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2015年7月22日水曜日

領土拡張のための「成長尖端」


今回は、地政学の用語の一つ、成長尖端(Wachstumsspitzen)についての説明を取り上げたいと思います。
国家は対外的にその領土を拡張するための予備的段階として、ごく小規模な地域を獲得しておくことがあります。
これは政治学、特に地政学の分野で、成長尖端と呼ばれることがある地域です。

ハウスホーファーは成長尖端を分類することができると考えており、その分類は次の通りとされています。
(1)消滅した成長尖端
(2)後退しつつある成長尖端
(3)潜在的になった成長尖端
(4)徐徐として増大しつつある成長尖端
(5)迅速に増大しつつある成長尖端(飯本、1929年、48-49頁)

この分類の基礎は、領土を拡張しようとする国家がその成長尖端を重要視する度合いである、と言えるかもしれません。
つまり、政治的関心が消滅した成長尖端が一方にあれば、他方で極めて強い関心を示して国力を投下してくる成長尖端もあり、時間の経過によって力点は地理的に変化しうることが前提とされています。

成長尖端は前方基地の建設や部隊の進駐のように軍事的な形態として出現する場合もありますが、必ずしも軍事的手段だけによる領土の拡張だけを指すわけではありません。
例えば、未開の地域における植民市の建設と自民族の移住、宗教、言語、文化の普及、さらには現地における自国資本による経済的活動の掩護なども、こうした成長尖端を構成しうる活動です。

どのような形態をとるとしても、成長尖端それ自体は極めて狭隘な土地であり、それ自体が直ちに領土の拡張を可能にするというわけではありません。
成長尖端はあくまでも本格的な領土の拡張を行うための予備的な段階として形成されるに過ぎず、国家の対外政策としてそれ以上の領土拡張が困難と判断されたならば、放棄されてしまう可能性もあります。

さらに、成長尖端の歴史的事例をいくつか示しておきたいと思います。
1453年、オスマン帝国の皇帝メフメト二世はビザンティン帝国の首都であったコンスタンティノープルをついに陥落させました。
メフメト二世はこの都市の重要性を認めて政府機関をすべて移転させており、バルカン半島に軍隊を前進させるための橋頭保として活用しています。その後、バルカン半島は北のハプスブルク家と南のオスマン帝国によって分割され、長期にわたり独立を失うことになりました。

1819年、イギリス東インド会社の書記官だったトーマス・ラッフルズはマレー半島を領有するジョホール王国からシンガプーラ島に商館を建設することを許可され、1824年には同国から正式に割譲されました。
これがその後のイギリスの東南アジア地域における最大の拠点シンガポールとなり、アジア進出の重要な足がかりとなっています。

このように、僅かな土地を足掛かりとして確保しておくことは、その後の勢力圏の拡張を円滑にする上で役立ちます。
もしも国家の勢力が相対的に劣勢であったとしても、成長尖端は極めて小規模な土地であるため、支配を維持するための費用は小さく済ませることができます。
自国の国力を回復し、他国に対して優勢な状況となってから、行動を起こすまで様子を見ることができるので、優れた領土拡張政策と言えます。

これらの判断を逆の立場から考えると、膨張主義の国家による領土拡張を効果的に封じ込めるためには、まず相手国に成長尖端となる土地を決して獲得させないことが重要であると言えます。
成長尖端には、現状維持を試みる国家の防衛線を突破するための小さな間隙としての機能があるのですから、支配している土地の面積が小さくとも、その土地を支配することの政治的、戦略的な意味までもが小さいと誤解してはなりません。

参考文献
飯本信之『政治地理学』改造社、1929年

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