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2015年8月29日土曜日

更新休止のお知らせ


平素よりの本サイトをご愛読下さりますこと、心より御礼を申し上げます。

この度、誠に勝手ながら2015年8月30日より2015年9月7日まで更新を停止することに致しました。
皆様にご不便、ご迷惑をおかけすることになり申し訳なく存じております。
9月7日以降には更新を再開する予定でありますので、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

KT

2015年8月27日木曜日

砂場で戦術を考えてみる


誰でも公園にある砂場で遊んだ経験があると思います。砂を固めて山を作ったり、トンネルを掘る作業はシンプルですが創造性を刺激される遊びです。
しかし、こうした砂場は遊び場として使えるだけでなく、戦術の研究や教育にも活用できる優れた教材でもあるのです。
駐屯地見学などで砂盤演習を見学したことがある人を除けば、そもそも砂盤演習とは何かということも想像しにくいと思います。

今回は、砂盤(sandtable)とは何か、それはどのように行うことができるのかについて簡単に説明したいと思います。

砂盤演習とは何か

戦争を図上で研究する試みは古代にまでさかのぼることができますが、近代以後において砂盤演習が明確に戦術教育に導入されるようになったのは19世紀から20世紀のことでした。
一例として、1920年以降のドイツ軍ではすべての駐屯地に配備されており、1個大隊につき2つの砂盤が戦術の研究、教育で利用されていました。

なぜ、この時期から砂盤が積極的に利用されるようになったかと言えば、それは大量の人員に戦術教育を行う必要が出てきたことと関係しています。
ちょうど20世紀初頭は技術の発達が進み、戦場で発揮される火力が激増した時代です。
そのため、従来までの密集した戦列に基づく戦術は再検討され、第一線で戦う部隊を散開させてより柔軟に行動させる必要があると考えられるようになります。

しかし、そのことは第一線で戦う下級士官、下士官、そして兵卒に戦術的な判断力を持たせることが必要でした。
そこで効果的に戦術を教育するための教材として砂盤が重視されるようになったのです。

砂盤演習の要領
カナダ軍による砂盤演習の準備作業の様子。
ノルマンディー上陸作戦の準備に当たり、ジュノ・ビーチの地形と独軍の防御陣地を再現している。
砂盤演習は基本的に陸軍の分隊、小隊、中隊などの行動を研究するためのものであり、それ以上の規模の部隊であれば砂盤を使う意味はあまりありません。

砂盤の最も重要な特性は地形を立体的に再現することによって、敵と味方がどのような視界、射線をえているのか、どのような地形地物を遮蔽、掩蔽に利用することができるのかを考察するためのものです。より大規模な部隊の戦術でそのような事項は問題とはなりません。

砂盤の大きさや縮尺に特に決まりはありませんが、2メートル×3メートル×20センチ程度の小さ目の砂盤もあれば、上に示した写真のように部隊の集合教育でも使用できるほど大きなものもあります。研究したい戦術や用途に応じて使い分けることが必要です。

砂盤では地形の隆起、道路の位置、陣地の配置などが再現されます。また植生や森林の分布を表現するために緑色の色を砂につけることや、模型を利用することもありますが、細かい地形や地物について表現が難しい場合は省略されることもよくあります。
このような作業では水が入ったスプレーで砂を湿らせることや、地形を削り出すためのパテナイフ、色を付けるためのチョークなどの器材が使用されることがあります。

こうして砂盤に地形が再現されれば、あとは敵と味方の部隊の存在を表す駒と、砂盤に足を入れることなくそれを動かすために使う棒があれば演習をすることができます。

ここでは簡単な一例を示しておきたいと思います。

想定
・任務 第一分隊(分隊長1名、分隊員10名より編成)は小隊の命令によりA丘の陣地を占領するために攻撃を命令された。
・地形 第一分隊の現在地はB丘にあり、A丘までは距離がおよそ200メートルあり、その中間にはところどころに起伏があるも平坦な地域が広がっている。
・敵情 情報によればA丘には3名程度の少数の敵が陣地を占領している。

次に、分隊長と分隊員の所在を表す駒を砂盤のB丘に配置し、敵の勢力についても同様に配置しておきます。
普通の演習と同じように、統裁員の号令によって状況を開始し、各分隊長は分隊員に例えば次のような命令を出し、各自に自分の担当の駒を動かさせます。

統裁員が状況開始を宣言
分隊長「第一分隊、前方200の丘、A丘」
分隊員「確認」
分隊長「分隊攻撃目標、今より攻撃して奪取する」
分隊員全員「了解」
分隊長「第一分隊、前方20堆土まで早駆け」
分隊員全員「(復唱)」
分隊長「前へ」
分隊員全員「前へ」復唱と同時に駒を前進させる
統裁員が第一分隊がB丘よりA丘に向かって直進したことにより、敵に発見され機関銃射撃を受けたという状況を口頭で付与する
分隊員「分隊長、A丘に敵兵を発見」
分隊長「了解、前進を続けよ」

このように演習員は口頭で命令や報告の手順を確認しつつ、砂盤の上で駒を動かすことによって分隊の行動を視覚的に確認することができます。
また演習員の新しい行動に応じて統裁員は新たな状況を付与し、状況を段階的に進めていきます。
言葉だけではイメージしにくいところもあると思いますが、基本的な進め方はこのようなもので、戦車小隊の戦術を研究する場合でも要領は変わりませんが、細かい点は砂盤演習の目的によって柔軟に変えることができます。

砂盤演習について古めかしいや、難しそうだという印象を持つ人もいるかもしれません。
しかし、私に言わせれば砂盤演習は地面と駒に代わる何かがあれば、どこであっても簡単にできるものです。
形式にとらわれず、まずは自分なりに戦場を一つ決めて自分なりの砂盤演習を試み、戦術の再現してみるとよいと思います。
そうすると、戦場で部隊がどのように行動するのか、武器の射程や部隊の隊形について考えることの奥深さが体験できると思います。

KT

2015年8月26日水曜日

文献紹介 政治学者のための軍事分析入門


軍事学という学問は軍務の経験がなければ研究できないものではありません。
政治家でなくても政治学を、法律家でなくても法学を、経営者でなくても経営学を研究することができるように、明確に定義された概念とモデル、そして具体的な事例やデータがあれば、誰でも研究することができるものです。

今回は、専門外の人、特に政治学者に向けて軍事分析の基本である「戦争の階層(level of war)」を説明した論文を取り上げ、大戦略(grand strategy)、軍事戦略(military strategy)、作戦術(operational art)、戦術(tactics)を説明した論文の内容を紹介したいと思います。

文献情報
Biddle, S. 2007. "Strategy in War," PS: Political Science and Politics, 40(3): 461-466.

著者がこの論文を書いた動機は、政治学者が国際政治を研究する際に、その軍事的側面を無視することが少なくなく、政治学において軍事分析をより積極的に取り入れる必要があるという問題意識に由来するものでした(Biddle 2007: 461)。
この論文が目指している研究目標は、軍事学の方法論的基礎として重要な「戦争の階層」について説明し、それぞれの階層がどのような視座に基づいているのかを明らかにすることです。

まず著者が最初に取り上げているのは戦争の階層において最も上位に位置する大戦略です。
「大戦略とは、政治学者の大部分にとって最もなじみ深い戦争のレベルである。大戦略は国家の最終的な安全保障上の目標とそれを達成するために使用される手段を規定するものであり、その手段は軍事的措置だけに限定されず、国家政策における経済的、外交的、社会的、政治的措置も含まれる」(Biddle 2007: 461)
大戦略の具体的事例として著者が挙げているのは、冷戦期における米国での戦略論争です。
論争では米国がソ連に対して封じ込め(containment)を選択するべきか、巻き返し(rollback)を選択するべきかで意見が分かれていました。
しかし、次第に議論は米国が世界規模の覇権を追求して積極的な対外進出を強化するべきか、それとも対外的な勢力の拡大を控える選択的関与や孤立主義というそれぞれの選択肢の長短を検討する議論へと発展していきました(ibid.)。

次に取り上げられるのが軍事戦略であり、その定義については次のように述べられています。
「軍事戦略(または戦域戦略)とは、所定の戦域において大戦略により設定された目標を達成するために軍事的手段それ自体をいかに使用するかを定めるものである」(Ibid.: 462)
軍事戦略の議論として代表的なものに、核抑止の議論があります。
核戦力が登場して以降、それをどのように運用するかは国家の安全保障体制と国際政治の動向に重大な影響を及ぼしてきました。

初めて日本に対する核攻撃が行われた際に適用された戦略概念は航空戦略における戦略爆撃(strategic bombing)の概念であり、これは航空勢力をもって敵の戦争能力を構成する人口、産業基盤、政治機構を破壊することにより、大戦略上の目標を達成することができることを前提に置く物でした(Ibid.)。
しかし、米ソ冷戦が本格化すると、ヨーロッパ方面におけるソ連の進攻を防止するために大量報復(massive retaliation)という構想が検討されるようになり、これはソ連の本土を核攻撃する能力を整備することによって、ソ連側に進攻の企図を断念させるというものです(Ibid.)。

