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2015年12月30日水曜日

攻撃ヘリコプターの編成と運用

現代の陸上作戦で戦闘力を発揮するためには歩兵や機甲などの兵科を組み合わせ、高度な戦闘力を発揮する諸兵科連合が重要となっています。その中でもヘリコプターが重要な任務を遂行するようになっています。

今回は、米陸軍において攻撃ヘリコプターがどのような役割を担っているのかを概観してみたいと思います。

攻撃ヘリコプター部隊の編成
米陸軍では攻撃ヘリコプターは攻撃偵察大隊(attack reconnaissance battalion)で運用されており、これは戦闘航空旅団の下に2個編成され、攻撃ヘリコプターであるAH-64Dだけで編成される場合と、観測ヘリコプターであるOH-58Dだけで編成される場合、そして両者を1個ずつ組み合わせて編成する場合があります。
米陸軍における攻撃偵察大隊の標準的な編成。
上がAH-24を配備した場合の編成であり、下がOH-30の場合の編成である。
(FM 3-04.126: 1-6)
AH-64Dを配備した攻撃偵察大隊について説明すると、まず1個の本部管理中隊(Headquarters and Headquarters Company, HHC)、1個の前方支援中隊(Forward Support Company, FSC)、そして3個の攻撃偵察中隊(Attack Reconnaissance Companies, ARC)、1個の航空整備中隊から構成されます。それぞれの攻撃偵察中隊には8機のAH-64Dが配備されることになるため、合計で24機のAH-64Dが配備されることになります(FM 3-04.126: 1-5)。
攻撃偵察中隊(ARC)・攻撃偵察隊(ART)の編成表。
攻撃偵察中隊(上)は2個の攻撃偵察小隊から編成され、AH-64Dが4機ずつ配備。
攻撃偵察隊(下)も2個の攻撃偵察小隊から編成され、5機ずつOH-58Dが配備。
(FM 3-4.126: 1-8)
以上で攻撃偵察大隊から攻撃偵察中隊、そして攻撃偵察小隊に至る編成の概要が分かったと思いますので、次に個々の攻撃ヘリコプターの運用に関して見ていきたいと思います。

攻撃ヘリコプターの運用について
攻撃ヘリコプターは純粋に技術的観点から見れば航空機の一種ですので、陸上で戦う陸軍に攻撃ヘリコプター部隊が編成されていることが不合理に思われる方もいるかもしれませんし、それはもっともなことです。
この事情を理解するためには、攻撃ヘリコプターは一般にイメージされるよりも、はるかに低い高度で運用されることがあることを念頭に置かなければなりません。
攻撃ヘリコプターが隆起攻撃(bump attack)している図。
地形に沿って空中機動ができるヘリコプターの特性を利用した運用と言える。
(FM 3-4.126: 3-70)
実際の交戦では攻撃ヘリコプターの武装は機関砲、ロケット、対戦車ミサイルなどを用いて敵の戦車や装甲車などの地上目標を射つ場面が多く、必然的に低高度以下の高度で活動することになります。その場合、段丘や稜線に身をひそめて行動するというような地形地物に適応した機動が必要となります。

つまり、複数の攻撃ヘリコプターで組む編隊についても、地形に容易に適用できるように柔軟なものでなければなりません。
編隊を組んで飛行する際に各機がとる間隔の目安。
尾翼から右方へ45度の方向に対し、回転翼の大きさで判断する。
回転翼の直径に対して2倍の位置、3から5倍の位置、6から10倍の位置、それ以上の位置に区分。
一般に各機の間隔を大きくとるほど部隊としての脆弱性は小さくなる。
(FM 3-4.126: 3-4)
編隊を組んで飛行する場合に各機が占める位置関係についても、原則となる考え方がありますが、その一つに長機(lead)に対して僚機(wingman)は死角となる真後ろ位置することを避けなければならないというものがあります。また敵と接触する恐れがある地域を移動する場合には、各機の間隔を大きくとって、脆弱性を最小限度に抑制しなければなりません。
編隊を組む際には長機に対して僚機は一定の距離を保持しなければならない。
つまり長機の視界を遮らず、かつ敵との交戦において直ちに射撃可能な位置を占める。
上の図でleadが長機、wingmanは僚機、maneuver areaは僚機が占め得る位置。
(FM 3-4.126: 3-5)
このような長機と僚機の交戦における連携にもたくさんのパターンがありますが、ここでは同時攻撃と連続攻撃について説明しておきます。
攻撃ヘリコプターは強力な火力を備えているものの、一カ所にとどまると敵の射撃目標となりやすいので、昔の騎兵隊のように一撃すれば敵の反撃を受ける前に離脱し、少し離れて態勢を整えた後には次の一撃を加えるという戦い方をとります。
左が長機と僚機の同時攻撃を加える際に実施する機動、
右が長機と僚機が連続攻撃を加える際に実施する機動の図解。
同時攻撃の場合、攻撃の間隔が長くなるが、火力を集中することが容易となる。
反対に連続攻撃の場合、次の攻撃までの間隔が短くなる。
(FM 3-4.126: 3-65)
同時攻撃(simultaneous attack)の特性は長機と僚機が同時に攻撃を加える点であり、次の攻撃にまで時間がかかる一方で、僚機が長機の援護射撃をすることができます。そのため、より正確に目標を撃破する必要がある場合には同時攻撃を実施することが適切でしょう。
しかし同時攻撃だと次の攻撃までに時間がかかるため、敵の部隊が態勢を立て直したり、または別の場所へと退避しようとする可能性があります。そのため連続攻撃(continuous attack)では長機と僚機がかわるがわる攻撃を行う場合があります。
なお、連続攻撃は同時攻撃よりも技術的に難しいだけでなく、敵の脅威が大きい場合、また敵を撃破するために必要な火力が比較的大きい場合には選択すべきではないことに注意する必要もあります。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-04.126: Attack Reconnaissance Helicopter Operations. Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年12月26日土曜日

論文紹介 ISとの戦いでアメリカの地上部隊が必要な理由

2015年12月現在、国際テロリスト集団のイスラミック・ステート(Islamic State)は、イラク北部からシリアの領域を武力によって支配し続けています。昨年と比べれば状況は改善しつつありますが、イラク軍、アメリカ軍は依然としてその勢力圏を瓦解させるには至っていません。

今回は、アメリカ陸軍の立場からISに対する軍事戦略について考察した研究論文を紹介してみたいと思います。

文献情報
Johnson, David E. 2015. "Fighting the "Islamic State": The Case for US Ground Forces." Parameters, Spring, pp. 7-18.

オバマ政権が打ち出した戦略の間違い
この論文で著者が展開している議論の多くはオバマ政権の戦略に対する批判です。
著者は、アメリカがISとの戦いを対反乱戦(counterinsurgency war)として捉えているが、むしろ戦争として捉えることが必要であり、この戦争に勝利するためには地上部隊の投入が欠かせないと論じています。

著者の見解によれば、そもそも現在の政権が実施している戦略は、ISとの戦いを誤った視点で捉えています。2015年2月11日にオバマ大統領は議会でISとの戦いで用いられるべき自身の戦略について説明しており、その内容を検討すると、基本的な目標とはISの打倒であり、その方法としてイラクとシリアにおけるISに対する体系的な空爆、その手段としてイラクに対する限定的な航空勢力、顧問団、支援を提供することである、とされています(Johnson 2015: 8)。
さらに、第一線で戦う地上部隊についてはクルド人、スンニ派、シーア派の民兵、そしてイラン革命防衛隊がこれを支援するものと想定していました(Ibid.)。これらがオバマ政権のISの問題に取り組む上で採用した戦略構想の概要だったのです。

このオバマ政権の戦略は、アフガニスタン、イラクでの戦争でアメリカが採用したものと本質的に同一のものだと判断できます。著者はそれが反乱に対する戦略に過ぎず、ISとの戦いでは不適切だと述べています。
「今日、航空勢力とイラク陸軍の限定的な作戦はイスラミック・ステートを弱体化させ、彼らが広漠とした地域に進出する際に危険を強いている。その対策として、イスラム国は市街地に拠点を移しつつある。アメリカ空軍中将David Deptulaは段階的に実施される航空作戦でイスラミック・ステートを撃破することができると論じたことがあるが、上述したことは地上で新たな状況を引き起こしており、もはや空爆だけでは解決不可能な問題が生じているのである」(Ibid.: 8-9) 
ここで著者が紹介した見解が正しいのであれば、オバマ政権のISに対する戦略は必ず失敗するとは言い切れません。しかし、著者はこうした航空作戦の考え方に問題があると考えています。

