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2015年3月31日火曜日

クラウゼヴィッツの兵站学


戦場において危険と苦痛に立ち向かうことは、兵士として最も優れた美徳と言えるでしょうが、それは各人の空腹が満たされている場合にのみ発揮することができると言っても過言ではありません。
食料を欠かさず部隊に提供することができなければ、どれだけ多数の兵士がおり、どれだけ高価な武器が配備されていたとしても、戦争を遂行することは不可能です。

今回は、クラウゼヴィッツの著作で兵站学の観点から補給、特に兵士の食糧を給養する問題に関する考察を紹介したいと思います。
「軍の給養は、近代の戦争においては往時に比して遥かに重要な事項になった。しかもそれは二件の理由による。第一は、一般に近代の軍は、兵数において中世の軍はもとより古代の軍に比してすら著しく巨大になったということである。(中略)第二の理由は、これよりも遥かに重要でありまた近代に特有のものである、即ち近代の戦争における軍事的行動は、以前に比して遥かに緊密な内的連関を保ち、また戦争の遂行に当たる戦闘力は不断に戦闘の準備を整えているということである」(中216)
近代戦争において敵と継続的に対抗し続けるために、独立した補給体系が確立されたことは、クラウゼヴィッツにとって必然的なことだと考えられていました。
特に、フランス革命が勃発して以降の戦争で実施された兵站の方式を見てみると、フランス軍の将軍たちは軍隊の補給の一切を徴発、奪取、略奪に頼るようになっており、これが戦争を遂行する新方式になったと述べられています(中221)。

さらに詳細に当時の兵站を調べると、このような現地での物資の調達にも四種類の異なる手法が組み合わせて用いられていたことが説明されています。

・舎営する市町村による給養
これは人口稠密地において貯蔵されている食料を軍隊に提供させる方法であり、一般に都市部よりも農村部において調達が容易であると述べられています。
クラウゼヴィッツが述べているところによると、1平方マイル当たり2000名から3000名の人口を有する地方であれば、150,000名の軍隊は1日から2日は食料の補給に支障を来すことはありません(中224)。

・軍隊自身の徴発による給養
ここで考慮されているのは10,000名程度の師団の補給であり、それ以上の規模の部隊の給養であれば、このような方式は有効ではないとされています。というのも、この程度の部隊の規模では、農家の貯蔵物資を捜索し、それを輸送するために十分な手段を持ち合わせていないことがしばしばあるためです。しかし、前衛や別働隊として行動する部隊はこのような方法を用いることが避けられないとも考えられています。

・正規の徴発による給養
これは地方自治体を通じて現金買付により住民から貯蔵物資を提供させる方法であり、クラウゼヴィッツは最も有効性が高い給養の方式であると評価しています。
この方法が実際に成功するかどうかは、一般に各自治体に派遣された部隊の執行能力にかかっていると考えられていますが、「それよりも当該地方の住民が責任、処罰および過酷な取扱いに対して懐くところの恐怖心の方が重大である」とクラウゼヴィッツは指摘しています(中229)。

・倉庫による給養
近世の戦争において大部分の軍事行動は軍隊の後方に開設された倉庫に依存しており、そのことが作戦の推移にとって重大な制約をもたらしていました。しかも、このように軍需品を倉庫に集約して管理しておくことは国家財政にとって大きな負担となります。
クラウゼヴィッツは将来の戦争で倉庫が全面的に廃止されるとは言い切れないとしても、それは戦争の本来の性質に適合しているとは言い難いと考えました(中225)。

最後に、クラウゼヴィッツは「戦争が給養方式を決定するのか、それとも給養が戦争を規定するのか」という問題を提起して、次のように答えています。
「戦争の遂行に必要な自余いっさいの条件が許す限り、先ず給養方式が戦争を規定するだろう、しかしこれらの条件が従来の給養方式に反対し始め、まはやその存続を許さないようになると、逆に戦争が給養方式を規定するのである」(中233)
この記述からも、クラウゼヴィッツが兵站の実態が戦争の形態と密接に関係していることを理解していただけでなく、戦争の理論において兵站の問題がいかに重要であるかを強調していたことが伺えるかと思います。

KT

参考文献
クラウゼヴィッツ『戦争論』篠田英雄訳、全3巻、岩波書店、1968年

2015年3月28日土曜日

論文紹介 強大な戦闘力は戦略的機動性を低下させる


戦略学の問題の一つに、部隊の戦闘力を強化しようとすると、戦略上の機動で支障を来し、反対に戦略上の機動力を向上させようとすると戦闘で発揮可能な能力が低下するというトレードオフの問題があります。

今回は、戦略学の観点から、火力と機動という相反する能力を陸上戦力としてどのように均衡させるかを検討した論文を紹介したいと思います。

文献情報
Adams, John A. 1988. "Balancing Strategic Mobility and Tactical Capability," Military Review, 68(8): 9-23.

著者はさまざまな状況に対応するためには、軍事力を四つの観点から考察することが重要であると論じています。すなわち、敵との相対的な火力、戦場における機動、部隊としての持続力、そして戦略上の機動能力の四つです(Adams 1988: 10)。
「中央ヨーロッパにおける衝突は、目まぐるしい乱戦になることだろう。戦術的な機動力を持たないため、徒歩の歩兵はすぐに撃滅されることだろう。軽武装の大隊であっても築城工事によって、機甲部隊の強襲を受けても拠点を維持することができるかもしれない。しかし、より大規模な部隊が第二の大隊の陣地に到達する前に、恐らくは策略によって孤立に追い込まれることになるだろう」(Ibid.: 12)
著者はWPの機甲部隊による浸透を受けた場合、NATOの前方防衛線はほとんど持ちこたえることはできないであろうと予想しています。

著者の見解は歩兵部隊の価値を一概に否定するものではなく、現代の戦場において歩兵は十分に機械化された装備により戦術的な機動力を発揮することが必須であるという立場です。
しかし、これは歩兵部隊として運搬すべき車両、装備の増大を引き起こすため、戦略的な機動力の低下を引き起こすことは避けられません。

著者の見積りによれば、機械化されていない歩兵部隊は戦闘開始から約10日から30日の間に極めて危険な状態に置かれ、恐らくは壊滅的被害を強いられることが示唆されています(Ibid.)。
さらに、戦闘開始から20日以内に展開可能な部隊の規模は必然的に限られたものになります。

