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2015年12月5日土曜日

事例研究 作戦線から見た太平洋における米軍の対日作戦

太平洋方面における米軍の作戦を指導したマッカーサー(左)とニミッツ(右)。
戦略学の分析概念の一つに作戦線(line of operation)というものがあります。
これは作戦部隊と作戦基地を結びつける交通手段のことを意味しており、戦域の各方面で展開する部隊は兵站上の理由からその本国と継続的に連絡できる状態を維持しなければなりません。
作戦線を検討すると、さまざまなことが分かるのですが、ある作戦線を特定することによって敵が将来実施しようとする作戦のパターンを予測することができる場合があります。

今回は、太平洋における米軍が1943年以降にどのような対日戦略をとったのかを理解するため、作戦線に着目して考えてみたいと思います。

1942年、米軍が選択可能な戦略
1941年に日米が開戦し、日本が太平洋、アジアの両方面で順調に勢力圏を拡大しつつありましたが、その攻勢の勢いも1942年の時点には衰えつつありました。そこで米国としては日本を降伏にまで追い込むための反攻を計画し始めることになります。

まず、日本を打倒するためには東京を米軍の勢力圏に入れる必要がありますが、東京に対する航空攻撃を実施するために確保すべき作戦基地を考えると候補地は二つあり、一つは北海道、もう一つはルソン島・台湾(中国沿岸)・沖縄の地域でした。
どちらの目標に向かうのかという論点でも議論が分かれますが、さらにこれらの目標に向かうためにどのような作戦線を選択するのかという論点でも議論が分かれます。したがって、戦略案は大まかに次の五通りの意見に分かれます。

第一案、アラスカから出発して北太平洋のアリューシャン諸島を軽油し、北海道に侵攻する戦略。
第二案、ハワイを起点とし、ギルバート諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、そしてルソン島、台湾、沖縄を目指す戦略。
第三案、オーストラリアを起点としながら、ニューギニア島、ハルマヘラ島、パラオ諸島、ミンダナオ島を順次経由してルソン島、台湾に侵攻する戦略。
第四案、インドから出発し、ビルマから中国に入り、広東省、香港、上海という順番に攻略していく戦略。
第五案、同じくインドから出発しますが、これはマラッカ海峡を通過して南シナ海から台湾(中国沿岸)へ進攻する戦略。
(Coakley and Leighton 1989: 397)より引用。
第三案をガダルカナルで実行に移した米軍
この記事では、それぞれの戦略案の優劣について詳細に検討することは差し控えますが、1942年にオーストラリア、ハワイ、アラスカ、インドの各方面で日本軍の進攻が一段落したのを確認すると、米軍は最初の反攻をガダルカナルで実施し、この時の戦果によってガダルカナルに部隊を進出させることに成功します(Ibid.: 396)。つまり、米軍としては第三案が有利だと判断したということになります。

この米軍の戦略的反攻の開始時期は日本軍が想定していた1943年中期以降という見積よりも相当に早かったこと、ガダルカナル島の戦略的価値が十分に理解されていなかったことなどから、日本軍は初期対応を誤りました。
ガダルカナル島とツラギ島への米軍の上陸が始まった時、大本営はこれを米軍の偵察上陸であると判断し、これが本格的侵攻に発展したとしても現有勢力で奪回することはさほど困難ではないだろうと予想していました。
この判断が下された背景には、ヨーロッパ方面の戦況で米軍が手一杯だという認識があったことも関係しますが、それ以前に日本の側で米軍が反攻で使用するであろう作戦線の研究について重大な不備があったことが示唆されています。

米国のハワイからオーストラリアまでを最短距離で結ぶとおよそ7500キロメートルで、今のバヌアツの北側、ソロモン諸島の南側を通過することになります。
ソロモン諸島を占領する日本軍の存在はこの航路の安全を脅かすため、オーストラリアに対する援助ないしは米豪の共同作戦を考えた場合に、真っ先に排除しなければならないのがソロモン諸島の日本軍という考え方になります。米軍のガダルカナルに投入した部隊の規模が小さいものであったとしても、ソロモン諸島を作戦の目標としていることが判明したならば、ガダルカナル上陸の背後にはオーストラリアとの連携によってフィリピンにまで西進するという遠大な戦略があること、したがって事態は重大な局面に入っていると判断することは可能でした。

事実、昭和天皇はこの米軍のガダルカナル上陸の第一報を受けて事態が極めて深刻であると判断していました。当時の昭和天皇は滞在中だった日光から急遽東京に帰還し、現地の部隊の状況を掌握しようとしたのですが、これに反対する立場で軍令部総長は事態を過大に重視することはないと述べ、予定通り日光での滞在を続けるように説得した上で、最終的に帰還を思いとどまらせています(服部1965: 329-30)。

結論的考察
戦略を研究する上で作戦線に着目するアプローチは非常に強力です。
なぜなら、作戦を進めるために利用可能な基地や交通手段というのは地理的に限られるため、ある戦略陣地に対して敵が攻撃をしかけたとすると、そこを起点として将来予想される作戦のパターンを絞り込むことができるためです。
後の研究者は太平洋方面における米軍の作戦計画には多分に機会主義(opportunism)の傾向が見られたと指摘していますが(Coakley and Leighton 1989: 395)、それでも米軍は作戦線を基本とした戦略から大きく逸脱した作戦を選択しておらず、仮にそのような作戦が実施されても成果を上げることはできなかったでしょう。
あらゆる作戦は兵站によって支配される以上、戦略家は敵の作戦線とそこから引き出し得る含意について詳細に研究することが求められます。

KT

参考文献
服部卓四朗『大東亜戦争全史』原書房、1965年
Coakley, Robert W., and Richard M. Leighton. 1989. Global Logistics and Strategy 1943-1945, Washington, D.C.: Center of Military History.

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