なぜアメリカ陸軍の能力が必要なのか
著者がオバマ政権の戦略で懸念しているのは、市街地における空爆が必ずしも有効ではないという点です。
「イスラム国の戦闘員は今や自らの存在を占領する地域や都市住民に紛れさせて掩蔽することが可能である。彼らはガザ地区のハマスやフエにおける北ベトナム軍と類似しており、イラクやアフガニスタンで我々が戦ってきたタイプの反徒ではないのである」とも指摘されています(Ibid.: 9)。
現地勢力を地上部隊として間接的に利用することに依存したオバマ政権の戦略では行き詰まりになる可能性が大きいため、著者としてはアメリカ陸軍の部隊を投入する必要が大きいと判断しているのです。

この見解の根拠の一つとして著者は最近の事例を挙げています。それは2007年にブッシュ大統領が実施したイラクに対する3万名の増派です。
この時の増派では5個旅団が投入されましたが、そのことによって治安回復に成功しただけでなく、イラクにおける治安維持部隊の訓練を支援し、独立した作戦行動が可能な水準にまで育て上げることができました。この能力構築の成果がなければ、そもそも2011年のアメリカ軍の撤退を実現することは難しかったと述べられています(Ibid.: 13-4)。

著者によれば、ISの現在の戦闘力を分析すれば、これはイラク軍やシーア派の民兵の手に委ねることができるような脅威ではなく、彼らの能力で対応することができるという考え方には根本的な疑問が残ります。イラク軍がもしもISに敗北するようなことがあれば、ISはその戦果を世界各地での人員募集活動に活用し、アメリカ国内または同盟国の国内に危険が及びやすくなることになるという可能性も軽視されるべきではありません(Ibid.: 15)。

日本の安全保障との関係性について
著者の議論で興味深い部分の一つが、このISに対するオバマ政権の戦略が東アジア情勢を考慮するあまり、中東情勢の優先順位が低く設定されているという指摘です。この論点については次のように説明されています。
「イスラミック・ステートによるイラクに侵攻すれば、国家安全保障戦略と部隊配置の大幅な見直しを余儀なくされる。ここでの中心的な問題とは、アメリカが陸軍を直接戦闘に参加させない立場を堅持することによって、中東とそれ以外の地域におけるISとの戦いで期待される政策効果が得られなくなるということである。これは部分的には中国の台頭に対抗するために太平洋でリバランシングを行うという現在の戦略の結果である。中国の問題は重要ではあるが、とはいえそのことによってそれ以外の世界から関心を失うべきではない」(Ibid.: 16)
著者はアメリカ軍の部隊をアジア太平洋方面に集中することによって、中東方面の戦略に支障が出ていると指摘しているのです。これはアメリカ軍の戦略が常に世界戦略として展開されていることを再認識させるものです。ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東、アフリカ、南アジア、オセアニアなどで何か危機が発生すれば、アメリカ軍はこれに対応するために部隊を動かさざるを得ません。もしアジア太平洋地域でアメリカ軍が中国の台頭に備えようとすれば、それだけ世界の別の地域に配備できる勢力が低下するというジレンマがここで垣間見えます。

むすびにかえて
著者が指摘したように、ISの主力は空爆を避けて平野部から市街地に移動し、そこで地域防御の構えを見せているようです。このような防御者を撃破することが難しいことは確かにそうです。しかし、それが不可能であるかのように論じることは間違いであり、オバマ政権の戦略に対する著者の批判には問題があります。

市街地で敵がどれほど強固な防御陣地を構築したとしても、十分な規模の地上部隊があるならば、包囲網を形成することができます。一度このような攻囲を受ければ、外部からの増援と呼応しないと解囲は極めて困難となります。私は適切な規模の戦力と十分な時間をかければ、必ずしもアメリカ陸軍の部隊を投入しなくても、攻略することは可能であると考えます。
とはいえ、著者の最後の指摘は確かに重要です。結局、アメリカ軍の戦略は、いつ、どこで、どのようにアメリカ国民が戦うべきだと考えるのかによって影響を受けます。中東地域でのISに対するアメリカ軍の作戦も、東アジアやヨーロッパでの情勢と無関係ではありません。

KT

関連項目
論文紹介 NATO加盟国は対テロ作戦で団結せよ

2015年12月22日火曜日

論文紹介 航空母艦に将来性はあるのか

海軍の歴史を振り返ると、それは技術革新の歴史であったことが分かります。内燃機関の導入、砲弾の威力向上、軍艦の機能分化、装甲艦の一般化など新たな技術が登場すれば、それは海上戦闘の様相を一変させ、引いては国際政治の勢力関係を変えてきました。

今回は、20世紀の海軍史に大きな影響を与えた航空母艦を取り上げ、21世紀における将来性について評価した研究論文を紹介したいと思います。

文献情報
Rubel, Robert C. 2011. "The Future of Aircraft Carriers."Naval War College Review, 64 (4): 13–27.

この論文で著者は教義という観点から米海軍における空母の運用を考察した上で、現在の海軍を取り巻く技術的環境を分析し、両者を総合することで空母の将来性を評価しています。

空母の発達と主力艦としての運用
当初、米海軍における空母の運用は情報収集を主眼としたものでした。これは軍事目的での航空機の運用が(第一次世界大戦における)陸上作戦の航空偵察から始まったことが関係しており、いわば空母は海上で偵察機を運用するためのプラットフォームとして位置付けられていたのです(Rubel 2011: 15)。しかし、このような空母の運用は航空機の性能が改善されるにつれて変化していきました。

米海軍で空母が戦闘で決定的役割を果たすことが認識されるようになった契機は第二次世界大戦であり、日本海軍による真珠湾攻撃、米海軍によるドゥーリットル空襲で一撃離脱を基本とする空母の集中運用の有効性が確認されることになります(Ibid.)。
それまで海軍では主力艦(capital ship)という用語は主として排水量が大きく、砲力に優れた艦艇に対して用いられてきましたが、航空攻撃の威力が増大するにつれて空母も主力艦としての役割を果たし得るという考え方が広がり、主力艦の一種として見なされるようになります(Ibid.: 15-6)。

技術革新による空母の脆弱性の増大
第二次世界大戦が終結すると、空母の新たな役割として核攻撃のプラットフォームが追加されることになりました。核ミサイルを塔載した原子力潜水艦の運用が確立されるまでの間、空母は洋上から戦略爆撃機を発進させるという任務を担い、核抑止の実効性を担保することになりました(Ibid.: 16)。
とはいえ、弾道ミサイルを発射できる原子力潜水艦によってこの機能は完全に代替されることになったこともあり、敵のミサイルの有効射程に空母を近付ける危険が次第に米海軍の内部でも重視されるようになっていきます(Ibid.)。

その後、空母の役割は洋上の滑走路として以降していきました。1973年の第四次中東戦争で米海軍は三個の空母群をイスラエル軍の支援のために東地中海へと派遣しています(Ibid.: 17)。この事態への対応でソ連軍はそれら空母に対して航空戦力で数的優勢を占めるために5個の飛行隊を作戦地域に展開できる態勢をとりました(Ibid.)。
この時に米ソ両軍が直接交戦することはかなったものの、この時の経験は米海軍の空母の運用を支配する従来の教義に疑問を投げかけました。
空母の脆弱性は技術環境の変化によってますます増加する傾向があるにもかかわらず、第四次中東戦争で実施したような集中運用をとることが果たして望ましいと言えるのか、米海軍の内部で教義の再検討が進められることになります。

その結果、近年では米海軍における空母は『地政学的な駒(geopolitical chess piece)』として位置付けが重視されることになりつつあります(Ibid.: 17-8)。つまり、空母が持つ戦闘力を直接行使するというよりも、それを外交上のメッセージとして活用することに主眼を置くようになっているということです。

新たな海軍技術の動向と空母の運用への影響
著者の説によれば、将来の空母の運用に関する教義に重大な影響を与えうる新たな技術が開発されており、その動向を展望すれば空母の役割は今後ますます限定される傾向にあると考えられます。
空母の脆弱性を増大させる技術の一つとして著者が注目しているのが対艦弾道ミサイルの技術です。禁煙、中国が開発を継続しているDF-21Fはその典型的な事例であり、射程、威力、精度が改善し続ければ、それは「中国による台湾侵攻や中国の沿岸近くでの先制行動に対して米国が介入することを抑止することに役立つであろう」と考えられています(Ibid.: 19)。