1979年の議会予算局の見積によれば、最も即応性の高い米軍の第82空挺師団または第101空挺師団であっても、中東地域に展開するためには13日の時間が必要であるとされています(Ibid.: 13)。
したがって、より戦闘力が高く、運搬すべき装備や物資が重量かつ膨大な機甲師団を前線へと展開するためには、さらに時間を要することが考えられます。
「重武装の師団が激しい戦闘を行えば、一日に5,000トンの弾薬と2,700トンの燃料が消費されることになる。初日以降の所要に対応するためには、部隊を動かす上で十分な弾薬と燃料が、現役の戦力組成において保持されていなければならない。(もしくは予備から直ちに利用することができなければならない)」(Ibid.: 19)
最後に著者は民間の商船や航空機を活用しなければ、高度な戦術的能力を持っている部隊も適切な時期に前線に展開することができないことを強調しており、軍事予算の配分で即応性の高い輸送手段を準備することが重要だと述べています。

まとめますと、この論文では旅団や師団、軍団などの戦略単位となる部隊の戦略を図上で研究する場合、その部隊の重量というものを考慮に入れることが重要であることが示唆されています。
現在の日本の防衛計画では、統合機動防衛力構想の下で部隊の機動力を向上させる必要が強調されがちですが、即応性を追求するほどその部隊の戦術的能力は全般として低下することが予想されます。

ただし、著者は民間の輸送手段を防衛体制に組み合わせることによって、そのような限界を克服することは不可能ではないと指摘しています。

KT

2015年3月27日金曜日

なぜ大学で軍事を研究するべきなのか


先日の修了式で、とある修了生とお別れのご挨拶をした際に、少し気になるテーマについて話す機会がありました。
それは大学で軍事力を研究する意義というものが依然として理解されていないのではないかという問題です。

彼は東アジア地域における相対的な海上戦力の優劣について興味深い分析を修士論文にまとめたのですが、論文の執筆や研究の過程で軍事力を研究テーマとすることが学問的ではないと指導教官や周囲の学生に思われていることに、違和感を覚えたことを率直に話して頂きました。また、私もその印象については共感を覚えるところが少なくありませんでした。

今回は、なぜ大学において軍事が研究テーマとされる必要が出てくるのか、その理由について政治学の立場から改めて考察してみたいと思います。

1.軍事力の政治的重要性

政治学の範囲や目標を規定する立場はさまざまですが、例えばハロルド・ラスウェルのような政治学者は政治学の主たる研究対象とは権力であると考えていました。
実際、権力はまぎれもなく政治学の最重要概念であり、いかにして他者の行動を自分の意志の下でコントロールするかを考えるためには権力を理解しなければなりません。

政治学では権力の概念が次のようにして定義されてきました。すなわち、
「他者からの働きかけがなければaがしないであろうことをAがaに行わせることができる時、Aはaに対して権力を持つ」
「(権力の大きさとは)Aがaに対して何もしない時に、aがある行為Xをする確率とAがaにある働きかけを行った時に、aがXを行う確率の差」
これは政治学者ロバート・ダールの定義ですが、この定義から考えれば軍事力とはまさに真正の権力に他なりません。
特に国際関係において他国からの威圧を無効にし、また他国に対して特定の行動を強制することができます。
また国内政治においても、例えば革命や反乱のような事態に陥った場合においては軍事力の優劣がその内戦の結果を大いに左右し、その後の政治体制に決定的な影響を与えます。

したがって、政治学者は軍事力に関心を持つ必要があり、特に国際関係論の研究を進める上では持たざるをえないと思われます。少なくとも私は、政治において武力こそが究極の権力であると考えています。

2.研究対象としての軍事力の多面性

よくある誤解かもしれませんが、学問領域として軍事学にはさまざまな立場があり、単一の学問とは言い切れない部分が決して少なくありません。
それは、医学に生理学や解剖学など諸種の研究対象があり、法学でも法哲学や憲法学など方法論が異なる場合があるのと同様です。

軍事力という事象には政治的、、経済的、社会的、文化的、心理的、歴史的、哲学的立場から研究ができる論点が多くあり、適用可能な方法論についても数理的、計量的なものから歴史的、定性的なものまで多岐に渡っています。
このような特性を考慮すれば、政治学の立場から軍事力を研究することが必要になることは当然のことであり、それは大学のような研究機関で研究されるに値します。

根本の問題はここにあるのかもしれません。つまり、研究対象として軍事力はしばしば過剰に単純化されて理解されてきた可能性があります。
一般に国家の軍事力は軍隊の能力とほとんど同一視されていますが、それはごく狭小な戦闘能力と勘違いされがちであって、それが地理的環境、経済力、科学技術力、社会構造、行政能力、国家体制など数多くの要因と不可分であることは見過ごされがちです。

どれほど原始的な戦争であっても、軍事作戦を軍隊だけで遂行することは不可能です。なぜなら、戦争の影響は社会のすみずみにまで広がり、一見すると非軍事的に見える経済的、社会的、文化的活動も直接的、間接的に関連を持たざるを得なくなります。
戦争、安全保障は軍事的事象に止まるのではなく、より広い含意を持った社会的事象であるということを踏まえなければなりません。

3.大学における研究教育の公共性

学術の高等専門研究を行う機関としての大学には長い歴史と伝統があり、学術研究が外部からの政治的、経済的、宗教的権威によって抑圧されることを避けるために学問の自由が保障されています。
しかし、それは知的資産の維持発展と、人材の教育養成という面で、公共的責任が極めて大きいからこそ承認された権利である、ということが意識されていなければなりません。

その大学機関がその社会の公共的利益にどのように貢献するか、その役割を自分で定義づけ、実践することができなくなれば、それは大学の自治の在り方を抜本的に見直すべきだと思います。

私の考えでは、軍事とは極めて公共的な政策課題であり、国民は国家の安全保障のために少なくない金額を負担しています。
国民としては、自分の税金がどのようにして自身の生命と財産を保護することに寄与しているのか、いかに防衛力の構築に活用されており、いつ、どこで運用されるかを理解する必要があります。

第一次世界大戦後のドイツではデルブリュックのようなベルリン大学の教授たちが政府の作戦指導を批判または擁護する見解を発表したことがあります。また冷戦後にハンチントンのような研究者が米国の伝統的な文民統制の考え方を改めるべきとする博士論文をハーバード大学に提出したこともありました。
いずれの場合においても彼らの研究が学術の領域だけでなく、政策論争にも影響を与えていることは注目に値すると思います。

