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2015年11月29日日曜日

文献紹介 限定核戦争のための戦略理論

第二次世界大戦を勝ち抜いた大国が続々と核の開発を成功させると、戦略家たちは核戦争を想定した新たな軍事戦略の研究に着手するようになります。
従来の戦略理論では、作戦地域の決勝点に我が方の戦闘力を集中させることにより、敵を撃破することが可能となると考えられていました。
しかし、東西冷戦という状況の中でこのように核兵器を運用すると、核の応酬が始まってしまい、核戦争を避けることができなくなるという問題点がありました。

今回は、この問題を解決するためには戦略的意図に基づいて制限された武力攻撃が重要であると考えた政治学者ヘンリー・キッシンジャーの戦略理論を紹介したいと思います。

文献情報
Kissinger, Henry A. 1957. Nuclear Weapons and Foreign Policy, New York: Westview Press.(邦訳、田中武克、桃井真訳『核兵器と外交政策』日本外政学会、1958年)

核が登場してから軍事戦略の研究では核抑止論が主流でしたが、核抑止が失敗した後の問題も依然として重要な課題として検討されていました。著者の関心も抑止に失敗した場合に勃発する核戦争を指導する方法の解明にあったのです。
「核時代における戦略の基本的な問題は抑止政策とそれが失敗した場合に戦争を遂行する戦略の関係を決定する方法であろう」
著者が抱えていた問題意識とは、核戦争を遂行する状況に置かれた場合に従来の軍事戦略の考え方をそのまま適用すると、米国はソ連に屈服するか、それとも全面核戦争を始めるかの二者択一を迫られてしまうということでした。これでは米国の政策上の選択肢を著しく制約されてしまいます。

そこで著者が考案したのは、戦争目的を達成可能な範囲において最小限度の軍事力を使用する戦略理論でした
この理論で重要な点は、戦争で達成すべき政治的目的とそこで使用する軍事的手段との関係を慎重に調整することであり、もし戦況によって核の使用が避けられなくなったとしても、全面的な核戦争に至らないように処置するべきだと考えられています。

この戦略理論の特徴を説明するために著者は歴史上の戦争がしばしば限定戦争として遂行されていることを論じています。
「戦争の歴史を見ても大国の間でしばしば限定戦争が発生している。ただし、これら限定戦争は戦略的な選択というよりも内政に対する考慮によって限定されてきたものであった。17世紀、ルイ十四世は四半世紀にわたってフランス軍のほぼ全ての戦力を使用したが、国家機構の未整備によって国王は民衆を徴兵することも、所得税を課すことも、財産を没収することもできなかったため、国王のフランス軍はごく一部の国力しか使用することができなかった」
歴史的には政治的、行政的能力の不都合によって戦争は必然的に限定戦争の形態をとらざるをえなかったのですが、現代ではより意図的に限定戦争の形態を選択することができるようになっており、また現代の安全保障環境においてそれが必要であると著者は考えました。
「(全面戦争とは対照的に、)限定戦争とは政治的目的を達成するために遂行され、この目的によって使用すべき軍事力と達成すべき目的との間の関係を調整しようとする。敵を粉砕するのではなく、敵に影響を及ぼすことで、抵抗を続けるよりも相手の条件を受け入れる方が得策であると敵に考えさせ、敵を完全に打倒するのではなく、特定の目的のために戦おうとする企図を表明するのである」
ここで重要なことはその時々の情勢によって変化する政治的目的に見合った軍事的手段を準備し、戦時においても相手と外交交渉を継続すること、そして緊急展開能力を準備しておくことだと強調されています。
その理由の一つは、いったん敵が局地的な通常戦力を使用して迅速に特定地域を攻略占領してしまうと、この敵の部隊を後退させるために相手を上回る戦力を我が方が投入しなければならず、結果として戦争のエスカレーションを自ら引き起こすことになるためです。
全面核戦争となる危険を回避するためには、戦争の序盤で相手の動きを確実に封じ込めることができる即応態勢を整えていなければなりません。

それだけでなく、作戦を連続的に進めるのではなく、戦局が一定の段階に進むたびに敵と事態を打開するための交渉を行うことにも注意を払わなければなりません。こうすることでもし限定核戦争となったとしても互いにとって不利益となる全面核戦争となる状況を回避することが可能となります。

このような限定核戦争の議論は外交と軍事を総合することの重要性を改めて確認した上で、核兵器が使用される状況では戦闘力の集中と敵の撃滅という伝統的な原則をむやみに当てはめてしまうと、かえって戦争目的の達成が困難になる可能性があることを明らかにしました。
特に興味深いのは即応態勢が平時の抑止だけでなく戦争が勃発した後のエスカレーション防止においても前提条件となるという議論であり、自衛隊が目指す統合機動防衛力の意義を考える上でも参考になる視点だと思います。

KT

2015年11月27日金曜日

偵察だけが斥候ではない

斥候(patrol)という言葉を聞いたことがある人でも、それを正しく説明することは難しいでしょう。
しばしば誤解されていますが、斥候は必ずしも偵察だけを目標としません。時として斥候は戦うことを主眼とする場合があるのです。
今回は、戦闘斥候を中心に斥候について説明をしてみたいと思います。

戦闘斥候とは何か
一般に斥候とは本隊から独立して行動する1個分隊程度の小さな分遣隊のことですが、その任務は状況によってさまざまに変化します。例えば次のような任務を斥候は遂行する場合があります。
  • 敵情、地形、もしくは地域住民に関する情報資料の収集すること。
  • 敵の部隊との接触を回復すること、または味方の部隊の所在を確認すること。
  • 敵を撃破し、または損害を与えるように交戦すること。
  • 地域住民の信頼を維持または獲得すること。
  • 治安の不安定化を予防すること。
  • 反乱軍または犯罪活動を抑制し、打撃を加えること(FM3-21.8: 9-1-2)
確かに偵察は斥候の任務の一部ではあるのですが、敵との交戦を狙った斥候もあるということがここで示されています。つまり、斥候には戦闘を主眼とするもの、偵察を主眼とするものの二種類に分かれるのです。専門用語だと前者の斥候は戦闘斥候(combat patrol)、後者は偵察斥候(reconnaissance patrol)と呼ばれています(Ibid.: 9-2)。
斥候の行動の一例。
目標に対して最短距離で前進するのではなく、その周囲の状況を調べることができるような経路を前進している。
(FM3-21.8: 9-4)
斥候は本隊から離れて行動しますので、もちろん敵との交戦は望ましい状況ではありません。
しかし、少人数だからこそできる戦法もあるのです。それが襲撃(raid)と伏撃(ambush)の二つです。これらはいずれも奇襲の一種なのですが、その定義は異なります。

襲撃について
襲撃とはその地域を確保して占領すること以外の目標を達成するためにある陣地や施設に対して加えられる奇襲的な攻撃のことを言います(Ibid.: 9-10)。
例えば、敵の倉庫、通信基地等の重要施設を破壊すること、敵に身柄を捕らえられた人質や捕虜を奪回すること、敵の作戦の準備を遅らせること、これらはいずれも襲撃に属する行動であり、戦闘斥候の任務となります。
襲撃を実施要領を示した図。
襲撃を実施するための一連の部隊行動が示されている。
(FM3-12.8: 9-10)
襲撃を実施する場合、(1)斥候長はまず斥候員を目標に向けて前進させなければならず、この図で言うと集合地点(rally point)から敵の施設に向かう矢印がこれに該当します。
(2)斥候員の一部を敵施設の周囲に展開して襲撃する場所を孤立化させます。この際に敵の増援が予想される方向を警戒させておくことが重要となります。
(3)残された斥候員を襲撃する目標の付近に展開して準備を整えさせ、(4)襲撃を実施します。
(5)襲撃を成功させたならば、敵の増援によって捕捉される前に目標地域から退却へと移ります(Ibid.: 9-10)。