その他にも、潜水艦、対艦巡航ミサイルも考察の対象とされています。確かに潜水艦が直ちに空母の運用を不可能にするというわけではありませんが、潜水艦の存在は空母の運用に不可欠な機動の自由を妨げることに寄与することは間違いありません(Ibid: 20)。
著者によると、米海軍の内部で実施されている兵棋演習では小型の空母を多数保有することによって、こうした脅威に対する空母の脆弱性を緩和できるのではないかという研究もなされたことがあるようです。しかし、その結論として空母の小型化により飛行甲板の面積が縮小され、艦載機の運用効率が低下するだけでなく、多くの空母を整備するための費用がさらにかさむようになることが判明しました(Ibid.)。

このほかにも、防空システムの発達、F-35Bのような垂直離着陸が可能な機体の開発、さらに無人機の普及が、空母を艦隊の中核として位置付ける必要性に疑問を投げかけています(Ibid.: 20-1)。こうした装備の性能が向上すれば、正規空母が果たしてきた能力を補完することができる可能性があるとも考えられるためです(Ibid.: 21-3)。

空母の将来性は疑わしい
著者は近い将来において空母の役割が完全に消滅するとは考えにくいが、空母が遂行できる任務は一層限定される傾向にあると評価しています。
「海軍の航空畑によって示された発想の柔軟性によっては、新たな教義の役割が出現するかもしれない。しかし、それら新たな役割が出現したとしても、非常に大きな(米海軍の)空母の保有量が正当化されることはあり得ないだろう。そして、海上勢力の最高権威として、そして艦隊建設の決定要因としての空母の時代は終わろうとしてるかもしれない」(Rubel 2011: 26)
著者の説に対しては賛否両論あるでしょうが、もしこの説を受け入れるのであれば、米国の覇権を支えてきた海上戦力の優位性が時間の経過とともに失われる可能性が考えられます。
これまでの国際政治において主導的地位を保持してきた米国は、世界各地に空母を派遣する能力を直接間接に活用してきましたが、今後この空母への対抗手段が発達すれば、空母の機能はさらに象徴的なものとなり、最終的には20世紀中葉に戦艦のような歴史を辿ることさえあり得るのです。

無論、この論文をもって空母の将来性の問題が語りつくされたわけではありません。次世代の海上戦闘の様相についてはさらなる研究が強く求められています。
海軍に関する技術革新の動向は、海洋国家である日本の安全保障に多大な影響をもたらすことに注意しなければなりません。

KT

2015年12月18日金曜日

論文紹介 中国の立場から見た在日米軍基地

日本にとって在日米軍が存在することは、中国が東アジア地域で自在に軍事行動を起こすことを妨げているため、中国軍としてその脅威を無視することはできません。
中国が在日米軍のプレゼンスをどのように判断しているかを知ることは、日本にとっても重要なことです。

今回は、中国の観点から在日米軍基地がどのように評価されているのかを検討した研究論文を紹介したいと思います。

論文情報
Yoshihara, Toshi. 2010. "Chinese Missile Strategy and the U.S. Naval Presence in Japan." Naval War College Review, 63(3): 39-62.
(https://www.usnwc.edu/getattachment/69198ee2-edc2-4b82-8f85-568f80466483/Chinese-Missile-Strategy-and-the-U-S--Naval-Presen)

在日米軍基地に対する中国の認識
中国がアジア太平洋地域における米軍基地の動向に重大な注意を払うのには理由があります
1996年の台湾海峡危機で米海軍が艦隊を派遣して予防展開した際に、中国政府はこれに対抗する手段を持っていなかったことが教訓となっているのです(Yoshihara 2010: 41)。
そして、中国は米国の海上戦力の圧力から自らの勢力圏を防衛するために在日米軍基地の価値に注目しているのです(Ibid.: 42)。

著者によれば、中国はアジア太平洋地域における米軍の基地のネットワークを分析した上で、そこに戦略的縦深を持たせた「三線配置」が形成されると見ています。
すなわち、その第一線は日本と韓国からインド洋のディエゴ・ガルシアに至る前方基地帯、第二線はグアムからオーストラリアまでを結びつける基地のネットワーク、最後の第三線はアリューシャン、ミッドウェー、ハワイ、アラスカを結ぶ線として表すことができます(Yoshihara 2010: 43)。
この「三線配置」において在日米軍基地はアジア太平洋地域における米軍基地ネットワークに属し、中国に最も近接した前方基地としての役割を果たすことになります。

つまり、中国がその国土の周囲で戦略的防衛線を構成するためには、この在日米軍基地の機能を低下させることが何としても必要となります。
中国軍の弾道ミサイルの射程を表した地図。
短距離弾道ミサイルDF-15の射程は点線で、
準中距離弾道ミサイルDF-21の射程は実線で示されている。
また中国軍の勢力圏の内部に位置する主要な日米の作戦基地が示されている。
(Yoshihara, T. 2010: 43)より引用。
中国の軍事戦略の特徴
さらに著者は、中国軍からの公認を受けた刊行物であり、中国軍の戦略について知ることができる貴重な資料である『軍事戦略の科学』の内容について検討し、そこから在日米軍に対して中国がどのような軍事戦略をとるのかを考察しています。

その著作によれば、中国は将来の戦争の様相について、高度化された技術をもって行われる局地戦を戦うことになると予想されています。そして、このような戦争で勝利を収めるためには、敵国の正面戦力を撃破することよりも、それを支援する作戦基盤を打撃することの方がより戦略的に重要となると考えられています(Ibid.: 47)。
つまり、敵と交戦する作戦地域を可能な限り前方へと推進することによって、我が方の作戦基盤が打撃を受ける危険を低下させると同時に、敵国の作戦基盤に打撃を加えやすくしなければならない、ということになります。

さらに著者は『軍事戦略の科学』からの引用として、「開戦後、我が方としては可能な限り遠方で敵と交戦し、戦争を敵の作戦基地、さらに敵の中核地域にまで導き、敵の戦争システムを形成する上で有効なあらゆる諸力を積極的に打撃できるように最善を尽くすべきである」という原則を紹介しています(Ibid.)。
これは中国の軍事戦略の在り方として、よく知られている接近阻止・領域拒否の考え方ともよく合致する議論です。

さらに、中国軍において最も権威ある刊行物の一つ『第二砲兵戦役の科学』では敵国の作戦基盤を攻撃目標とすべきだけではなく、その同盟国の作戦基盤についても重要な攻撃目標と見なすべきという考え方が示されています。
著者によれば、この文章では中国の敵国が中国周辺の同盟国の軍事基地を使用することがあれば、その軍事基地の機能を妨害するための打撃を加えることができる、とされています(Ibid.: 50)。

中国の戦略的思考を理解する重要性
これらの調査結果を踏まえるならば、中国は(例えば台湾有事によって)米国との戦争が始まったならば、その当然の帰結として、同盟国に対して武力攻撃を加える必要があると考えているものと判断されます。
著者は特に在日米軍基地に関する中国軍の見方を総合した上で、なぜこのような見解が形成されているのかを推測しています。
「中国の文書によれば、在日米軍基地に対する強制的な活動に対する反応を人民解放軍は受け入れたいと考えている複数の兆候が確認される。このようなエスカレーションをもいとわない傲慢な態度は、何によって説明することができるだろうか。第一に、これらの(中国軍の)文章は強制と抑止の理論が非常に未発達な段階にあることを示唆しているかもしれない。(中略)第二に、勝利することが極めて難しい近代的な戦争・危機に対する経験が乏しいことによって、エスカレーションを管理することは容易できると楽観している可能性がある」(Ibid.: 56)
中国の戦略家は欧米の研究者が考えているような戦略理論を共有していない可能性があるという指摘は、今後の対中戦略を考える上で重要な意味を持っています。中国がどのような理論に基づいて戦略を組み立て、解釈しているのか、さらなる研究が求められるところでしょう。

最後に、この論文で中国が在日米軍基地を最も重要な攻撃対象と位置付けているという分析を読んで、米軍基地の撤廃が直ちに必要だと考える方も一部にはいらっしゃるかもしれません。
しかし、在日米軍基地を撤廃した後に、中国が日本をより攻撃しやすくなったと判断してしまう可能性はどのように除去できるのでしょうか。台湾は中国の軍事的圧力に対してどのようにして自らを防衛すればよいのでしょうか。その後の東アジア地域の国際秩序はどのように維持管理すべきなのでしょうか。これらの問題を検討すれば、在日米軍基地の必要性を安易に否定することはできないのではないでしょうか。

