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2015年8月16日日曜日

マキアヴェッリ式陰謀心得

陰謀とは権力者の生命、財産、名誉に危害を加えることで、自らの政治的目的を達成する試みを言います。
陰謀は時として権力者の政治生命を一撃のもとに葬りさることもあるのですが、失敗に終わることも少なくないため、その成否がどのような要因で左右されるのかは政治学者にとって興味深いところです。

今回は、マキアヴェッリの著作から、陰謀を成功させるために注意すべき事項に関する考察を取り上げ、その要点を紹介したいと思います。


マキアヴェッリは一般に陰謀の大部分は失敗する危険するものであると考えています。
それは陰謀に伴うさまざまな危険によるものであり、具体的には計画する段階、遂行する段階、実施した後の段階という三つの段階それぞれに発生する危険に区分されます。

第一に、陰謀を計画する段階での危険とは、内部から告発される危険です。

マキアヴェッリは単独で実施することができる場合は別として、陰謀を計画すると裏切り者によって告発される危険が発生するため、十分な見返りを与えることが必要であることを指摘しています。

つまり、陰謀を実行に移すためには権力者には刃向うという危険に見合うだけの利益の裏付けを示さなければなりません。どれだけの資金を投入することができるかが、陰謀の成否を分ける上で重要な意味を持つのだとマキアヴェッリは考えています。
上流階級の富裕層でなければ、これほどの危険を伴う活動の協力者を集め、かつ告発を受けずに済ませることは極めて困難でしょう(504頁)。

第二に、陰謀を実施する段階での危険があり、これは決行当日の不確定な状況の変化に由来します。

マキアヴェッリはこの具体的な事例としてフィレンツェを支配するメディチ家のロレンツォとジュリアーノの暗殺未遂事件を紹介しています。

この時、陰謀の加担者たちは部隊を三つに区分しました。
当日ピサからの訪れる教会の枢機卿との正餐に出席すると見られるロレンツォ、ジュリアーノを殺害する部隊、その拠点である館を占領する部隊、市街地を駆け回って人民を扇動する部隊と役割分担しました。
しかし、当日になってジュリアーノが正餐に参加しないと分かり、陰謀の計画は実施直前で大きく乱れてしまいました。
結局、各部隊の役割分担を一から見直さなければならなくなりましたが、その間にメディチ家が事態を察知し、陰謀は完全な失敗に終わってしまったと説明されています(515頁)。

第三に、陰謀を実施した後にも生き残った政敵によって反撃を受ける危険があります。

陰謀を計画した人々は、陰謀によって危害を加えられた人々の生き残りから必ず報復を受けるものと考えなければなりません。

ここでマキアヴェッリが取り上げた事例は1488年に人民の反乱によって殺害されたジローラモ伯です。
反乱軍は殺害したジローラモ伯の子供と妻の身柄を確保していましたが、ジローラモ伯の守備隊は反乱軍に城砦を明け渡すことを拒否していました。しかも、反乱軍の戦力ではこの城砦を攻略することができませんでした。

そこで伯爵夫人は反乱軍に子供を人質として自分だけが城砦に入り、反乱軍に降伏するよう説得すると提案し、反乱軍はこれを受け入れます。
しかし、この伯爵夫人は城内に入ると直ちに守備隊の指揮を掌握し、夫を殺害したことを城壁から大声で非難し、人質にした自分の子供に未練などないとして、子供などいくらでも産んでみせると敵に自分の恥部を晒して言い放ったとされています。

これは反乱軍にとって致命的な政治的誤算となりました。指揮系統を回復した守備隊によって撃破される危険に晒された反乱軍は、ついに権力を目前としながらそれを奪取することができず、陰謀を企んだ全員が追放の身となってしまいます(521頁)。

こうした一連の陰謀のプロセスに含まれる危険をすべて乗り越えてはじめて陰謀はその政治的目的を達成することができる、というのがマキアヴェッリの見解です。
一見すると、このような陰謀の話は過去の逸話にすぎないと思われるかもしれません。
しかし、ケネディ大統領の暗殺事件やレーガン大統領の暗殺未遂事件などが見られるように、陰謀は現代の先進国においても依然として政治の一要素であり続けていることも、頭に留めておくべきではないでしょうか。

KT

参考文献
マキアヴェリ「政略論 ティトゥス・リウィウス『ローマ史』に基づく論考」『世界の名著マキアヴェリ』会田雄次訳、中央公論社、1966年、3巻6章「陰謀について」を参照。

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