伏撃について
伏撃の実施要領の一例。
敵が前進する経路に沿って三カ所に部隊を配置している。
(FM3-12.8: 9-18)
伏撃は移動中ないし一時的に停止した目標に対して援護された陣地から加える奇襲的な攻撃のことを言います。伏撃の目標とするところは敵の部隊を捕捉し、これを撃破してしまうことです。
伏撃の戦術にもさまざまな種類がありますが、ここで示しているのは地域伏撃の要領であり、敵の進路に対して平行の位置に部隊が連続的に配置されていることが分かると思います。
実際には経路の前方と後方にそれぞれ配置された斥候員は敵の部隊を経路の中に閉じ込めることを意図したものであり、最も重要なのはあくまでも中央の部隊です(Ibid.: 9-19)。

考察
これら襲撃、伏撃を成功させるために、あえて戦闘斥候を用いる必要性はどこにあるのでしょうか。
それは、これらの戦法がいずれも奇襲を前提とするためです。大隊や中隊等の規模の部隊で実施しようとしても、すぐ部隊行動の兆候が大きくなり、敵に察知されやすくなってしまうので、奇襲の効果が低下するという問題が出てくるのです。

襲撃や伏撃が成功すると少数の部隊でも敵に打撃を加えることが可能なのですが、本隊の支援を受けず敵の第一線の付近で活動するためには、斥候長に十分な統率力が備わっているだけでなく、高度な戦術的能力を持っていることも必要であることは言うまでもありません。

KT

関連記事
演習問題 小斥候か、部隊斥候か

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年11月26日木曜日

軍隊の歴史における体育訓練の近代化

体育が軍隊の教育訓練において最も重要な要素の一つであることは明らかです。
どのような職種や職域であれ、兵士たるもの体力に優れていなければならず、それは全体としての部隊の能力にも影響を及ぼします。
しかし、体育を科学的に研究する機関が軍隊で導入されるようになったのは19世紀と最近の出来事でした。
今回は、19世紀デンマーク陸軍での事例を中心に体育訓練の近代化について説明したいと思います。

19世紀に認識された体育訓練の必要性
19世紀ヨーロッパ各国では近代的な軍事制度が導入されるようになり、徴兵制によって入営する多くの新兵に効率的な体育訓練を実施する必要性が高まっていました。

それまでの軍隊における訓練は体育よりも教練を重視することが一般的でした。
入隊すると兵士たちはまず教官の指導の下で「気を付け」、「休め」、「回れ右」等の各個教練を習得し、その次に分隊教練、小隊教練、中隊教練と徐々に規模の大きくして部隊教練に取り組んでいました。

しかし、このような方法では兵士各人の体力を効率的に改善することができませんでした。
さらに加えて、この時期には科学的方法によって体育を研究し、合理的に体力を向上させようとする努力が見られるようになります。
すでに近代的体操の研究は『青少年のための体育』(1793年)の著者であるドイツの教育学者グーツ・ムーツ(Johann Christoph Friedrich GutsMuths)によって始まっています。とはいっても、彼の体育理論が軍隊で本格的に導入されるまでには至っていませんでした。

軍隊と体育を結びつけたナクテガル
グーツ・ムーツの体育理論に強い影響を受けた研究者にデンマークの体育学者フランツ・ナクテガル(Franz Nachtegall)がいました。
彼はグーツ・ムーツの体操の研究をさらに発展させるため、1798年に私立の体育クラブを設立し、自らの体育理論の実証的研究に取り組み始めました。
この研究は当時のデンマーク皇太子によってその価値が見いだされ、デンマーク陸軍もナクテガルの研究成果を軍隊の体育訓練に正式に活用する価値があると判断しました。
そして1804年8月25日には軍事体育研究所がコペンハーゲンで創設されることになり、ナクテガルはこの新たな研究所の所長に就任します(Leonard 1915: 25-6)。このことでデンマーク陸軍では本格的な体育訓練の近代化を進めることになりました。

この研究所にはデンマーク各地の部隊勤務者の下士官たちが集められ、そこでナクテガルの体育訓練の手法を学ぶことになりました。
ナクテガルの体操は身体の柔軟性、巧緻性、筋力増強を目標とした徒手体操ですが、特に柔軟性の向上を重視している点が特徴とされており、彼の死後も改良が重ねられ、デンマーク式体操として体系化されました。

ナクテガルの下で教育を受けた下士官たちは原隊に復帰すると、各部隊で体育訓練の改善、指導に努めました。この取り組みの成果はデンマークで高く評価されることになり、1828年のデンマーク議会で小学校の授業に体育を導入する法案が可決されたほどでした(Leonard 1915: 25-6)。

結びにかえて
軍隊で体育学の研究成果を本格的に取り入れ、合理的な体育訓練の確立に努めた国はデンマークだけに止まりませんでした。少し時期は遅れますが19世紀のスウェーデン、ドイツ等でも同様の取り組みがあり、スウェーデン式体操、ドイツ式体操として体系化されました。
しかし、デンマーク陸軍におけるナクテガルの体育訓練は、ヨーロッパでも特に早い時期から推進されたこと、その影響がデンマークだけでなく他国の体育訓練の在り方にも及んだこと、学校教育での体育の導入にも関係したこと等の理由から、歴史的に重要な意味を持っているのです。

KT

参考文献
Leonard, Fred E. 1915. Pioneers of Modern Physical Training, New York: Association Press.

2015年11月25日水曜日

モンテスキューによる征服者への助言

国家が領土を拡大するには
戦争によって獲得した国家に対する支配はどのようにあるべきか、という問題は古くから政治学で議論されてきた問題でした。
例えば、フィレンツェの思想家マキアヴェリはこの問題について将来の反乱を防ぐためその国家の王族、有力者の血縁者を一人残らず殺すこと、兵士を入植させて植民地化すること、一般市民を味方につけるため宗教と税制にいかなる修正も加えないこと、これらが非常に重要だと主張したことがあります。

これらの措置は確かに被征服者が再び征服者に歯向かう可能性を最小限に抑制する上で有効と認められます。しかし、18世紀フランスの思想家シャルル・ド・モンテスキューは占領地を有効に管理する方法はこれだけではないことを論じました。
今回は、この論点に関するモンテスキューの学説を紹介したいと思います。

新たな占領地による戦力不足の問題
モンテスキューはそもそも征服地域を支配する方法については大国が相手の場合と、小国が相手の場合とで異なる要素があるのではないかと考えていました。
これは小国であれば強制力だけに頼って支配することも可能かもしれないが、大国だと占領地の治安維持に多くの部隊が必要となるため、防衛体制を維持する上で戦力の不足を引き起こすという考え方でした。
「もし征服が大々的である場合、それは専制政治を前提とする。そうなると、諸州に散在する軍隊では不十分である。常に君公の周辺に特別に信用のおける軍団を配して、帝国内の動揺しそうな部分に常に襲い掛かれる態勢におかなければならない。この軍団は他の部隊を抑制し、君公が帝国内でやむなく何らかの権力委ねたすべてのものを震え上がらせなければならない」(邦訳上284頁)
さらに、占領地における軍隊の配置の問題だけでなく、すでに征服者が保有している領土から軍隊を引き揚げなければならない状況さえ起こり得る危険も次のように指摘しています。
「もし征服者が征服した国家を保有するならば、彼が派遣する総督は臣民を抑えることができないであろうし、征服者自身も総督を抑えることができないであろう。また、新しい所領を確保するため、古い所領から軍隊を引き上げなければならなくなるだろう。双方の国家の不幸はすべて共通となり、一方の内乱は他方のそれとなる。」(邦訳上285頁)
清国における満州族と漢民族の関係
以上のような判断から、モンテスキューは相手を徹底して滅ぼすのではなく、可能な限り活用する方法こそが領土を維持する上で有効な場合があると考えました。
ここでモンテスキューが参照しているのが清国の事例です。