最後に、私の印象では大学で軍事力の問題に関心を持つ学生は少しずつ出てきているように感じています。新しい世代のためにも、安全保障を通じて社会に貢献しようとする人材のための教育研究の機会がさらに広がれば、それは大学の役割とも合致するところが大きいというのが私の結論となります。

KT

2015年3月25日水曜日

クラウゼヴィッツによる戦争の政治分析

クラウゼヴィッツの名前はジョミニと並んで現代の軍事学の理論的基礎を整えた功績で知られています。
しかし、クラウゼヴィッツは戦争を研究しながらも、政治についても強い関心を持っていたことが著作から伺われます。

今回は、戦争を支配する政治力学を分析するに当たって、クラウゼヴィッツがどのような視点を持っていたのかを紹介したいと思います。
「戦争は元来、一国の知能であるところの少数の政治家および軍人によって発起せられる。そしてこの人達なら、彼等の目標をしっかりと見定めて、戦争に関する一切の事項をいちいち点検することができるだろう」(クラウゼヴィッツ、下362頁)
国際関係で一方の国家が他方の国家に対して戦争により何らかの支配関係を強要する場合、その戦争で使用される軍事的手段の強弱は、政治的目的の大小と正比例する関係にあります。
要するに、達成しようとする政治的目的が大きくなるほど、使用される軍事的手段も強くなるという一般的な傾向があるのです。

この関係を知っていれば、ある国家の首脳部が追求する政治的目的に関する情報から、その軍事作戦の大まかな方針や使用する軍事力の水準などを説明、予測することができます。

しかしながら、クラウゼヴィッツはある国家の首脳部が設定する政治的目的が常に首尾一貫したものであるとは限らない場合があり、それはその首脳部の内部における政争によるものだと議論しています。
「しかしそのほかにも国家の要務に携わる多数の人達があり、かかる場合には、この人達の存在も無視するわけにいかない、とは言えかかる人達がすべて当局者と同じ立場にたって、一切の事情を了解し得るとは限らないだろう。そこで反目や軋轢が生じ、この困難を切りぬけるには、多数の反対者を圧服するような力を必要とする。しかし、この力は十分に強力でないのが通例である」(同上)
ここで示唆されているのは、政策立案に携わる関係者が党派的な対立を繰り広げることを阻止するためには、統帥権をはじめとする戦争指導に必要な権力を特定の部署に集中させることが必要であるということです。
例えば総理大臣を中心として関係省庁の各大臣から構成される現代の国家安全保障会議が挙げられます。

それでも、さまざまな利害関係を持つ政治的勢力が政策論争で一致点を見出すことは容易なことではないのが普通です。
「かかる不一致は、彼我両国のいずれかに生じるし、或はまた双方に生じることもある。いずれにせよ戦争が、本来の純粋な概念とは異なるもの、即ち中途半端な物、内的連関を欠く物となった原因はまさにここにある」(同上)
クラウゼヴィッツがここで想定するのは、戦争で可能な限り戦果を拡大しようとせず、それぞれの政治的利害によって不徹底かつ一貫しない軍事行動が選択されるという状況です。

政治的リーダーシップが脆弱な下で、作戦目標が不明確なまま首脳部がその計画を決裁してしまうと実施段階で現場にさまざまな問題が生じることになります。
というのも、政治的目的が不明確なほど軍事的目標の優先順位も曖昧となり、部隊をより多くの方面に分散せざるをえなくなるためです。

以上の記述から、クラウゼヴィッツが戦争を研究する上で政治分析に精通することが重要であると考えていたことをうかがい知ることができます。
一般に軍事分析では戦地で生起する事象にのみ焦点が絞られるものと考えられがちかもしれませんが、クラウゼヴィッツの説では政治学的な観点がいかに重要であるかが示唆されています。

KT

2015年3月22日日曜日

軍葬で故人を送るとき


国家の安全保障のために命を落とした兵士たちに対しては、国家としての最大限の敬意と謝意を表明することが求められます。地域や時代によっても相違がありますが、一般に軍隊の儀礼には必ず葬儀が含まれており、これを一般の葬儀と区別する場合には軍葬と呼びます。

今回は米軍で実施されている軍葬についてその要点を紹介したいと思います。

まず軍葬の定義についてですが、米軍では「戦時または平時において我が国民を献身的に防衛した者に対して敬意を儀礼的に表し、また国家としての謝意を最終的に示すこと」と規定されており、その責任は国防長官にあります(Torreon 2014: 1)。

基本的に軍歴を持つ人間、つまり現役の兵士だけでなく退役軍人が死去した場合には、軍葬の対象とされています。
ただし、軍葬の対象者が死去すると自動的に軍葬が実施されるというわけではなく、葬儀会社を通じて遺族が軍隊に軍葬の実施を要請しなければならず、その様式や規模などについても遺族の要望に応じてさまざまに修正されうるものとされています。

ただし、それでも軍葬として必ず遵守すべき儀礼がいくつかあります。
第一に、軍葬では必ず葬送ラッパ(taps)が演奏されなければなりません。これは1874年に陸軍で制定された楽曲であり、認定されたラッパ手によって演奏される必要があります。
参考までに、英語版のウィキペディアでは米軍の葬送ラッパが録音された音源で視聴することができます(英語版Wikipediaのページ:http://en.wikipedia.org/wiki/File:Taps_on_bugle.ogg)。

第二に、埋葬の前に棺を覆う国旗を厳密に所定の手順で折りたたまなければなりません。国旗の折りたたみ方が決まっている理由それ自体は、軍葬の要素と関係しているわけではなく、国旗そのものの特性に由来しています。

そもそも、国家のシンボルであって、軽々しく取り扱ってはならないという考え方が大前提としてあり、課業の開始時、終了時に駐屯地や基地で行われている国旗掲揚や国旗後納においても、旗衛隊が正確に一定の手順を踏んで実施しています。こうした軍隊の儀礼から考えれば、国旗を一定の手順で折りたたまなければならないことは自然なことであると分かると思います。