このような軍事戦略は冷戦が進展して米ソの間で危機が発生すると、それが核戦争へと拡大、エスカレートする危険が大きいと考えられるようになると、次に柔軟反応(flexible response)という軍事戦略が採用されます。柔軟反応は相手が限定的な進攻を仕掛けてきたならば、直ちに核戦力で報復するのではなく、その水準に対応した手段で反撃に出ることにより、核戦争にまで事態が拡大することを防ぐものでした。

このような核戦略はいずれも軍事戦略という階層で展開されている議論として理解できます。ただし、核戦略の運用だけが軍事戦略の議論であるわけではないことに注意しなければなりません。核戦力の運用は後述する作戦術でも取り扱われる問題でもあります。
この論点に関する補足として、著者は陸軍、海軍、空軍それぞれの軍種ごとによって固有の軍事戦略の議論があることを指摘しています(Ibid.)。

(評者による補足、例えばクラウゼヴィッツが行った攻勢に対する防勢の一般的な優位性の議論、マハンが行った海上交通路と作戦基地の関係の分析、ミッチェルが論じた爆撃機に対する戦闘機の重要性の考察などもこのレベルの議論として位置付けられます)
「作戦術とは、戦域の戦略目標を達成するために一連の陸上戦闘、海上戦闘、航空戦闘(これらは時として『戦役(campaign)』と呼ばれる)を相互に関連させることによって、いかに軍事力を使用するかを定めるものである」(Ibid.)
最近の事例で作戦術をめぐる議論として挙げられるのは、イラクやアフガニスタンの事例で観察される、対反乱作戦や対テロ作戦に関する議論です。
また歴史をさかのぼって考えると、冷戦期に米海軍で開発された「ネットワーク中心の戦い(network centric warfare, NCW)」や、米陸軍で開発された「エアランド・バトル(Air-Land Battle)」といった教義はこの作戦術に属するものと位置付けられます(Ibid.: 462-463)。
いずれも、戦域全体に適用することを想定しておらず、また小規模な部隊の運用を考えるものではないのが特徴です。
「戦術とは、戦域を構成する個別の戦闘をいかに遂行するかを定めるもので、通常は小規模な部隊(例えば小隊、中隊、大隊、艦艇、飛行隊)によって実施されるものとを言う」(Ibid.: 463)
戦術は戦争の階層において最も下位のレベルに属しています。
第一次世界大戦において歩兵と砲兵、そして戦車を有機的に連携させて運用する諸兵科連合という方式で革新が見られましたが、このような変化を分析するために戦術という分析レベルは重要です(Ibid.)。

戦術は技術的変化の影響が直接的に反映されるという特徴もあり、例えば冷戦期における戦術の議論では、いかに核攻撃の被害を最小限度に抑制しながら戦うのかが重大なテーマとなりました。
その対策として地上部隊は展開密度や防御陣地の構成の仕方を再検討しており、また1970年代にミサイルの技術が導入されるようになると、対戦車戦闘や対空戦闘の戦術に大きな変化が生じています(Ibid: 464-465)。

著者は最後に戦争の階層について次のように述べています。
「これらの議論のいずれも重要なものであり、戦争の階層のいずれもまた重要なものである。どの階層も他の階層に勝るということはない。卓越した戦術と作戦術は戦略または大戦略のレベルにおける失敗によって台無しになりうるものであり、例えば第二次世界大戦におけるドイツの事例や、サダム・フセインを打倒する米国の2003年の作戦からもそれは裏付けられる。それとは反対に、戦術と作戦術での未解決問題が戦略、大戦略のレベルにおける成功を不可能にすることもある。例えば、1915年から1917年の西部戦線における塹壕戦での手詰まりや、1991年もしくは2003年の湾岸地域におけるサダム・フセインの作戦指導がその一例である」(Ibid.: 464)
軍事学において戦争の階層は研究対象を明確化し、問題領域を特定化するために重要な方法論的基礎と言えます。
そして、著者が述べているように、この戦争の階層を理解することは、軍事学を研究する人々だけでなく、政治学、国際関係論を研究する人々にとっても有益です。なぜなら、政治学や国際関係論の研究領域には大戦略の分析が含まれており、それは他の戦争の階層から影響を受けるものだからです。

KT

2015年8月25日火曜日

文献紹介 ニコルソンの外交理論


国際政治で生き残るためには外交を適切に指導することが欠かせません。
外交とは一般に交渉と取引によって国際政治における利害の対立を処理する技術のことを言います。
例えば、外国に自国の代表である使節を派遣すること、講和条約を締結すること、相互の不可侵を保証すること、これらは古代エジプトにまでさかのぼることができる伝統的な外交術です。

しかし、外交が政治学で本格的に研究されるようになったのは比較的最近のことです。今回はイギリスの外交官でもあったニコルソンの著作を中心に、外交の理論と実践について説明したいと思います。

文献情報
Nicolson, Harold G. 1963(1939). Diplomacy, 3rd edn. Oxford: Oxford University Press.(邦訳、ニコルソン『外交』斎藤真・深谷満雄訳、東京大学出版会、1968年)

この著作は現在でも外交研究に多大な影響を与えた著作ですが、その知名度の理由は外交という従来まで外交官だけが研究または担当していた仕事の内容をできる限り分かりやすく紹介したものであるためです。

まずニコルソンは外交の定義について次のように端的に説明しています。
「外交とは交渉による国際関係の処理であり、大・公使によってこれらの関係が調整され処理される方法であり、外交官の職務あるいは技術である」(ニコルソン、1968年、1.2.5.)
ここでニコルソンは外交という言葉を外交官の職務に関連するものとして解釈しています。
さらに、ニコルソンは「対外政策」と「外交」を厳密に区別する必要があることについて次のように述べています。
「思うに民主主義国における「対外政策」は内閣が国民の代表者の承認を得て決定するべき事項であるのに対し、同政策の遂行は「外交」と呼ばれようと「交渉」と呼ばれようと、普通は経験と思慮分別を有する専門家に委ねられるべきものである」(1.1.6.)
ニコルソンは「外交」が「政策」ではないということ、そして「外交」は固有の専門的領域である、と論じることによって、外交の問題を解決するためには固有の理論と実践が必要とされることを説明しています。

さらに外交理論の内容に踏み込むと、ニコルソンは二種類の考え方に区別して整理することができることを述べています。
すなわち、武力を背景とした対決姿勢を重視する「武人的」な考え方と、利益を提示して協調姿勢を重視する「商人的」な考え方です。
このように硬軟織り交ぜた外交の重要性は広く知られていますが、ニコルソンは両者をどのように組み合わせるのか、という問題が外交において最も難しい判断を必要とすると指摘しています。
「こうした外交についての二つの見解はそれぞれ独自の幻想と同時に独自の危険を持つ。しかし、すべてのうちで最大の危険は武人派が文民派の誠実を理解できず、商人派は武人派が交渉の手段と目的とに関して自分たちと全く異なった考え方を持っているということが理解できないでいることである。武人派は威嚇が生み出す武力の能力をあまりにも過信し、商人派は信頼をもたらす信用観念の能力をあまりにも過信している。後者は信頼を植え付けようと望み、前者は恐怖を作り出そうと願う。そうした考え方の相違は一方において憤りを、他方においては軽蔑的な疑惑を生じさせる」(2.5.6.)
以上の考察から分かるニコルソンの外交観は非常に明快なものです。
つまり、外交官は国家の代表として対外的な交渉を進める専門家であり、その外交理論が示唆するように、その仕事は常に自国の要求を押し出しながらも、常に他国の要求の妥協点を模索することです。

もちろん、ニコルソンが外交という活動のすべてを説明し尽したわけではありません。他国との交渉だけではなく、情報の収集と報告、現地の邦人の保護なども外交の重要な仕事として含まれます。

しかし、自らの経験と研究を踏まえ、外交一般について人々が理解できる形で著作にまとめ上げたニコルソンの功績は依然として大きく、将来は外交官の道を進みたいと思う志願者から、外交の基本を勉強したい一般国民にまで幅広く読まれる価値がある古典だと思います。

KT

2015年8月23日日曜日

文献紹介 ジョン・ボイドの空軍戦術


空軍の戦術を語る上でジョン・ボイド(John R. Boyd)の研究を避けて通ることはできません。
現在でも各国の空軍においてボイドが確立した戦術理論が教育されていることを考えれば、その影響はどれほど大きなものであったのかが分かります。

今回は、ボイドの著作の要点を紹介し、空軍戦術の基本的な論点について概観してみたいと思います。

文献情報
Boyd, John R. 1964(1958). Aerial Attack Study, Rev. Maxwell: Air University Library.

