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2015年7月1日水曜日

文献紹介 ソ連によるスイス進攻は可能か


ヨーロッパの永世中立国として、スイスには国民皆兵の思想を実践し、また歴史に残る優れた武器を開発した歴史と伝統があります。
その軍事力は大国といえども決して侮ることができるものではなく、永世中立を維持するために他国との軍事同盟に頼ることができませんが、それだけの自主防衛の能力を整備しています。
しかし、その軍事力が実証的にどの程度の水準であったのかはそれほど知られていないのが実情です。

今回は、冷戦末期のヨーロッパ情勢を踏まえて東側陣営の攻撃に対するスイスの防衛力を分析した研究を紹介したいと思います。

文献情報
HERO. 1980. Potential Warsaw Pact Invasion of Switzerland: Quantified Judgement Model Analysis, Preliminary Report, Dunn Loring: Historical Evaluation and Research Organization.

地理的観点から見れば、スイスはフランス、ドイツ、イタリアの中間に位置する山地を領有しています。
冷戦当時の情勢を考えると、ワルシャワ条約機構軍(以下WP軍)が北大西洋条約機構軍(NATO軍)に対して大規模な攻勢に出ればWP軍は南翼側面をスイスに暴露する態勢となります。
またNATO軍の立場からスイスを見ると、スイスはちょうど右翼側面を自然と掩護する位置にあるため、正面に戦力を集中させやすいという有利があります。
ここにWP軍がスイスを攻略する戦略上の理由が見出されます。

もしスイス軍を撃破することが戦略的に可能であれば、NATO軍は後退する際に右翼側面に対する抵抗を強化する必要に迫られるでしょう。
また、WP軍は前進するために左翼側面に不確定な脅威を抱えずに、西ドイツを超えてフランスへと部隊を進撃させることができます(Ibid.: 2)。
以上の理由から、WP軍のスイス進攻は非現実的なシナリオであるという訳ではありません。

この研究によると、ソ連の教範では敵よりも常に味方の規模が優勢になることを作戦の基本原則としていることに触れています。
具体的には3-5:1の比率で戦車部隊を、6-8:1の比率で砲兵部隊を、4-5:1の比率で歩兵部隊を投入するように、などと指示されています(Ibid.: 3)。

つまり、WP軍の攻撃に立ち向かうスイスにとって重要なのが動員開始時期の決定です。
WP軍の総力を以ってしてもスイスに対して数的優勢を確保することができないとあきらめさせるか、もしくは数的優勢を実現するために他の正面での戦力を抽出せざるを得ない状況に持ち込めば、WP軍は攻撃に踏み切ることができなくなると考えられます。

しかし、スイスは国民皆兵の軍隊ですので、平時の戦力が小さく、即応性が相対的に低いという特徴があります。
作戦に先立って総動員を発令し、国民を招集して部隊を編成し、それを前方の陣地に配備するためには、相当程度の時間的猶予が必須となります(Ibid.: 3-4)。
スイスの総動員の開始時期が遅くなり、スイス軍の戦力規模が小さいままであるほど、WP軍が本格進攻を仕掛ける危険は高まる
研究ではNATO軍が第一撃で壊滅することなく、堅実な後退行動をとると想定して15日間の時間的猶予を見積っています(Ibid.: 4)。
しかし、WP軍の攻撃の進捗によってはほとんど十分な準備を整えることができないことも予想されます。

次にWPが選択しうる攻撃の方法を検討しなければなりません。
第一に、ソ連が先制してスイスに対して核による攻撃を実施する場合が考えられます。WP軍がNATO軍を圧迫してスイスの国境付近に到達する前に予め核で攻撃したならば、スイスは戦わずして大きな損害を被ることが予想されます。
永世中立であるため米国の核の傘に入っておらず、さらにスイス自身に核戦力に基づく反撃能力を備えていないため、核戦争となれば一方的な被害が続出する状況は避けられません(ただし、スイスでは被害を最小限に抑制するための民間防衛組織や核シェルターが整備されている利点があります)(Ibid.)。

第二に、首都ベルンを目指して通常戦力を用いた進攻を仕掛けてくる場合が考えられます。
スイスは国土全域を要塞化していますが、国土が狭隘なために国境から首都までの戦略上の縦深がほとんどなく、WP軍が仕掛ける攻撃の方向や速度に応じてスイス軍が柔軟に予備を展開することが地理的に困難です。
そのため分析では、少なくともソ連軍の立場から考えれば、進攻開始から短くて5日、長くて7日の内にベルンは占領される危険があるという判断が示されています(Ibid.: 4-5)。

さらに加えれば、ソ連軍の8,500名規模の空挺部隊を投入することも考えられます。
このような空挺部隊は2日から3日の間は補給無しで作戦行動が可能なため、スイス軍は前方からの圧力だけでなく、背後で後方連絡線を遮断することが可能であるため、スイス軍の部隊は各地で深刻な打撃を受ける可能性があることが示唆されています(Ibid.: 5)。

研究ではさらに分析の裏付けとなったデータについてもまとめられていますが、私なりにこの研究の意義をまとめておきたいと思います。
この研究では、永世中立の現実として自国の防衛だけに頼る安全保障政策の限界が示唆されているように思いました。
永世中立は完全な自主防衛能力の準備を必要としますので、国民に対する負担は大きくなります。しかし、それだけの努力を払ったとしても、大国との国力の格差を埋めることは極めて困難であると言わなければなりません。

もちろん、この分析結果それ自体を再検証することも含めて、非大国の軍事戦略を問い直す研究は日本でも大いに求められていると思います。

KT

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