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2015年9月27日日曜日

アダム・スミスが考える防衛意識の問題


近代経済学の確立に寄与したアダム・スミスの名前は日本でもよく知られています。
しかし、アダム・スミスが「国防は富裕よりもはるかに重要である」と指摘し、国防問題に重大な関心を寄せていたことは、それほど注目されていません。

今回はアダム・スミスによる適切な軍事制度に関する考察から、防衛意識に関連する部分を紹介したいと思います。

まずスミスは富の蓄積が近隣諸国の侵略を誘発する危険を高めることを認識していました。
そこで経済力の増大に応じて国家は自らの国富を守るための軍隊を整備する必要が生じます。しかし、防衛体制を整えるにあたり、国民は二つの政策選択に直面すると考えられました。
「それは第一に、非常に厳しい政策をとって、人民の利害関心や天分や好みの傾向などすべておかまいなしに、軍事教練の実習を強制し、兵役適齢期の市民全部、あるいはその一定数を、かれらがたまたまどんな商売なり職業なりを営んでいようと、ある程度まで軍人の職業を兼ねるように義務づけることができよう。さもなければ、第二には、一定数の市民を養い、雇用して、軍事教練を常時実習させておくやり方で、軍人という職業を他のいっさいの職業から独立した別個の一特殊職業とすることができよう」(邦訳3巻14頁)
スミスがここで検討した選択肢のうち前者は市民兵を中心とする軍事制度であり、後者は職業軍人を中心とする軍事制度に対応しています。
いずれの選択が経済先進国の安全保障に適しているのか、という疑問についてスミスははっきりと後者を支持しました。

その理由は軍事的専門性の技術的な高度化です。
スミスはさまざまな生産現場で分業化が進むと、技術革新が促進され、それに応じて軍事技術も高度化することを知っていました。
これを言い換えれば、経済成長が進んだ国では、戦闘員の教育訓練に必要な時間や費用が必然的に増大するということです。

ここまでの議論はおおむね私たちの直感とも一致するものでしょう。
しかし、スミスは職業軍人に国防をまかせることによる弊害について考慮しておくことも必要であると同時に考えていました。
なぜなら、国防に触れることなく、各人が自分の専門化された仕事にだけ打ち込むような近代社会では、公共のために武勇の精神を発揮する機会に乏しく、防衛意識が大いに低下すると考えられるためです。

この議論を理解するためには、スミスが分業の弊害をどのように考えていたのかを知らなければなりません。
「分業の発達とともに、労働で生活する人々の圧倒的部分、つまり国民大衆のつく仕事は、少数の、しばしば一つか二つのごく単純な作業に限定されてしまうようになる。(中略)その全生涯を、少数の単純な作業、しかも作業の結果もまた、おそらくいつも同じか、ほとんど同じといった作業をやることに費やす人は、さまざまな困難を取り除く手立てを見つけようと、努めて理解力を働かせたり工夫を凝らしたりする機会がない。そもそも、そういう困難が決して起こらないからである」(同上、143頁)
このような疎外が起きる結果として、人々は日常の生活から離れ、大局から国家の利害を判断したり、戦争で自分の国を守るために必要な処置について理解することができなくなるのだとスミスは説明します。
「戦争になっても、かれは自分の国を護ることが、これまたできない。淀んだようなかれの生活は十年一日のごとく単調だから、自然に勇敢な精神も朽ちてしまい、そこで不規則不安定で、冒険的な兵士の生活を嫌悪の目で見るようになる。(中略)これこそ、進歩した文明社会ではどこでも、政府がなにか防止の労をとらぬかぎり、労働貧民、つまりは国民大衆の必然的に陥らざるをえない状態なのである」(同上、144頁)
スミスは分業が経済的合理化にとって重要であることを説きながらも、一方で国民が公共の問題を考える知的能力を委縮させ、国防を尊重する意識を低下させると指摘していました。

この問題を解決するためにスミスが注目していたのは国家の教育政策として体育訓練と軍事教練を奨励することでした。
とはいっても、スミスは学校教育で軍事教練の習得を強制するような制度ではなく、軍事教練を行う日時や場所、教育者を指定し、その教育者に非金銭的な特典を与え、学習者は少額の賞金と表彰を与えることにより、自発的な軍事教練の習得を推奨するというものでした(同上、150頁)。

