が迫っていたため、与党として有権者の反発を受ける総動員発令を回避したかったという事情がありました。

また、当時のフランスで対ドイツ政策に関する意見がほとんど一致を見なかったことも関係しました。
共産主義者はドイツに対抗するためソ連と同盟を締結するように主張していましたが、社会主義者やその他の大多数はドイツに戦争を仕掛けるなど論外であり、この問題を解決するためには外交的な対話を続ける他ないと論じており、さらに中道派は伝統的な軍事同盟をイタリア、ポーランドと締結することを主張していました(ただし、イギリスの後ろ盾が必要という考え方でした)(Ibid.: 77)。

フランスの政界が政策を決められない状況をさらに悪化させていたのが国民世論の動向でした。
当時、ドイツのヒトラーを支持するフランスの右翼団体は左派のブルムを非難し、ドイツと同盟を結んでソ連に対抗すべきと主張しました。著者はこの時の情勢について次のように述べています。
「右翼は『ブルムよりヒトラーの方がマシ』と『スターリンよりヒトラーの方がマシ』というスローガンを掲げ、ドイツと共にソ連とソ連の『国際ユダヤ人の共産主義的陰謀』に対抗することを要求した。それはフランスの価値観と人生観に対する最も危険な脅威であると見なされていた」(Ibid.: 77)
各勢力の見解の是非は別として、こうしたエリートと大衆の双方が政治的に分裂して相互に攻撃しあっていたことにより、フランスはランラント進駐という重大事件があったにもかかわらず、対ドイツ政策に関して明確な方向性を示すことができなくなってしまったと考えられています。

政治的リーダーシップの強さは国力の発揮を容易にする
アンダーバランシングがエリートと大衆の政治的分裂によって引き起こされるという議論から、著者は政治的リーダーシップの重要性が国際政治を生き残る上で重要であることを説明しています。
著者の説明で興味深いのは、戦間期のドイツのような独裁的な政治体制には国力の総合発揮を容易にする特性がある、と著者が述べている部分です。
「ファシズムとリアリズムには非常に大きな相違がある。ファシストは勢力均衡を信じておらず、また人類にとって不幸なことに、人種主義的なイデオロギーによって現実主義の考え方を一掃し、そして大衆の熱狂を動員することに成功を収めた。類を見ない無慈悲さと野蛮さであったが、ファシズムは勢力拡大のために統一的国家共同体を実体のものとして作り上げた。とはいえ、この事実は残されている。すなわち、国家の膨張のために国力を動員する手段としてファシズムは極めて上手く機能した、ということである」(Ibid.: 105)
言うまでもないことですが、ファシズム自体の是非はここでは別問題です。政治的動員能力の高さだけで考えれば、ファシズムの一要素には利点があったということを述べているに過ぎません。
この考え方をより一般化して理解するとすれば、それは政治的リーダーシップの優劣によって国家の取り得る政策が変わるということになります。国家が問題に直面した際に、明確な方針を示せるだけの政治的リーダーシップが発揮できれば、それだけ国力を運用しやすくなることが期待されます。

むすびにかえて
著者は、国際政治の研究においても、国内政治の動向を調査することが必要であることを指摘するだけでなく、どの程度において国内の各勢力が分裂しているかによって、対外政策にも変化が生じるという関係を説明しました。
今後、研究すべき課題も少なくありませんが、国際政治と国内政治の研究を橋渡す意味で重要な研究であり、また民主制と独裁制の関係を考える上でも有意義な視点だと思います。

つまるところ、民主制は投票を通じて政党間の競合を促進し、その競合を通じて各政党がより良い政策を研究、立案するように仕向ける政治システムです。
しかし、この制度があらゆる政策上、政治上の問題を解決できるとは考えるべきではなく、国際情勢が変化し、緊急事態の対応が求められる局面において、非民主的な体制の方が上手く問題を解決できる可能性があることは、すでに著者が説明した通りです。
重要なことは、民主的な制度の利点と欠点を理解した上で、その欠点をカバーし、独裁制の利点を可能な限り利用できる制度や運用を研究することだと思います。

KT

2016年5月8日日曜日

論文紹介 19世紀のイギリス陸軍と築城学の発達

築城(fortification)とは、味方の防護性を向上させ、より高度な戦闘力を発揮するため、土地に対して施す工事またはその工事によって設置される各種構築物のことをいいます。
21世紀の戦場で築城の形態は大きく変わりましたが、その基本的な技術は今でも広く研究、訓練されています。

今回は、19世紀のイギリス陸軍で築城学の研究がどのように進められていたのかを教範類に基づいて調査した研究を紹介したいと思います。

論文紹介
John Goodwin. 2008. "Selected 19th Century Manuals on Fortification for British Military Engineers," Fort, Vol. 36, pp. 22-35.