ボイドの軍歴は1945年に米陸軍に入隊したことに始まりますが、戦闘機の操縦士としてその能力を発揮するのは1951年に再入隊した後のことでした。
朝鮮戦争の航空戦でボイドはF-86の戦闘機の操縦士として実戦を経験し、後に配属された米空軍武器学校で教官として戦術の研究に着手します。

ボイドは操縦士として優れた能力を持っていただけでなく、それを理論として体系化する能力も兼ね備えており、今回紹介した『航空攻撃研究』はその研究成果をまとめたものでした。
ジョン・ボイド(1927-1997)は米国出身の研究者。
米空軍で戦闘機操縦士として朝鮮戦争での作戦に参加した経験を持つ。
その優れた研究成果は、その後の空軍戦術に大きな影響を与えた。
まずボイドは対航空戦の戦術には、戦闘機と爆撃機の交戦のための戦術と、戦闘機と戦闘機の交戦のための戦術、という二つの異なる局面があると考えました。
戦闘機と爆撃機が戦う場合、機動力に優れた戦闘機がいかに爆撃機という目標を効果的に攻撃するのかが戦術の問題となります。
しかし、戦闘機と戦闘機が戦うとなると、互いに相手を攻撃するため積極的に機動するため、より詳細な戦術の分析が必要となります。

つまり、ボイドは空軍の戦術を研究を始める上で、非機動性の目標に対する攻撃と、機動性の目標に対する攻撃という二分法で考えることから始めたのです。

一般に空軍士官たちは敵機の背後に自機を占位させることこそが、戦術の最も重要な要素であることを既に知っていました。
ボイドもその有名な原則を自らの考察に取り入れていますが、そこから発展させてボイドは戦闘機の操縦士にとって爆撃機を攻撃する場合と戦闘機を攻撃する場合では異なった考え方が必要だとも考えていました。
対航空戦において攻撃に適した位地を示した図。
敵機の背後に想像上の円錐の底辺は攻撃可能な位置を大まかに表している。
(Boyd 1964: 37)より引用。
「空対空戦闘における成功は、自らの火力を使用できる位置に自機を占位させる操縦士の能力にかかっているが、戦闘機対爆撃機の戦闘だと、時間が重要であり、また成功の尺度としても考えることができる。つまり、爆撃機が所定の目標を破壊しようとしているとすると、我々はその火力を指向できる位置を占位するだけではならず、その爆撃機が爆弾を投下する地点に到達する前に占位しなければならないのである」(Boyd 1964: 31)
ボイドは爆撃機を攻撃するための方法として敵機の上方から照準しやすい側面へと機動して攻撃する方法(ロール・スライド)と、敵機の正面から背後に回り込むノーズ・クォーターが検討されています。

ロール・スライド攻撃の機動の図解。
(Boyd 1964: 32)より引用。
ノーズ・クォーター攻撃の機動の図解。
(Boyd 1964: 34)より引用。
このように、何よりも迅速さが要求される爆撃機の攻撃と比較すると、戦闘機との交戦では攻撃だけでなく防御の問題が生じてより複雑となります。
自らの火力を使用可能な位置に自機を占位させるだけでなく、敵がそのような位置を占めることを回避しなければなりません。
「戦闘機対戦闘機を議論する中で、我々はあらゆる機動における旋回と速度の重要性を強調してきた。攻撃されている操縦士は単純に敵から逃れることはできないだろう。操縦士はミサイルの発射もしくは20ミリ機関砲による攻撃が命中することを防止するために十分な速度と角度をとらなければならない。このことは、「高速戦術(High-Speed Tactics)」」と「低速戦術(Low-Speed Tactics)」に区別することはできないことを意味している。なぜなら、その機動と能力の全体が考察されなければならないためである」(Boyd 1964: 146)
ボイドが検討している攻撃方法、防御方法は多岐に渡るためすべてを紹介することはできませんが、現在でも有名な防御方法であるシザーズに関するボイドの分析を紹介します。

シザーズの機動の図解。
(Boyd 1964: 57)より引用。
シザーズは攻撃してきた敵機の針路に対して自機の進路が交差するように旋回を繰り返す機動であり、敵機の射線から自機を外させ、敵機を自機の前方に追い越させるように強いる防御方法の一種です。
ボイドはシザーズの要領を簡単にまとめた上で、この機動を次のように分析しています。
「シザーズ機動の議論において、我々はそれが攻撃機のオーバーシュート(over-shoot、追い越しの意味)の有利をとるように編み出された防御的な機動であると述べた。(中略)シザーズ機動に対抗する方法を知るためには、我々は防御機に対して相対的な攻撃機の機動能力をまず確定しなければならない。つまり、攻撃機は速度において重大な不利があるとしても、攻撃機がその速度を適切に活用する方法を知っていれば、この不利は有利へと変化する」(Boyd 1964: 58)
この分析は航空戦闘における戦術の重要性を私達に示唆しています。
一般に対航空戦では機動力に勝る機体が優位であると思われるかもしれません。
しかし、攻撃を仕掛ける戦闘機が相手よりも高速で接近し、これに対して敵がシザーズ機動を仕掛けてくるとどうなるでしょうか。
敵機がシザーズをすると自機もそれを追いかけて旋回しなければなりませんが、自機の速度が相手より高速だと敵機をすぐに追い越し、つまりオーバーシュートしてしまい、敵機が自機に対して攻撃できる態勢になってしまうのです。

最後に、ボイドはその後さらに空軍戦術の研究を進め、その研究成果はエネルギー機動性理論としてまとめられることになります。
確かに、現在の技術環境を考えれば、ボイドの考えた戦術のいくつかは時代遅れとなっている部分も見られます。
しかし、航空作戦の方面においてボイドは先駆的かつ独創的な戦術家であり、ここで紹介した著作はその後のボイドの研究の出発点となったことは広く知られる価値があると思っています。

KT

2015年8月22日土曜日

文献紹介 勢力圏の空間分析


平和学では紛争分析のためにさまざまな理論モデルが研究されています。
今回は、その中でも代表的な理論モデルとしてケネス・ボールディングが構築したものを紹介したいと思います。
より大きな軍事力を持つほど、より広い空間を支配することが可能になることが示されています。

文献情報
Boulding, Kenneth E. 1962. Conflict and Defense: A General Theory, New York: Harper and Row.(邦訳『紛争の一般理論』内田忠夫、衛藤瀋吉訳、ダイヤモンド社、1971年)

ここでは国際紛争の分析に注目しますが、もともと著者はあらゆる種類の紛争を分析するための理論モデルを研究していました。
「我々は一国が他国を征服したり、打ち負かすことができる条件を知ることを目指している。これは一企業が別の企業を打ち負かすことができる諸条件の問題と形式的には類似している」
このように、著者は平和学の理論モデルの適用範囲が国家間の紛争だけでなく、企業間の紛争も含まれると考えていたのです。
具体的な理論モデルの内容については次の通りです。
「A、Bにそれぞれ根拠地を持つA、Bの二カ国があると想定する。さしあたり両国の根拠地は平面的なものではなく、むしろ点であると想定するが、この想定はのちに簡単に変更することができる。AB(=s)は両国間の距離である。話を簡単にするために世界はAB線上とその投影部分からのみ成立していると想定する」
これは理論的には狭い一本道を挟んで対峙する国家が互いに部隊を繰り出してその道路を可能な限り長い距離支配しようと争っている状況と同じ想定です。
次にそれぞれの国家が繰り出す部隊の強さについて著者がどのようにモデル化しているのかを見てみます。
「今、一国の国力あるいはもっと単純に勢力と呼ばれる一変数を想定しよう。(中略)それから各国の勢力はその国家の根拠地で極大であると想定する。(中略)さらに我々はAはHEおよびHL線、BはKEおよびKM線に沿って根拠地から離れるにしたがって勢力は低下すると考える。図ではこれらを直線であると想定している。これらの線の勾配を非常に重要な量である勢力喪失勾配(Loss Strength Gradient)と呼ぶことができるだろう。そして、これを我々は略してLSGと呼ぶ」
この理論モデルをグラフ的に表現すると次のようなものになります。
A国とB国の領土紛争を想定した理論モデル。
筆者作成
このグラフから分かるように両国とも根拠地では最大の勢力を発揮できますが、根拠地から遠くなると使用可能な勢力は低下していきます。

A国とB国は同等の勢力を持つため、ちょうど中間地点で領土を分け合うことが示されていますが、もしもA国がB国よりも大きな勢力を持つならば、B国の矢印は相手よりも小さくなるため、AB両国の均衡地点が右方向に移動し、B国の支配領域はそれだけ狭くなってしまうと考えられます。

今回は理論モデルの内容のごく一部しか紹介できていませんが、平和学の理論モデルとして特に重要だと思う部分を紹介しました。
これは戦闘で敗北して相手よりも勢力が小さくなると、それだけ領土を支配することができなくなり、相手に領土を奪われるという因果関係を説明しています。