これは国民の自発的参加を基本とする一種の防衛サークルの奨励です。
国民の防衛意識を高めるために安易に徴兵制を主張する意見とは本質的に異なった考え方であり、あくまでも学習者が自発的にその防衛教育に参加することが重視されています。

以上をまとめると、スミスは国家の安全保障のために職業軍人から編成される常備軍を持つ必要がある一方で、国民全体が(軍隊に入隊することなく)軍事上の活動を理解できるように教育制度を工夫しなければならないと考えました。
ただし、スミスは18世紀の人間でありますので、状況が大きく異なる現代の日本にそのまま彼の考え方を持ち込むわけにはいきません。
それでも、経済発展と分業の高度化に伴う防衛意識の低下を防ぐためには、平素からの防衛教育の奨励が不可欠とするスミスの考え方には興味深いものが含まれていると思います。

KT

参考文献
アダム・スミス『国富論』大河内一男訳、中央公論新社、1978年

2015年9月25日金曜日

論文紹介 戦術を科学と見るのか、技術と見るのか


戦術とは、どこまで科学的、客観的に研究可能なのでしょうか。
軍事科学の歴史を振り返れば、戦術は本質的に技術であって、科学ではありえないという考え方と、それに反対する考え方との間で長い議論が展開されてきました。

今回はこのような論点を考える上で、冷戦期における米ソの戦術に対する考え方に注目した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Fastabend, David A. 1987. Fighting by Numbers: The Role of Quantification in Tactical Decision Making, Fort Leavenworth: School of Advanced Military Studies.

著者は冒頭で戦術をめぐる根本的な見解の相違について取り上げています。
「戦術的天才はその技術によるものなのか、それとも科学によるものなのか。戦術という技術の直観的な要求と戦術という科学の定量的考察との間の緊張関係は、米陸軍の戦術的意思決定に関する教義、規則における難題であった」(p. 1)
著者はこのような問題を踏まえた上で、米国とソ連の戦術観に大きな相違があることを指摘し、それらを対比して示しています。
すなわち、米国における戦術の考え方では戦術を「技術」と見なす立場がより強く、また科学として戦術を考える立場は相対的にソ連の方が優勢である、という相違が見られるのです。

著者によれば、米国の士官が戦術をそれほど科学的なものとして見なしておらず、教範でもそのような立場が採用されている背景には、物量の優位に頼ることができるという米国の国力が関係していると考えられています。
そのため、戦術上の問題解決において定量的アプローチはそれほど重視される必要がありません。
少なくとも戦術を科学的に研究することが現場で要求されることは滅多にありません。

しかし、著者によれば、ソ連の士官たちは全く異なった観点から戦術を考えており、戦術は技術ではなく一種の科学であると見なしています。
ソ連では独ソ戦の経験を踏まえ、部隊の利用可能な資源を最適に配分することの戦術的な重要性について共通の認識を持たれていることが関係していると著者は考えています。

例えば、ソ連軍の教範では相対戦闘力において数的優勢を確保するために必要な計算が述べられており、特に戦闘力の人的、物的要素が各種状況ごとにどれほど優越しなければならないかが参考数値として述べられています。
その反面として、ソ連軍の教範では指揮官の創意や兵士の士気のような要因はあまり考慮されていないという特徴が見られます。

著者の結論として、米国はソ連に比べて戦術上の問題を解決するために科学的、定量的なアプローチを適用する努力に欠けており、よりバランスのとれた戦術の考え方を採用する必要があるのではないかと議論を呼びかけています。

その国家が採用する戦術上の教義内容の是非は別として、学問的に戦術を研究する段階においては、技術的側面と科学的側面の間でバランスのとれた理解が必要であるという議論は、現代の戦術学の研究においても重要な示唆を与えてくれるものではないでしょうか。

KT

2015年9月20日日曜日

論文紹介 サイバー安全保障を考える


現代の戦争においては、サイバー空間が戦場の一部と化しています。
サイバー空間で行われる作戦行動はサイバー戦とも呼ばれますが、歴史的にその任務に当たってきたのは通信部隊が主体でした。
しかし、近年ではサイバー戦で駆使される技術や戦術がますます複雑化、高度化しつつあり、もはや問題は通信科の部隊だけに止まらなくなっています。

今回は、サイバー安全保障の重要性について軍隊の他の職種も注意を払う必要を指摘した論文を紹介したいと思います。

論文情報
Roeder, D. Bruce. 2014. "CyberSecurity: It Isn't Just for Signal Officers Anymore," Military Review,  May-June, pp. 38-42.