19世紀イギリス陸軍における築城学の躍進
チャールズ・パスリー(1780-1861)
イギリス陸軍における工兵教育の改革に尽力した。
築城には長い歴史がありますが、19世紀という時代は近代的な築城学の成立にとって特に重要な時期でした。この時期には戦場で使用される火力の威力や射撃速度が向上したため、兵士や装備を防護する上で築城がますます重要になったためです。そのためイギリス陸軍でも19世紀には専門的な研究が行われました。

ロンドン東部にはウーリッジという地区がありますが、ここでは1741年に王立陸軍士官学校が設置されて以来、築城学の研究には熱心に取り組んでいました。学校の教官には軍歴のない文民も多く含まれており、また国籍にも関係なく人材が集められたため、1766年まで40年にわたってドイツ人の数学者が校長を務めた時期さえあったほどです(Goodwin 2008: 22)。

こうした研究努力があったにもかかわらず、19世紀初頭のナポレオン戦争において従軍したイギリスの工兵士官たちは築城の研究が不十分であることを思い知らされました。フランス陸軍の砲兵射撃がイギリス人が想像する以上の威力を持って防御陣地を破壊していく様子を目の当たりにしたためです。
当時、陸軍大尉だったパスリー(Charles Pasley)は王立陸軍士官学校で行われている築城訓練がすでに現場で役に立たないと指摘し、その改革を求め始めたのですが、すぐに成果に結びつくことはありませんでした(Ibid. 23)。

しかし、パスリーはその後も自説を主張し続けたことにより、彼の説はウェリントン(Duke of Wellington)の知るところとなります。しかもウェリントンは1812年のバダホス攻囲戦を指揮した際にイギリス陸軍の工兵の能力に欠陥があるという認識を持っていたため、パスリーの主張を擁護する立場に立ったのです。
ウェリントンの後ろ盾を得たパスリーは、イギリス陸軍の築城学をより先進的なものにするための研究に取り組むことができるようになりました。

築城学に関する教範類の整備
イングランドの沿岸防衛で重要なスピットヘッドに建設するために構想された要塞施設の案。
1868年の教範に盛り込まれたものの、実現には至っていない。
(Ibid.: 25)より引用。
工兵訓練で実績があったパスリーは、ウェリントンの支援を受けてイングランドのケント州チャタムに新設された王立陸軍工兵学校(Royal School of Military Engineering)の教官に補されます(Ibid.: 24)。
パスリーが教育で特に重視していたのは体系的な知識の習得でした。現場で野戦陣地を構築する実際的な技術だけでなく、それを基礎付けるための数学、地形学などの科学教育の重要性を強調したのです(Ibid.)。近代的な築城を発展させるためには、従来のような現場の経験だけに頼る方法では限界があることをパスリーは自らの経験から理解していました。

また基礎科学の習得だけでなく、パスリーは近代的な築城学の原理原則を教育することにも努め、授業においては築城学の古典とされたヴォーバンの研究についても取り上げました(Ibid.)。パスリーによる工兵改革の成果は、優秀な工兵士官が執筆する築城学の文献の数を増加させることに大きく寄与しています(Ibid.)。その成果はイギリス陸軍における工兵関係の教範類の整備を後押しすることになりました。

1811年、政府の調査委員会はイギリス陸軍に工兵士官のための教範類が整備されていないことを問題視する報告を出しています(Ibid.)。この報告から間もなくイギリス陸軍は要塞から砲台に至るまで幅広い築城工事に対応した教範『陸軍工兵野外教令(Royal Engineer Code of Regulations)』を策定し、ここから研究は急速に進むようになりました。