第三に、折りたたんだ国旗を遺族に手渡さなければなりません。
国旗を渡す者に関しては戦没者から最も近い関係にある近親者(next-of-kin)となります。渡す際にはひざまずき、受け取る人に対して折りたたんだ国旗(三角形)の正面を向けて次のように述べます。
「合衆国大統領、合衆国陸軍(戦没者の所属によって海兵隊、海軍、空軍または沿岸警備隊のいずれかに変更)、そして恐縮する国民の代表として、あなたが愛する者の高潔かつ忠実な奉仕に対する我々の感謝の印として、どうかこの旗を受け取って下さい」
場合によっては5名以上8名以下の部隊による弔銃射撃が実施されることもありますが、米軍の軍葬では必須の要素とまでは位置付けられていないようです。
また部隊の慣習や故人の階級で内容に相違があることもしばしばですので、最低限度の軍葬を実施する場合には上記の三つの要素を含ませなければならないという意味で理解して頂ければ良いと思います。

軍葬には長い歴史的背景と広い文化的相違があるのですが、ここでは米軍の事例で一応の理解が得られたのではないかと思います。
日本においてこうしたテーマのなじみが薄いことは平和の証拠だと言えるかもしれませんが、私としては軍葬に関する知識を通じて、軍隊の役割を改めて確認することができるのではないかと思います。

KT

参考文献
Torreon, Barbara Salazar. 2014. Military Funeral Honors and Military Cemeteries, Congressional Research Service Report for Congress, Washington, D.C.: U.S. Government Printing Office.

2015年3月20日金曜日

文献紹介 イギリスの軍事力を支えた財政力


近代の国際関係でイギリスが大国として台頭することができた理由として、優れた海上戦力とそれによって獲得した植民地との貿易の他に、卓越した資金調達能力が挙げられることがあります。

戦時に政府が急増する軍事支出に対処するには、基本的に増税を実施するか、もしくは国債を起債する必要があります。
歴史的に見ると、イギリス国債はヨーロッパ列強でも特に低い利率であったことが指摘されてきました。これは他国と比較してイギリスの国債が市場から信用されていたこと、そして市場から軍資金を調達する能力が高かったことを意味しています。

今回は、イギリスを世界帝国の地位に押し上げたその財政能力について歴史的考察を加えた研究を紹介したいと思います。

文献情報
Brewer, John D. 1988. The Sinews of Power: War, Money, and the English State, 1688-1783, Cambridge, MA: Harvard University Press.(邦訳、ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃 戦争・カネ・イギリス国家1688-1783』大久保桂子訳、名古屋大学出版会、2003年)

目次
序論
1.コンテクスト
2.軍隊:軍事力組織化の諸形態
3.文民政府:政府の中央部局
4.カネ、カネ、カネ:膨張する債務と課税
5.国家権力のパラドクス
6.戦争のパラメーター:政策と経済
7.戦争と租税:社会、経済、世論
8.公の情報、私の利害
9.結論

この著作の基本的なテーマは、イングランド(大英帝国成立以前のイギリスの旧来の呼称として、以下ではこちらを使用)では早期に議会政治が成立したこととが、国家財政に対する監視を著しく強化する結果となり、その財政システムが戦争を戦う上でイングランドに大きな優勢をもたらした関係です。

16世紀、イングランドはフランスとの戦争で敗北したことを契機として、それまでヨーロッパ大陸に維持していた領土をすべて失ってしまいます。

その後のヨーロッパ大陸で勃発した三十年戦争でフランスはその勢力拡大に努めていましたが、軍事支出によって長期債務を抱えるようになってしまい、公務員への給与の遅配が常態化しつつありました。フランスで官職や称号の販売によって資金の調達する慣習が広がったのは、こうした背景があったためだと著者は指摘しています(ブリュア、2003年、30-31頁)。

一方、イングランドではヨーロッパ大陸での権益を失っていたため、三十年戦争でも積極的に関与しようとはしませんでした。
むしろ、イングランドではピューリタン革命によってオランダ式の財政運営と議会政治が導入されたことにより、フランスとはまったく異なる財政システムが構築されつつありました。
この財政システムの優位こそがフランスの軍事システムの優位に対抗するための新たなイングランドの武器となったのです。
「16世紀から17世紀初頭まで、かりにイングランドが積極的な交戦国だったなら、イングランド国家も相応の負債を負い、寄生的な役人層がはびこることになったにちがいない。その意味で決定的に重要なのは、イングランドの財政=軍事国家が誕生したタイミングである。財政=軍事国家が資源動員に乗り出したとき、それを主導した体制は、オランダの財政手法を取り入れたばかりか、議会による監視をつうじて、売官制の悪しき事例を防ぐ手立てを講じた」(同上、36頁)
新しい財政制度は従来のように王権の下で管理されていた財務報告よりも高い公開性と透明性を保証するものでした。しかし、実際にこの制度を運用するには、議会に対して正確な会計報告を行うための業務を処理する膨大な公務員が必要となります。
事実、17世紀にフランスとの戦争が勃発すると、イングランドでは公務員の大幅な増員を行っているのですが、この時に最初に増員されたのは兵士ではなく、歳入関係の部署であったことが明らかにされています(同上、77頁)。

これは当時のイングランドで歳入の大部分を占めていた個別消費税を担当する徴税官が増員したことによるものですが、1690年から1782年までの期間におよそ4倍近いの増員が行われました(同上、79頁)。
当時の彼らの労働の実態を見てみると、それがいかに労力を要するものであったかが分かります。

著者はある徴税官の労務記録を紹介しています。その記録を読んでみると、1週間に6日間が公務出張で各地を転々と移動し、出張から戻ると15時間の連続勤務を経てその週の報告書を提出し、ようやく1週間の勤務を終えるという生活を送っていたことが分かります(同上、82頁)。

驚くべきことに、これほどの労働を日々こなしていたにもかかわらず、消費税査察官の給与は低く、大多数の役人が法律文書や行政文書を清書する仕事と兼業することで、何とか生活を維持していたとされています。
その過酷さからフランスの役人のように官職の売買や兼職を行う事例もなかったわけではありません。それでも、大多数の役人がその税務行政を適切に遂行し、イングランドの財政システムを忠実に支えていたと著者は評価しています(同上、82-85頁)。

イングランドの資金調達能力の高さは、戦争が長期化するほどに強みを発揮していきました。
17世紀後期から18世紀後期にイギリスは九年戦争(1689-1697年)、スペイン継承戦争(1702-1713年)、オーストリア継承戦争(1739-1748年)、七年戦争(1756-1763年)、そしてアメリカ独立戦争(1775-1783年)と相次いで戦争に参戦しています。