KT

2015年8月21日金曜日

戦史研究 アレクサンドロスのペルシア遠征作戦

マケドニア王国のアレクサンドロス三世は、アケメネス朝ペルシアを滅ぼし、その領土を中央アジア、インドにまで拡大させたことで知られる軍事的英雄です。
しかし、遠征が成功した軍事的理由に関しては個々の戦闘における勝利に注目が集まるため、戦略的観点に基づく説明はあまり知られていません。

今回は、リデル・ハートの分析を踏まえて、戦略の観点からアレクサンドロスのペルシア遠征作戦が成功した理由を説明したいと思います。

アナトリア半島で兵站基地を確保したことの意義
小アジアにおけるアレクサンドロスの軍勢の進路。
まず戦略的にパンフィリアの奪取により小アジアの海上交通路を支配。
その後、内陸に進出しているが後にシリアに向かうために南進していることが分かる。
アレクサンドロスのペルシア遠征は紀元前334年春にダーダネルス東岸から開始され、前331年まで続いています。これだけ長期にわたってアレクサンドロスは小アジア、エジプト、メソポタミアに及ぶ広大な戦域を戦い抜かなければなりませんでした。したがって、兵站線の管理は戦略上重要な問題となります。

戦域が広がり、敵と味方の部隊が相互に脅威を及ぼし得る正面が複数の方向へと広がりを見せるようになると、それだけ味方の作戦線を掩護することが難しくなります。もし作戦線を失えば、それは前線で活動する部隊の兵站支援が成り立たなくなることを意味するため、アレクサンドロスは前進目標の選択を慎重に行い、味方の軍の作戦線がペルシア軍によって遮断されないように注意することが重要でした。

この遠征でアレクサンドロスが巧みだったのは、この作戦線の保全を確実にするように作戦を指導していたことです。
まず、アレクサンドロスはダーダネルスを出発し、アナトリア半島に上陸すると、各地のギリシア人の都市を占領し、またペルシア軍の前方展開基地を潰しながら、自らの作戦基地に組み入れていきました。
この段階で重要だった都市はカリア(Karia)、リシア(Lykia)、パンフィリア(Pamfylia)という沿岸都市です(上記地図参照)。
特にパンフィリアから先の地域には大規模な艦隊が拠点とできる沿岸都市が存在していなかったので戦略的に大きな意味がありました。アレクサンドロスはペルシア軍が独占していたアナトリア半島の沿岸地域の作戦基地を奪ったのです。(リデル・ハート、21頁)。

ペルシア軍の巧妙な迂回機動
こうしてペルシア侵攻の足掛かりを得たアレクサンドロスでしたが、次の一手で間違いが見られました。
ペルシア帝国の皇帝ダレイオスは、アレクサンドロスの次の作戦目標がアナトリア半島からシリアに通じるシリシア(Cilicia)であり、ここを南進してくると的確に判断します。
そこでペルシア軍の一部の戦力をシリシアの北部に移動させ、アレクサンドロスがシリアに進出したところで背後に迂回しようとしたのです(同上、21頁)。

このペルシアの戦略機動は直ちに効果を発揮しました。
ペルシア軍の動きに気が付いたアレクサンドロスは直ちに転進し、イッソスの戦いで勝利したことにより難を逃れることができましたが、シリアの地理的特性を踏まえたペルシア軍の戦略は兵站線が脆弱なアレクサンドロスの態勢を的確に指摘するものでした。そのため、アレクサンドロスは自らの後方地域の安全をより確実なものとする必要があることを思い知らされたのです。

そこで、アレクサンドロスはアナトリア半島からペルシアの首都に向かう進路をとらず、エジプトに向かいます。これは一見するとペルシア遠征と関係のない移動に見えますが、東地中海沿岸を支配することで、後方地域の安定を図る狙いがありました。
つまりアナトリア半島とエジプトの両方を支配し、東地中海地域全体を自らの作戦基地として利用できる態勢ができるまで、東進することはできないと判断したのです(同上、22頁)。

作戦線を万全の態勢にした後での首都の攻略
アレクサンドロス三世はシリア方面を南進してエジプトを占領。
次にシリアに北進して戻り、ダマスカスから進路を東にとってメソポタミアに進攻。
メソポタミアに進攻した後にティグリス河の上流で東岸へ渡河して南進。
この一手でペルシア軍を東岸に陣地転換を強要し、ガウガメラで決戦となる。
東地中海沿岸の安全を確保したことで、ギリシア半島からのアレクサンドロスの軍隊に対する兵站支援を妨げる勢力は一掃されました。こうしてアレクサンドロスはエジプトを出発し、ペルシア帝国の中核地域であるメソポタミアへと侵攻します。

メソポタミア方面に進攻したアレクサンドロスはダレイオスの戦略を自ら再現して見せています。まずティグリス河の上流西岸に自らの軍勢を進出させ、そこからの偵察によってニエベ(現在のモスル)付近においてダレイオスの軍勢が集結しているとの情報に接しました。
しかし、アレクサンドロスは直ちに南進してダレイオスに戦いを挑むことはしませんでした。このまま会戦となれば、ダレイオスの軍勢が待ち受ける戦場で対峙することになり、戦術的に不利となるためです。

そこで、アレクサンドロスはティグリス河を渡河して軍勢を東岸に移動させ、そこから敵の首都バビロンに向けて南進させました。ダレイオスはアレクサンドロスが想定外の経路で首都に前進していることを受けて、裏をかかれたことを察知し、直ちに大規模な陣地の転換を命令しなければなりませんでした。
アレクサンドロスはガウガメラの戦いで決定的な勝利を収めることに成功し(同上、22頁)、敗北したダレイオスは逃亡の途上で側近に暗殺され、ついにアレクサンドロスはメソポタミアの主要都市をすべて占領することに成功したのです。

むすびにかえて
近代以降の戦史においても、味方の後方地域に伸びた作戦線をいかに敵から掩護することは戦略上の一大問題であり、古代の戦史においてもその重要性は変わっていません。
アレクサンドロスが短期間でペルシア遠征を成功させた要因は一つだけではありませんが、戦略的要因に注目するとすれば、それは極めて堅実に自らの後方地域の安全を確保することに着意し、確実にペルシア軍を追い詰めたことが挙げられます。

ダレイオスがシリシアで見せた戦略がもし完全な成功を収めれば、アレクサンドロスの置かれた状況は戦略的にも、戦術的にも不利であったでしょう。ペルシア軍の迂回機動から兵站基地と作戦線の安全を確実にすることが重要であることを学んだアレクサンドロスは、最後にはダレイオスに対して相手の戦略を再現して見せるまでその戦略の本質を身に着けていたのです。

KT

参考文献
リデル・ハート『戦略論 間接的アプローチ』森崎亀鶴訳、原書房、1986年
大牟田章訳『アレクサンドロス大王東征記 付インド誌』全2巻、岩波書店、2001年

2015年8月20日木曜日

戦闘時における海軍の編成


海上戦力では艦隊(fleets)、部隊(forces)、群(groups)、隊(units)などの編成があることが知られていますが、それらは海軍の行政、管理を目的としたものであり、平常の編成がそのまま戦闘で使用されるというわけではありません。
実際の戦闘では事前に任務の遂行に必要な機能を持つ艦艇を部隊、群などに編成するという作業が必要となります。

今回は、米軍の教範を参考にしながら、戦闘任務で編成される海上部隊の類型を説明したいと思います。類型は五種類あり、それぞれ異なった機能を持つように考慮されています。

水陸両用任務部隊・水陸両用即応群(Amphibious Task Force/Amphibious Ready Group, ARG)

これは地上部隊を作戦地域付近の海域まで輸送し、着上陸作戦を支援する能力を備えた水陸両用艦艇で構成されています。
通常、水陸両用任務部隊は護衛に当たる水上艦艇または航空母艦戦闘群によって支援を受けており、規模も大きくなります。
しかし、水陸両用即応群はもう少し規模が小さいもので、これは海兵遠征隊(Marine Expeditionary Unit, MEU)等を輸送し、支援するための3隻から4隻の艦艇で構成されます(CGSC 2000: 12-3-12-4)。

航空母艦戦闘部隊(Carrier Battle Force, CVBF)

これは複数の航空母艦とそれを護衛する水上艦艇によって編成された部隊です。
15隻を超える大規模な勢力となることが普通であり、後に述べる2個以上の航空母艦戦闘群で編成するような場合もあります。
複数の航空母艦を協同させて使用するものであるため、海上戦闘において最も強力な打撃力を備えた部隊であると言えるでしょう(Ibid.: 12-4)。

航空母艦戦闘群(Carrier Battle Group, CVBG)

航空母艦戦闘群は航空母艦を中心に、そこから発艦する艦載機、護衛を行う水上艦艇と潜水艦によって編成されるものです。
攻勢、防勢のどちらにおいても海上作戦のほとんど局面に対応可能ですが、機雷戦能力にはかけています。
通常であれば、1隻の航空母艦または原子力航空母艦に対して、6隻の巡洋艦、駆逐艦、フリゲート(内最低でも3隻はイージス・システム搭載)、2隻の潜水艦が共に行動します。
これらの戦闘艦艇に対する後方支援のため、1隻の高速戦闘支援艦(Fast Combat Support Ship)も含まれています(Ibid.)。