KT

2015年12月17日木曜日

近代的国家の成立と軍隊の官僚化

政治学、社会学、宗教学に業績を残したマックス・ウェーバーの著作には軍隊の歴史に関する記述が数多く見出されます。ウェーバーは近代的国家の成り立ちに関心があり、その関係で国家と軍隊の関係を分析する必要があったためです。

今回は、ウェーバーの議論の中でも近代国家と軍隊の関係を説明した部分を紹介したいと思います。

ウェーバーの近代国家論
ウェーバーは古代、中世、近世を経て近代的な国家が誕生する過程を概観し、近代の国家の最大の特徴に官僚制を挙げました。
その官僚制は、法令によって明確な権限が規定されていること、上級官庁による下級官庁の監督という階層制が確立されていること、そして職務の執行が全面的に文章によって定められており、文章主義が徹底されていることなどによって特徴付けられます(ウェーバー、2012年、221-225頁)。
このような官僚制の導入が成功するためには、その国内で貨幣経済が先行して成立していること、そして行政事務の拡大と複雑化も導入の要因となります(同上、237-255頁)。
このような官僚制国家の形成こそがウェーバーの考える近代国家の成り立ちでありました。
「官僚制構造は、首長の手中に物的経営手段が集中するのとあいたずさえて発達する。この物的経営手段の集中は、私的資本主義的大経営の発展のうちに周知の典型的な仕方で見られるのであって、大経営の本質的特徴はまさにその点に存している」(同上、269頁)
軍隊の歴史における官僚化の過程
ウェーバーはさらに、この官僚化こそが近代的軍隊の成り立ちで重要な側面であったことを論じています。つまり、古代や中世までの軍隊の多くが武器や糧食の多くは兵士たちの個人的、私的な負担で調達されていましたが、近代以降の軍隊(そして近代以前にあった官僚制的特徴を持つ軍隊)だと公的支出によって負担されるようになったのです。
「しかし、公共団体の場合にも、事情は同様である。官僚制的に指揮されたファラオの軍隊、ローマ共和制後期及び帝政下の軍隊、とりわけ近代の軍事国家の軍隊は、農業部族の土民軍、並びに古代都市の市民軍及び初期中世都市の民兵隊、また一切の封建的軍隊に比べると、次の点で特徴付けられる。すなわち後者にあっては軍役義務者の武装自弁と糧秣自弁とが常態であるのに、官僚制的軍隊にあっては、装備と糧秣は首長の倉庫から支給されるのである。ちょうど工業における機械の支配が、経営手段の集中を促進したのと同じように、機械戦としての現代の戦争は、この後者を(装備・糧秣など戦争経営手段の集中)を技術的に絶対不可欠の手段とするのである」(同上、269-270頁)
所要戦力の増大が官僚化の要因
軍隊の官僚化が進行した理由についてウェーバーは必然的なものがあったと考えており、それは経済的に武装を自己調達することができる市民階級だけでは国家の防衛に必要な戦力を整えることが不可能になったことが関係していると説明しています。
「これに反し首長によって装備をほどこされ、糧秣を与えられた過去の官僚制的軍隊は、経済的に武装自弁の能力を持つ市民層が、社会的及び経済的発達の結果、絶対的にか相対的にか減少し、こうして、市民の数をもってしてももはや、必要な軍隊を配置するのに不十分となるにいたって、発生した場合がほとんどである。少なくとも相対的に、つまり、国家制度に必要な兵力の量に比べて、(市民の数が)足りなくなったときに成立したのである」(同上、270頁)
つまり、安全保障上の要求として所要戦力が増大し続けると、武装を自弁できる貴族階級だけで軍隊を整えるわけにはいかなくなったので、武装を自弁できない平民階級を動員し、かつ彼らに武装を与えるための行政機構の強化が必要となったということです。
この歴史的変化を理解する上で興味深い事例としてウェーバーが挙げているのが軍服の歴史です。

軍服の着用と近代的軍制の関係
ウェーバーは古代から中世までの軍隊では兵士の多くが武装に関する費用を自己負担していたがため、全軍的に標準化された軍服というものが視られなかったと指摘しています。つまり軍服とは軍隊の官僚化が一定の段階になってはじめて可能となるのです。
「戦争経営の官僚制化は、他のどのような産業とも同様に、私的資本主義の形をとることもあろう。形はごくまちまちであるが、私的資本主義による軍隊の調達と管理は、特に西洋の傭兵軍において19世紀初頭に至るまで通例のことなのであった。三十年戦争時代には、ブランデンブルクでは兵士の多くはなお、自らその職業の物的手段である武器、馬匹、被服の所有者であった。もっとも、国家がすでに、いわば「問屋」としてそれらをほとんど供給していたのであるが。降って、プロイセンの常備軍においては、中隊長が右の物的戦争手段の所有者であったし、国家の手に頃手段が終局的に集中されるようになったのは、ようやくティルジットの和約以後のことなのであり、これと同時にはじめて軍服の着用が全般的に実施されるのに至ったのである」(272頁)
ティルジット条約は1807年にフランスとプロイセンで締結された講和条約でした。
プロイセンはナポレオンが指導するフランスとの戦争に敗れてこの条約を締結し、そのことを一つの契機として本格的な軍制改革を開始しています。ウェーバーが指摘しているように、この軍制改革を通じてプロイセン軍は軍隊の指揮系統を国王に一元化させ、一挙に官僚化を推進することになったのでした。

今回の議論の要約
ウェーバーは近代的国家の成立が官僚化にあり、軍隊の歴史においても近代以降には官僚化の過程が確認されることを指摘しました。これは政治史の観点に基づく軍隊の歴史として非常に興味深い分析であり、さまざまな軍事制度の成り立ちを説明することができる説です。
特に、軍隊の官僚化の一つの帰結として、武器、装備、被服を兵士が自己調達することがなくなり、国家の公的負担によって調達されるようになったため、全軍的に標準化された軍服が導入されたのだというウェーバーの説明は、この視座が軍隊のさまざまな側面に適用可能であることを示しています。

軍隊の歴史は軍事的文脈だけで考えがちですが、政治的文脈から捉えることによって、新たな側面を見ることができることを示唆する興味深い研究だと思います。

KT

参考文献
マックス・ウェーバー『権力と支配』濱嶋朗訳、講談社、2012年

2015年12月15日火曜日

いかにイギリスは急増する火薬の需要に対応したのか

ヨーロッパにおける戦争の歴史において白兵戦闘から火力戦闘への移行はちょうど15世紀に進み、16世紀になるとその軍事的重要性が幅広く認識されるに至っていました。
この動向は火薬という歴史的に見て新しい軍需を創出することになりました。しかし、ヨーロッパ列強の君主は増大する火薬需要に対して国内に生産基盤を整備することに大変な苦労をしなければなりませんでした。

今回は、近世ヨーロッパ列強でも特にイギリスが火薬の供給を確保するために実施した取り組みを紹介してみたいと思います。

ヨーロッパで貴重だった硝石
そもそもヨーロッパにおける火薬の製造の歴史は14世紀にまでさかのぼることができます。諸説ありますが、火薬を製造する技術は9世紀の中国大陸で見出すことができ、十字軍によるイスラム世界との接触を通じて1300年代にはヨーロッパに伝わっていたと考えられています。
しかし、ヨーロッパ人はこの火薬の知識を得た後でさえも、火薬を効率的に生産する技術を直ちに確立できたわけではありませんでした。なぜなら、ヨーロッパの湿気が多い気候では火薬を製造するために必要な硝石を入手することが技術的に難しかったためです。

14世紀の硝石の製造法として硝石丘法が一般に知られていましたが、これは生石灰、藁、土を丘のように重ねた地層に、動物や人間から採取した尿を投入し、その土を容器に入れて沸騰させ、冷まして結晶化するという工程を繰り返し行うというものでした。
この分野の研究によれば、硝石丘法は「産出量は低く、大量の土と尿を必要とした。最高に生産できて、45キロの土から0.4キロ足らずの硝石がとれるくらいだった」と述べられています(ポンティング、2013年、136頁)。
ちなみに15世紀におけるフランス軍の砲兵隊が一年に消費した火薬はおよそ20万トンと記録されています(同上、141頁)。
さらに15世紀から16世紀にかけて戦場における火薬の消費量が増大し続けたため、ヨーロッパ列強の君主は硝石の供給を確保するための施策を講じざるを得なかったのです。

