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2015年11月25日水曜日

モンテスキューによる征服者への助言

国家が領土を拡大するには
戦争によって獲得した国家に対する支配はどのようにあるべきか、という問題は古くから政治学で議論されてきた問題でした。
例えば、フィレンツェの思想家マキアヴェリはこの問題について将来の反乱を防ぐためその国家の王族、有力者の血縁者を一人残らず殺すこと、兵士を入植させて植民地化すること、一般市民を味方につけるため宗教と税制にいかなる修正も加えないこと、これらが非常に重要だと主張したことがあります。

これらの措置は確かに被征服者が再び征服者に歯向かう可能性を最小限に抑制する上で有効と認められます。しかし、18世紀フランスの思想家シャルル・ド・モンテスキューは占領地を有効に管理する方法はこれだけではないことを論じました。
今回は、この論点に関するモンテスキューの学説を紹介したいと思います。

新たな占領地による戦力不足の問題
モンテスキューはそもそも征服地域を支配する方法については大国が相手の場合と、小国が相手の場合とで異なる要素があるのではないかと考えていました。
これは小国であれば強制力だけに頼って支配することも可能かもしれないが、大国だと占領地の治安維持に多くの部隊が必要となるため、防衛体制を維持する上で戦力の不足を引き起こすという考え方でした。
「もし征服が大々的である場合、それは専制政治を前提とする。そうなると、諸州に散在する軍隊では不十分である。常に君公の周辺に特別に信用のおける軍団を配して、帝国内の動揺しそうな部分に常に襲い掛かれる態勢におかなければならない。この軍団は他の部隊を抑制し、君公が帝国内でやむなく何らかの権力委ねたすべてのものを震え上がらせなければならない」(邦訳上284頁)
さらに、占領地における軍隊の配置の問題だけでなく、すでに征服者が保有している領土から軍隊を引き揚げなければならない状況さえ起こり得る危険も次のように指摘しています。
「もし征服者が征服した国家を保有するならば、彼が派遣する総督は臣民を抑えることができないであろうし、征服者自身も総督を抑えることができないであろう。また、新しい所領を確保するため、古い所領から軍隊を引き上げなければならなくなるだろう。双方の国家の不幸はすべて共通となり、一方の内乱は他方のそれとなる。」(邦訳上285頁)
清国における満州族と漢民族の関係
以上のような判断から、モンテスキューは相手を徹底して滅ぼすのではなく、可能な限り活用する方法こそが領土を維持する上で有効な場合があると考えました。
ここでモンテスキューが参照しているのが清国の事例です。

人口の規模で見れば極めて少数であるにもかかわらず漢民族を征服することに成功した満州族は、1644年から北京を首都に置いて、本格的な清国の統治体制を始動させます。
この時に清国では政府組織の民族構成について漢民族と満州族の割合を半分ずつに調整するという措置をとっていました。

モンテスキューはこのような処置について「(1)両国民は相互に抑制しあう、(2)両社とも軍事的および文民的な権力を保持し、一方が他方によって全滅させられることがない、(3)征服国民は弱められることも滅びることもなく、全土に広がることができる」と利点を挙げた上で、「これは、極めて理にかなった制度で、このような制度の欠如こそが、世界のほとんどすべての征服者を破滅させたのである」と述べています(上284頁)。実際、このような政治的手法を駆使しなければ、満州族は漢民族を自らの統治機構の中で利用することはできなかったでしょう。

結びにかえて
モンテスキューは必ずしも冒頭で述べたマキアヴェリの征服地の統治手法を否定したわけではありません。しかし、その手法には明らかに限界があると考えていました。
特に大国を征服する場合、配置すべき占領軍の規模が巨大になるため、有効に統治することが難しくなってしまうのです。

そこでモンテスキューは清国の事例から征服者の政府組織の半分を被征服民で組織し、我が方の味方に取り込んでしまう方法が必要になると考えました。そして、これは寛容さの結果というよりも、帝国が領土を次々と拡大する上で欠かすことができない必然であることを強調しています。
「すでに述べたように専制君主によって征服された国家は封臣とならなければならない。かつて打ち破った君侯たちに王位を返還した征服者たちについて、歴史家は懸命にその寛大さを称える。したがって、いたるところに王を作ってこれを隷属の道具としたローマ人はまさしく寛大だったということになる。このような行動は必要な行為なのである」(上285頁)
KT

参考文献
モンテスキュー『法の精神』野田良之ほか訳、全3巻、岩波書店、1989年

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