この時期にイングランドの議会が予算案として承認した軍隊の定員を調べると、着実に軍事力が増強されていたことが読み取れます。
九年戦争で動員されたイギリス軍の兵士は76,404名、水兵は40,262名、合計で116,666名でしたが、およそ100年後に戦われたアメリカ独立戦争で動員したのは兵士108,484名、水兵82,022名、合計190,506名となっています(同上、40頁)。

ブリュアは世界の大国として台頭するに当たり、イングランドの財政力に貢献した役人たちの功績について次のように記しています。
「歴史家がこの人たちを取り上げてこなかったのは、ひとつにはその仕事がいかにも魅力に乏しいからである。これほどたくさん書き残している人たちなのに、この人たちについて書いた記録がほとんど残っていないのは、驚くべきことである」(同上、80頁)
国家の安全保障は軍事力だけがあれば良いという問題では決してありません。
軍事力を建設し、それを維持するためには相応の資金が必須であり、それなくしては戦い続けることはできないためです。

KT

2015年3月15日日曜日

文献紹介 死傷者30%は全滅を意味するのか


現場の指揮官が頭を悩ませる問題の一つは、部隊がこれ以上の戦闘が可能かどうか見極めることです。

一般に部隊の人的損害が30%に近づくと、これ以上の戦闘の継続が不可能だと判断すべきであるという考え方があります。
これは経験則に基づく大雑把な参考数値として広く知られていますが、戦闘の中断は戦術的に重要な意味を持つ決心であり、その適否によっては部隊の損害を不必要に増大させ、また撃破することができたはずの敵を逃す危険もあるため、より詳細な学問的な検証が必要でした。

今回は、歩兵大隊の観点から損害の比率と戦闘力の喪失の関係を研究した文献を紹介したいと思います。

文献情報
Clark, Dorothy K. 1954. Casualties as a Measure of the Loss of Combat Effectiveness of an Infantry Battalion, Technical Memorandum ORO-T-289, Chevy Chase, MD: Operations Research Office of the Johns Hopkins University.

戦術学の研究では、部隊が攻撃または防御を継続することが困難な状態になる時点のことをブレークポイントと呼びます。
著者はこの研究で次のようなパターンのブレークポイントを分類して考察します。

(1)攻撃から再編成を実施するが、迅速に攻撃が再開できるパターン
(2)攻撃から防御へと移行するパターン
(3)防御から第二線へ退却するパターン
(4)防御から部隊の崩壊による敗走(Clark 1954: 11)

これらは一見すれば異なる事象ですが、部隊としての戦闘力が枯渇し、本来の能力を十分に発揮することができなくなっている状態であるという点で一致します。
混乱によって部隊が潰走に至るような場合は議論の余地がありませんが、(1)のような場合であっても、ある種のブレークポイントに達していると考えることができます。

著者は、これまで多くの陸軍の士官たちがブレークポイントに関して20%から30%の損害を受ければ、それ以上の戦闘行動は考えられないという見解を示してきたことを指摘しつつ、これは極端に単純化された見方であり、実証的に解明する努力が不十分であったことを問題視しています。

著者は、ブレークポイントは部隊の規模(師団、連隊、大隊など)と職種(歩兵、戦車、砲兵など)によって異なるはずであると考え、第二次世界大戦での歩兵大隊を判断基準としながら、ブレークポイントに関する新しい分析を展開しました。

具体的には、第二次世界大戦での作戦に参加した米陸軍の歩兵大隊の記録から、44件のブレークポイントの標本を分析し、通説に反して損害の比率がブレークポイントを決定するという単純な因果関係を見出すことができないことを明らかにしました。

過去の標本を分析した結果によれば、兵卒の累積的損害が7%から48%(平均して26%)に達すると、(1)によって24時間以上を要する再編成の作業に入らなければならず、そうでなければ(2)のブレークポイントによって攻撃から防御に移転せざるをえなくなります。これは従来の20から30%の損害を一つの区切りと考える説と合致するところが多い分析結果と言えます。

しかし、(3)のパターンについては兵卒の損害が37%から69%(平均して52%)に達する場合に観察されており、従来の説の妥当性が限られていることを示唆しています。
したがって、死傷者が30%を超えたとしても、防御戦闘であれば大隊として戦闘力を発揮し続ける可能性はあるものと考えなければなりません。

この研究で特に興味深い発見事項として挙げられているのは、交戦を開始した時点からブレークポイントに至るまでの戦闘時間の経過という媒介要因を考えることで、損害の比率とブレークポイントの因果関係をより正しく理解することができるという点です。

著者は大隊が戦闘を開始してから2日から11日の期間であれば(1)、2日から22日であれば(2)、6日から17日であれば(3)のブレークポイントが多く観察されることを指摘しています。

また、これまでのブレークポイントの考え方にはなかった発見として、士官の損害は下士官や兵卒の損害と異なる影響を部隊に与えることも明らかにされています。

結論において、著者は大隊の損害だけでブレークポイントを判定することができないことを次のように説明しています。すなわち、データは平均的な損耗率だけをもってブレークポイントを判定することができないことは困難であり、少なくともその任務が攻撃と防御のどちらを主眼とするものであるかによってブレークポイントと人的損害の関係は異なっています。

また、ブレークポイントと人的損害の関係を説明するためには、その大隊が戦闘を開始してからどの程度の時間が経過しているかを考慮に入れることが不可欠である、という知見も重要な研究成果と位置付けられています。

もちろん、この研究で述べられているブレークポイントは歩兵大隊の問題に限定されていることには留意しなければなりませんし、後方連絡線の有無や訓練の度合なども考慮して研究をさらに発展させる必要があります。
いずれにせよ、30%をもって部隊の実質的な戦闘力が失われたという考え方は単純にすぎる説であり、戦術家として指揮官は人的損害だけを判断材料としながら戦闘の中断を決心するべきではないと考えられます。

KT

2015年3月14日土曜日

文献紹介 ハウスホーファーによる地政学への手引き


地政学で国際関係の事象を地図上で研究しようとする場合、初心者はどのような態度で臨めばよいのでしょうか。
ハウスホーファーの説によれば、地政学の研究で最も重要なポイントは覇権を確立する勢力が、どのような地理上の条件の下に他の諸民族に権力を行使するのかということだと考えられます。

今回は、ハウスホーファーの著作から地政学の入門書を紹介し、地政学の研究を進める上でとるべき姿勢について概観してみたいと思います。

文献情報
Haushofer, K., Obst, E., Lautensach, H., and Maull, O. 1928. Bausteine zur Geopolitik, Berlin: Kurt Viwinckel Verlag.(邦訳『地政治学入門』土方定一、坂本徳松訳、新世代叢書、育生社、1941年)