著者によれば、これまでサイバー安全保障という重要な課題が通信科の士官だけで対処されてきましたが、もはやサイバー安全保障の現状は通信科だけの問題ではなくなっており、さらに悪いことに、そのことに他の職種の士官たちが気が付いていません。

サイバー安全保障の第一線に立たされている通信科の士官たちが現在直面している脅威は、犯罪者による攻撃、イデオローグによる攻撃、そして国家による攻撃に区分されます(p. 39)。
犯罪者は野心を持って主として法執行機関に対するサイバー攻撃を試みます。イデオローグはウィキリークスやアノニマスのように、政治的な動機に基づいて政府機関に対するサイバー攻撃を計画します。
これらのグループに比べれば、第三の国家によるサイバー攻撃はより複雑な動機によって企図されます。安全保障、経済、その他の国益に資するため、彼らは敵とする国家に対してサイバー攻撃を行うためです。

現在、こうした脅威に対処するため、米軍では戦略軍(strategic Command)の隷下にサイバー軍(United States Cyber Command, USCYBERCOM)が編成されており、陸海空軍と海兵隊にもそれぞれサイバー戦のための部隊が編成されているのですが、著者は組織体制において大きな問題点があると指摘しています。
それは、戦闘を遂行することを想定した一元的で階層的な指揮系統によって運営されるため、意思決定のために時間を必要とし、しかも部隊ごとの情報の共有にも支障をきたしているということです(p. 39)。

この分野に関して著者は民間企業のほうがはるかに優れた防衛態勢を構築していると考えています。企業活動に対するサイバー攻撃の脅威に対して、近年では企業は攻撃者の手法や身元に関する情報などを共有するためのネットワークを構築しているのです(p. 40)。

もし企業で情報漏えいが発生すると、それが信用の喪失、そして市場での競争力につながるため、進んで相互に協力する誘因が存在しますが、軍隊ではそのような誘因が相対的に弱いために、そうした情報共有において見劣る部分が出てくるのではないかと著者は考えています(Ibid.)。

またこの論文で著者は2013年にエンジニアのDanny Hillisがインターネット上のコンピュータを防護することばかりに注意を向けており、インターネットそれ自体が攻撃される危険が見過ごされているという見解が紹介されています。
HillsはDoS攻撃のようにネットワーク上の通信量を増大させることで通信サービスを妨害する攻撃に対しては、バックアップを準備することが必要であり、それは必ずしも技術的に難しい措置ではないと述べています(p. 41)。

この見解が示唆していることは、攻撃者が基本的に有利なサイバー戦において防御者が選択可能な措置を事前に準備しておくことが重要であるということです。

最後に著者は、このサイバー安全保障において米軍がすでに相当程度の遅れをとっているという認識の下で、この現状を変えるためにはサイバー安全保障に対する問題意識を通信科の士官だけでなく、すべての士官が共有する必要があると述べています。
「基地警備が憲兵司令官に固有の責任または唯一の仕事であるかのように、サイバー安全保障がコンピュータおたくの問題であるわけではない。それはわれわれ全員の問題なのである。(中略)その指揮台はわれわれのものであり、われわれ一人ひとりがSIGO(通信科士官)なのである」(p. 42)
ここで述べられていることは、サイバー安全保障の問題は通信科の問題だけではないということです。ネットワークに接続するすべての人々が通信と情報に対してより高度な知識と警戒が要求されているのではないでしょうか。

KT

2015年9月8日火曜日

無期限の更新停止のお知らせ

平素よりご愛読、ご愛顧を頂いておりますこと、感謝を申し上げます。今回は、無期限の更新停止となることをご連絡申し上げます。

更新停止に至った理由としましては、当方がブログの運営のために使用していたパソコンが突然故障したことで、調査研究を含め、現在記事の執筆、編集、投稿ができない状況が生じたためです。(この更新は別のパソコンを一時的に借用して行っております)
それに加えて、現在は就職活動中という状況や資金の問題等もあり、いつ新たなパソコンを調達することができるのか具体的な見通しが立っておりません。そのため、直ちに問題を解決することが困難な状態です。

つい先日、本ブログの更新を再開したばかりであるにもかかわらず、このように無期限の更新停止となったことを、ご愛読頂いている皆様に心よりお詫びを申し上げます。どうかご理解、ご容赦のほど宜しくお願い申し上げます。

