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2015年9月25日金曜日

論文紹介 戦術を科学と見るのか、技術と見るのか


戦術とは、どこまで科学的、客観的に研究可能なのでしょうか。
軍事科学の歴史を振り返れば、戦術は本質的に技術であって、科学ではありえないという考え方と、それに反対する考え方との間で長い議論が展開されてきました。

今回はこのような論点を考える上で、冷戦期における米ソの戦術に対する考え方に注目した研究を紹介したいと思います。

文献情報
Fastabend, David A. 1987. Fighting by Numbers: The Role of Quantification in Tactical Decision Making, Fort Leavenworth: School of Advanced Military Studies.

著者は冒頭で戦術をめぐる根本的な見解の相違について取り上げています。
「戦術的天才はその技術によるものなのか、それとも科学によるものなのか。戦術という技術の直観的な要求と戦術という科学の定量的考察との間の緊張関係は、米陸軍の戦術的意思決定に関する教義、規則における難題であった」(p. 1)
著者はこのような問題を踏まえた上で、米国とソ連の戦術観に大きな相違があることを指摘し、それらを対比して示しています。
すなわち、米国における戦術の考え方では戦術を「技術」と見なす立場がより強く、また科学として戦術を考える立場は相対的にソ連の方が優勢である、という相違が見られるのです。

著者によれば、米国の士官が戦術をそれほど科学的なものとして見なしておらず、教範でもそのような立場が採用されている背景には、物量の優位に頼ることができるという米国の国力が関係していると考えられています。
そのため、戦術上の問題解決において定量的アプローチはそれほど重視される必要がありません。
少なくとも戦術を科学的に研究することが現場で要求されることは滅多にありません。

しかし、著者によれば、ソ連の士官たちは全く異なった観点から戦術を考えており、戦術は技術ではなく一種の科学であると見なしています。
ソ連では独ソ戦の経験を踏まえ、部隊の利用可能な資源を最適に配分することの戦術的な重要性について共通の認識を持たれていることが関係していると著者は考えています。

例えば、ソ連軍の教範では相対戦闘力において数的優勢を確保するために必要な計算が述べられており、特に戦闘力の人的、物的要素が各種状況ごとにどれほど優越しなければならないかが参考数値として述べられています。
その反面として、ソ連軍の教範では指揮官の創意や兵士の士気のような要因はあまり考慮されていないという特徴が見られます。

著者の結論として、米国はソ連に比べて戦術上の問題を解決するために科学的、定量的なアプローチを適用する努力に欠けており、よりバランスのとれた戦術の考え方を採用する必要があるのではないかと議論を呼びかけています。

その国家が採用する戦術上の教義内容の是非は別として、学問的に戦術を研究する段階においては、技術的側面と科学的側面の間でバランスのとれた理解が必要であるという議論は、現代の戦術学の研究においても重要な示唆を与えてくれるものではないでしょうか。

KT

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