この著作は元来はハウスホーファー、オプスト、ラウテンザッハ、マウルの共著とされており、当時のドイツで研究されていた地政学の動向がよく反映されているのですが、残念ながら第3章までしか訳出されていません。

今回は、ハウスホーファーによって執筆された第2章の「地政治学の基礎・本質及び目標」の内容を紹介したいと思います。(訳語については評者の判断で修正を加えているところがあります。)

まず、ハウスホーファーは地政学の基礎は政治地理学にあると主張しており、地政学の研究を進めるためには、研究者に次のような基礎知識が要求されると述べています。
「地政学の最も良き基礎―このために私は地理学者として戦うのだが―は、まず政治地理学の完全な習得であり、しかもこれに止まると言っていい。政治地理学には、もちろん交通地理学、経済地理学ならびに文化地理学、国防地理学等が属する。次には歴史学ならびに国家・社会学等の方法論の習得である。その次に初めて法律学的な勉強が来る。この法律学的な思考方法は時に、未知なる世界に向かっての行動のための能力を損なうことがある」(58頁)
また別の箇所では「地政学はつねに、決して単なる一標語であってはならない」と警告しており、「それは、政治的先見を誇る諸民族の間には、すでに前から存在しているところの国家を空間において確保するために必要なあらゆる諸科学の共同建築」であると説明されています(61頁)。

このように、ハウスホーファーにとって地政学は本質的にまったく新しい学問領域ではなく、あくまでも国家を対象とした地理的考察を総合することで成立する複合的領域であると考えていました。

ただし、その研究は単なる複合的領域ではなく、次のような独自の研究課題によって方向付けられてもいます。
「地政学の本質は、地上の空間に、権力をできるかぎり実現するのに必要とするすべてのものを、政治技術のために準備するばかりでなく、それを思想的にも使用に耐えるものたらしめることにある」(63頁)
「それゆえにこそ、われわれは地政学の役目を、自分自身あるいは他の生存圏に対して政治的に重要な位置を利用したり、悪用したりするあらゆる人の教育の中に要求する。そしてわれわれは将来の地政学的予見の前提として、学校教育における地理、歴史に対し、従来とまったく異なる基準を要求して止まない」 (67頁)
これらの記述から、ハウスホーファーにとって地政学は大学の中で自己完結する学問ではなく、政策決定者や有権者の政治的教養となるべき学問とすべきだと考えていたことが分かります。
地政学は単なる知識ではなく、国家を運営するための能力に転換されることが期待されていました。

こうした役割を期待する地政学の基礎的事項としてハウスホーファーが議論しているのは、大国によって世界各地の中小国が空間的に支配されていることです。
「地政学は特に次のことを教える。すなわち、地表上の18億の全人口のもとにあって、植民地所有列強のごく少数の非常に富裕な人間が、モンスーン地帯諸国の9億5000万の人口を、7000万余のドイツ人を、ヨーロッパ内部および近東ならびにラテンアメリカの被圧迫小国の数百万人民を圧迫し、彼らの自決権を奪うような法は、最高のデモクラシーの原則に従うとき、存在しえないものだということである」(71-72頁)
さらに、ハウスホーファーは海洋国家と大陸国家では地理上の事象に対する認識に相違があると指摘し、マッキンダーの著作を参照しながら、海洋を支配する国家に固有の特性として小空間から遠方にまで勢力を発揮することができるというラッツェルの考察を紹介しています(79-80頁)。

こうした大陸国家と海洋国家で展開される権力闘争というハウスホーファーの理解については、基本的にマッキンダーの学説に依拠したものとなっており、著作でも繰り返し参照されています。

彼の地政学の分析モデルで一貫している要素は、長い歴史は諸民族の権力闘争として地理上に展開されてきたという視点であり、さまざまな地政学の事象を「生存圏」の膨張と縮小から把握されているところでしょう。
その結果、特定の勢力の生存圏は広く地上に拡大し、他方の勢力の生存圏は狭隘にならざるを得ないという説明になります。

この論文は入門者のために執筆したものですので、ハウスホーファーの書き方も自らの研究成果を述べるというよりも、これまでの研究成果を整理することに重点が置かれているのですが、彼が地政学をどのような学問としてイメージしていたのかを知ることができるものと思います。

KT

2015年3月12日木曜日

お知らせ 2015年4月の更新停止について

時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。

この度、2015年4月1日から30日にかけて、本サイトの更新を停止することをお知らせ致します。

このような決定に至りました理由としましては、2015年4月からある大学で講師の仕事を当方が引き受けさせて頂くことが決まり、当初はそちらの業務に専念する必要が生じたことによるものです。
5月には更新を再開する予定でありますが、定期的にお越し頂いている閲覧者の皆様におかれましては、当方の事情によりご迷惑、ご不便をおかけすることになり誠に申し訳ありませんが、何卒ご了承を頂ければと存じます。

今後とも引き続き「安全保障学を学ぶ」を宜しくお願い申し上げます。

KT

2015年3月3日火曜日

文献紹介 クセノフォンの騎兵戦術


古来より軍隊はさまざまな種類の部隊で組織されてきましたが、特に騎兵は近世までの戦場で重要な役割を果たしてきました。

騎兵の戦術について考察することが、直ちに現代の戦術に役立つわけではないのですが、戦術の基本原則の妥当性を検討する上で有意義な部分も少なくなく、歴史的関心から見ても興味深いテーマだと思われます。
今回は、こうした観点から、クセノフォンの著作から古代の騎兵戦術に関する考察を紹介したいと思います。

文献情報
クセノポーン『騎兵隊長・馬術』田中秀央、吉田一次訳、生活社、1944年

このような騎兵戦術に関する考察がクセノフォンによってまとめられた背景には、紀元前365年にアテナイとテーバイの戦争が予期されるに至ったことが関係しています。

アテナイ軍で騎兵隊長の地位にあったクセノフォンであり、騎兵に対して強い研究心を持っていました。また、研究者によるとこの著作の執筆した時に2人の息子を兵役のためにアテナイに送り出した時期とも重なっているそうで、騎兵に関する研究成果をまとめて次世代に継承する必要を感じていたのかもしれません。

現代の観点からクセノフォンが考える戦術の特徴を考察すると、欺瞞の重要性が繰り返し強調されている点に気が付きます。
これは戦場における騎兵部隊の特性から、敵に物理的打撃を加える前に心理的衝撃を与えること、つまり奇襲を成功させることが戦果を上げるために重要であったことを反映したものと考えられます。