次第にこの教範の内容は充実していきました。1857年に教範の分量は1,000ページを突破し、1863年には6巻に分割されてスピットヘッドの防御施設やロンドンの防衛線の構築方法に関する試案も盛り込まれ、1868年になると教範は12巻、鉄製の海上要塞の構築方法に関しても記述が盛り込まれるに至ります(Ibid.: 25)。
また、教範だけでなく、専門誌も数多く出されるようになったことで、イギリス陸軍における工兵の知識水準は短期間の内で大幅に向上したことも指摘できるでしょう(Ibid.)。

近代築城学の普及とその歴史的影響
陸軍大尉ロイド(E. M. Lloyd)が1872年に王立陸軍士官学校の教官に補されると、彼は『築城及び軍事工学教程(Text Book of Fortification and Military Engineering)』を士官教育の目的で著し、これがイギリス陸軍における標準的な築城学の教科書として広く読まれるようになりました。

この教範はパスリーの改革の影響を強く受けており、第1巻では数学、特に幾何学が取り上げられ、当時最先端とされた永久築城、つまり要塞の建設に欠かすことができない知識であることが説明されていました(Ibid.: 28)。
また第2巻では、防御陣地を攻撃する方法、つまり攻囲作業に関する知識が取り扱われており、沿岸砲台の管理方法についても言及がなされていました(Ibid.)。この教範は1878年、1893年に新たな版が出されており、そこでも王立陸軍工兵学校から出された文献が多く参照されています(Ibid.)。

1811年に築城学の教範が一冊もなかったことと比べれば、ロイドの教範は大きな進歩でした。同時にロイドはその著作で武器と戦術の変化を受けてさらに修正が加えられる必要があるとも認識し、さらに専門的な調査研究を進める必要を著作で述べています(Ibid.: 32)。
1889年、イギリス陸軍では118kmの防御正面を持つ要塞の構築実験が実施されましたが、その目的はイングランド南部に着上陸した敵を阻止するための要塞化された防衛線を研究することにあり、具体的にはギルフォードからノースウィールドまでのノースダウンズに沿って構築されるものでした。
この実験の成果は軍事的な価値が大きかったため、教範に取り入れられることはありませんでした。この研究成果に関する文書は1903年に軍事上の理由から秘密指定を受けています(Ibid.)。
ロンドンの南東部に位置するNorth Downsは広大な丘陵地帯である。
イギリス陸軍はここを本土決戦における防衛線と見なされていたことから、ここに長大な防衛線の建設を研究していた。
要約と考察
今回紹介した論文は、イギリス陸軍における築城学の発展を辿ることで、第一次世界大戦に見られる塹壕戦の準備が19世紀に着実に進んでいたことを明らかにしています。
歴史的に興味深いのはその準備がナポレオン戦争にまでさかのぼることができるという点であり、パスリーの工兵教育の改革を支援したウェリントンには先見の明があったと言えるでしょう。もしウェリントンのような政治力のある軍人がこの改革を支援しなければ、イギリス陸軍がこれほど短期間に築城学の知見を増進させることは難しかったに違いありません。

KT

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2016年5月5日木曜日

フラーの機甲戦思想と戦車の戦略的重要性

研究者は第一次世界大戦に実戦投入された戦車が、その後の戦争の歴史を大きく変えるだけの影響を持っていたことを(程度の差はありますが)広く認めています。しかし、この影響はしばしば戦術的レベルしか理解されていません。
今回は、戦車が戦略的レベルでどれほどの影響を及ぼしたのかを考察したフラー(J. F. C. Fuller)の学説を紹介し、それを説明したいと思います。

機甲戦の可能性を予見したフラー
J.F.C. フラー(1878-1966)
第一次世界大戦でイギリス軍の実験的な戦車部隊の運用研究で重要な成果を残したものの、戦後の予算縮小や戦車に批判的な立場を取る勢力との対立に直面したことなどから、次第に戦車から遠ざけられて退役した。機甲戦に関する学説は現在でも世界的に知られている。
フラーは、近代以降における軍事学の研究に貢献したイギリスの軍人であり、戦車の運用研究に寄与したことで知られています。
彼は第一次世界大戦で新設された戦車軍団で本格的な戦術研究に着手し、史上初の機甲戦とも呼ばれる1917年のカンブレーの戦いにも参加しています。その後、幕僚大学校で教官となった後に1930年に退役し、軍事学の著作を数多く発表しました。