海上遠征部隊(Naval Expeditionary Force, NEF)

海上遠征部隊の特徴は、短期間ではありますが敵が支配する沿岸地域の付近で単独行動ができることですが、それは先ほど述べた水陸両用任務部隊と航空母艦戦闘群の機能を結びつける重要な役割を果たすためです。
つまり、海上遠征部隊の機能は、航空母艦戦闘群が勢力投射能力を発揮することで沿岸付近の海域における航空優勢、海上優勢を確保している間に、敷設された機雷を掃討するなどの処置を行って、水陸両用任務部隊が着上陸作戦を遂行できる状況を整えることです。
そのため、海上遠征部隊を編成する際には機雷戦に対応した艦艇が組み込まれます(Ibid.)。

水上任務部隊・水上任務群(Surface Task Force, STF; Surface Task Group, STG)

水上任務部隊は航空母艦を含まない水上艦艇、巡洋艦、駆逐艦、フリゲートから成る部隊のことを指します。
この部隊は固定翼機を使用する能力を持ちませんが、回転翼機を運用することならできるため、目標の捜索や掃海など幅広い任務で使用することができます(Ibid.)。

艦艇の種類(航空母艦や駆逐艦、潜水艦など)と比較すると、このような海上部隊の類型の重要性は理解しにくいかもしれません。
しかし、外洋で行動するCVBFとCVBG、沿岸で水陸両用作戦を支援するARG、そして両者の作戦領域を横断して行動するNEFの役割分担が示唆しているように、海上戦力も任務と作戦地域の特性を踏まえた編成を選択しなければ、うまくその戦闘力を発揮することができません。

その艦艇が戦術レベルでどのように運用されているのか、という問題だけではなく、作戦レベルでどのように運用されているのかを考えるためには、こうした類型を知っておくことが役立つのではないでしょうか。

参考文献
U.S. Army Command and General Staff College. 2000. Battle Book, Fort Leavenworth: U.S. Army Command and General Staff College.

2015年8月18日火曜日

論文紹介 女性を戦闘から排除すべきなのか


近年、米軍では戦闘任務に女性の兵士を充てることが適切かどうかが盛んに議論されています。
戦争の長い歴史を振り返ると、戦場で命を落としてきたのは圧倒的に男性であり、女性はそもそも兵士として見なされていませんでした。
したがって、女性が兵士として戦闘を担当するべきかどうかという問題は、新しい論点であると言えるかもしれません。
今回は、女性が歩兵として戦闘任務に直接的に従事することの妥当性を検討した論文を紹介したいと思います。

文献情報
Rice, Charles E. 2015. "Women in the Infantry: Understanding Issues of Physical Strength, Economics, and Small-Unit Cohesion," Military Review, (March-April): 48-55.

著者によれば、女性が兵士として戦闘に従事する契機となったのは、国防長官のパネッタ(Leon Panetta)による規制の撤廃でした。
元々、米軍では旅団以下のレベルで女性が地上戦闘に直接的に従事することを認めていませんでした(Rice 2015: 48)。
しかし、男女の機会平等という考え方が政府内部で普及すると、これまで男性だけに認められていた任務を女性にも開放することが平等ではないかというパネッタのような見解が一般に述べられるようになります。

著者は、このパネッタの見解に対して反対の立場をとっており、その理由の一つとして戦闘の特性について多角的に考察しています。

例えば、パネッタは戦場における女性兵士の勇敢さが男性兵士に劣るものではないとしています。
この論点について著者は、女性兵士が男性兵士に勇敢さで劣るものではないことは誰も異議をさしはさむものではないと断った上で、本質的な問題はそこにあるのではなく、地上戦闘で敵と近接する歩兵などの任務に必要な身体的特性を持っていないことであると指摘しています(Rice 2015: 49)。
「全般的に言えば、歩兵の任務に従事するために必要な体力の基準は二つの側面から成り立っている。一つの側面は、筋力、速力、持久力、敏捷性である。第二の側面は大規模な戦闘行動の異化ストレス(catabolic stress)に晒されながらそれら身体能力を維持する能力である」(Rice 2015: 50)
このように兵士に必要な身体能力を説明した上で、著者は海軍衛生研究所が2,000名の海兵隊員を対象に実施した戦闘体力検定(Combat Fitness Test)の結果を紹介しています。
これは武装障害走、戦闘状況における各種運動、手榴弾投擲、装備や負傷者の運搬などから兵士としての身体的能力を定量的に把握するものです。

この調査結果によると、男性の海兵隊員と女性の海兵隊員では能力に顕著な差があり、例えば17歳から26歳の男性兵士が完全武装で検定を実施した場合に得られる平均的な成績は、同年代の女性兵士が武装なしという有利な条件で検定を実施した場合に得られる成績を上回っています(Rice 2015: 50)。
著者は、女性の身体的能力を改善させる可能性があることを認めながらも、一般的に兵士としての身体的能力は男性に劣らざるを得ないと論じています。

さらに加えて、戦闘において身体的能力を維持する能力についても女性は脆弱性を持つと指摘されています。
戦場で歩兵は睡眠を剥奪され、栄養の不足、極めて厳しい自然環境の中で行動しなければなりません。これが筋力の急激な低下を引き起こします。
女性兵士の身体的能力を表面的に改善することができたとしても、戦闘中の兵士の身体で起きる筋力の低下のことを考えれば、女性兵士は男性兵士よりも大きな危険を抱えざるを得ません(Rice 2015: 51)。

それ以外にも、女性兵士が戦闘任務に直接従事させる問題点が検討されていますが、著者の結論として述べられているのはパネッタ長官の方針が軍事的根拠に基づいたものではないということです。
これは現在の米軍の方針を再検討することを要求する結論であり、また男女同権の考え方とも対立する議論でしょう。

元海兵隊員の著者は誤解を受けることを承知の上で、あえてこの論争的な議論を提起しています。
米国において女性兵士の活躍はマスコミの注目されやすい話題であり、女性はますます第一線で行動する場面が増加しています。しかし、そのことが逆説的に女性兵士を危険な状況に追い込んでいる可能性はないのでしょうか。

戦場での身体能力の低下はその兵士の生死にかかわるだけではなく、その部隊の作戦行動の成否さえも左右します。
賛否は別として、戦闘任務における女性兵士の特性は検証される必要があることは間違いありません。

KT

2015年8月16日日曜日

マキアヴェッリ式陰謀心得

陰謀とは権力者の生命、財産、名誉に危害を加えることで、自らの政治的目的を達成する試みを言います。
陰謀は時として権力者の政治生命を一撃のもとに葬りさることもあるのですが、失敗に終わることも少なくないため、その成否がどのような要因で左右されるのかは政治学者にとって興味深いところです。

今回は、マキアヴェッリの著作から、陰謀を成功させるために注意すべき事項に関する考察を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。


マキアヴェッリは一般に陰謀の大部分は失敗する危険するものであると考えています。
それは陰謀に伴うさまざまな危険によるものであり、具体的には計画する段階、遂行する段階、実施した後の段階という三つの段階それぞれに発生する危険に区分されます。

第一に、陰謀を計画する段階での危険とは、内部から告発される危険です。

マキアヴェッリは単独で実施することができる場合は別として、陰謀を計画すると裏切り者によって告発される危険が発生するため、十分な見返りを与えることが必要であることを指摘しています。

つまり、陰謀を実行に移すためには権力者には刃向うという危険に見合うだけの利益の裏付けを示さなければなりません。どれだけの資金を投入することができるかが、陰謀の成否を分ける上で重要な意味を持つのだとマキアヴェッリは考えています。
上流階級の富裕層でなければ、これほどの危険を伴う活動の協力者を集め、かつ告発を受けずに済ませることは極めて困難でしょう(504頁)。

第二に、陰謀を実施する段階での危険があり、これは決行当日の不確定な状況の変化に由来します。

マキアヴェッリはこの具体的な事例としてフィレンツェを支配するメディチ家のロレンツォとジュリアーノの暗殺未遂事件を紹介しています。

この時、陰謀の加担者たちは部隊を三つに区分しました。
当日ピサからの訪れる教会の枢機卿との正餐に出席すると見られるロレンツォ、ジュリアーノを殺害する部隊、その拠点である館を占領する部隊、市街地を駆け回って人民を扇動する部隊と役割分担しました。
しかし、当日になってジュリアーノが正餐に参加しないと分かり、陰謀の計画は実施直前で大きく乱れてしまいました。
結局、各部隊の役割分担を一から見直さなければならなくなりましたが、その間にメディチ家が事態を察知し、陰謀は完全な失敗に終わってしまったと説明されています(515頁)。