人口の規模で見れば極めて少数であるにもかかわらず漢民族を征服することに成功した満州族は、1644年から北京を首都に置いて、本格的な清国の統治体制を始動させます。
この時に清国では政府組織の民族構成について漢民族と満州族の割合を半分ずつに調整するという措置をとっていました。

モンテスキューはこのような処置について「(1)両国民は相互に抑制しあう、(2)両社とも軍事的および文民的な権力を保持し、一方が他方によって全滅させられることがない、(3)征服国民は弱められることも滅びることもなく、全土に広がることができる」と利点を挙げた上で、「これは、極めて理にかなった制度で、このような制度の欠如こそが、世界のほとんどすべての征服者を破滅させたのである」と述べています(上284頁)。実際、このような政治的手法を駆使しなければ、満州族は漢民族を自らの統治機構の中で利用することはできなかったでしょう。

結びにかえて
モンテスキューは必ずしも冒頭で述べたマキアヴェリの征服地の統治手法を否定したわけではありません。しかし、その手法には明らかに限界があると考えていました。
特に大国を征服する場合、配置すべき占領軍の規模が巨大になるため、有効に統治することが難しくなってしまうのです。

そこでモンテスキューは清国の事例から征服者の政府組織の半分を被征服民で組織し、我が方の味方に取り込んでしまう方法が必要になると考えました。そして、これは寛容さの結果というよりも、帝国が領土を次々と拡大する上で欠かすことができない必然であることを強調しています。
「すでに述べたように専制君主によって征服された国家は封臣とならなければならない。かつて打ち破った君侯たちに王位を返還した征服者たちについて、歴史家は懸命にその寛大さを称える。したがって、いたるところに王を作ってこれを隷属の道具としたローマ人はまさしく寛大だったということになる。このような行動は必要な行為なのである」(上285頁)
KT

参考文献
モンテスキュー『法の精神』野田良之ほか訳、全3巻、岩波書店、1989年

2015年11月21日土曜日

敵の戦車を側面から射つためには

戦車は一般に車体の正面が装甲で防護されていますが、側面の防護は比較的脆弱という特性があります。
つまり、敵の戦車を撃破するには、正面ではなくその側背を狙う方がはるかに効率的であり、また我が方の戦車が撃破されないためには、各車両の側面が敵に暴露していないかどうか気を付けなければなりません。

今回は、味方の戦車の側面を守りながら、敵の戦車の側面を狙うために、どのような小隊射撃の方法が存在するのかを紹介し、それらが戦術的にどのような重要性を持つのかを簡単に説明したいと思います。

まず、戦車小隊射撃の基本として正面射撃(frontage fire)があります。
これは前方から横隊で接近してくる敵の戦車に対して、我が小隊も横隊に展開させ、各車両ごとに正面の目標を射撃させる方法です。
正面射撃。
敵の戦車に対して我が戦車小隊がそれぞれ正面の目標を射撃している。
実線の矢印は最初の射撃で点線の矢印は次の射撃を表している。
(ATP 3-20.15: 7-10)
もし敵の戦車が味方の戦車よりも多数である場合には、側面の目標から中央の目標へ、また中央の目標から側面の目標へと順番に射撃を実施しますが、適切な優先順位は地形や敵情によって異なるため、指揮官の判断が求められます。

正面射撃は最も単純な射撃パターンであるため、各車両が目標を確認しやすく、指揮官も小隊の射撃を統制しやすいという利点があります。
しかし、この方法だと目標車両の正面を狙うことになるため、味方の主砲の威力が敵の正面装甲を貫通できなければなりませんし、敵の戦車から射撃を受けるという危険も考慮しなければなりません。
こうした問題を解決するために編み出されたのが交差射撃、そして縦深射撃です。
交差射撃。
味方の戦車は敵の戦車から射撃を受けることがない場所に位置する。
そこから各車両が照準可能な敵の戦車の側面を射つ。
(ATP 3-20.15: 7-11)
交差射撃(cross fire)は正面射撃に伴う危険を最小限にするための射撃方法です。
これは横隊で接近する敵の戦車の正面に味方の戦車を配置させますが、地形を利用して正面から敵の射撃を受けることがないようにしておきます。
これでは味方の戦車も敵の戦車を射つことができないように見えますが、交差射撃は各車両が自分の正面にある敵戦車を射つのではなく、別の味方の車両の正面にいる敵戦車を射ちます。
こうすることで、敵の戦車はいずれも正面からではなく側面から射撃を受けることになるのです。
縦深射撃。
縦隊に展開する敵の戦車に対して味方の戦車が側面を射つ。
(ATP3-20.15: 7-12)
先程の交差射撃は敵の戦車が横隊で前進してくる場合に有効でした。しかし、もし縦隊で突撃してくれば、縦深射撃(depth fire)を選択することが可能です。
縦深射撃は味方の戦車の一部を敵の前進経路と並行する位置に配置させ、敵の縦隊の車両を前後から同時に射つ方法です。交差射撃の場合と同様に、味方の戦車は敵の戦車から射撃を受けにくい場所に位置しながら、敵の戦車の側面を射撃することが可能です。

正面射撃、交差射撃、縦深射撃はいずれも戦車小隊射撃における基本的戦技に位置付けることができます。
こうしたテクニックを組み合わせることができれば、味方の戦車の弱点を補うと同時に敵の戦車の弱点を狙うことが可能となります。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2012. Army Techniques and Procedures, 3-20.15: Tank Platoon, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年11月19日木曜日

論文紹介 地球規模で船団を護衛するには

現代の日本のグローバルな経済活動を基礎から支えているのは海運であり、その重要性は今後も拡大すると予想されます。
船舶により輸送される物資が増大し続ける一方で、この輸送を安全に維持する必要もますます強まっています。特に日本が太平洋からインド洋にまで跨る長大な海上交通路に依存していること、中国が海洋進出の動きを強めていることが、その必要性を一層大きなものとしています。

今回は、この問題を考える参考として、1960年代にソ連が海軍を急速に増強し始めた時期にイギリスで書かれた論文を紹介したいと思います。

文献情報
Schofield, B. B. 1969. "Collective Security and the Defense of Shipping." Proceedings Magazine, Vol. 95/3/793.