フラーの学説の特徴は戦車が次世代の戦争を考える上で見過ごすことができない重要な武器体系であることを予見し、まだ戦車の技術的発達が十分でなかった頃から機甲戦の意義を主張していたことにあります。
彼の学説では確かに戦場における戦車の戦術的運用が中心的な課題とされていますが、しかし戦争における戦車の戦略的運用についても大きな関心を寄せてもいました。
「戦術は戦場で兵士を動かす技術であり、それは使用する武器と輸送手段によって変化する。新しい武器や改良された武器または移動方法は戦争術において適切な変化を必要とするものであり、現代においては戦車の導入が戦争術における抜本的な変革を求めている」(Fuller 1936)
ここでも戦車は単に塹壕戦の問題を解決する一手段ではなく、戦争の歴史において一つの画期と見なすべきであると考えていたことが分かります。フラーは戦車を広い戦争史の文脈に位置付けて理解していたのであり、その導入によって戦術だけでなく戦争術全般が変化する可能性を指摘していました。

戦車の特性とその戦略的重要性
戦争における戦車の影響についてフラーは、次のような影響があると指摘しています。
(1)戦車は筋力を機械力に置き換えることで運動性を向上させる。
(2)戦車は弾丸をはじき返す装甲を使用することによって安全性を向上させる。
(3)戦車は兵士が自らの武器を運搬し、軍馬が兵士を運ぶという必要から解放することによって攻撃力を向上させ、より多くの弾薬を携行することで破壊力を倍加させることができる(Ibid.)。
機動、防護、火力これら三点はフラーが考えた戦車の最も重要な特徴であったと言えるでしょう。
これら諸要素はいずれも戦闘力の基礎であり、戦車が配備された部隊はそれを持たない部隊に対して優位性を保持できることが示唆されています。

戦車が戦略に与える影響についてフラーは次のように記しています。
「戦略は連絡線によって紡がれるものであり、つまり道路、鉄道、河川、運河などが重要となる。現在、路外機動を想定したガソリン駆動式機械である戦車または牽引車が導入されたことにより、連絡線は少なくとも戦域の75%にまで延伸され、我々が知る連絡線よりも拡張されてきた。動物の耐久力という制約もなく路外において武器と弾薬を移動させ、補給を維持する可能性が出てきたことは、戦争の歴史においてまったく新しい問題である」(Ibid.)
ここで述べられているように、戦車という武器体系が従来のそれと大きく異なっているのは、その影響が戦術的レベルだけに止まらず、戦略的レベルにまで及ぶことが関係しています。
それまでの戦略家は戦域で地上部隊を移動させるには、昔ながらの徒歩行進を行うか、それとも柔軟性と融通性に乏しい鉄道に頼らなければなりませんでした。
しかし、フラーは戦車の路外機動能力を駆使すれば、それまでの戦争では考えられなかった戦略でも実行可能になるのではないかと考えたのです。