第三に、陰謀を実施した後にも生き残った政敵によって反撃を受ける危険があります。

陰謀を計画した人々は、陰謀によって危害を加えられた人々の生き残りから必ず報復を受けるものと考えなければなりません。

ここでマキアヴェッリが取り上げた事例は1488年に人民の反乱によって殺害されたジローラモ伯です。
反乱軍は殺害したジローラモ伯の子供と妻の身柄を確保していましたが、ジローラモ伯の守備隊は反乱軍に城砦を明け渡すことを拒否していました。しかも、反乱軍の戦力ではこの城砦を攻略することができませんでした。

そこで伯爵夫人は反乱軍に子供を人質として自分だけが城砦に入り、反乱軍に降伏するよう説得すると提案し、反乱軍はこれを受け入れます。
しかし、この伯爵夫人は城内に入ると直ちに守備隊の指揮を掌握し、夫を殺害したことを城壁から大声で非難し、人質にした自分の子供に未練などないとして、子供などいくらでも産んでみせると敵に自分の恥部を晒して言い放ったとされています。

これは反乱軍にとって致命的な政治的誤算となりました。指揮系統を回復した守備隊によって撃破される危険に晒された反乱軍は、ついに権力を目前としながらそれを奪取することができず、陰謀を企んだ全員が追放の身となってしまいます(521頁)。

こうした一連の陰謀のプロセスに含まれる危険をすべて乗り越えてはじめて陰謀はその政治的目的を達成することができる、というのがマキアヴェッリの見解です。
一見すると、このような陰謀の話は過去の逸話にすぎないと思われるかもしれません。
しかし、ケネディ大統領の暗殺事件やレーガン大統領の暗殺未遂事件などが見られるように、陰謀は現代の先進国においても依然として政治の一要素であり続けていることも、頭に留めておくべきではないでしょうか。

KT

参考文献
マキアヴェリ「政略論 ティトゥス・リウィウス『ローマ史』に基づく論考」『世界の名著マキアヴェリ』会田雄次訳、中央公論社、1966年、3巻6章「陰謀について」を参照。

2015年8月13日木曜日

文献紹介 平和のための核兵器

核弾頭の空輸手順を模擬弾で訓練する米空軍の兵士たち
日本が史上初の核攻撃を受けてから今年で70年の節目を迎えますが、日本ではまだまだ核の戦略的側面にまで議論が及んでいない状況が続いています。

現代の戦略研究の重要な柱でもある核戦略が十分に研究されていない背景の一つに、核戦略に対する誤解があるのかもしれません。
つまり、核戦略は核戦争を戦うための戦略理論であり、それを受け入れることは核の使用を許容することである、という見方があるのかもしれません。これは大きな間違いだと言えます。

今回は、1980年代に核戦略に対する誤解を払しょくすることに寄与したコリン・グレイの研究を紹介したいと思います。
そこでは核戦争を防ぐためにこそ核戦略が不可欠であることが説明されています。

文献情報
Gray, Collin. 1982. "'Dangerous to your Health': The Debate over Nuclear Strategy and War," Orbis, 6(Summer), pp. 327-49.

著者がこの論文を執筆していた当時、米国国内では核戦略の基本的な存在意義に関する疑問が盛んに提起されていました。
何のために核戦力を強化するのか、核戦争を回避するためには武力以外の手段によるべきではないか、などと核戦略それ自体を批判する見解もありました。

だからこそ、グレイは核戦略の重要性について改めて議論する必要があると判断し、このような論文を発表しました。

まず、この論文で指摘されていることですが、西側陣営、特に米国の核戦略は基本的に抑止を達成しようとする戦略理論の体系であり、核戦力を行使することは前提とされているわけではない、ということです。

そもそも、戦略とは軍事力を政治的目的のために使用することを意味しますが、核戦力の破壊力はあまりにも大き過ぎるため、これを使用しても政治的目的を効率的に達成することは技術的に極めて困難です。
そうなると、核戦力の役割は通常戦力とは全く異なるものでなければなりません。だからこそ、米国の核戦略では核が抑止のための手段とされており、具体的には当時敵対していたソ連の進攻を未然に防ぐための手段として考えられているのです。
「この抑止は完璧に信用できるものでなければならない。それゆえ、侵略を計画する国家に対しては、その侵略で軍事的な便益を獲得することができないこと、我々西側とのいかなる紛争においても勝利が望めないことを理解させなければならない」
ここで大事なことは「いかなる紛争においても勝利が望めないことを理解させなければならない」という部分です。これこそが、戦略家の視座から見た核の重要な目的であると言えます。

いわば、核を持っている国家に対して戦争を仕掛けるとなると、ソ連から見て一時的に優勢に戦況が推移したとしても、究極的には核による反撃ですべての戦果を失う危険や、自国の政経中枢にまで被害が及ぶ危険があると考えざるをえなくなります。
このように政策決定者に対して心理的影響を与えることにより、ソ連が西側との本格的な武力衝突回避させるように誘因を与えることができるのです。これは核戦略の本来の効用に含まれます。
「核戦争を遂行する準備を整えることは、必ずしも核戦争を遂行する願望を持つ証拠ではない。また、それは戦争が勃発する可能性を大きくするものでもないのである」
核戦力は確かに使い方次第では過剰な殺戮をもたらす武器です。
しかし、その事実をもって核戦力の重要性をすべて否定すれば、核による抑止さえも否定することになり、かえって平和を脅かすことになってしまいます。それは誰にとっても望ましい結果ではないことは明らかです。

今一度、安全保障の原点に立ち返り、核と平和について考えることが重要ではないでしょうか。

KT

2015年8月11日火曜日

文献紹介 非対称戦争とは、戦略理論のアプローチから


戦争は必ずしも弱肉強食の世界ではありません。なぜなら、弱者と思われていた勢力が強者とされていた敵に打ち勝つことがあり得るためです。
私たちは勢力の強弱から戦争の勝敗を予測してしまいがちですが、両者の間にある因果関係はもっと複雑なものであると考えておかなければなりません。

今回は、軍事的に強大な勢力が弱体な勢力に敗北するという非対称紛争(asymmetric conflict)に注目し、これに戦略理論の観点から説明を与えた研究を紹介したいと思います。

文献情報
Arreguin-Toft, Ivan. 2005. How the Weak Win Wars: A Theory of Asymmetric Conflict, Cambridge: Cambridge University Press.

著者は、非対称紛争を説明するためには、戦略を四種類に分類した上で、当事者がどのような戦略を選択するのか、それぞれの戦略の相互作用はどのようなものであるかを分析することが重要であると考えています。

ここで述べられている戦略とは「軍事的、政治的目的を達成するために武力を使用するための行為主体の計画」と定義されています(Arreguin-Toft 2005: 29)。
さらに、この学説で示されている戦略の分類は次の通りです。

・通常攻撃(conventional attack)敵の人口、領土、都市、その他の重要な産業中枢、交通中枢などの価値を支配するため、敵の武力を補足また撃滅しようと武力を使用することです。
・バーバリズム(barbarism)軍事的、政治的目標を達成するために非戦闘員に対する計画的かつ体系的な加害行為であり、強姦、虐殺、拷問などが含まれます
・通常防御(conventional defense)自国の領土、住民、戦略資源などの価値を占領または破壊しようとする敵を撃滅するための武力を使用することです。
・ゲリラ戦(guerrilla warfare)直接的な対決を回避するように訓練された武力を用いながら敵の費用を増加させることを目的とした戦略です(Arreguin-Toft 2005: 30-33)。

この戦略の分類は攻撃―防御という基準と、正規戦と不正規戦という基準の二つに基づいています。もし攻撃者が不正規戦を仕掛けてきたならば戦略の形態はバーバリズムとなり、防御者がこれに対して同様に不正規戦で抵抗すればゲリラ戦が展開されると考えられます。
反対に、攻撃者が正規戦を選択すると通常攻撃、防御者がこれに対抗するため正規戦を選択すると通常防御となります。

ここで著者が強調していることは、攻撃者が正規戦を仕掛けて通常攻撃を実施しているにもかかわらず、防御者の戦略がゲリラ戦の場合です。このような状況において非対称紛争が発生し、軍事力が優勢であっても敗北しやすくなるというのが、この学説の考え方です。

この理論を応用すれば、ベトナムで米国が、アフガニスタンでソ連が敗退した原因を説明することができると著者は述べています。いずれの場合でも、弱者は強者が採用する戦略の前提とする作戦行動から意識的に逸脱するような作戦行動を選択しました。
相手が正規戦を挑んでいれば、不正規戦の態勢をとり、反対であれば正規戦の態勢をとることで、相手が持つ軍事力を効果的に発揮することを妨げたのです。

こうした非対称戦争の研究は中小国が大国との戦争で常に敗北するわけではないということを示しています。
この研究から、結局のところ、強さというものは一通りではないということが分かります。問題なのは、その能力をいつ、どこで、どのように発揮するのか、という戦略に他なりません。

KT

2015年8月8日土曜日

歩兵部隊の戦闘陣形とその歴史的変化


歩兵は世界最古の戦闘職種であり、古来より陸上作戦の中心的存在であり続けてきました。
そのため、歩兵の戦闘陣形は武器装備の変化に応じて数多くの創意工夫が試みられてきた歴史があります。