海洋国家であるイギリスにとって海上交通路の安全を確保することは最も重要な安全保障上の課題とされてきました。
これは核戦争の危険が認識されるようになった冷戦期においても基本的に変わることはありませんでした。
しかし、1960年代からソ連海軍による海洋進出の動きが活発化すると、イギリスの知識人や軍人たちは改めて海上交通路の保全という戦略問題を検討し始めます。この論文の著者である元英海軍提督のスコフィールドもその一人でした。

著者は海洋国家が直面する限定戦争は、つまり核が使用されない戦争を想定すれば、大きく干渉戦争と隠密戦争の二種類に区別されると指摘しています。
干渉戦争とは、イギリスが海を隔てたヨーロッパ大陸の沿岸部に地上部隊を海上輸送で直接送り込むか、少なくとも沖合から間接的に大陸の政治・軍事情勢に影響を及ぼすことを目指すものです。
しかし、もう一つの隠密戦争(gray war)はより海上に重点が置かれた戦争の一形態です。
それは海上交通路を利用する側とそれを阻止する側の断続的な海上での交戦であり、このような戦争でイギリスは政治的、地理的理由から防衛者の立場にあります。
したがって、イギリスはソ連と隠密戦争となった場合には、自国の海上交通路を守るための戦闘艦艇を建造しなければなりません。

しかし、イギリスの海上交通路は全世界に広がっており、それら全てをソ連の潜水艦から保護するだけの戦力を整備することは財政制約から現実的ではありませんでした。
「この種の潜水艦の脅威に対して船団護衛が効果的ではあるが、世界の全ての海域でこれを実施することが不可能である。そこで必要となるのが集団的安全保障である。しかし、現在のところ海上部隊について世界規模の集団的安全保障の措置が講じられてはいない」
 このような問題を踏まえて著者は、集団的安全保障の枠組みに基づく海洋戦略が必要であると指摘し、次のような提案を行っています。
「ここで求められていることは海洋防衛機構(Maritime Defense Organization, MADO)を設立することであり、つまり船舶を有する自由諸国であればどの国家であれ加盟することができるように処置することである。そこでは加盟国が保有する商船100隻ごとに1隻の護衛艦、50隻ごとに1機の航空機を提供する」
批判的な見方をすれば、商船100隻ごとに1隻の護衛艦、50隻ごとに1機の航空機という計算には根拠が不明確な部分があり、議論の余地が残されています。

しかし、海洋安全保障に特化した国際機関することで西側諸国の中で船舶を有する国々に、相応の海上防衛を分担させ、継続的に海上交通路を保護することを可能にする、という著者の構想は、すでに大規模な艦隊を維持できなくなっていたイギリスの国力国情にも、ソ連の海洋進出という世界情勢にも合致したものでした。

無論、これは研究としては理論研究の段階に止まるものではありましたが、海洋国家の戦略として海上交通路を保護するために艦隊を増強するよりも、多国間協力を推進する外交努力の重要性を示唆したことは、艦隊決戦を重視したマハン(Alfred T. Mahan)の海洋戦略の考え方を見直すという意義がありました。

また、海洋防衛機構の加盟国が集団的自衛権を行使することができて、はじめて世界規模の船団護衛が可能となることが示されているところも、この論文の成果に挙げられるでしょう。
海洋国家はその成り立ちからして一国だけで存立する訳にはいきません。海上交通路で結ばれた遠く外国と経済的に結び付いており、それが敵の武力によって遮断されることになれば直ちに物流の混乱、物価の急上昇という事態が引き起こされます。

この論文は1960年代にイギリスで書かれたものではありますが、限られた海上戦力しか持たない日本が自国の海上輸送を保護するために、外国の海軍とどのような連携が必要となるのかを検討する上で一つの視座を与えていると思います。

KT

2015年11月18日水曜日

論文紹介 対ソ戦略とヘリコプターの機動力

第二次世界大戦後の陸上作戦においてヘリコプターが果たしてきた役割は非常に大きなものがあります。
ヘリコプターの技術は1937年にドイツで開発に成功しましたが、実戦で本格的な使用を始めたのはベトナム戦争を戦っていたアメリカでした。
ベトナム戦争の経験からヘリコプターが地上戦で有用であることが明らかになると、ヨーロッパ各国では来るべきソ連軍との戦争でヘリコプターを活用できないか検討が進められることになります。

今回は、1970年代初頭にヘリコプターがソ連軍との地上戦で果たすであろう役割に関する論文「ヘリコプターと地上戦:ベトナム戦争での経験から」を紹介します。

文献情報
Trueman, H. P. 1971. "The Helicopter and Land Warfare: Applying the Vietnam Experience." Moulton, J. L. ed. Brassey's Annual, The Armed Forces Yearbook.

著者はイギリス軍の軍人であり、ベトナム戦争で活躍したヘリコプターの能力をイギリス陸軍としてより活用するためには、どのような作戦構想が考えられるのかという問題に関心がありました。
とはいっても、ベトナムとヨーロッパではそもそも作戦の環境が異なる点があることについて著者は留意する必要があるとも考えていました。
「ベトナムにおいてヘリコプターが果たした役割の大部分が、ヨーロッパの環境だと適用できないことは極めて明らかである。しかし、逆説的に言えば、ヘリコプターの活動が制限されることによって、味方の前線に加えられる(ソ連軍の)脅威の一部が緩和され得るかもしれない。(ヨーロッパとベトナムの)最も顕著な相違点として、ベトナムでは空中に敵な脅威が存在しなかったのに反して、ヨーロッパでは極めて強力なその脅威が存在することを予想しなければならないことである」
ベトナム戦争で北ベトナム軍の航空勢力が問題にならなかったという評価をしている点については著者は事実を誤認しているかのような印象を受けます。
しかし、北ベトナム軍と比較すればソ連軍との戦争ではより強力な飛行隊の脅威を受けることになることは確かであり、著者は西側各国の操縦士たちが非常に高い水準の技能を身に着けていること、陸軍防空能力を軽視してはならないことを主張しています。
「次の問題は戦車の大部隊に対抗する方法である。機甲部隊は現在、一日に50キロから100キロの速度で前進する。これに対してヘリコプターには二種類の対抗手段がある。その一つは、対戦車ガンシップつまりヘリタンンク(Heltank)であり、もう一つはヴィジラント型対戦車ミサイルを装備した対戦車部隊を普通の輸送機で展開させることである。これら二つの戦法は互いに補完し合うものである。対戦車部隊の部隊を敵の機甲部隊が突出した部分に配置させる。ウェセックス輸送機1機があれば、これら部隊を3個配置可能である」
ここでの対戦車ガンシップというのはAH-1のような攻撃ヘリコプターのことであり、ウェセックスというのは当時、イギリスでライセンス生産されていたS-58という輸送用ヘリコプターのことを指しています。

当時のヨーロッパの軍事情勢では、北大西洋条約機構(NATO)の東西ドイツ国境地帯に構成していた防衛線をワルシャワ条約機構(WP)が大規模な機甲部隊によって突破するシナリオが一般に考えられていました。

量的に十分な通常戦力を配備することが難しい西側諸国は、そのために国境地帯のどの方向から攻撃を加えられても迅速に対処する必要がありました。
このような問題を解決するために、ここで著者はヘリコプターに考えられる限りの対戦車能力を付与し、WPの機甲部隊がどの方向から攻撃してきたとしても、迅速に戦闘地域に展開してこれを撃破するという作戦を述べています。
「西ヨーロッパの核が使用される戦場では、陸上作戦で非常に大きな障害があるものと予想しなければならない。橋梁は破壊され、広大な面積の樹木が焼失する。道路は荒れ果て、そこには障害物が転がり、幅広い地域に放射性降下物が降り注ぐ。このような状況において、一定程度の戦術的機動力を有する側には大きな優位がある。西ドイツ軍が部隊輸送機に多大な努力を注いでいる理由は恐らくここにあるのだろう。イギリス陸軍としてもドイツ軍の努力に遅れをとることがあってはならない。以上をまとめると、最も重要なこととして戦争での成功は、優れた情報、火力、機動によるところが大である。ヘリコプターはその独特な性能ゆえに、これら要件の全てを満たす重要な一部を構成するのである」
熱核兵器が使用された場合、大規模な地形破壊が引き起こされるため、陸路での戦略機動は著者も指摘する通り極めて困難となります。
これはWPが各地で一斉に攻撃を開始しているにもかかわらず、第一線に増援を送り込むことができないという致命的な状況が発生する可能性があることを示唆します。
そのような不利な状況を回避するためには、長い滑走路を必要とせず、かつ空中機動が可能な部隊を編成しておくことが重要であり、ヘリコプターはそのような部隊を組織する上で重要な装備であると著者は結論付けています。

