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2015年6月5日金曜日

ローマの征服を推進した外交術

ポエニ戦争で敗北し、ローマに滅ぼされたカルタゴの遺跡。
ローマ人が国政術、戦争術、外交術を巧みに運用しながら国家を発展させた歴史は、政治学を学ぶすべての人にとって興味深い教訓を与えてくれます。

今回はモンテスキューの著述の一部を取り上げて、ローマが征服を進める上でどのような外交を展開していたのかを説明したいと思います。
大国としての勢力をいかんなく発揮する外交術の一端を垣間見ることができると思います。

そもそもローマは当初、小さな君主政の国家として建国されましたが、共和政に変革されてから次第にその勢力を拡張し、ポエニ戦争でカルタゴに勝利すると東地中海方面の中小国を次々と支配下に置いて勢力圏を拡大させました。

このようにローマが成長することができた要因は、単に物的国力の進展があっただけではありません。そこには周到に計画された政略があったことをモンテスキューは指摘しています。

例えば、ローマ人の戦争の進め方に着目すると、必ずしも自国の軍隊だけで戦おうとせず、同盟国の軍隊を利用することに注意していたことが分かります。自国の国力を温存し、他国の国力で自国の国益を実現しているのです。
しかも、ローマは同盟を結んだ国がわずかでも反意を抱いていることを察知すると、間もなく別の同盟国の軍隊を用いて滅ぼさせるか、その勢力を縮小させていました。モンテスキューは次のように述べています。
「同盟国は敵と戦うために利用された。しかし、まず破壊者を殲滅することが目指された。フィリッポスはアナトリア人を使って打倒されたが、彼らはその後すぐにアンティオコスと同盟したため、滅ぼされた。アンティオコスはロドス人の援助で打倒された。だが、彼らは、素晴らしい恩賞を与えられた後、ペルセウスとの和平を求めたということを口実にそのままずっと一顧だにされない地位に陥れられた」(モンテスキュー、68頁)
モンテスキューの著作では、戦争でローマから休戦を申し入れる場合も、必ず最も弱小な敵国との休戦を優先するようにしたことも指摘されています(Ibid.: 69)。これは、交渉が妥結する可能性が最も大きく、かつ滅亡させる時期を多少先送りにしても軍事的な脅威となりにくいと考えられるためです。

さらに興味深いのは、戦争で勝利を確実にした後のローマの戦後処理です。
ローマの国家政策として、大国としての地位を確実なものとし、その経済的権益を外部へと拡張させ続ける必要があるため、敵国となった民族は滅ぼすか、少なくとも政治的に無力化しておく必要があります。

そのため、ローマの戦後処理では相手の国家を再起不能にする工夫が施されていました。
「ローマ人は、決して誠実な講和を結ぼうとせず、その条約は、あらゆるところに侵入するという意図において、もともと戦争の一時停止にすぎなかったから、その中には、条約を受け入れた国家の破壊につながる諸条件を常に含ませていた。彼らは、要塞から守備軍を撤退させたり、地上軍の員数を削減したり、馬や象を引き渡させたりした。また、相手が海上で強力な民族である場合は、その船舶を燃やすこと、そして時には、内陸深く住むことを強要した」(Ibid.: 70)
こうした措置は相手国の軍備を解体し、引いては国家体制そのものを滅ぼす処置として分かりやすい事例です。また、国家の軍隊を破壊するだけでなく、重い賠償金を支払わせることで相手の財政破綻を引き起こすという政略もしばしばとられました(Ibid.)。

つまり、ローマは同盟国を利用して戦争を始め、新しい同盟国を獲得し、それらの国家に次の戦争のための資金を提供させていたのです。モンテスキューはこのことに触れて、「友好国あるいは同盟国の諸民族は、ローマの好意を維持したり、より大きくするために差し出す膨大な贈り物のために、すべて衰退していった。実際、この目的のためにローマ人に送られた金額の半分でも使えば、彼らを打ち破るに十分であったであろう」と書き残しています(Ibid. 78)。

古代ローマの外交史を読めば、戦争と同様に平和も政略の延長線上にあることが印象付けられるのではないでしょうか。

KT

参考文献
モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』田中治男、栗田伸子訳、岩波書店、1989年

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