今回は、近世末期から近代初期にかけて変化した歩兵部隊の戦闘陣形について説明したいと思います。

そもそも戦術学において陣形とは何のために形成されるのでしょうか。
陣形に関する考え方は時代によっても異なるのですが、第一次世界大戦当時の研究では次のようにその目的が説明されています。
「陣形を構成する目的とは、部隊を結合することであり、それは通常なら機動の前に、全体を見渡しやすい限られた空間において行われるものである。陣形を構成することは、行進を開始する前、戦闘を開始する前に、敵の射撃が及ばない場所から戦場に部隊を前進させるために、部隊の態勢を整える目的でも行われる」(Balck, 1915: 42)
もちろん、ここで述べているのは陣形全般のことであり、戦闘陣形についてはより細かい規定が求められます。戦闘陣形に限定した議論では、次のように説明されています。
「戦闘陣形はあらゆる武器(小銃、槍、騎兵刀、大砲)を使用することを可能にするものであるべきである。これは縦陣では行うことができず、横陣によってのみなしうる。近代的な火器の威力は、あらゆる密集した陣形が敵の効果的な射撃に晒されながら存在する余地をまったく許さないため、最も散開した展開が求められる」(Balck 1915: 43)
部隊を展開する方向として深さを優先すれば縦陣が、広さを優先すれば横陣が形成されますが、近代的武器の威力を考えれば、戦場で敵と縦陣で交戦することはできず、横陣で交戦すべきと考えられており、しかも各人の間には十分な間隔を確保する必要があることも指摘されています。

そのような戦闘陣形は具体的にはどのようなものなのでしょうか。
まず19世紀、普墺戦争でドイツ陸軍が使用した次の歩兵中隊の標準的な戦闘陣形を見てましょう。
上に向かって横陣に展開した独の歩兵中隊。
中隊長を先頭に、右翼から第一小隊、第二小隊、第三小隊の隊員が二列横隊の隊形で展開。
1個の歩兵中隊の定員は200名で、戦闘正面はおよそ80メートル。
一名当たりの正面は0.8メートル、前後もおよそ0.8メートルと通常間隔。
(Balck 1915: 47)より引用。
第一次世界大戦において小銃、機関銃、迫撃砲、その他さまざまな火器の射撃速度、誤差半径、殺傷能力が飛躍的に改善された事情を考えれば、このような密集に近い戦闘陣形で行動することは極めて危険であり、より兵士が散開する必要があると分かります。

この問題を解決したのが20世紀に各国陸軍で採用された散兵線(skirmish line)という戦闘陣形です。
19世紀までの歩兵戦術で散兵線の間隔はおよそ足で歩いて二歩の間隔で展開する横陣に過ぎませんでした。
しかし、第一次世界大戦以降の散兵線は厳密に間隔を定義されていないので、区別するために「近代的散兵線」と呼ぶことが適切かもしれません。

この戦闘陣形の特徴は、中隊ごとに行動するのではなく、分隊長に多くの指揮を委ね、分隊長を中心に分隊員が自在に地形地物に応じた場所へと移動することができる点にあります。散兵線に展開した分隊員は分隊長の命令に従って各自で攻撃前進を継続します。
したがって、散兵線に展開した小隊の行動は厳密に統制されておらず、さらに中隊長の統制は中隊としての攻撃目標や攻撃時期などを指示するという緩やかなものとならざるをえません。

こうした散兵線を使用した場合、分隊ごとの戦闘陣形を見ると次のような形態になります。
楔形に展開した分隊員の位置。
先頭から間隔をとって側面後方に分隊員が並ぶ。
(FM7-92: 3-4)より引用。
こうした分隊を組み合わせて親部隊の小隊も間隔を保持したまま次の図のように展開します。
この図では行進のため3個の分隊が縦に並んでいる。
敵との接触が予期される場合、先頭から数えて第二、第三の分隊が左右に展開する。
小隊として前進中の際には分隊ごとに20メートル前後の間隔を保つ。
(FM7-92: 3-5)より引用。
冒頭で述べたように、戦闘陣形の目的は戦闘力を発揮しやすいように「部隊を結合」させることです。
19世紀までの戦闘陣形はこの「結合」は極めて厳密な仕方で行われ、部隊を密集した形態で展開させていました。
しかし、近代的散兵線では「結合」の仕方に抜本的な変化が起こったと言えます。このような戦闘陣形は兵士一人ひとりの自発的な意思と判断力がなければ成立しえません。

最後に付け加えると、現代の陸上戦闘では戦闘陣形はなくなってしまったと思われることもありますが、それは戦闘陣形の形態の変化を見落としているがために生じる誤解と言えます。
歩兵部隊の戦闘陣形は広く散開し、より不規則な形態に変化しましたが、それは戦闘陣形が消滅したのではなく、新たな戦闘陣形の形態が発展したためであると考える必要があります。

参考文献
Balck, W. 1915. Tactics, Vol. 2. W. Kruger, trans. Fort Leavenworth: U.S. Cavalry Association.
U.S. Department of the Army. 1992. Field Manual 7-92: The Infantry Reconnaissance Platoon and Squad(Airborne, Air Assault, Light Infantry), Washington, D.C.: U.S. Department of the Army.

2015年8月5日水曜日

米中両国の海上戦力を定量的に比較してみると


昨今の中国脅威論に対する一つの批判として、中国の軍事力を規模だけで評価しすぎではないか、中国の軍事技術の実態を十分に反映していないのではないか、というものがあります。これは注意深く検討すべき見解です。

今回の記事では、対水上戦闘能力に焦点を絞って、中国の海上戦力を米国のそれと比較した場合に、性能にどれほどの相違があるのかを評価してみたいと思います。
ただし、作業量の関係ですべての艦艇を網羅的に取り扱うのではなく、サンプルとなる少数の艦艇を取り上げています。
また、武器装備の性能に技術的検討を加えるのではなく、戦闘能力を表す運用致死指数を用いて定量的に比較したいと思います。

運用致死指数は以前にも説明したことがありますが、今回の計算では戦闘艦艇が対象となるため、射撃管制能力、速力、基準排水量を戦闘力の要素として加えています。今回の分析では次の二つの計算式が基本となります。
ある武器のOLI=(射撃速度/1時間)×1回の射撃の命中数×1回の射撃で戦闘不能になる確率×(1+√射程/100)×正確性×信頼性/交戦する艦隊が展開する空間面積(ここでは3000平方キロメートル単位と想定)
ある艦艇のOLI=(搭載する武器のOLIの合計)×射撃管制能力×速力(ノット単位)×(基準排水量×2)

今回の分析で取り上げる米国の水上艦艇はアーレイバーク級ミサイル駆逐艦とニミッツ級原子力航空母艦です。
アーレイバーク級が搭載している武器は艦対艦ミサイルRGM-84D/F(単体でのOLI換算だと3.03)で合計は8発、ニミッツ級は44機のF/A-18を通じて4発の空対艦ミサイルAGM-84G(単体OLI換算2.43)を一回の交戦で使用できる、と想定します。
以上の想定を踏まえ、さらに各武器と艦艇の性能諸元を計算式に当てはめれば、対水上戦闘におけるアーレイバーク級のOLIは16,932、ニミッツ級は246,538となります。

次に中国の水上艦艇のサンプルとして、旅大型駆逐艦Ⅱ型を取り上げます。
これに搭載された対艦ミサイルがHY-2(OLIで0.41)が6発と想定して、艦艇の性能諸元を計算するとOLIは7,351と分かります。
もう一つの駆逐艦のサンプルとして、旅滬型駆逐艦を見てみると、搭載する艦対艦ミサイルYJ-83(OLIは0.33)が16発で想定した場合の艦艇としてのOLIは9,676です。どちらもアーレイバーグの16,932には追い付かず、両方のOLIを合計しなければ戦闘力で上回りません。

最後に中国の航空母艦も取り上げておきます。
航空母艦のOLIを計算する場合、どのような艦上戦闘機を使用するかが重要なのですが、遼寧の艦上戦闘機J-15は試作機の段階です。そこで、あくまでも参考の想定としてロシア製の艦上戦闘機Su-33を20機搭載し、空対艦仕様のYJ-83(OLIは0.36)を4発使用することができると考えます。
その場合、遼寧のOLIは22,432と分かりますが、ニミッツ級の246,538と比較すると、戦力としての価値で10倍以上の差があるという分析結果になっています。

米中の分かりやすい規模だけで評価するべきではない、という指摘についてはこの分析結果から見て妥当な見方であることが分かります。
各国が保有する艦艇の基準排水量の合計だけで海上戦力を比較するような分析では、米中の間に存在する軍事技術の格差を見過ごす恐れがあります。

とはいっても、この分析は単純な想定に基づく予備的な分析に過ぎません。さらに調査研究を進める必要があります。
今回の分析でも分かるように、米国製のミサイルの威力は中国製のそれをはるかに性能で凌駕しており、そのことが各艦艇の戦闘能力の高さに大きく寄与しています。
これは、中国がこうした技術を取得することに成功さえすれば、それぞれの戦闘艦艇の性能が変わらなくても短期間で戦闘力を改善することができることを意味します。

中国はこれまでにもヨーロッパ方面から技術を取得した事例が複数あるため、日本としてそうした動向について十分に注意を払うべきだと思います。

KT

2015年8月3日月曜日

文献紹介 独裁を存続させる政治力学

ヒトラー内閣成立を祝って行進する突撃隊。1933年1月30日
政治学では国家で政治権力を維持する方法が分析の対象となります。ヒトラーなど有名な独裁者がいかに政権を掌握し、それを維持したのかも重要な検討課題に含まれています。

今回は独裁政権を安定的に保持するための条件について考察したタロック(Gordon Tullock)の研究を紹介し、独裁制が維持されるためにはどのような条件が満たされている必要があるのかを説明したいと思います。

文献紹介
Tullock, Gordon. 1987. Autocracy, Dordrecht: Kluwer Academic Publishers.