KT

2015年11月16日月曜日

戦車の戦術でも重要な射撃と運動

戦車は一見すると頑丈な装甲を備えているため、敵の弾幕を気にせずに自在に戦場を機動できるようにも思われるかもしれません。
しかし、実際には地形を利用せず、味方車両の援護もなしに戦場を動き回ることは非常に危険な行為です。
今回は、戦車小隊の観点から戦車の運動にどのような種類があるのかを示し、射撃と運動の原則が戦車の戦術にも適用可能であることを紹介したいと思います。
(戦車の運用については戦車小隊の隊形を取り上げた以前の記事も併せてご参照下さい)

戦車小隊の運用に関して解説した米陸軍の教範では、戦車の運動で注意すべき事項について以下の通り述べられています。

・空際線に乗り出してはならない。
・開けた場所は素早く通過すること。
・援護された交戦中の位置から敵に向かって直進してはならない。
・敵と不利な態勢で戦うよりも険しい地形を通過するほうが容易であるため、敵の射手が待ち構えている危険な場所を避けて行動すること。
・敵を制圧または妨害するために、煙幕の使用、直接照準、間接照準による射撃などの対抗措置を積極的にとること。
・地雷原や障害、敵を誘い込むのに適した危険な地域を特定すること(ATP 3-20.15: 3-15)。

これらの着眼は、いずれも敵の射界に不用意に侵入することを避けることの重要性を示唆するものです。
しかし、状況によっては敵の射界をあえて前進しなければならない場合も出てきます。そのため教範では小隊の車両がお互いに掩護しながら交互に躍進する運動方法についても説明されています。

敵の脅威が予想される地域を前進する場合、戦車小隊の車両を2両ごとに分けて交互に前進させ、先行する車両は後からついてくる車両を支援するために射撃姿勢をとります。
この間に後続の車両も前進し、先行していた車両を追い越して前方で射撃の態勢をとります。
このようにすれば敵に対して無防備になることなく前進することができます。
交互の躍進による戦車小隊の前進運動の方法。
第一に右の二両が正面の丘まで前進し、次に左の二両も正面の丘へ前進する。
これを交互に繰り返すことで小隊の車両が敵の脅威に無防備になる危険を最小限にすることができる。
(ATP3-20.15: 3-17)
このような技術は射撃と運動(fire and movement)の派生形として位置付けることができます。
興味深いのは、射撃と運動はしばしば歩兵小隊・分隊の運用という観点から説明されることが多いにもかかわらず、戦車小隊の運用という観点から同じ考え方を応用することができるということです。

以前に歩兵分隊・小隊の運用に関する記事でも説明したことですが、射撃と運動とは味方の一方の部隊が援護している間に、他方の部隊が機動する技術のことを言います。
いわば、敵の砲手が味方の車両に照準を合わせて撃発する作業をこちらの射撃で断続的に妨害し、味方の車両が一時的に敵の射界を移動することを可能にするのです。
状況によっても異なりますが、直接照準による射撃では一般に目標を照準するのに5秒から6秒の時間を要するため、各車両の運転手は素早く遮蔽物まで前進できるよう時間見積に注意しなければなりません。また、敵の砲手にこちらの動きが先読みされることがないように各車両の経路選択にも工夫が求められます。

結論として、戦車はその装甲に頼るだけでなく、巧みな運動によって自らを防護しなければなりません。そのためには歩兵部隊でも用いられている射撃と運動という技術を応用することが重要となるのです。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2012. Army Techniques and Procedures, 3-20.15: Tank Platoon, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.

2015年11月14日土曜日

ホッブズの政治理論における戦争

17世紀イギリスの哲学者トマス・ホッブズが残した有名な言葉の一つに「万人の万人に対する戦争」があります。
現代ではこの言葉からホッブズが悲観的な人間観を持っていたことを示す言葉として理解されることも少なくありませんが、本来はホッブズの個人的な意見を述べたものではなく、政治理論の研究を目的とした思考実験用のモデルとして理解されるべきものです。

万人の万人に対する戦争とは
国家が樹立される以前の状態を「自然状態」としてモデル化することによって、そこで予想される様々な状況を考察することが可能となるのですが、ホッブズはある単純な想定を置くと、自然状態は「万人の万人に対する戦争」とならざるを得なくなることを考察したのです。
つまり、現実の世界で起きた、または起きるであろう状況を意味しているわけではないのです。

「万人の万人に対する戦争」の意味するところを理解するためには、人間は何よりもまず自己の保存を求めて行動する、という想定を理解しなければなりません。

あらゆる政治的、社会的秩序が消失した状況で、身体的、精神的に同程度の能力を持つ人間が相対すれば、彼らは互いに相手に対する不信感を募らせざるをえなくなります。
というのも、生存のために必要な物資を同時に享受することができなければ、彼らは自らの生存をかけて相手を殺害するか、屈服させることに全力を尽くさなければならないためです。

ホッブズは、こうして人間は互いに先制攻撃によって相手よりも自己の力を速やかに増大させようと努めることになるのだと考えました。これが「万人の万人に対する戦争」という言葉で示唆されている状況です。
「かくして以下のことが明らかとなる。すなわち、全体を支配する共通の力を伴わずに人々が生活している間は、彼らは戦争と呼ばれる状態にあり、それは万人の万人に対する戦争である。なぜなら、戦争とは単なる戦闘または闘争行為の内に存するのではなく、戦闘によって争おうとする意志が明確に認識された時間の経過の内に存するためである」(Hobbes 1651: 77)
戦争は戦闘とは異なる
興味深いのは、ホッブズは戦争という状態とそこで繰り広げられる個々の行為を区別すべきだと強調している点です。
「したがって、気象の性質を検討する場合と同じように、戦争の性質について検討するには時間の観念が考察されなければならない。悪天候とは一度や二度のにわか雨ではなく、雨が降りそうな日が何日も続くことを意味しているが、戦争の性質も実際の戦いに存するわけではない。それは戦いを避けるように状況が進展する保証が一切ない時期において明確に戦う姿勢をとることが戦争である。そして、それ以外の時期はすべて平和なのである」(Ibid.: 77-8)
この引用で示されているように、ホッブズは戦争と戦闘との間に重大な相違があることに気が付いていました。
ホッブズにとって戦争は私たちが考える戦争よりも広い意味を持っており、いわば継続的な敵対関係の時期のことを戦争として理解していたことが分かります。
これはホッブズの「万人の万人に対する戦争」がいかなる国家や集団によらない戦争であるためであり、複数の人間を共通の意志の下に統制する政治権力がまったく存在しない場合に生じ得る状況であるためです。

いかに戦争が悲惨であるか
さらに、ホッブズはこのような状態がもたらす悲惨さを次のように考察しています。
「土地は耕されず、航海または海上貿易の商品の取引は行われず、有用な建築物もなく、多大な労力を要するような物品の運搬のための道具もなく、地理に関する知識もなく、時間の計算もされず、芸術もなく、文字もなく、社会もない。そして何よりも悪いことであるが、絶え間のない恐怖、暴力による死の危険がある。人間の一生は寂しく、貧しく、汚らしく、惨たらしく、そして短い」(Ibid.: 78)
このようにホッブズは「万人の万人に対する戦争」という自然状態において本来自己中心的な人間が生存を求めて行動することが、どれほど人間の生存を困難にするかを論理的に説明可能であることを明らかにしたのです。