物質的要素ではなく、精神的要素への打撃
1940年のドイツ軍によるフランス侵攻では、戦車の通過は困難と考えられていたアルデンヌ高原の森林地帯が前進経路として使用されたことにより、フランス軍は予定した地点よりも遥かに背後にまで攻撃の手が及んでいると知り、大幅な作戦の見直しを迫られた。フラーが理想とする戦車の戦略的運用が現実のものとなった事例と言える。
戦車を活用した戦略としてフラーが考えていたのは、敵の頭脳である指揮機能を破壊する戦略であり、言い換えれば敵の戦闘機能を破壊することを避ける戦略でもありました。
この戦略の基本的な考え方はフラーの次の説明で理解することができます。
「戦争を第一に成り立たせるのは敵の兵士の殺戮、傷害、捕獲、そして武装解除であり、これらはいわば肉体の戦いである。第二に戦争を成り立たせているのは、敵の指揮能力を機能不全にすることであり、これはいわば頭脳の戦いである。一人の人間を例とすれば、第一の方法は敵が死に至るように次第に出血させる傷を負わせ続けるものと言えるが、第二の方法は頭部への短い一撃である」(Ibid.)
ここでフラーが軍隊の頭部として想定するのは司令部のことです。前線に展開する部隊と司令部の接続を遮断してしまえば、その後は自然と部隊の全体が機能を停止せざるを得ません。フラーはこの司令部機能に打撃を加えるために戦車を活用すべきだと考えていたのです。
「現在の我々の理論は人員を破壊することであるが、新しい理論は指揮を破壊することであるべきであり、しかもそれは敵の人員は分裂されてしまった後ではなく、敵の人員が攻撃を受ける前になされるべきである。そうすることで、攻撃を受ける際には完全な混乱状態に陥らせることが可能となる」(Ibid.) 
フラーの学説によれば、戦車の価値は敵の防御陣地に突撃する際に発揮されるのではなく、敵の防御陣地を避けて迅速に敵地奥深くに前進し、その司令部に脅威を及ぼして指揮機能を停止させる際に発揮されるのです。

むすびにかえて
戦略の原則は時代や地域を超えてほとんど変わることがありませんが、問題はその応用方法であり、それは時代や地域の特性に応じてさまざまに変化してきます。
フラーが予見したように、戦車の登場はその後の戦争の歴史を大きく変えました。司令部の指揮機能を優先的に破壊するという考え方自体は第一次世界大戦の経験からすでに形成されつつありましたが、フラーはこれに戦車の優れた火力、機動、防護を利用するという発想を加えることで、その後の「電撃戦」に通じる理論を構築したのです。

これほど先進的な学説を提唱したフラーですが、イギリス軍の中で必ずしも主流派ではありませんでした。もしイギリス軍が戦間期から戦車の戦略的重要性を認識し、その研究を推し進めていたならば、第二次世界大戦が勃発した際にイギリス軍の戦い方はまったく異なったものになっていたのかもしれません。

KT

参考文献
Fuller, J. F. C. 1936. Memoirs of an Unconventional Soldier, London: I. Nicholson and Watson.

2016年5月4日水曜日

論文紹介 サイバー戦のゲームを制作すべし

サイバー安全保障がこれほど大きな問題となっているにもかかわらず、十分な要員を確保することができず困っている国は日本だけではありません。米国では要員確保に取り組む第一歩として、その教育訓練に関する調査研究が進められています。

今回は、サイバー戦に備えるために必要な人員を訓練するためのゲームを提供することが政府として必要であることを提案した論文を紹介したいと思います。

文献情報
Christopher Herr, and Dennis Allen. 2014. Video Games as a Training Tool to Prepare the Next Generation of Cyber Warriors, Pittsburgh: Software Engineering Institute, Carnegie Mellon University.

米軍におけるゲーム開発の歴史
ゲームを教育目的で利用するという取り組みは目新しいものではありません。
さまざまな分野でゲームが優れた訓練用の教材となり得ることは実証されており、小学校や中学校の生徒に対する学科教育でも大きな成果を上げています。座学のような一方的な情報の伝達ではなく、学習者の自発的な参加が促されることが学習効果を高めると考えられています。

米軍でゲームが軍事訓練のために最初に導入されたのは1962年のこととされており、当時国防総省が出資してマサチューセッツ工科大学が開発した『宇宙戦争(Spacewar)』というゲームでしたが、まだ当時は二次元の空間に艦艇を展開し、ミサイルで交戦するという単純なゲームでした(Herr and Allen 2014: 8)。
戦闘モデルが三次元の空間にまで発展させたゲームは1970年代に開発された『戦闘地域(Battlezone)』であり、これは一人称視点でプレイヤーが戦車の砲手となるゲームであり、米軍はこのゲームを当時開発中だったM2ブラッドレー歩兵戦闘車の訓練用シミュレータに採用しました(Ibid.)。

こうした事業に基づく知見を踏まえて米軍では独自にシミュレーション・ネットワークの構築を始めます。
1982年には数百のシミュレーターをSIMNETと呼ばれるネットワークで結ぶことにより、複数人が戦闘機や戦車を仮想の空間で同時に操作する訓練環境が整備されました(Ibid.)。1990年代初頭に湾岸戦争が勃発すると、SIMNETではイラク侵攻に参加する世界中の米陸軍の戦車部隊の隊員が接続し、詳細な戦術の検討が繰り返し行われることに活用されました(Ibid.)。