少数派の支持で存続が可能な独裁制の安定性
独裁制の下で政治家が目指す目標について著者は、(1)権力の座に就くこと、(2)権力を掌握し続けること、(3)権力の所有から個人的な見返りを獲得することであると定義しています。
つまり、政治家が権力を求めて行動するという点については、民主制と独裁制でも大きな相違はないものと考えられています。

ただし、民主制に対して独裁制では有権者から政治的支持を受ける必要が、より小さくすむという重大な相違点があります。これは、独裁制において政治家が自らの党派や自分にとって有利な条件で国家予算を自由に編成することが可能である、ということを意味しています。

人によっては、このような政治状況では不満を募らせた国民が現政権に対して抵抗するため、反政府活動に参加する公算が強まると考えるかもしれません。
しかし、著者の分析によれば、そのような状況になるとは限らない可能性があります。
著者の見解によれば、これは有権者の立場から考えた政治的活動の費用の大きさと便益の小ささから説明することができます。

合理的選択としての反政府活動への不参加
ある独裁体制を打倒するための抵抗運動を主導する人物がいたとしても、市民がそれに積極的に参加するかどうかは費用と便益に基づいて決定されると著者は説明しています。

非合法な武力闘争の路線をとるのか、合法的な運動路線をとるかにかかわらず、現体制に対する抵抗勢力に参加するためには、各個人の自由時間や所得などを犠牲にする必要があるため、こうした活動には費用が伴います。
さらに、独裁政権はこうした反政府的な運動の参加者に対して警察力を含めたさまざまな権力資源を投入することが可能であり、これは反政府活動に関与することで発生する個々人の不利益となります。

以上の理由から、独裁政権を打倒することで期待される利益を、反政府活動に関与することで予想される費用が上回らないという状況が起こります。独裁制を打ち倒したとしても、それに伴う費用が圧倒的に大きいならば、合理的選択として反政府活動は拡大しません。
そうなれば、反政府活動の指導者は、十分な規模の支持者を確保することができなくなり、独裁制は存続することができることになります。

賢明な独裁者は民衆の所得拡大、余暇充実を重視する
著者の議論で興味深いのは、独裁制が存続する理由は、フリーライダーが発生する理由と理論的に類似していることを指摘したことです。
つまり、有権者は自由に使える時間や所得が限られていますので、期待される見返りが小さい政治的活動よりも、確実な見返りが望める労働や余暇を優先して行動するようになるため、その結果として独裁制は民衆の暗黙の支持に基づいて存続すると考えられるのです(Tullock 1987: Ch. 7)。

これを裏返して考えると、独裁制の下で政治家が権力の座に留まるためには、国民生活を完全に無視するわけにはいかないということが分かります。
もし労働や余暇が失業や貧困で奪われてしまえば、民衆はそれだけ反政府活動に参加する動機が強化される恐れがあります。

結びにかえて
もちろん、著者の分析は一つの理論モデルの話であり、具体的状況に一般化できるものではありません。しかし、この分析は同時に独裁制であっても政治家は権力を掌握し続けるためには、民衆の生活水準の向上に関心を払う必要があることを示しています。

1933年にヒトラーが政権を獲得した直後に発表した政策が、失業対策と産業振興を柱とする経済政策でした。特に道路や住宅の建設を推進して多くの雇用を創出し、失業率を低下させ、国民総生産を向上させたことを考えれば、独裁政権を維持する上で国民生活への配慮が重視されていたことが分かります。

独裁制は民主制と大きく異なる政治システムではありますが、だからといって政治家の行動を支配する政治のルールまでもが異なっているわけではありません。どのような場合であれ、政治家は権力を掌握し続けるため、国民が何を求めているのかを多かれ少なかれ知ることが必要なのです。

KT

2015年8月1日土曜日

文献紹介 平和学の戦争論


平和学(peace studies)とは、戦争の原因とその帰結を解明し、紛争解決と平和維持の方法を考案するための学際的な研究をいいます。
この分野ではラパポート、リチャードソン、ボールディング、ガルトゥングなどが著名な研究者が知られているのですが、今回はクインシー・ライトの古典的研究を紹介したいと思います。

文献情報
Wright, Quincy. 1964(1942). A Study of War, Chicago: University of Chicago Press.

ライトはこの著作の冒頭で、戦争というものに対する態度には二種類あることを指摘しています。
第一の態度は戦争は回避すべき暴力行為であり、解決すべき問題として戦争を把握するものであり、第二の態度は戦争を外交官や戦略家、政治家によって適切に指導されるべき手段として把握するものです(Wright 1964: 3)。

ライトが示唆しているように、平和学の戦争に対する態度は前者のそれに区分されます。
グローバリゼーションの進展によって経済、文化、政治などの分野における国家間の相互依存が深まった現代の世界において、戦争が政策手段として扱い辛くなっていること、武器の発達によって軍事行動に伴う一般市民の損害が拡大する傾向にあることなどが、こうした関心を高めることに影響していると考えられています(Wright 1964: 4-5)。

そこでライトは平和学の研究を進めるに当たって、いくつかの推計を示しながら、戦争の特徴について考察しています。

軍事行動の最小単位である戦闘に注目してみると、ここにもさまざまな形態が見て取れますが、ライトが特に注目しているのは計量的な側面です。
これまでに1,000名以上の死傷者を伴って戦われた陸上戦闘と、ないし500名以上の死傷者が出た海上戦闘の回数を合計すると、およそ3,000件にもなります(Wright 1964: 9)。

ここで数え上げられているのは、死傷者の規模から見て比較的大規模な戦闘だけですので、より小さな戦闘を含ませれば、もっと大きな数字になるでしょう(Wright 1964: 9)。

次に戦争それ自体について検討すると、1480年から1964年の間に発生した戦争は少なくとも284件と数えられています(Wright 1964: 11)。ここで数えられている戦争はごく中小国の戦争から大国の戦争まで幅広く測定の対象とされたものです。

このように定量的な観点から戦争の歴史を観察すると、その時代が変化するにつれて戦争の形態が変化していることが数値として分かってきます。

例えば、ライトは先ほどの294件の戦争を一般的に検討したところ、戦争に参戦する交戦国の数の平均値が変化する傾向があることを指摘しています。
15世紀から16世紀にかけて一回の戦争に参戦する国家の数は平均的に2.4カ国でした。これが17世紀には2.6カ国、18世紀には3.7カ国、19世紀には3.2カ国、20世紀には5カ国と推移しています(Wright 1964: 57)。
ちなみに19世紀における戦争の交戦国数の平均が減少している理由についてライトは植民地での部族に対する戦争や内戦の件数が増加したことによるものと説明しています(Wright 1964: 57)。

こうした分析だけではなく、ライトは勢力均衡と戦争の関係、国内政治と戦争の関係、社会情勢と戦争の関係などについても網羅的に考察を加えています。

この記事ではごく一部の分析しか紹介することはできませんが、ライトの研究が成立して間もない時期にあった平和学の発展に寄与したところは極めて大きいと言えます。
統計や数理を駆使した戦争の分析は、その後の平和学の方法論として受け入れられています。
確かにその研究内容には陳腐化してしまった部分もありますが、平和学の古典の一つとして読み返される価値がある文献だと思います。

KT

参考:目次構成
1.戦争の概念
2.戦争の歴史
3.近代の戦争
4.歴史での戦争の変化
5.戦争の因果関係
6.勢力均衡
7.政策と勢力
8.制度と政治
9.法律と暴力
10.主権と戦争
11.法律と政治
12.民族主義と戦争
13.民族の調和
14.社会的統合と戦争
15.世論と戦争
16.人口変動と戦争
17.資源利用と戦争
18.人間本性と戦争
19.国際関係の分析
20.戦争の公算
21.戦争の原因
22.平和の条件
23.総合と実践
24.戦争の予防
25.平和の機構