ホッブズは結局のところ、個々人の力で身の安全を確保することは絶対に不可能であり、共通の意志の下で人々の行動を統制する国家が不可欠であること、その国家の究極的な目標は安全保障であり、その下ではじめて人々は平和を維持することが可能になることも論じています。

自然状態で順守すべき原則
とはいえ、ホッブズは全世界の自然状態を世界政府に置き換えることができるなどと考えていたわけではありません。結局のところ、自然状態は国家の外部に残されることになります。そのような状態において順守すべき基本的な戒律、自然法としてホッブズは次のように述べています。
「全ての人間は平和を手にする望みがあるかぎり、それに向かって努力するべきであるが、その望みが絶たれたならば、全ての人間は戦争を求め、戦争のあらゆる手段と利点を活用してもよい」(Ibid.: 80)
ホッブズは平和を実現する可能性があるかぎり、それに向かって非軍事的努力を続けることが何よりも優先されなければならないと強調しました。
しかし、「その望みが絶たれた」時には、断固として戦うことが許されるべきであるというのがホッブズの主張となります。

参考文献
Hobbes, Thomas. (1651) Leviathan, or the Matter, Forme, & Power of a Common-Wealth Ecclesiasticall and Civil, London.(http://socserv2.socsci.mcmaster.ca/econ/ugcm/3ll3/hobbes/Leviathan.pdf)

2015年11月13日金曜日

兵站システムから基地の機能を考える

基地の問題を考える際に私たちがまず思いつくのは、騒音の問題や近隣住民とのトラブル等かもしれません。
しかし、兵站学の立場から基地を考える場合には、その基地だけを取り上げることは適当ではありません。基地の価値は他の味方の基地の所在や、仮想敵国の部隊配備等によって変化するためです。

今回は、兵站の観点から基地の価値を分析する方法を説明するために、兵站システム(logistical system)という概念を紹介したいと思います。

兵站支援の概要
そもそも兵站の目的とは作戦部隊の戦闘力を維持増進するために必要な人員、武器、物資等を充足させることにあります。
このような目的のために使用される需品、整備、輸送、衛生等の職種の部隊は戦闘部隊と一般に区別され、兵站部隊と呼ばれます。

兵站システムとは、これら兵站部隊を有機的に組み合わせて運用するための組織のことであり、基本的には兵站基地(logistical base)と支援地域(support area)の二つ要素を組み合わせて構成されます。
非常に大雑把な整理をすると、兵站基地はより固定的な兵站支援の拠点であり、支援地域は作戦の進展に応じて所在が変更される流動的な兵站支援の拠点です。

しかし、兵站基地と支援地域もさらに細かく分類されます。

(1)兵站基地の分類
・中央兵站基地:国家的観点から生産、流通にとって重要な地域に設定される兵站基地であり、兵站システムの中枢を構成。
・方面兵站基地:方面隊(軍団レベル)がそれぞれの作戦地域において設けられる兵站基地。
・方面前進兵站基地:方面兵站基地の分派として状況の必要に応じても受けられる兵站基地。

(2)支援地域の分類
・前方支援地域:師団等を直接支援する方面隊の兵站部隊が展開する支援地域。
・師団段列:師団の人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。
・部隊段列:連隊・大隊等において人事・兵站に関する業務を遂行する部隊、機関の総称。

戦略兵站・作戦兵站・戦術兵站の区分
順番に説明すると、中央兵站基地が全軍の兵站システムの中心として位置付けられます。
そこを起点として主要な戦略単位である軍団の作戦地域に置かれた兵站基地がそれぞれ設定されます。
一般に戦略兵站(strategic logistics)と呼ばれるのは、この中央兵站基地から方面兵站基地までの兵站です。
ただし、軍団の方面兵站基地をさらに前方に置くためには状況に応じて方面前進兵站基地を設定する場合もあります。

以上が兵站システムに占める戦略兵站の範囲となりますが、方面兵站基地からさらに戦闘地域に近づくと次は作戦兵站(operational logistics)の範囲となります。
作戦兵站で最も包括的な活動を行うのは方面兵站基地に置かれた軍団の兵站部隊であり、これは師団または旅団の行動を支援することを任務としています。

さらに戦闘地域に近づくと師団を構成する後方支援連隊等の師団段列が配置される支援地域が設定されます。これは戦闘地域と後方地域のちょうど中間付近に位置しており、この辺りまでが作戦兵站として呼ばれている範囲となります。

師団段列からさらに戦闘地域に前進すると、連隊、大隊ごとの段列が展開する支援地域が置かれます。この支援地域は最も戦場に近い場所に置かれることになるため、戦術上の要請によって絶えず移動を強いられます。
作戦兵站と戦術兵站(tactical logistics)の区別はあまり明確ではありませんが、戦術兵站は第一線に位置する兵士たちに人員、武器、糧食、弾薬、燃料、薬品を届ける最後の兵站であり、兵站システムの末端に当たります。

これをまとめると兵站システムは次のような概念図として表すことができます。
兵站システムの全体を著した概念図。
左から右に移ると後方地域(communication zone)から戦闘地域(combat zone)に接近する。
CONUS Baseが中央兵站基地、Theater Baseが方面基地を著す。
そこからさらに戦闘地域に進むと線で区切った個所で前方支援地域、師団段列、部隊段列が置かれる。
(457-8)より引用。
基地は兵站システムの要
このような兵站システムの特性を理解すれば、兵站における基地の役割は常に他の基地との相互関係の中で割り当てられるものであることが分かります。
もし部隊を展開させる予定の作戦地域の付近に兵站基地が存在していないならば、兵站基地と支援地域が遠くに引き離されるだけでなく、兵站基地を起点として展開可能な部隊の規模も制限されてきます。
このような兵站支援の限界は、その後の作戦行動において多大な影響を及ぼすことになります。

日本の安全保障にとって基地の問題は軍事的観点だけで論じきれるわけではありませんが、あらゆる軍事行動の起点となる基地がどのような兵站システムにおいても重要な役割を果たしていることについて理解を深める必要は繰り返し確認することが重要です。
戦闘部隊それ自体が戦闘力を生み出すわけではなく、兵站部隊との連携によってはじめて本来の戦闘力を発揮することが可能となるのです。

KT

参考文献
U.S. Department of Defense. 1997. Joint Doctrine Encyclopedia, Washington, D.C.: U.S. Governmental Printing Office.
真邉正行『防衛用語辞典』国書刊行会、2000年

2015年11月7日土曜日

接近経路で分類できる防御陣地

戦場では任務、地形、敵情等の各種状況によって防御者として敵を迎え撃つという場面が出てきます。
戦術において攻撃よりも防御が一般的に有利に立てる前提条件となるのが、地形地物を活用した陣地構築と部隊配置です。

今回は、特に歩兵中隊(3個小隊と中隊本部を合計して200名弱程度の部隊規模)の観点から、ある接近経路に対して部隊を適切に配置させるために注意すべき事項を説明したいと思います。

接近経路から戦闘陣地の種類が判断できる

あらゆる戦場の地形は五つの観点から分析することができます。
すなわち、任務遂行のために確保が優先される地形である緊要地形、部隊が通過することを妨げる障害、部隊の所在を秘匿する掩蔽、部隊の所在を確認するための監視、緊要地形に向けて前進する上で通過することになる接近経路、これら五つの観点です(詳細は地形分析に関する過去の記事をご参照下さい)。