もちろん、クセノフォンは戦場における騎兵の戦術だけを議論したわけではなく、その管理の問題についても言及しており、特に古代アテナイで騎兵部隊がどのように運営されていたのかについて記してもいます。

クセノフォンはまずアテナイの法令に基づく定数1,000名の騎兵部隊を維持するためには、適切に新兵を配属するだけでなく、軍務に適格な軍馬を選抜することも重要であると述べています。
(旧字体の箇所など原文に手を加えて引用している箇所があります)
「騎兵隊の人員を満たすと同時に、馬が激務に耐え得るよう十分な糧秣を与えることに注意せねばならない。激務に耐え得ぬ馬は追いかけることも、逃げることもできないからである。従順ならざる馬は味方を益するよりは敵を助けることの方が多いから、馬を従順ならしめることが肝要である。乗馬する時蹴る馬は除くべきである。こんな馬は除くべきである」(6頁)
騎兵として訓練すべき基礎的事項としてクセノフォンが最初に述べているのは飛び乗りであり、次にさまざまな地形に適応した乗馬技術の演練が続き、最後に乗馬のまま投槍を扱う戦技を修得しなければなりません(7)。

これらの記述から、クセノフォンが非常に実践的な観点から騎兵戦術を議論していることが伺えるのではないでしょうか。

騎兵戦術の細目について目を移すと、この著作では騎兵部隊が採用するべき隊形について3列の横隊を主張しており、次のように説明しています。
「第一に各連隊長と相談の上、男盛りにして、目覚ましい働きをして名誉を勝ち得ることを特に念願とする人々の中から、これらの連隊の十人列長を任命すべきであると私は言う。これらの列長をもって前列を形成させるべきである。彼らの次に最古参で最も思慮ある者たちの中から彼らと同数の者を選んで十人列の後列としなければならない。(中略)前列と後列との間の兵については十人列長が自分のすぐ後列にならぶ兵を選び、しかして他の者は彼と同じように(順次に)並ぶならば、当然に各々の兵にはそのすぐ後列の者が彼の最も信頼する者であるということになる」(13-14頁)
ただし、これは戦闘隊形であり、行進を行っている途中で狭い道を通過する場合は縦隊で、広い道に出ると正面を広く取ります。それでも、広漠な地域に進出するたびに、戦闘隊形を整えさせることが訓練のために、また行進に変化を与えて楽に移動するためにも役立つのであるとクセノフォンは考えていました(20頁)。

部隊が行進する予定の経路には若干の騎兵を斥候としてあらかじめ進出させることで、行進の速度を保つことができますが、敵地に入った場合には前衛を派遣して敵を捜索することが重要となります(21頁)。
ただし、前哨を置く場合には可能な限り敵に発見されないように工夫を要することにも触れられています(22-23頁)。

こうした諸事項は戦術の基本でもありますので、現代の観点から考えてもあまり変化はありませんが、騎兵戦術としてクセノフォンが特に強調している研究項目に追撃と退却があります(26頁)。
これは戦闘の序盤から中盤にかけて重要な役割を果たすべき歩兵と対照的なところとも言えます。
クセノフォンの研究項目からも騎兵はまさに勝敗が決しつつある終盤にこそ、最も重要な働きを求められていたことが分かります。

またクセノフォンは騎兵によって敵を欺瞞することの価値は極めて大であると考えており、部隊の規模を敵に大きくないし小さく見せるための工夫として、隊形の間隔を調整する必要があると指摘しています。
「馬は密集している時は馬の大きさのために多数に見えるが、散開している時は容易に数え得る、ということを知らねばならない。貴下が騎兵を示さんとするのが、その駐軍中たると行進中たるとをとわず、もし従兵に槍かまたは槍に似たものを武装させて、これを騎兵の間に入れるならば、貴下の騎兵隊はその実際よりは一段と数多く見えるであろう」(26頁)
「これに反し多数を少数に見せることを目的とするならば、地形上遮蔽し得るとすれば、一部を開闊地に置き、他を遮蔽しておけば貴下の騎兵隊を隠すことができることは明らかである。ただし地形全体が暴露している時は、縦列を横列とし、各横列間に間隔を置いて旋回すべきである」(同上)
縦列が横列に方向転換すれば、敵の目には縦列の時の正面、横列になっても両翼しか観察することができません。
クセノフォンはこうした処置を駆使して敵を欺瞞することこそが騎兵戦術の基本であると主張しています。
「欺瞞的伏兵、欺瞞的増援、欺瞞的情報を作ることによって、人は敵に脅威を与えることができる。敵は相手が困難な状況に陥って夢中になっていると聞くと最大の自信を抱くものである」(27頁)
「何となれば、実際に戦において欺瞞ほど有利なものはないからである」(同上)
「戦において勝ち得た勝利について考えてみれば、勝利の大部分、しかもその最大なものは欺瞞的行為の助けによって得られたことが判明するだろう」(同上)
このようなクセノフォンの戦術で大前提とされているのは、騎兵部隊と歩兵部隊の協同に他なりません。
つまり、戦場において騎兵部隊は欺瞞を駆使しながら敵に決定的な打撃を加えるために使用するべきであり、騎兵だけで戦闘を行うものとは考えられていないのです。
「騎兵隊長たる者のもう一つの義務は、配属歩兵のある騎兵に比較して、歩兵を配属されない騎兵のいかに弱いかを市当局に示すことである。また歩兵を得た以上は騎兵隊長は歩兵を利用せねばならない。乗馬兵は徒歩兵よりはるかに背の高いことゆえ、騎兵隊の中ばかりでなく後方にも歩兵を隠すことができる」(28頁)
例えば、ある同程度の勢力を持つ敵の騎兵隊を攻撃する場合、クセノフォンはそれぞれの連隊を前後に二つに区分して前進すべきであると述べています。