商業ゲームの活用と募集活動等への応用の広がり
しかし、SIMNETは多額の経費を費やした事業でもあったため、1990年代に海兵隊が新たにゲームの開発に関心を示した際には、商業用ゲームを最大限に利用する新しい取り組みが試みられました。
当時、多くのゲームが候補とされましたが、海兵隊への提供を認めたのはDoomというゲームであり、これは設定に変更を加えたMarine Doomという新たなゲームに改められた上で採用されることになりました。
三次元空間に展開する市街地歩兵分隊の戦術行動の研究のために活用され、多くの海兵隊員の間で非常に好評でした。しかも、SIMNETの経費が10年間で1億4000万ドルであったのに対して、Marine Doomは1000ドル以下の経費で済ませることができたのです(Ibid.: 9)。

2002年になると米軍では新兵を募集するための手段としてゲームを活用することも始めます。
ゲームを通じて営内での生活や訓練の様相を仮想的に体験することにより、より多くの青少年に軍隊を進路として考えてもらうきっかけとするのです(Ibid.: 9)。
このゲームの内容は基本戦闘訓練(Basic Combat Training)に重点が置かれており、これをプレイすることによって新兵が事前にどのような内容の訓練を受けるのか知識を与えることにもつながり、訓練効率の向上にも寄与するところがありました(Ibid.)。
こうしたシミュレーション・ゲームの活用は近年では衛生兵や工兵の訓練にも応用されるようになっており、ますます使用される機会が増えています。

サイバー戦要員のためのゲームの必要性
こうした数々の成果を見れば、ゲームをサイバー戦の要員確保に利用しないという手は考えられません。著者らはこうしたゲームがこれまでに開発されていないことを指摘した上で、設計する上での基本的な原則について考察しています。
・プレイヤーは大局的にはサイバー安全保障の状況を経験し、ネットワークやシステムを防衛する方法を学ぶことができる。また戦術的には安全上の措置をとり、特定の活動のタイプを監視し、デバイスを設定する技術について学ぶこともできる。
・プレイヤーには以下のルールの一覧が与えられるべきである。最良のゲームは現実に基づくルールが与えられるものであり、その影響を無視して逸脱することはできない。軍事上のゲームにおいては、それらは交戦規定と呼ばれる。サイバー安全保障の訓練シミュレーションでは、これらの規則はその要請に基づいて利用可能なシステムを制限し、何がプレイヤーにできるのか、何を変えることができないのかを制限する。例えばプレイヤーは疑わしい活動をブロックし、また防護するためにファイアウォールを構成することは許されるべきだが、単にネットワークを切断してあらゆる通信を途絶させることはできない。(Ibid.: 12)
著者らの提案はこれだけではなく、プレイヤーは攻撃者から自分のネットワーク上の位置を特定される危険を経験できることや、政府または企業のネットワークがどのように機能しており、それがどのように攻撃を受ける可能性があるのか、プレイヤーが攻撃者に対抗し得る手段が電源を落とすことしかなければ、それによってどれほどの損害が発生するのかを経験できるようにすることなども重要だと述べています(Ibid.: 12-3)。

むすびにかえて
日本でゲームと聞くと子供向けのイメージが持たれがちですが、米国では軍隊とゲーム業界には歴史的な繋がりがあり、米軍としても積極的にゲームを訓練目的で活用してきた歴史があります。米軍にとってゲームは遊戯なのではなく、訓練と研究の一部として位置付けられてきました。
しかし、そんな米軍でもサイバー空間における戦術行動に関するゲームというものはこれまでに本格的なものが開発されたことがありません。
サイバー戦という問題がいまだにシミュレーション・ゲーム化されていない現状は考えてみれば奇妙なことですが、だからこそ改めて開発する価値があるのかもしれません。そうしたゲームの開発を通じて次の世代のためにサイバー戦の学習環境を整備すべきという著者の指摘も重要だと思います。

KT