これら地形分析の中でも陣地防御を指導する上で重要なのが接近経路です。
接近経路を把握すれば、その接近経路に沿って敵が前進してくると予測されますので、それに対して我が部隊をどのように配置することができるのかを判断できるようになります。

以下では選択可能な戦闘陣地の関係を四種類に区別したものを見てみます。

敵の単一の進路に直行する単一の防御陣地
単独の接近経路に対して単独の陣地を構成する場合。
(FM3-21.8: 8-26)より引用。
図で示したように敵の部隊が使用する接近経路に対して良好な視界と射界が得られ、かつ偽装と隠蔽が容易な地形があれば、そこに全ての分隊の火力を指向して強力な弾幕を構成することができるだけでなく、戦局に応じて別の陣地へ移動することさえ可能です。

我が部隊を一カ所に展開して運用することになるので、指揮官にとって部隊の状態を最も掌握しやすい点も利点として挙げられます。

敵の複数の進路に平行する単一の防御陣地
複数の接近経路に対して単一の防御陣地を構築する場合。
(Ibid.: 8-26)より引用。
上図のように、中隊の交戦地域に敵が利用可能な接近経路が複数あり、敵の部隊がどの方向から前進するのか予断を許さない場合があります。
そのような状況では、両方の接近経路に対して広く正面をとった防御陣地を構築しなければなりません。こうすると一正面に対する火力は低下しますが、両方の接近経路に対する射界を確保するために必要な措置と言えます。

ちなみに、図のように敵の進路と並行して占領する陣地は側面陣地と呼びます。これは敵の進路に直行して占領する陣地よりも逆襲に移る際に部隊の機動が阻害されないという利点を持つものと考えられています。
したがって、側面陣地を見れば相手が攻撃的な意図を持っている可能性を考慮しなければなりません。

敵の単一の進路に平行する複数の防御陣地
同一の接近経路に対して複数の戦闘陣地を占領する場合。
(Ibid.: 8-27)より引用。
図のように接近経路に対して平行に占領した防御陣地を選択する場合、防御者にはどのような利点が考えられるでしょうか。

このような配置をとる利点は、接近経路を前進する敵の部隊を十分に隘路に引き入れた後に交戦を開始することができることです。
敵の部隊の前衛を黙って通過させておき、続行する主力が我が方の存在に気付かず戦闘展開もせずに交戦地域に進入してくるようならば、我が部隊は最初の射撃によって敵の部隊に大きな打撃を加えることができるだけでなく、その前衛と後衛を前後に分断することも可能です。

ただし、気を付けなければならないのは陣地を複数に分けて正面を広く取るとしても、中隊の戦力を均等に分けることは避けなければなりません。
主力と支隊の役割を明確に分担しておき、支隊が占領する陣地には敵の前衛を拘束するための戦力を、主力が占領する陣地には敵の主力に打撃を加えるための戦力を用いなければなりません。

敵の複数の進路に平行する複数の防御陣地
複数の接近経路に対して複数の防御陣地を占領する場合。
(Ibid.: 8-27)より引用。
交戦地域の地形によっては敵が利用できる接近経路が複数ありながらも、それが合流している場合があります。
このような状況では、それぞれの敵の部隊が合流することを妨げることが必要となります。そこで敵の進路を封鎖し、その脇道となる場所には地雷原を構成する等の手段がとられることになります。
とはいえ、個々の防御陣地が孤立して敵により撃破される危険が比較的大きくなる配置であることには変わりなく、主力が占領する陣地と支隊が占領する陣地の位置関係については相互に支援できるように注意することが求められます。

戦術の研究では交戦地域における地形の価値を巡って意見が分かれることはそれほど多くありません。しかし、その地形を活用するために部隊をいかに配置すべきかという論点を巡ってはさまざまな考え方があります。
今後、新たな地形を目にした時には、それぞれの視点から最適な戦闘陣地がどのようなものかを思索してみてはどうでしょうか。

KT

参考文献
U.S. Department of the Army. 2007. Field Manual 3-21.8: The Infantry Rifle Platoon and Squad, Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年11月6日金曜日

論文紹介 ヒュームが語る安全保障と国債の関係

歴史を見ると、国家が戦時予算を編成する際に、臨時の課税や借入等に頼ることは近代より前には見られなかったことが分かります。
それまで国家は戦争を遂行するために平時から積み立てた金銀を使用することが普通でした。
しかし、近代以降に戦争の形態が大規模化、長期化してくると、国家が借入を行わずに作戦を遂行することはほとんど不可能となります。

イギリスの哲学者として名高いデイヴィッド・ヒュームは、イギリスが戦争を戦う上で国債に対する依存が強まっていることを認識しており、それがもたらす政治的、経済的な帰結を考察しました。今回は、このヒュームの戦時国債に関する考察を紹介したいと思います。

文献情報
Hume, David. 1742. "Of Public Credit" Essays, Moral, Political, and Literary, (「公信用について」『市民の国について』小松茂夫訳、岩波書店、1982年、(下)133-156頁)

18世紀のイギリスでは国債というものは単なる金融商品であるだけでなく、一種の通貨として幅広く流通していました。国債は手元に置いておくだけで所有者に利子所得をもたらし、非常に安全な投資の対象であると認識されていたためです。
国債が幅広く受け入れられていたことにより、ジェンキンズの耳戦争(1739-48)、そしてオーストリア継承戦争(1740-48)を戦っていたイギリス政府は必要な軍事予算を組むことができていました。

しかし、論文の著者のヒュームは国債については利点と欠点の両方から考察しなければならないと指摘した上で、戦時財政に特有の問題点を示しています。
「国債は一種の紙券です。ですから、国債はその種の貨幣に伴う欠点をすべて持ちます。国債はその国の商品流通におけるもっとも重要な部門から金銀貨を駆逐し、金銀貨の流通範囲を日常の流通に縮小し、その結果、国債が貨幣として使用されぬ場合に比べ、あらゆる食料と労働との価格をより高価にします」(140)
このヒュームの考察は戦時財政が引き起こすインフレーションの問題を指摘しています。
当時、国債が貨幣として用いられていたため、国債の供給量が急激に増加すると、国債一口当たりの価値が相対的に低下し、さまざまな物の価格が上昇が促されます。
ヒュームはこうした経済状況の下で市民が反乱、暴動を引き起こす危険が高まることを懸念していました。

また国債の所有者が過剰に増加して利子収入に頼ることになると、生産活動をかえって阻害する可能性がある点についても指摘しています。
「国債の大半はつねに、利子収入で生活する非生産的な人々の手中にあります。それゆえ、国債は役立たずで日活動的な生活を大いに助長します」(140-1頁)
この論点との関係で、ヒュームは「いかなる国家社会においても、営々として働く社会部分と非生産的社会部分との間に一定の比率が保たれていることが不可欠」と論じています(142)。
なぜなら、「この豊富に蓄積された貨幣はそれに比例した軍事力によって防衛されなければならない」ためです(146)。
つまり、防衛のために必要な軍隊の経費は究極的に利子受領者に対する課税が必要となるのではないかと、ヒュームは論じています。

それは、従来までの国債への信用が失われることを意味します。つまり、新たに発行されても国債に対して応募が十分に得られないという状況、つまり財政破綻に陥るということです。