そして、敵に接近してから後続する部隊は先頭の部隊の背後から左右両翼に隊形を開き、かつ随伴する歩兵が伏兵としてさらに後から続いて突撃したならば、敵は直前に予想したよりも大きな勢力を見せつけられることになり、その心理的効果は極めて大きなものになることが期待されます。
「以上の戦術を採用するには何ら難しいことはないが、敵に対して思慮深く、忠実に、快く、かつ勇敢に開進する兵を見出すこと、それは優秀な騎兵隊長にしてなし得ることである。隊長は己が言語動作により範を示して、それを見て部下が彼に服従すること、彼に随伴すること、敵に迫ることを立派なことだと理解するに至り、称賛を博さんとの欲望に燃え立ち、彼らの意図を飽くまで遂行することができるようにするに足るだけの人物でなければならない」(39頁)
以上の記述から、クセノフォンが考えた騎兵戦術の概要と、騎兵隊長としての心構えを知ることができたものと思います。

敵を欺くことは戦術の最も基本的な要素であります。しかし、機動力に優れている反面、衝撃力が失われると立ち往生してしまう騎兵部隊にとって、欺瞞はより一層の重要性を持っていると考えなければなりません。

KT

2015年3月2日月曜日

文献紹介 征服によって利益は得られるのか


国際関係論では外国を征服することが国民に利益をもたらすかどうかが一つの論点となっています。
一般に武力で外国を征服しても軍事支出が膨らみ、治安維持が難しいため利益を上げることは難しいと考えられがちですが、歴史上の事例では征服で利益を上げることは不可能ではないことが示されています。

今回は、経済的な利益という観点から征服という対外政策について考察した国際関係論の論文を紹介したいと思います。

文献情報
Liberman, Peter. 1993. "The Spoils of Conquest," International Security, 18(2): 125-153.

1.論争
2.自由主義者の議論
3.現実主義者の議論
4.結論

武力によって外国を征服することが利益となる、という見解にはトゥキディデスによるアテナイ帝国の分析にまでさかのぼることができるほど古い歴史があり、近代の国際関係の分析においても見出すことができます。
しかし、国際関係論の研究では二つの理論から他国に対する戦争がもたらす利益について異なる見積が示されてきました。

第一に自由主義の理論では一般的には戦争が利益をもたらすことが困難という判断が示されています。

その理由としてしばしば挙げられるものに民族主義的な抵抗運動の危険があります。
つまり、外国軍の支配を受けた住民は、民族意識を高揚させて占領に対する軍事的、非軍事的手段による抵抗運動を推進する危険が生じます。特に20世紀以降に民族主義運動が世界的に普及してからはほとんど征服が成功する見込みがなくなったと考えられています(Ibid.: 133-134)。

また、征服した地域を政治的に支配するための費用の問題、経済的な抵抗が余剰生産物を削減し、外国との貿易を難しくすることも理由として挙げられています。

第二に、現実主義の理論から考えると、近代の国際関係においても征服は利益を上げることが可能であったことを指摘しており、戦争が国家にとって利益をもたらしうると見積っています。

この主張の根拠としては、第一に近代化による余剰生産物を増大させることが可能であるため、第二に征服した地域の住民の抵抗を困難にするために政治権力を近代化の過程で中央に集中させることができるため、第三に近代化によって住民が獲得する利益は、抵抗によって期待される利益よりも総体的に大きくなるため、という三つが考えられています(Ibid.: 137-138)。

厳密には現実主義者が必ず征服が利益をもたらすと考えているわけではないのですが、この見解で興味深い主張は、現実主義者は征服した地域を近代化させることによって、征服された住民を懐柔することが可能である、と考えているところでしょう。

以上の現実主義者と自由主義者の議論で争われているのは、近代の国際関係において(つまり近代化された経済システムを前提とした場合に)実施される征服がもたらす利益の水準が費用を上回るか、それとも下回るかという点です。

ソ連が東ドイツを占領した事例を見てみると、ソ連軍は400,000名の兵士を東ドイツに駐留させていました。この数値は西側からの攻撃を受ける危険も考慮した上でのことですので、純粋な占領目的の場合よりも規模は大きいと考えられます。
1947年から1953年にかけてソ連は東ドイツから年間で60億マルクの賠償金を受け取っており、著者の計算ではこれはソ連軍を駐留させる費用の4倍近い金額であったことが述べられています(Ibid.: 138-139)。この事例は自由主義者の主張と反するものです。
二次大戦でドイツに占領された各国の近代化の水準と戦時経済に対する貢献。
ノルウェー、ベルギー、オランダ、フランス、ギリシア、ポーランド、セルビアの順でデータが整理されている。
左側の数値が一人あたりのGNPの水準(ドイツのそれが100の場合)、
右側の数値が一人あたりのドイツ戦時経済への負担を表す。
(Liberman 1993: 141)より引用。
また、近代的な経済システムが発達した国家を占領した場合として第二次世界大戦にドイツが占領した事例を検討すると、やはり自由主義の予想とは反する事実が見出されます。

ドイツはノルウェー、ベルギー、オランダ、フランスなど近代化された経済を動員することに成功しており、例えばノルウェーでは一人あたり平均して447マルク、ベルギーからは306マルク、オランダからは360マルク、フランスからは228マルクを戦時経済のために負担させることができていました(Ibid.: 141)。

征服の利益と不利益は複雑な事象ですので、ここで挙げた数値だけで判断することは難しいのですが、著者は征服によって利益を上げることが不可能であると言い切ることはできない、という立場から次のような結論を導いています。
「もちろん、抑圧に関する幅広い評価研究はいかなるものであれ他の諸要因を考察しなければならない。経済的利益を得ることだけが征服のやっかいな結果である、というわけではない。(中略)他方において、自由主義者の征服についての見解は抑圧に対するただひとつの議論ではなく、また最も有力な議論というわけでもないのである」(Ibid.: 151)
最後に、著者は占領軍に対する抵抗運動というものが、いかに無力であるか、ということについて述べています。
占領軍に対する抵抗運動に参加する危険や費用というものは、ほとんど常に期待される利益を上回る傾向にあると考えられています(Ibid.: 152)。
占領軍の駐留によって獲得される利益を相殺するほどの大規模な抵抗運動を組織することができる状況は例外的なものでしかなく、ほとんどの事例では占領を受ける住民は、占領軍の指導に従って生活するしか選択肢は残されていません。

ただし、このような研究に対して、現代の国際関係では貿易を通じて国際分業が進んでいるため、他国の領土を取得してもそこから経済的利益を得るには限界があり、また戦争によって貿易相手国が減少することでかえって経済的損失が大きくなるという見積もあります。

結局、こうした問題は究極的には個別の国家の状況によるところが大きいため、一般化は困難なのですが、現代の国際関係において領土を獲得するための戦争がどれだけの経済的な利益をもたらすのかという論点は非常に興味深いものだと思います。

KT