追記
2015年9月20日より更新再開が決定したことをご報告申し上げます。

KT

2015年9月7日月曜日

平和運動が安全保障に与える影響


つい先日のことなのですが、ある学会関係のメーリングリストを通じて平和安全保障法制に反対を呼び掛けるように指示が出されたことを知らせるメールが私に届きました。
これは学者、研究者の地位を政治的に利用した平和運動であり、その意見を詳細に検討しても安全保障学の観点から興味深い問題ではありません。
それよりも私達がより興味を引かれるのは、こうした防衛体制の強化に反対する平和運動が、国家の安全保障に与える影響です。

今回は、サミュエル・ハンチントンの研究に基づき、反軍的な平和運動が国家安全保障に与える影響を説明したいと思います。

まず、平和運動の影響で最も重要なのは、軍人が政治的活動に参画する誘因を著しく強化することであるとハンチントンは指摘しています。これはどのような意味なのでしょうか。

そもそも軍人という職業は、教育訓練に基づく専門的能力を必要とします。
特に19世紀以降に近代的な軍事学が成立し、とそれに基づく教育体系が整備されて以降、各級の士官たちは国家が政策を遂行するために必要な作戦計画の立案、実施、評価に従事してきました。
このような軍人の専門職的な特性は軍事的プロフェッショナリズム(military professionalism)と呼ばれています(ハンチントン2008: 1章、2章を参照)。

軍事的プロフェッショナリズムは国家に対して軍人に三種類の機能を負わせます。
(1)国防に必要な資源や予算を政府に知らせる代表的機能
(2)第二の機能は国家の政策を軍事的観点から分析して報告する助言的機能
(3)国家の政策決定を踏まえながら作戦行動を遂行する執行的機能(ハンチントン2008: 上72)
いわば、軍人は軍事的プロフェッショナリズムを発揮することによって国家安全保障に寄与しているのです。

そして、ここから重要な議論ですが、ハンチントンは反軍的な平和運動が社会で優勢となると、軍事的プロフェッショナリズムに基づいて軍人たちが行動することはできなくなる、と述べています。
武器や軍隊の存在意義を否定する平和運動は、軍事的プロフェッショナリズムを批判し、軍人がより「市民的価値観」を共有することをイデオロギーとして要求するためです。

そうした結果、国家の安全保障政策の現場において軍人たちは軍事的プロフェッショナリズムに固守することを放棄し、自らの社会的、政治的地位を改善するために行動し始めます。
「権力を手に入れるために軍人が支払われなければならない犠牲は、軍人倫理とその社会に広くあるイデオロギーのギャップの大きさに依存する。(中略)政治権力の持つ抑制効果が、彼らを良き自由主義者にし、良きファシストにし、良き共産主義者とするが、専門職業人としては無能になる。専門職業遂行上の満足とその専門的職業上の規則を固守することが、権力、地位、財産、名声上の満足と非軍人的グループの称賛によって置き換えられるのである」(同上、上95)
結果的に、その社会の中で支配的なイデオロギーがますます軍隊の内部に浸透していきます。
専門的能力ではなく、政治的思想によって軍人たちは評価されることになり、日々の隊務に邁進する誘因、動機は損なわれてしまいます

以上をまとめると、平和運動によって軍隊、武器、戦略などを廃止する反軍的要求が強まれば、軍人は自らの職業的責任を放棄し、政治的立場から活動する動機、誘因が強化されます。
そのことは軍事的安全保障に負の影響をもたらす、とハンチントンは考えているのです。

注意すべき点ですが、平和運動の一切が軍事的プロフェッショナリズムを損なうわけではないことです。
戦争の悲惨さを指摘し、平和の意義を主張するという平和運動は、安全保障にとって有害なものだとハンチントンは考えていません。

ここで本質的な問題は、その平和運動が主張するのが戦争の回避と平和の実現のために軍隊、武器、戦略それ自体を放棄すべきという反軍主義(anti-militarism)かどうかという点です。
反軍主義は軍隊の存在意義を否定するため安全保障を脅かすものですが、紛争の平和的解決を主張する平和主義(pacifism)は軍隊の存在意義を必ずしも否定する思想ではなく、それ自体が軍事的プロフェッショナリズムを脅かすものではありません。

戦争を誰よりも恐れているのは、第一線で戦わなければならない軍人たちです。

KT

参考文献
サミュエル・ハンチントン『軍人と国家』原書房、上下2巻、2008年