イギリスにおける硝石不足の問題
この火薬の需要増加と硝石の供給不足という問題は、1641年に清教徒革命が発生し、内戦が激しさを増した際に一挙に表面化しました。
当時、国王と対立した議会は火薬庫の備蓄を使い果たして味方の部隊に火薬を供給することができなくなり、緊急の措置として各地の公安委員会に硝石を集める権限を与えました。公安委員会から指示を受けた硝石採掘人は一般個人の所有地である「ハト小屋、家畜小屋、地下室、地下貯蔵室、からの倉庫、ほかの離れ屋、中庭、および硝石がつくれる土がありそうな場所で硝石を探し、掘り起こした」とされています(同上、139頁)。

1656年に内乱が収束した後、イギリス政府はインド産の硝石に注目するようになります。
先程も述べた通り、ヨーロッパの気候は硝石の製造に適していませんでしたが、インドにおける現地調査が進むとインドが硝石の製造に都合がよいほど暑い気候であり、土壌に天然の硝石が多数存在することが分かってきました(同上、140頁)。
18世紀、インドを支配するムガル帝国の勢力が低下する中で、イギリスは勅令企業である東インド会社に軍隊を組織させ、インドにおける勢力拡大に乗り出します。

硝石の名産地だったインド
このイギリス人の侵攻に激しく抵抗したのがデカン高原一帯を支配するヒンドゥー教徒のマラーター勢力でした。
彼らはオスマン帝国を通じて火力戦闘の重要性をよく理解しており、硝石の生産に必要な軍需工場を自前で所有していただけでなく、東インド会社軍との戦闘では大砲とロケットを投入して長射程からイギリス人の戦列に損害を加え、マスケットを装備した歩兵で攻撃を加えてきたのです(同上、103-107頁)。

さらに加えてイギリス人のインド侵攻にはマラーター勢力だけでなく、フランス人も対抗しました。
当時のフランス軍もインドから輸入される大量の硝石に火薬の供給を依存していたことから、インドをイギリスの勢力圏とさせてはらなないと判断したためです。

しかし、1750年以後にイギリスがマラーター戦争での勝利によってインドでの支配権を強化すると、フランスは政策転換を余儀なくされ、国営の火薬硝石公社を設立して自給自足する路線を模索します。しかし、結局はフランス革命戦争・ナポレオン戦争で急増する火薬需要に対応うることができず、1793年に全ての国民の地下室、家畜小屋から硝石を収集することを義務付ける法案を議会で成立させることになりました(同上、142頁)。
このようにしてイギリスは他のヨーロッパ列強が不足に喘ぐ硝石を自国だけ大量に確保することを可能にしたのでした。

結びにかえて
硝石の不足という問題は近世ヨーロッパ列強の間で幅広く認識されていました。イギリスはいち早くこの問題を解決するためにインドの価値に着目し、マラーター勢力との戦争に勝利して豊富な硝石資源を獲得することに成功しました。
一般的にはイギリスがインド産品として注目したのは綿織物だったと説明されます。しかし、ヨーロッパにおける戦争の形態の変化、それに応じた新たな火薬需要、そしてインドで豊富に産出される硝石資源に歴史的な関係性があったということも興味深い歴史の一側面だと言えるでしょう。

KT

参考文献
Ponting, Clive. 2005. Gunpoweder: An Explosive History. Chatto & Windus.(邦訳、クライヴ・ポンティング『世界を変えた火薬の歴史』伊藤綺訳、原書房、2013年)

2015年12月12日土曜日

市街戦における歩兵小隊の攻撃について

現代の安全保障環境では二つの理由から市街戦がその重要性をますます高めています。第一の理由は人口の増加と都市化の進行によって市街地の面積が増加する傾向にあることであり、第二の理由は経済発展に伴って不正規戦争、ゲリラ戦争、テロリズムの有効性が増大していることです。

今回は、市街戦における歩兵小隊・分隊の基礎的な運用について取り上げ、特に攻撃に関する問題を中心に説明したいと思います。

市街戦での建物に対する攻撃の実施要領
あらゆる作戦はその活動の形態から攻勢作戦と防勢作戦に分かれますが、市街戦の部隊行動にも同様に攻撃と防御があります。
市街戦で実施する攻撃も、その他の地形の場合と基本的な要領は変わりませんが、市街戦で攻撃の目標となるのは建物であるため、それに応じた攻撃の手順を考えなければなりません。
攻撃する建物の周囲を取り囲み、外部から敵の増援が進入できなくした状態の一例。
左右両翼の小隊と戦車が敵を警戒するため建物を挟む道路に対する射線を確保。
この状況で残る歩兵小隊が建物に対する強襲を実施することが可能となる。
(FM 3-21.8: 7-38)
まず市街戦における歩兵小隊の攻撃は必ず他の小隊の支援を受けて実施しなければなりません。ある建物に対して攻撃する際にも、その建物に隣接する建物や道路から敵の増援が出現すれば、そのまま部隊がその建物から移動することができなくなってしまう恐れがあるためです。
そのため、先に挙げた図のように、攻撃の際にも支援に当たる小隊と、強襲に当たる小隊で役割を分担することが重要となるのです。

建物への突入と突破口の確保
建物に対する突入の部隊行動を分析すると、突破の攻撃機動の方式と強い類似性が認められます。敵の陣地で弱点となっている地点を見極め、そこに火力を集中し、一挙に敵の陣地に進入して突破口を拡張しながら前進するのです。
しかし、最初に突入する地点が狭いと有効な援護射撃ができないため、どのような装備で最初の突破口を形成するかを適切に選択する必要があります(Ibid.: 7-39)。手榴弾などは閉所に対する突入で最もよく使用される武器の一種です。

さらに建物の攻撃を考えると、地上階から突入を行う場合(bottom entry)と屋上から行う場合(top entry)があります。
前者の場合、既存の扉や窓ではなく、壁を爆破して突入する方が敵の意表を突くことができるために望ましいとされています(Ibid.: 7-39)。
後者の場合、屋上や屋根に対して接近できることが前提条件となりますが、より効果的に建物を攻略することができます。屋内に入る際には階段を下に見下ろすことができますし、敵を建物の外へと圧迫誘導し、建物の周囲を取り囲んでいる他の小隊に撃破させることも可能となるためです(Ibid.: 7-39)。

部屋の確保と通路の移動
部屋に突入する際の部隊行動の要図。
1番は進入と同時に直ちに左右どちらかに移動し、2番の射線を確保する。
2番は1番の反対の方向へと移動し、3番の進入を誘導する。
3番は入口の付近から少なくとも1メートル以上移動し、その間に1番と2番は壁沿いに部屋の奥へと移動する。
最後に4番が部屋に突入して3番と反対の方向に沿って1メートル以上移動し、1番と2番は部屋の最深部まで移動する。
(FM 3-21.8: 7-42)
ある部屋に突入する際には4名で実施し、上に示した図の通りの部隊行動をとります。こうした教練を有効に実施するためには各自がそれぞれの役割を熟知していなければならず、班長は部隊としての行動を統制しなければなりません。
また部屋を確保した際に非常に重要なこととして、必ずその部屋から他の建物の屋上や屋根に移動できるかどうかを確認することが挙げられます。敵がその部屋から脱出していないかどうかを確認するためです。また一度確保した部屋についてはその旨を標示しておき、他の味方にも分かるようにしておくことも重要です。
屋内で通路を移動する際の隊形。
菱形隊形(左)とV字隊形(右)
(FM 3-21.8: 7-43)
建物の内部で部屋から部屋へと移動する際には、狭い通路でも射手が有効な射撃ができるように指揮官が隊形を選択しなければなりません。
また通路で移動する際に重要な要領も以下の二種類があります。
通路の連結部を通過する際の基本的な要領。
1番と3番が警戒に当たり、その間に2番と4番が通過する。
(FM 3-21.8: 7-44)
狭いT字路で左右に曲がる際の要領。
左右の両方に対する警戒した後、隊形を菱形に切り替えている。
(FM 3-21.8: 7-46)
通路で移動する場合でも敵に対して優勢な火力を指向するという原則的な考え方は変わりません。しかし、狭い通路で全ての射手が射線を確保することは難しいため、どの場所に誰が位置して援護射撃をすべきなのかを判断することが必要です。
階段を移動する際の部隊行動の要領。
1番が階段の外側、2番が内側から踊り場を警戒し、3番は最初の地点で上階の方向を警戒する。
(FM 3-21.8: 7-47)
また建物の内部で危険性が特に大きい場所に階段があります。特に下階から上階へと移動する際にはどうしても大きな死角が生まれるため、射撃と運動の基本に基づき、交互に躍進しながら警戒することがどうしても必要となります。
また階段は室内で罠や障害が仕掛けられることが特に多い地点でもあるため、指揮官は階段に部隊を進入させる前に地形をよく観察することを欠かしてはなりません。注意しなければならないのは階段に突入する場合には部屋に突入する場合とは異なり4名よりも3名の方が望ましいとされていることです(Ibid.: 7-47)。