興味深いのは、ヒュームが最も危険なことだと考えているのは、この財政破綻そのものではないという点です(確かにそれは公信用を崩壊させ国債所有者に甚大な損害をもたらしますが)。
より深刻な問題なのは、そのような事態を議会が可能な限り先延ばししようとするあまり、ヨーロッパの国際情勢が変化した際にイギリスの安全保障のために必要な軍事行動をとることができなくなることです。
「ヨーロッパにおける勢力均衡を、われわれの祖父、そしてわれわれは一致して、われわれの注視と支援とがなければ維持され得ぬきわめて不安定なものと見なしてきました。しかし、われわれの子孫たちが、均衡維持のため不断の努力に倦み、しかも債務で動きがとれなくなり、(勢力均衡に対する)いっさいの関心を放棄して、近隣諸国民が抑圧され征服されるのを座視するようになり、ついには、彼ら自身と国債債務者も、征服者のなすがままとなるかもしれません。もしこのようなことになれば、それはまさに適切にも、公信用の暴力的死とわれわれは呼び得るでしょう」(155-156)
結局のところ、ヒュームが真剣に恐れていたことは、財政的問題ではなく政治的問題でした。
つまり、国家の財政運営における国債の依存が強まることは、長期的に見れば財政の基盤を不安定、不確実なものとなります。
そうなると、国際情勢の急激な変化によって多額の支出が必要となった際に必要な軍事的行動がとれず、イギリスの防衛に支障を来す可能性が出てきます。

18世紀の議論なのでそのまま現代に当てはめることはできませんが、ヒュームの議論は財政の在り方を安全保障という観点から考える上で参考になる点が少なくないと思われます。

KT

2015年11月2日月曜日

戦争の道徳的ジレンマを考察する軍事倫理学


戦争は武器によって敵の兵士の命を奪うことも辞さない行いです。これは道徳的に許されることなのでしょうか。
軍事学が戦争を研究する学問である以上、このような戦争の道徳性に対する哲学的な疑問にも取り組んで然るべきでしょう。

今回は、このような哲学的問題を取り扱う軍事学の研究として軍事倫理学について紹介したいと思います。

軍事倫理学とは何か
軍事倫理学(Military Ethics)とは、軍事学の研究領域であると同時に応用倫理学の一部門に含まれる学問であり、正戦論(Just War Theory)と呼ばれることもあります。その内容については次のように説明することができます。
「倫理学とは権利、悪、善、責任などの概念の分析とその解釈を取り扱う哲学の一部門であり、それは(1)メタ倫理学、(2)規範倫理学、(3)応用倫理学、三種類の主要な分野から成り立っている。軍事倫理学は応用倫理学と最も深く関係しており、戦闘の混乱と戦争の重圧に置かれた兵士が自分自身そして部隊に関係する道徳的、倫理的な決断を下すことを助けるものである。つまり、具体的な状況において倫理的価値を適用する応用倫理学の研究は、将来の兵士や指導者の養成のためだけではなく、社会における強制力を考察し、適用するためのものでもある」(Jordan 2013: 884)
古代から哲学者たちは戦争とは何か、どのような理由から始められる戦争は正しいのか、正しく戦うためにはどうすれば良いか、等の論点について議論してきましたが、その研究成果はすでに現代の士官教育でも重要性が認められており、軍事学の重要な研究領域として位置付けられるに至っています。

ここでは具体的に軍事倫理学はどのような問題を取り扱うのかを説明するために、チェコスロヴァキア危機に対する哲学者ウォルツァーの分析を概観してみます。

事例分析:1938年のチェコスロヴァキアは正しく決断したのか
1938年、ヒトラー政権の下でドイツは隣国であるチェコスロヴァキアに対し、同国のズデーテン地方に居住するドイツ人住民が不当に抑圧を受けていることを非難します。それだけでなく、ズデーテンのドイツ人住民の民族自決の権利を認めることをチェコスロヴァキアに要求し、さもなくばドイツ軍が出動する可能性もあると示唆しました。

これはズデーテン地方のチェコスロヴァキア国民にとって生命と財産を失う危機でした。
このようなドイツの動きに対してチェコスロヴァキアがとりうる選択肢は大別して二つ考えられました。
一つは紛争を避けてドイツに宥和的態度をとる行動方針であり、もう一つはドイツの侵略に抵抗して対決的姿勢を貫く行動方針です。

第一の選択肢の長所は、ドイツとの全面戦争という事態を回避することができる点であり、その短所はズデーテン地方を割譲し、そこでのチェコスロヴァキア人の住民生活を犠牲にせざるをえない点にありました。
第二の選択肢の長所は、国家としての主権と独立をもってズデーテン地方を防衛するという責任を果たすことができる点ですが、その短所としてはチェコスロヴァキア軍の能力でドイツ軍に対して軍事的な勝利を収める見通しは持てないということでした。

このようなジレンマについてウォルツァーは「正義を犠牲にしてまでも平和を求める義務」を認めるかどうかによって答えが異なると論じています(ウォルツァー、162頁)。
この時のチェコスロヴァキアは平和のために何をどこまで犠牲にできるのかが問われたのです。

史実でチェコスロヴァキアが選んだのは第一の案でしたが、チェコスロヴァキアがズデーテンの割譲を受け入れたことによって、国内では大規模な政府批判が生じ、政府に対する国民の信頼は大きく失墜することになったことをウォルツァーは指摘しています。

戦争の道徳的なジレンマに取り組むために
戦争の道徳的なジレンマは決して通り一辺倒の議論で片づけられるものではありません。
例えば、チェコスロヴァキアの事例を巡る政策決定の道徳性を考えるためには、イギリスやフランスの政策が与えた影響等も詳細に検討される必要があるでしょう。
またズデーテン地方の住民の権利や利益とチェコスロヴァキア全国民の国益のバランスという観点からも考えることもできるでしょう。

こうしたことからも、軍事倫理学は戦争をめぐる道徳的な問題に正面から取り組む上で重要な学問領域であり、また軍事学全体にとっても独自の重要性を持つ領域であることが分かるのではないでしょうか。

参考文献
Jordan, Kelly C., 2013. "Military Science," in G. Kurt Piehler, ed. Encyclopedia of Military Science, Los Angels: SAGE Reference, Volume, 2, pp. 880-885.
Walzer, M. 2006(1977). Just and Unjust War, 4th ed. New York: Basic Books.(邦訳、『正しい戦争と不正な戦争』萩原能久監訳、風行社、2008年)

軍事倫理学の研究文献を読みたい人への参考リスト
  • Carrick, D., Connelly, J., and Robinson, P., eds. 2009. Ethics Education for Irregular Warfare, London: Ashgate Press.
  • Cook, M. L. 2004. The Moral Warrior, Albany: State University of New York Press.
  • Fotion, N., and Elfstrom, G. 1986. Military Ethics, London: Routledge and Kegan Paul.
  • Fotion, N., and Elfstrom, G. 1992. "Military Ethics," in Becker, L. C., and Becker, C. B., eds. Encyclopedia of Ethics, New York: Garland, Vol. 2, pp. 806-809.
  • French, S. E. 2004. Code of the Warrior: Exploring Warrior Values, Past and Present, Lanham: Rowman and Littlefield.
  • Hartle, A. E. 2004. Moral issues in Military Decision-Making, Lawrence: University of Kansus Press.
  • Ignatieff, M. 1998. The Warrior's Honor: Ethnic War and the Modern Conscience, New York: Macmillan.
  • Lucas, G. R., Jr. and Rubel, W. R. 2010. Ethics and Military Profession: The Moral Foundations of Leadership, Boston: Person/Longman.
  • Murray, J. C. 1959. Morality and Modern War, New York: Church Peace Union.
  • Walzer, M. 2006(1977). Just and Unjust War, 4th ed. New York: Basic Books.(邦訳、『正しい戦争と不正な戦争』萩原能久監訳、風行社、2008年)
  • Wasserstrom, R., ed. 1970. War and Morality, Belmont: Wadsworth Press.