結びにかえて
屋内における交戦の要領は極めて複雑であり、常に教練通りといかないのが普通です。
米軍の教範でも「屋内での交戦のために考案された特別な教練があるが、強襲全般は作戦であり、教練ではない。計画立案の間、分隊レベルの指揮官は自らが担任する部屋の窓(隙間、穴、銃眼)を見つけなければならない」と述べられています(FM 3-21.8: 7-38)。
特に建物に対する攻撃が一旦始まると、その後の戦闘の推移は兵士一人ひとりの地形判断と戦術能力に頼るところが極めて大きいと言えます。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年12月10日木曜日

論文紹介 海洋戦略の観点から見た日本の島嶼防衛

現在の日本が採用している防衛戦略は、武力攻撃に際して米軍が早期に来援できることが前提となっているため、沖縄に位置する米軍基地を敵から防護し、増援部隊が速やかに沖縄に展開できる状況を創出することが重要です。つまり、南西地域の島嶼部を防衛することが自衛隊の任務となります。

今回は、海洋戦略の視点からこの南西諸島の防衛に当たって日本がとりうる戦略を研究した研究ノートを取り上げ、その要点を紹介してみたいと思います。

文献情報
Sayers, Eric. 2013. "Coastal Defense in Japan's Southwestern Islands: Force Posture Options for Securing Japan's Southern Flank," The Project 2049, Futuregram, 13-001, pp. 1-8.

海洋戦略から見た日本の防衛戦略
近年、中国が海洋への進出を活発化させていることを受けて、2010年に日本はこれに対抗するために南西地域を防衛の重点地域に定めたことはすでによく知られています。

この論文はこの問題を考察するためにティル(Geoffrey Till)という海洋戦略の研究者の説を参照しています。
ティルの研究によれば、海洋に面した国家がその国土を防衛する上で考慮すべき事項として、第一に抑止、第二に沿岸防衛、第三に沖合防衛、第四に水際防衛が挙げられています。戦略上の防衛線を海上から段階的に陸上に移行させながら抵抗するという考え方が求められるということです。
著者はこのティルの多層的な防衛線の考え方を応用し、日本が南西地域を防衛するための戦略を次のように分類して考察しています。

(1)トリップワイヤ的抑止戦略
(2)非対称性「モスキート艦隊」戦略
(3)包括的「領域拒否」戦略

トリップワイヤ的抑止とは
(1)は、南西諸島それ自体を防衛線とする案として位置付けることができます。すなわち、洋上監視能力の強化と離島に配置する地対艦ミサイルを組み合わせることで、島嶼部に進出する敵艦隊の接近を早期に察知すると同時に、これが東シナ海からフィリピン海に進出することを地上から妨害するという構想です。
南西諸島の地勢図。
九州と台湾の中間に連なり、東シナ海とフィリピン海を隔てる列島。
Sayersは南西諸島それ自体を防衛線とする案、南西諸島の近海を防衛線とする案、そして南西諸島からさらに前方の海域に進んで防衛線を構成する案をそれぞれ考察している。
(Sayers 2013: 2)
ただし、著者はこの案を取る場合、トリップワイヤ的抑止が十分に機能しない可能性があることについて考察する必要があると指摘しています(p. 3)。
「与那国島には小規模な陸自部隊が配置されているだけであり、またより面積の大きい宮古島、石垣島にも守備隊を創設する準備に着手しなければ、日本として十分な備えが行われたとはいいがたい」(p. 3)
つまり、これは抑止の信頼性にかかわる問題です。これほど防衛線を下げてしまうと、危機的状況が起きた際に中国軍がこれら島嶼部に対する攻撃に伴う費用を小さく見積もる可能性が出てきます。この案の利点はその費用が小さいことですが、それだけに中国に日本の意図を伝えることは難しくなるという関係にあることが言えます。

「モスキート艦隊」とは

モスキート艦隊というのは著者の比喩であり、ネットワーク化された陸海空各戦力を広域に分散させて戦う統合作戦の構想のことです。この構想について著者は次のように説明しています。
「近代的技術をもって日本は『モスキート艦隊』の一種を構築可能であり、それはミサイルと機雷を搭載した高速ミサイル艇、ディーゼル型の攻撃潜水艦、短距離ミサイル、攻撃ヘリコプターもしくは戦闘攻撃機の統合されたネットワーク機能を有する艦隊である。具体的には、海自の「はやぶさ」型のような対艦ミサイルを搭載した高速ミサイル艇、宮古島や石垣島の沖合で活動が可能なディーゼル型攻撃潜水艦から編成された艦隊である」(p. 3)
さらに著者は、陸自の地対艦誘導弾やAH-64Dのような攻撃ヘリコプター、そして沖縄に配置された空自部隊を組み合わせることによって、海上作戦を遂行する上で欠かせない航空優勢を獲得することもモスキート艦隊の構想には欠かせないと論じています(pp. 3-4)。
確かに、小型の艦艇の運用を考えた場合には火力、情報において航空優勢に頼るところが大とならざるをえません。

ここでも著者が特に考慮しているのは日本の防衛予算の制約の問題であり、限られた資源で効果的な海上戦力を構築するためには、統合運用に主眼を置き、しかも機動的な運用が可能な艦艇を運用することに重点を置くべきだと考えています。
先程のトリップワイヤ的抑止と比べれば、防衛線は南西諸島よりもさらに前方に推進されており、海上戦力の活用が重視されています。とはいえ、可能な限り小型の艦艇で艦隊を編成するという著者の考えには、日本近海の荒天、特に冬季の運用性の問題が考慮されていないため、議論の余地が残されているでしょう。

包括的領域拒否とは

さらに著者は防衛線を南西諸島の周辺海域からさらに前方に推進し、東シナ海にまで及ぶ広大な防衛圏を構成する包括的領域拒否の戦略も考察しています。

この戦略では航空戦力の運用が特に重視されており、(F-35Aではなく)垂直離着陸の機能を有するF-35Bを調達し、ヘリコプター護衛艦で運用することにより、局地的な航空打撃能力を保有することを検討するように述べています(p. 5)。そこで意図されていることは、中国海軍と東シナ海上で戦闘を遂行する能力を準備するということです。
この戦略が先程の二つの戦略と決定的に異なっているのは、自衛隊の部隊で中国軍の侵入阻止領域を構成するために、南西諸島に対して攻撃ヘリコプター、地対艦ミサイル、航空機を活用し、CH-47やV-22といった輸送機で島嶼部に対する機動的な戦力の展開を支援するという点です(p. 5)。

この包括的領域拒否は中国軍がそもそも南西諸島に脅威を及ぼすこと自体を不可能にすることを狙った構想と言えます。その意味で、ワイヤトラップ的抑止やモスキート艦隊よりも強力な武器装備が日本として整備しなければならないことは当然のことですが、それだけでなく米軍と自衛隊の共同運用の重要性が一層重要となる点も強調されています(p. 6)。
「領域拒否戦略の最大の長所は南西諸島を周辺、遠方両方の海域で段階的に防衛することを可能にすることである。中国海軍の戦闘部隊は南西諸島に接近すると壊滅的な損害を受けるであろう強力な自衛隊の阻止領域に進入しなければならない。これは情報・監視・偵察や海上管制などの伝統的領域だけでなく、島嶼部に対する米陸軍部隊の展開というようなより積極的領域においても統合された米軍による支援を受けることになるだろう。領域拒否戦略は列島線における抑止力を大いに拡大させることになる」(p. 6)
結びにかえて
この論文で示された見解には個々の見解に疑問点が残るものの、海洋戦略の観点から防勢作戦を考える上で重要な論点を提示し、自衛隊が有する装備の運用方法について積極的な提言を含むものとして評価することができると思います。

特に重要な論点の一つが、日本の対中防衛線をどこに位置付けるべきかという部分です。
著者はトリップワイヤ的抑止、モスキート艦隊の構想で示唆した通り、最小限度の防衛力で済ませようとするならば、防衛線は南西諸島の陸上か、それともその海岸に位置付けられることになります。これは武力攻撃に際して国土が戦場になることを想定した戦略となるでしょう。
これを避けるために防衛線を前方に推進して海上に設定しようとすると、包括的領域拒否の構想の中で示されたような海上打撃力が必要ということになります。これは現状の防衛予算で達成することは難しく、しかも専守防衛という従来からの日本の基本的な戦略との兼ね合いが難しい選択肢です。

この論文はあくまでも著者として海洋戦略の立場から白紙的に日本の取り得る防衛戦略を考察したものであり、特定の方法が絶対に正しいと論じているわけではありませんし、防衛線をどこに位置付けるべきかという問題は予算の配分が関係するため、軍事だけでなく財政、経済の観点からも国民的な議論が求められるでしょう。

KT

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2015年12月5日土曜日

事例研究 作戦線から見た太平洋における米軍の対日作戦

太平洋方面における米軍の作戦を指導したマッカーサー(左)とニミッツ(右)。
戦略学の分析概念の一つに作戦線(line of operation)というものがあります。
これは作戦部隊と作戦基地を結びつける交通手段のことを意味しており、戦域の各方面で展開する部隊は兵站上の理由からその本国と継続的に連絡できる状態を維持しなければなりません。
作戦線を検討すると、さまざまなことが分かるのですが、ある作戦線を特定することによって敵が将来実施しようとする作戦のパターンを予測することができる場合があります。

今回は、太平洋における米軍が1943年以降にどのような対日戦略をとったのかを理解するため、作戦線に着目して考えてみたいと思います。

1942年、米軍が選択可能な戦略
1941年に日米が開戦し、日本が太平洋、アジアの両方面で順調に勢力圏を拡大しつつありましたが、その攻勢の勢いも1942年の時点には衰えつつありました。そこで米国としては日本を降伏にまで追い込むための反攻を計画し始めることになります。

まず、日本を打倒するためには東京を米軍の勢力圏に入れる必要がありますが、東京に対する航空攻撃を実施するために確保すべき作戦基地を考えると候補地は二つあり、一つは北海道、もう一つはルソン島・台湾(中国沿岸)・沖縄の地域でした。
どちらの目標に向かうのかという論点でも議論が分かれますが、さらにこれらの目標に向かうためにどのような作戦線を選択するのかという論点でも議論が分かれます。したがって、戦略案は大まかに次の五通りの意見に分かれます。

第一案、アラスカから出発して北太平洋のアリューシャン諸島を軽油し、北海道に侵攻する戦略。
第二案、ハワイを起点とし、ギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、そしてルソン島、台湾、沖縄を目指す戦略。
第三案、オーストラリアを起点としながら、ニューギニア島、ハルマヘラ島、パラオ諸島、ミンダナオ島を順次経由してルソン島、台湾に侵攻する戦略。
第四案、インドから出発し、ビルマから中国に入り、広東省、香港、上海という順番に攻略していく戦略。
第五案、同じくインドから出発しますが、これはマラッカ海峡を通過して南シナ海から台湾(中国沿岸)へ進攻する戦略。
(Coakley and Leighton 1989: 397)より引用。
第三案をガダルカナルで実行に移した米軍
この記事では、それぞれの戦略案の優劣について詳細に検討することは差し控えますが、1942年にオーストラリア、ハワイ、アラスカ、インドの各方面で日本軍の進攻が一段落したのを確認すると、米軍は最初の反攻をガダルカナルで実施し、この時の戦果によってガダルカナルに部隊を進出させることに成功します(Ibid.: 396)。つまり、米軍としては第三案が有利だと判断したということになります。

この米軍の戦略的反攻の開始時期は日本軍が想定していた1943年中期以降という見積よりも相当に早かったこと、ガダルカナル島の戦略的価値が十分に理解されていなかったことなどから、日本軍は初期対応を誤りました。
ガダルカナル島とツラギ島への米軍の上陸が始まった時、大本営はこれを米軍の偵察上陸であると判断し、これが本格的侵攻に発展したとしても現有勢力で奪回することはさほど困難ではないだろうと予想していました。
この判断が下された背景には、ヨーロッパ方面の戦況で米軍が手一杯だという認識があったことも関係しますが、それ以前に日本の側で米軍が反攻で使用するであろう作戦線の研究について重大な不備があったことが示唆されています。

米国のハワイからオーストラリアまでを最短距離で結ぶとおよそ7500キロメートルで、今のバヌアツの北側、ソロモン諸島の南側を通過することになります。
ソロモン諸島を占領する日本軍の存在はこの航路の安全を脅かすため、オーストラリアに対する援助ないしは米豪の共同作戦を考えた場合に、真っ先に排除しなければならないのがソロモン諸島の日本軍という考え方になります。米軍のガダルカナルに投入した部隊の規模が小さいものであったとしても、ソロモン諸島を作戦の目標としていることが判明したならば、ガダルカナル上陸の背後にはオーストラリアとの連携によってフィリピンにまで西進するという遠大な戦略があること、したがって事態は重大な局面に入っていると判断することは可能でした。

事実、昭和天皇はこの米軍のガダルカナル上陸の第一報を受けて事態が極めて深刻であると判断していました。当時の昭和天皇は滞在中だった日光から急遽東京に帰還し、現地の部隊の状況を掌握しようとしたのですが、これに反対する立場で軍令部総長は事態を過大に重視することはないと述べ、予定通り日光での滞在を続けるように説得した上で、最終的に帰還を思いとどまらせています(服部1965: 329-30)。

結論的考察
戦略を研究する上で作戦線に着目するアプローチは非常に強力です。
なぜなら、作戦を進めるために利用可能な基地や交通手段というのは地理的に限られるため、ある戦略陣地に対して敵が攻撃をしかけたとすると、そこを起点として将来予想される作戦のパターンを絞り込むことができるためです。
後の研究者は太平洋方面における米軍の作戦計画には多分に機会主義(opportunism)の傾向が見られたと指摘していますが(Coakley and Leighton 1989: 395)、それでも米軍は作戦線を基本とした戦略から大きく逸脱した作戦を選択しておらず、仮にそのような作戦が実施されても成果を上げることはできなかったでしょう。
あらゆる作戦は兵站によって支配される以上、戦略家は敵の作戦線とそこから引き出し得る含意について詳細に研究することが求められます。

KT

参考文献
服部卓四朗『大東亜戦争全史』原書房、1965年
Coakley, Robert W., and Richard M. Leighton. 1989. Global Logistics and Strategy 1943-1945, Washington, D.C.: Center of Military History.

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作戦線を失った部隊は戦略的に敗北している

2015年12月4日金曜日

国家の「中核地域」をいかに考えるべきか

政治地理学の研究者たちは国家の中でも政治的、経済的な中枢として機能する地域があり、それを「中核地域(core area)」と呼んできました。
中核地域の特徴として挙げられるのは高い人口密度、多くの天然資源、充実した交通手段、高度な資本集積などです。
これらの特徴から中核地域は純粋に地理学の観点から重要であるだけでなく、戦争において最重要の攻撃目標としての価値があると判断されます。

とはいえ、中核地域は少し漠然とした概念であり、その重要性を示唆するものの、何をもって中核地域と見なすべきかは研究者によって意見が異なります。
今回は1960年代から80年代までの政治地理学のいくつかの文献を参考にした上で、中核地域の定義とその解釈を巡る論争を紹介したいと思います。

学説1 中核地域とは国家の歴史的起源である
地理学者のパウンズとボールは国家の中核地域について歴史的な観点から考えなければならないという立場をとっていました。
彼らの説によると、中核地域は形成されてから間もない国家が最初に領有している領域のことに他なりません。例えばフランスの歴史でいえばパリが中核地域となり、イギリスの歴史でいえばロンドンが中核地域を構成するということになります(Pounds and Ball 1964)。

さらにパウンズらは中核地域はその国家がその後にどれだけ拡張可能であるかを強く規定していると主張しています。例えば、もしその国家が初期に保有する中核地域の生産力が他の国家のそれよりも優れており、そのために余剰生産物をより多く供給することができるとすれば、それだけその国家は軍備をより素早く整備し、自国を防衛し、さらには他国を征服しやすくなると考えられます(Ibid.)。
つまり、その国家が大国へと飛躍するか、中小国のままで終わるかは最初にその国家が有する核心地域の優劣によって大部分が決定されてしまうと考えられるのです。

学説2 中核地域は国家の歴史的起源とは限らない

しかし、パウンズらの議論を批判的に考えると、中核地域が自然環境によって制約される度合いを過大評価している可能性があるようにも思われます。
ヘクターなどの研究者は、パウンズらの議論を受けて、スペイン、ポルトガル、フランス、イギリスの中核地域に関する調査研究を実施しており、それらの中核地域では強力な統治機構が整備されているという共通した特徴があることを明らかにしました。
それは都市部に居住する商人と農村部に居住する地主の間の利害関係を調整し、均衡させるための組織でした。ヘクターらは中核地域が形成されるためには自然環境だけが重要なのでなく、複雑な利害関係を処理して都市と農村の共存を可能にする統治能力の優劣もまた必要であることを指摘したのです(Hechter and Brustein 1980)。

学説3 中核地域の定義は一通りではない

中核地域を巡る議論が展開される中で、地理学者ブルクハルトは中核地域が明確に定義された概念ではなく、少なくとも三通りの意味に整理することができるということを論じました(Burghart 1969)。

・領域の拡大がその周囲に近代的な領域国家を形成する胚域としての「中心的中核地域」。
・領域拡大に失敗した胚域としての「起源的中核地域」。
・ある国家が現在において政治的、経済的に最も重要な領域としての「現代的中核地域」。

こうして考えてみると、一つの国家にも複数の中核地域、それも機能や重要性がそれぞれ異なる中核地域があってもおかしくありません。いわば、その国家の形態によって中核地域の成り立ちや政治的、経済的、軍事的機能も変化してしかるべきです。
また、ブルクハルトが指摘している事項として、これまでの中核地域の分析は西欧の国家の事例が中心に展開されており、非西欧の事例に適用可能かどうかが不明確であるという問題がありました。

結論、安全保障における中核地域の問題

こうした中核地域の議論を振り返ってみると、それは国家の成り立ちやその形態によって複数の中核地域があり得ると考えるべきだと分かりました。しかし、安全保障の観点からこれをどのように理会すべきなのでしょうか。少なくとも次の二つのことが言えます。

まず、我が方にとって中核地域はその国家の有する国力の源泉であり、それは国家の安全保障において重点的に防衛すべき戦略陣地を形成しています。
首都はもちろんですが、首都以外の中核地域についても陸海空各戦力を継続的に配備するだけでなく、中核地域を結ぶ交通・輸送手段についても特別な軍事的注意を払う必要があります。
次に敵にとって中核地域を攻撃されることは国力を最も効率的に破壊されることです。したがって、特に長期的な武力紛争が予想される場合には早期からこれらを戦略上の目標に設定し、効果的な攻撃を加えるか、中核地域としての機能を奪うように孤立化させなければなりません。

中核地域の概念は単に政治地理学の研究で重要なだけでなく、このような軍事地理学の分析でも援用することが可能であり、例えば核戦略のような領域では対都市攻撃の計画で、核弾頭の配分問題を考える際に中核地域の分析を活用することができます。

KT

参考文献
Hechter, M., and Brustein, W. 1980. "Regional Modes of Production and Patterns of State Formation in Western Europe," American Journal of Sociology, 85: 1061-94.
Burghartdt, A. 1969. "The Core Concept in Political Geography: A Definition of Terms," Canadian Geographer, 63: 349-53.
Pounds, N. J. G. 1963. Political Geography, New York: McGraw Hill.
Pounds, N. J. G., and Ball, S. S. 1964. "Core Area and the Development of the European States System," Annals, Association of American Geographers, 54: 24-40.

2015年12月2日水曜日

モーゲンソーが考える世論対策の重要性

政治学者ハンス・モーゲンソーは国際関係論の古典『国際政治』の中で国力の一要素に「政府の質」が含まれることを論じましたが、具体的には国力を形成する資源と達成すべき政策目標の調整を行う能力、各種資源の間の均衡を図りつつ調整する能力、そして対外政策を推進するために必要な民衆の支持を獲得する能力の三つに注目していました。

今回は、政治的能力として民衆の支持を得るために世論を指導する能力が重要であるというモーゲンソーの議論を紹介したいと思います。

民主主義における政策決定
モーゲンソーは政府が政策を遂行するために各種国力を動員しようとしてもできない状況というものがあり、これは特に現代の民主主義において重要な問題であると認識していました。
「政府は、その対外政策に対する自国民の承認と、国力の諸要素―これが政策を裏付ける―を動員するためにもくろまれる国内政策への国民の承認を獲得しなければならないのである。このような作業が困難なのは、ある対外政策に対する民衆の支持が得られる条件が、対外政策を首尾よく追及できる条件と必ずしも同一ではないからである」(モーゲンソー、157頁)
つまり、対外政策で成功を収めるためには、国内政策で国民の支持を失わざるを得ないという状況があり得るということです。

世論が重視する短期的利害
このような状況が生じる背景には情報の非対称性があるとモーゲンソーは説明しています。つまり、政策決定に関与する政治家とその政治家を評価する民衆の間には判断基準において大きな相違があり、共通の視点から国益を考えることを妨げるということです。
そのため政治家は対外的必要性と対内的必要性の両方を同時に判断し、政策決定においては両者の妥協点がどこにあるのかを見極めなければなりません。
「民衆の気持ちは、政治家の考えが優れた特性を持っているのだと、ということに気付かず、たいていの場合、絶対善とか絶対悪とかいった単純な道義主義的かつ法万能主義的な観点からものを判断している。政治家は長期的な見方をとり、ゆっくりと遠回りして進み、大きな利益を得るために小さな損失を支払わなければならない。すなわち政治家は、曖昧な態度をとったり、妥協したり、よい時機を待ったりすることができなければならない。民衆の気持ちは早急な成果を求める。すなわち、今日の表面的な利益のために明日の本物の利益を犠牲にしようとするのである」(同上、158頁)
モーゲンソーはこのような政治的妥協を達成する上で決して用いてはならない二つの手法を述べています。
一つ目は自らの政権こそが国民の世論を最もよく代表すると主張し、国家の長期的な国益を短期的な成果と引き換えにすること、二つ目は有権者の批判に対して政府が頑強に現行の政策を維持することでかえって世論の反発を拡大させることです(同上)。

政府による世論指導の必要性
さらにモーゲンソーは適切な政策決定のためには世論を指導することが欠かせないとして次のように述べています。
「政府は世論の指導者であって、その奴隷ではないということを自覚する必要がある。すなわち、世論は、植物が植物学者によって発見・分類されるように、世論調査によって発見・分類されるような静態的なものではないということ、つまり世論は見分の広い責任あるリーダーシップによって常に作り出され、つくりかえられる動態的かつ変動きわまりない実態であるということ、さらに政府がリーダーシップを主張する場合、それを主張する政府が扇動家にならないようにすることは、その政府の歴史的使命であるということ、などを政府は自覚しなければならない」(同上)
モーゲンソーは政府は政策決定者と一般有権者の間に情報の非対称性が存在していることを踏まえ、宣伝や教育等の手段を通じて世論形成に主導的役割を果たすことができなければ、適切な政策を選択したとしても世論はそれを支持しない危険があることを論じていたのです。

議論から分かること
世論とは何か、民主主義における世論の特性、政府の世論とのかかわり方の是非についてモーゲンソーは十分に論じきれていないところもありますが、それでも国力を考える上で軍事力、経済力だけでなく、政治力がどれほど重要なものであるのかを考える上で参考となります。

モーゲンソー以外にも政治学者ではエドワード・カー(Edward H. Carr)が「世論を支配する力」を国力の一要素に位置付けており、オルガンスキーも政府による社会の「政治的開発(political development)」が国力の中心的要素であると論じていますが、モーゲンソーの研究は適切に選択されたはずの対外政策が世論に対する配慮と両立し得ない可能性があることを指摘したという点で意義があります。
これは民主主義の国家にとって解決しがたい課題であり、現在の日本にとっても密接に関係があるのではないでしょうか。

KT

参考文献
モーゲンソー『国際政治 権力と平和』現代平和研究会訳、福村出版、1998年